第27話 義弘
「着いたーっ!」
城跡地を越えさらに北に進み、細い小道に入った。そこからはすぐ目当ての場所へとたどり着いた。
私達は勇者が魔王城まで苦節を乗り越え辿りついたように、やっと辿り着いたのだ。
あと四・五メートルで背丈石。それは丁度小道に沿うようにあった、岩だ。
大きさは私が隠れるぐらいだろうか。だが、その前にはもうすでに先客が居た。
燕尾服を着てこちらに手を振るマタタビの姿が。
それから――その隣にいる青白い顔をした小奇麗な少年も。
彼は古典の授業で習ったような衣服。直垂を身に纏っていて、少年はゆっくりと顔をこちらに向け一礼してみせた。
礼儀正しい様に、私は出かかった悲鳴を飲みこむ。
なぜならば彼の背景が全てクリアに見え、影が無いのだから。
「――っ」
声にならない声のまま、大原に今以上にしがみ付き小鬼の手を強く握ってしまう。
そのため隣の小鬼からは、抗議の声が漏れてきたが聞かなかった事にする。
生まれて初めて幽霊を視てしまい、悲鳴を上げ意識を失わなかっただけでも、褒めて貰っても良いレベルだ。
「もしかして月山、視えるのか?」
大原のその質問に、私は何度も首を縦に振りまくった。
私の人生は、なぜこうも突然なのだろうか。
誕生日のプレゼントとばかりに小鬼はやってくるし、未来の旦那様候補は現れるし、飄々とした地獄の郵便屋さんに出会うやら。
おまけに飼い猫マタタビは妖だし、お父さんは霊感持ちの霊媒体質ときた。
しかも今度は私がいらない才能開花させてしまったようだ――
「貴方が義弘ですね? 僕は閻魔様管轄の者です。そこの小娘は地獄下僕。そしてその隣に居られる清き魂の方は、悟様と申します」
私は下僕じゃないと抗議をしようにも、歯が上手く噛みあわない。カチカチと嫌な音がする。
「このままでは貴方、狩り人や悪霊の餌食になる道しかありません。運良く逃れたとしてもこのままでは、成仏出来ませんよ。閻魔様の元へ参りましょう」
小鬼が硬直した私の手を両手で無理やり引き剥がし、「さぁ」と義弘へと手を差し伸べた。
だが、その小鬼の言葉に、彼はただ首を横に振った。
「やはり憎んでいるのですか? 殺害された事を」
「いいえ。それは人質として迎えられたあの日より覚悟していた事。その事に関し、一切の未練は御座いません」
「え? 違うの?」
てっきり私はそれだと思っていた。だってそれ以外に理由が全く考えられなかったから。
「よかったら話してくれないか? もし俺達に出来る事があるならば手伝うよ」
義弘は首を横に振った。
「――私の蝶は既に地上での羽をもがれ、極楽浄土で舞っているのですから」
「蝶……? それは蝶乃姫の事か?」
大原のその問いに義弘は悲しそうな表情を浮かべると、ゆっくりと瞼を閉じ、首を弱々しく縦に振った。
あぁ、そうなのか。きっと義弘は蝶乃姫の事が鎖となりこの地に繋がれているんだ。
だが、それをどうやって彼を説得すればいいのだろうか。
蝶乃姫は、義弘が言った通りもうこの世にはいない。
亡くなられたのは、彼の死後より数年後。義弘はそれを知っている。
彼の瞳にこの世界はどんな風に映し出されているのだろうか。
数百年の月日が経ち、大切な人が亡くなっても彼は動けないまま――
「ねぇ、蝶乃姫ってどんな人だったの?」
「蝶ですか?」
あまりにも突拍子がなかったらしく、義仲はきょとんとしていた。
「うん。現代に残されている書物にあまり詳しく記載されている物がなくて。
そうだなぁ。貴方と兄妹のように仲が良くて、双六等して遊んでいたって書いてあったぐらいかな。あ、そうだ。ちょっと待っていてね」
たしかアレ持って来てあったはず……
私はリュックを地面へと降ろすと、中身を漁り始めた。
パンパンに膨れて破裂寸前のリユック。中身はお菓子が八割。そのため見た目よりも軽い。
もちろん、これを入れたのは小鬼。食べる場所も余裕もないから、全て余分な荷物なのはいわずもがな。
「これ博物館で特別展した時のパンフレットなんだ」
義仲の前に開いたのは、閻魔様に貰った例の物。A4判サイズで厚さは教科書並みだ。
これって結構便利。写真の他に家系図から、大まかな時代背景まで書かれているため、初心者に適している。
「この貝合わせの貝とか、色鮮やかだよね。遊んだ?」
「えぇ。貝合わせはやりましたけど、双六が多かったです。負けると蝶の機嫌が悪くなって、何度も何度も相手をさせられました」
ほんのわずかの寂しさを残した笑みを浮かべ、義弘はそれを眺めている。
きっと蝶乃姫との懐かしい思い出に包まれているのかもしれない。
「そっかぁ。双六か。ねぇ、少し聞きたモノがあるんだけどいいかな? 展示品の中で一番気になったの」
「どうぞ」
「これなんだけど……」
たしかこの辺りだったような。付箋とか貼っておけば良かったかも。
ページをぱらぱらとめくりながら、私は目当てのアレを探し始めた。
博物館で私が一番惹き付けられたモノ。
――あった!
