第16話 小鬼が増殖っ!?
「なんだろ……?」
首を傾げながら入室を促すと、襖がゆっくりと開けられていく。
不思議な事にそこにはただ廊下に置かれた観葉植物や、こげ茶色の壁が広がっているだけ。
もしかして襖の影に隠れているのかもしれないと思って椅子を引きかけると、「桜様、悟様」という高めの声が耳に入る。幼稚園の前を通ると聞こえてくる、あの賑やかな声と変わらない。
だからこの声の持ち主は、あのくらいの年齢の子かもしれない。
私は地面に近い方から聞こえて来たので、視線を下げその声の主を見た。
するとそこに居たのは、紛れもない小鬼の姿。何やら白地に青で、私達が行った博物館名が入ったビニール袋を所持している。
「突然のご無礼をお許し下さいませ」
「ぞ、増殖!」
膝の上に座っている小鬼と、襖の所にいる小鬼を見比べるがコピーだ。
唯一違うのは声。こっちは女の子の声域に近い気がする。しかも、なんか礼儀正しい。
お辞儀をする様なんか、その辺のゆるキャラに居ても違和感がないぐらいに可愛い。
しぐさというものは、こんなにも人に与える印象を変えるのか。
「なんですか、緑。お前もこっちの世界へ来ていたのですか」
小鬼は相変わらずメニュー表を捲りながら、さも興味のないようにそう言い放った。
そんな態度されても、こっちの小鬼は目を半円にさせ、唇の両端を上向きにさせている。
なんか亭主関白な夫とその妻のようだ。
「はい。閻魔様のお使いです。桜様と悟様にこちらのものをお渡しするようにと」
可愛い方の小鬼が差し出されたのは、博物館のビニール袋。
受け取りに行こうと思っているのに、膝の上に乗っている奴が退けようとしないので、「ちょっと隣に移動して」と言ったのだが漬物石のようにそのまま。
そんな私と小鬼を見て、大原が代わりに取りに行ってくれた。
「ありがとう。名前、緑って言うんだ?」
「はい」
「閻魔様よりと言っていたけれども、これは何?」
「あの博物館で過去に行われた特別展のパンフレットだそうです。このたびの曽我義弘の件について参考にして下さいとの事。どうやら閻魔様は、購入したままお渡しするのを忘れていらっしゃったようでして」
はにかんだ姿がなんとも愛らしい。それと比べうちのは、「なぜ抹茶パフェと抹茶パフェデラックスなんて二種類あるんですか。これ以上僕にどうしろと!」なんて、煩悩いっぱい。
せっかくお仲間が来ているっていうのに。
「では、私はこれにて。お時間頂きありがとうございました」
深々とお辞儀をする緑ちゃんに、私と大原は引きとめた。
幸いな事にここはカフェ。食べ物も飲み物もあるから、ゆっくりしていけばいいって。
「私の事はどうぞお気になさらないで下さいませ。桜様の件は閻魔様より伺っております。そのような大事な相談事の最中に、お邪魔するわけには参りません。桜様と悟様のお心使いとても嬉しかったです」
「謙虚だ……」
なぜうちのは図太いのだろうか。人は見た目じゃなく中身だっていうが、小鬼や物の怪も同様に言える。
「夜、お仕事頑張ってね」
「頑張るに決まっているでしょう。閻魔様の直々のご命令なのですから。そんな事、緑に言われるまでもありません。用が終わったのなら、さっさと帰りなさい」
「そうだよね、ごめんね……」
緑ちゃんが肩を落とし俯いてしまった。
その時、降り出した雨のようにぽたりと雫が落ちるのを見てしまい、私はどんな声をかけていいか戸惑っていた。
私の場合、そんな事言われても凹まない。むしろ、「何様だ」といつもの如く喧嘩が始まるだろう。私が喧嘩っ早いからだ。
だが、緑ちゃんは違う。きっと繊細。しかも小鬼に対し好意があるみたい。
その形は友達に対するものだったり、好きな人に対するものだったり、形はいろいろと変化する。
だけれども、共通しているのは相手が大事だってことだ。
それなのにあんな返しされたら……
「小鬼。あのさ、もう少し違う言い方あるんじゃないの?」
「小娘には関係ありません」
「いや、そうかもしれないけど。でもさ……」
だって、小鬼見てないかもしれないけど、泣いていたんだよ。緑ちゃん。
「緑もいつまでここにいるつもりなのですか? 早く戻りなさいと先ほど言いましたよね。邪魔です」
小鬼の最後通告。
見るのが怖かったけれども、視線を緑ちゃんへと向けた。すると案の定、雨が土砂降りに変わっていた。
――まったく、この小鬼は!
