サイコパスの処方箋

りむふょ

第一部

浅井涼香

「次」


 ドアを一瞥することもなく、カルテを眺めながら女は刺すような声を発した。


「…………」

「おい、次!」


 チラとドアに目配せをすると、苛立ちを露わにしながら、金属製のデスクを指先でコツコツと叩き始める。


「……あ、あの」


 セーラー服を着た女子高生がビクビクとこちらを警戒しながら、小動物のように部屋に入ってきた。


「早く入ってこい」

「……あ、はい」


 白衣を着た女は入ってきた人間をジロジロと嘗め回すように観察すると、ボールペンで目の前の椅子を指した。


「座れ」

「……はい」


 背もたれのない回転椅子すら警戒しながら、ゆっくりと座る。


「若い女とは、珍しいな」

「……そうです……よね。でも、先生も若いし……女性だし……」

「まあ、32歳だから若いとも言えなくはないがな。だが別に女だとか、若いだとか診察にはそんなこと関係ないぞ」

 ビクッと体を震わせると、少女は自身の手を握りしめた。

「危なく……ないんですか?」

「危ない?」


 この女子高生からの質問がよっぽど予想外だったらしく、女は少し面食らった様子。


「だ、だ、だって、私みたいな頭がおかしい人たちを専門にっ!」


 少女は息もつかずにまくしたてると、一呼吸おいて、ぜぇぜぇと呼吸を整え始めた。


「ん? ああ、そのことか? 大丈夫さ。確かにここにはお前みたいなサイコパスがやってくるが、私には用心棒みたいなものがついていてね。それが守ってくれるから」


 女は顎を部屋の角のカーテンのほうにクイッと回した。きっと用心棒が奥に控えているのだろう。

 少女は下を向くと申し訳なさそうに、そうですか、と小さく呟いた。


「自己紹介が遅れた。精神病質医のヒラタだ。博士号は医学と心理学を取得している。確認のために、君も氏名などの自己紹介を頼む。あとここに来た理由とかもな」


 暫くモジモジと体をくねらせると、か細い声を少女は出す。


「浅井涼香……17歳。どうにかなっている自分をどうにかしたいと思って……治療院を探していたら……ネットで紹介されて……ここを見つけました」

「ネットね。偽の情報じゃなくてよかったね。もしかしたら今頃売春しているかもしれなかったよ」

「別に……私……女とか書き込んでいません」


 先ほどからこの少女がつっかえながら喋っているのは性格なのだな、とヒラタは考え、カルテに書き加えていく。


「ふーん、用心しておくことだね。たまにそういう噂聞いているからさ。とりあえず確認は取れたから、先に進もうか」

「あ……はい」

「どうにかなっている自分をどうにかしたいんだっけ? まあ、事前に調査しているから、大体の内容は知っているんだけど」


 涼香は恥ずかしそうに顔を火照らせると、ゆっくりと息を吐いた。


「こう……何か……人間をプチッとしたいんですよ」

「プチッと?」

「そうです。プチッと」


 明らかに少女は滑舌になる。活き活きと言葉を紡いでいく。


「ふーん。プチッと、ってこう潰すってこと?」


 ヒラタは親指と人差し指を少し開くと、捻りつぶすように閉じてこすり合わせた。


「はい。宅配便の梱包材にプチプチあるじゃないですか」

「ああ、あれか」


 ヒラタは顎をさする。


「あれを潰したい衝動に駆られている感じです」

「わかるよ」

「わかるんですかっ!」


 涼香は体をずいっと乗り出した。目はキラキラと輝いている。


「あれだろ。子供のときとかに、道路に列を作っている蟻を見ていると、無性に潰したくなるやつだろ?」

「そうなんです! それです!」

「潰した後の蟻はグロテスクだけど、それを見てもなお、次の蟻を潰したくなるんだよ」

「……ああ。共感者が……」


 涼香は恍惚として、顔をとろんとさせていた。


「簡単に殺せるし、爽快感があるからね」


 ここまでの女学生の言い分なら、わかるかもしれない。だが、人間をつぶしたいという感情はヒラタにはよくわからなかった。


「それに、生命を奪うことの罪悪感も感じない…………でも……」

「でも?」

「最初は小さい小動物を殺すだけで良かったんです。ネズミとか、魚とか。手の中で思いっきり力を入れたら骨がメキメキと音を立てて、終いには内臓とかをバラまいて、グチャグチャになるんです」


 涼香の口元が緩んでいる。殺戮の瞬間でも思い出しているのだろうか。締りが悪くなった口からはよだれが垂れてきていた。

 数秒後、自身の状態に気づいたようで、よだれをハートの刺繡が入ったハンカチでふき取った。


「ふむ」


 ヒラタはカルテにハンカチ、ピンク、ハートの刺繍と書き加えていく。


「それはそれは爽快感や高揚感があって楽しかったのですが……」


 涼香は顔に悲しみの色を表す。


「ん?」

「満足できなくなってしまったんです。もっと、やりがいのある……もっと、大きくて……高揚感の味わえる、ナニカ…………そう、人間のような」

「なるほど、それで人間をプチッとやりたいわけだね。内臓とかをバラまいてグチャグチャにしたいんだね」

「そうです。そうなんです! でも、しちゃいけないってわかっているんです。犯罪だって、殺人だって、逮捕されるんだって。でも、日を追うごとにこの欲求に抗えなくなって……」

「それでここに来たわけだ」

「助けてください! この衝動を抑えてください! 先生ならできるでしょ!」


 部屋に入ってきたころのどもっていた少女と目の前の懇願している少女が同一人物だと誰がわかるだろうか。


「まあ、できるさ。君は犯罪者になりたくない。でもこの欲求には抗えそうになさそうだ。まとめるとこういうことだ」

「もう……嫌なんです。部屋は女の子らしさなんて微塵もない、ネズミを養殖するためのケースばかり。小学生のころから周りには気味悪がられ、友達はできなかった。親にも怪しまれ、私を化け物をみるような目で見ている…………もう……耐えられないんです……」


 涼香は涙をこぼす。


「大体わかった。鬱陶しいから泣くな。この診察所を見つけることができて、君は実に幸運だ。君の悩みは解決するよ」

「えっ? 本当ですか?」

「ああ、本当だとも。この分野において権威者の私が言うんだ。間違いない」

「ああ………ありがとうございます。ありがとうございます」


 涼香はヒラタに縋りつくと、ワンワンと泣き出した。

 ヒラタは苦笑いすると、デスクに向き合った。

 涼香を引きはがすと、カルテに何か不吉な単語を書き込んでいく。


「それじゃあ、後で処方箋を出しておくよ」

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