すぐに数ページ目で見つける事ができ、私は義弘へとパンフレットを差し出せば、彼の目が大きく見開くと「これは……」と反応し指先で触れる。
証明写真並みの大きさのカラー写真。そこに映し出されているのは、あの私が魅了され引き寄せられた着物だ。
彼はそれを温かい瞳で見つめると、ただただ静かにそこへ頬を寄せた。
「蝶……――」
「これ博物館に飾られているレプリカなの。それでもすごく綺麗だったよ。なんか蝶が今にも動き出しそうなぐらい躍動感があって。本物は蝶乃姫と共に埋葬されたみたい。彼女はいつも大切にそれを腕に抱いていたと、閻魔様が言っていたよ」
「蝶が……」
かすれる声と共に、はらりと花びらのように地面に一つ雫が落ちた。それは義弘の瞳から零れ落ちる涙だった。
だけどそれは実体のない幽霊と同じらしく、地面をぬらす役目を持たない。
「この着物は、僕が選んで仕立てて貰ったのです。蝶はこれを大変気に入り、婚礼の儀に着るとはしゃいでおりました」
彼は涙を拭うと、今まで持っていた寂しさ等を全て払拭させ、すっきりとした表情をしていた。
そして今度はすごく嬉しそうに笑った。雨上がりの晴れた空のように。
「人質として敵地に来ましたが、幸福な事に蝶に出会った。彼女はすごく天真爛漫で、蝶のように愛らしかった。共に時間を過ごすうちに彼女が許嫁でよかったと、常に思っておりました。ですが戦乱の世で、あのまま温かな場所にいるのは奇跡に近い事。そんな世のだから、僕は言えなかったのです。己の気持ちを。彼女が僕を兄のように慕ってくれているのは存じておりました。ですが僕は一人の男として見て欲しかった」
「あぁ、わかるよ。その気持ち」
同意したのは、静かに事の成り行きを見守っていた大原だった。
彼はじっと私に視線を向けていたが、やがて苦笑いを浮かべて義弘へと顔を向けた。
「俺も伝えたくても伝えられないから」
「貴方も?」
「あぁ。相手がこちらに好意を抱いてくれているのはわかる。でもそれが男として――つまり、恋愛対象なのかってなら話は別だ。きっとそういう目で見ていてくれてない」
「一緒ですね」
「そうだな。その上、このままゆっくりと、距離を縮めようとしたら、他の男がいろいろ出現する始末。しかも当の本人は警戒心がまったくないから、誰構わずテリトリーに入れるし」
「それは厄介な。こちらも同じ様です。身分が高い方ではなかったので、蝶に縁談が来てしまったらと考えると、頭がおかしくなりそうでした。その上、蝶はそんな邪な思いを抱えているのに我が身に抱きついてきました。理性を保つのが、どんなに困難かを理解していません」
「あぁ、絶対男の生態わかってないよな」
なんなのだ、これは……なぜ途中から恋愛相談のような展開になっているのだろうか。
急に意気投合し始めた大原と義弘を見て、私は首を捻った。
「小娘。この状況はどういう事なのですか?」
「私に聞かれても」
もしかして以前からの知り合いですかと、つい尋ねたくなるぐらいに彼らは仲がよろしいようだ。
まるでファミレスや教室での男子の会話を聞いているかのよう。
時代を越えても恋愛観は共通する部分があるのかもしれない。
「あのさ、俺思うのだけれども、蝶乃姫って義弘の事を異性として好きだったんじゃないかな」
「え? 蝶がですか?」
義弘は大きく瞬きを数回した。
「月山はどう思う?」
「私も大原と同じ意見。あのね、蝶乃姫は貴方が亡くなってから誰とも結婚しなかったんだって。もちろん縁談が来たのだけれども、蝶乃姫が首を縦に振らなかったし、貴方が無くなった事を知り、食事もまともに取らなかったそうなの。それが直接的に彼女の死に関する原因かはわからないけれども、衰弱して体が弱った事は確か」
「蝶が……」
「うん」
だから、きっと蝶乃姫は義弘の事が好きだったんだと思う。だって、着物も大事に肌身離さず所持していたぐらいだし。