頭に血が昇り小鬼を怒鳴ろうとしたら、唯一小鬼が言う事を聞く人物の声が響いた。
静まりかえった空間だったためか、やたら大きく聞こえた。
「――小鬼」
彼にしては珍しく冷たいそれに、小鬼の体は大きく振動、それが椅子と化している私に伝わった。
「今のは言いすぎ。謝って」
言葉に小鬼はやっとメニュー表から顔を上げると、体を襖の方へ動かし視線を向けた。しゃがみ込み緑ちゃんを宥める大原が、珍しく険しい顔をしている。
「……僕は悪くありません。緑が早く戻らないから悪いんです」
不貞腐れているのか、ばつが悪いのか、小鬼はそっぽを向き、そこから視線をずらした。
どうやら大原の言う事すら聞く耳を持たないようだ。
「はぁ」と私はため息を一つ零すと、手にしていたメニュー表を畳み、テーブルへと置いた。
小鬼のほっぺを親指と人差し指で添えたかと思うと、いつものように内側に動かす。
「ぶふっ」
「人にいつも説教たれるくせに、自分はそれ? あのさ、別にそこまで言わなくてもいいじゃん。いい? 円滑な人間関係を行うには、世間話程度は必要なの。必要以上に仲良くしろって言っているわけじゃないよ。ただ、ある程度相手を思いやりなさいって言うの。いいじゃない別に『わかった。お前も気をつけて帰れ』で終わらせておけば。なのになんで邪魔とか余計な事を付属させんのよ? 緑ちゃんが親の敵とか、そういう何かしらの理由があるなら別だけどさ」
「さ、桜様っ!」
緑ちゃんが足元まで駆け寄ってきたため、私は小鬼から手を離した。
「緑に人間界はまだ早すぎるんですよ……ここに来るほど大人ではありません」
「え?」
私は小鬼が口にした子供発言に驚愕を隠せない。いやだって小鬼と緑ちゃん同じだし。そもそも年齢という概念があるのだろうか。
「人間界はいろんな種族が混じり合う場所。僕はある程度力があり、自分の身ぐらい守れます。ですが、緑では無理なんですよ。まだこの世界に適応するほどの力がありませんからね」
「どう考えても地獄の方が危ないんじゃないの?」
「いいえ、小娘。僕は人間界が一番恐ろしいと思いますよ。善人だけでなく、悪しき者ものさばっています。しかも地獄は秩序がある。ここはそれがない分、無法地帯。悟様はご存知ですよね?」
「あぁ」
「妖・人間関係なく閻魔様を畏怖せぬ存在。そやつらは、平気で僕達を殺します。それこそゲームのように。ですから、僕は早く帰りなさいと言ったんです」
「そうだったんだ。良かった。私、夜に嫌われていると思っていたから。ありがとう、心配してくれて。すごく嬉しい」
緑ちゃんの顔にやっと笑顔が戻り一件落着。大原と顔を見合せると、お互い口元を緩めている。この実にほほえましい現状に。
「小鬼、あんた以外と良い奴だったんだ。でも口下手すぎ。言わないとわからないじゃん」
「そんな事は地獄の常識。緑が元々人間だから世間知らずなだけです」
「……元、人間?」
「そうですよ。緑は僕達と違い元々人間。ですから力が余計に弱い」
元人間が何故その姿になったのだろうか。その事を訊きたかったけど、聞けなかった。人には知られたくない事もあるだろう。私にだってある。知られたくない事ぐらい。
「とにかく早く地獄に戻りなさい。他に仕事があるのでしょう?」
「はい」
さっきと違い、お花のように笑う緑ちゃんが恋する女の子に見える。それは元々人間だったという先入観があったせいだろうか。
だけれども、そんな妄想はきっと考えすぎだ。今日一日でいろいろ資料集めたりして疲れているからだろう。
「では桜様、悟様、夜。では、またお会いしましょう」
「うん、バイバイ」
「気をつけて」
緑ちゃんは深々とお辞儀をすると、襖を閉めた。見届け、私達は席へと戻った。
――緑ちゃんって可愛かったなぁ……あんなに良い子だし。
「ねぇ、そう言えば、あんた名前あったんだね。夜って」
「そうですね。さして興味はありませんので、今まで通り小鬼でいいですよ。閻魔様より頂いたものではなく、あれは自分達で勝手に名乗っているだけですし。ほら、小鬼がいっぱいいたら、誰だかわからないでしょ?」
「ねぇ、小鬼ってそんなにいるわけ?」
「いますよ。何百何千と」
「怖っ!」
今、想像しただけで鳥肌が。
「失礼な」
小鬼はさっきの別れからまだ数秒しか経ってないのに、テーブルの上にまたメニュー表を広げ始めていた。
「というかさ、まだ決まってなかったわけ?」
「ちょっと待って下さい。ん~、やはり今日の所は最初の本命の通り、金魚鉢パフェにします。もう揺らぎませんよ」
「わかった。金魚鉢パフェね。大原は?」
「俺は抹茶セットにするよ」
「抹茶パフェね」
大原が頼んだのは、季節の菓子と抹茶がセットになった代物。それも捨てがたい。
いつも抹茶セットも気になるんだけど、頼んじゃうのは、やっぱりパフェ類になる。
「よし。じゃあ決まりね」
私は左端にある呼び出しボタンに手を伸ばし押した。
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