「蝶乃姫にとって、着物が貴方と一番繋がる唯一のモノだったんじゃないかな? あの頃って写真とかなかったから、スマホの待ちうけが彼氏って事とか出来なかったし。いつの時代でも恋する女の子は変わらないと思う」
「そうですか。蝶が僕を……」
そう言ってはにかんだその顔は、私達と変わらい年相応なまま。
最初は大人っぽい雰囲気だったけど、今では少年らしさが残っている。
私はそんな義弘を目のあたりにして願った。
もし今度彼が蝶乃姫と出会うならば、この想いを伝えられますようにと――
「どうやら僕は、あちら側に行けるようですね」
声と共に、義弘の足元からは眩い光が溢れだしてきた。スポットライトを何本も当たったかのようなその強さ。
それは、私の瞼を下ろさせるには十分だった。瞼の裏で踏切のように点滅する光。
瞳は再び物を映すために時間を欲している。
「有難う。話せて心が晴れたよ。君達に出会えてよかった」
「私も」と言おうとした時だった。ドクンと心臓が跳ね、体が押しつぶされそうになったのは。心がやけにざわめいている。
気配が――
辺りを静寂が包み、風の音だけが私達を通り過ぎていく。
「義弘……?」
返事は無い。
あぁ、もう逝ってしまったんだ。
これは最初からわかっていた事。彼のためにも、私達のためにも最良の道。
「でも、お別れぐらい言いたかったよ……」
ゆっくりと瞼を開けば、視界が歪んでいた。やはり居ない。
今まであの背丈石のすぐ傍に居たのに。
泣くな。これが最良の結末なのだから。相手の新しい門出を願わねばならないのだ。
唇を噛みしめ俯けば、苦い錆の味が口に広がっていく。
「桜、我慢しなくていいぞ。泣きたい時は俺が傍にいるって約束しただろ? まぁ、言ったのが猫の時だったから、『にゃ』ってしか聴こえなかっただろうけれども」
マタタビはそう言うと、私の顎に手を添え上向きにさせ、次から次へと零れ落ちる涙を唇ですくっていく。
いつも家に居ない事が多いのに、私がお母さんに怒られた時、学校で悲しい事が起こった時等、自室で泣いていると必ず部屋にやって来てくれる。
そして今みたいに慰めてくれる。そうすると不思議と涙が止まった。きっとあのざらざらとした舌で、涙を食べてくれたからだろう。
「マタタビ、くすぐったいよ」
猫の舌と違い、今は人間の舌だけどくすぐったいことには変わりない。
「桜の涙はいつも甘いな」
「涙はしょっぱいよ」
「いや。桜のは特べ――……っ!」
くすぐったいのが収まったと思った瞬間、「にゃ」という、猫の鳴き声が耳に届く。
音の先を追えば、私の右足元。そこには一匹のブチ猫がいた。
「あれ? マタタビ元に戻ったんだ」
そう尋ねれば、マタタビが激しく首を左右に振った。
「これが月山の家の飼い猫・マタタビの猫姿かぁ。初めて見たよ」
そう言いながらマタタビを見下ろす大原は、猫好きなのか、笑みを浮かべている。
けれども気になるのは、彼の手には数枚の札。その札周りでは紫色をした小さい雷が起こっている。
だが、それに対しマタタビは威嚇中。背を丸め、「シャー」と今にも大原に飛びかかりそうだ。
そのため、「マタタビ、駄目だよ」と、一応釘を刺しておいた。
家族以外には懐かないので、爪で引っ掻いたりすると大原が怪我をしてしまう。 マタタビも分かってくれたのか、肩を落としながら私の足元へと座った。
「悪いけど、マタタビ。さすがにアレをただ傍観するわけにはいかないよ。今みたいに猫の姿ならまだしもね」
大原の言葉を受け、一旦大人しくなったマタタビがすっと立ちあがった。
そして何か「みゃ。みゃー」と鳴いたかと思えば、辺りが煙に包まれてしまい私はむせ返った。
まるで焼き肉の煙だ。
げほげほと咳き込んでいると、「よくもやってくれたな」という、マタタビの地を這う声が聞こえてきた。
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