第14話 千鶴
――千鶴だって?
幸いな事に引き攣った唇には誰も気づかないようだ。まさかその店の名を小鬼から聞く事になろうとは。どんな因果があっての事だろうか。千鶴だけは駄目だ。鬼門だから知らない振りをしておこう。
「金魚鉢パフェがおいしそうだったんです」
「へー。金魚パフェか。ちょっと待って。今調べるからな」
「えっ、ちょっと!?」
大原は取りだしたスマホを操作しながら店を検索しはじめてしまったため、背中を汗が伝った。
「さすが悟様」
小鬼は覗きこむようにし、彼の頭上に飛び移った。
「月山知っているか?」
知っているかと問われれば、知っているというのが答えだ。
場所もすぐに案内出来るし、一番人気のメニューを説明することすら私にとっては朝飯前。
だが、悪いがこのメンツで行きたくない。無論、ちゃんと理由がある。見られたくないのだ。
――だって行ったらきっとお父さんにバレちゃうじゃんか。
あそこは口止めをしなければならない人間が多い。おじさん経由でお父さんにまでバレたらマズイ。
私もだけど、大原に迷惑が。なんとか別の店に行くように誘導しなくては。
「月山?」
「え?」
ふと顔を上げると、怪訝そうな顔をした大原と目があう。
「もしかして聞こえてなかったのか? 小鬼が言っている店を知っていたら教えて欲しいんだ」
「聞こえていたよ。ごめん、ちょっと考え事していてさ。反応鈍くなっちゃったみたい。ごめんね」
「いや、構わないが……」
「ねぇ、見つからないなら違う店にしない? 最近この近くにパンケーキ屋さんが出来たって、クラスの子達から聞いて行ってみたかったんだ」
「俺はそっちでも構わないよ。小鬼は?」
と、大原が小鬼の様子を伺えば、眉を顰めながら唇を尖らせていた。
「嫌です。千鶴の金魚鉢パフェが良いんです。本来金魚を入れるものを、パフェ器にするという発想。これは人間にしか思いつきません。ですから、僕はこの文化を研究しなければならないのです」
「金魚パフェなんて、他のお店でやっている場所あるわよ。それにさ、食すも何もあれかなり量あるけど大丈夫なの? 途中で飽きたって辞められても、私一人じゃ絶対にあれ全部食べきれないわよ」
千鶴の金魚鉢パフェは一杯が人の顔ぐらいあるため、二~三人前ぐらいの重量なので一人では攻略不可能。小鬼が注文して途中でギブアップしても、私一人じゃ絶対に食べ切れない。
「食べた事あるんですか?」
「……あ」
しまった。ついうっかり口が……慌てて口を押さえた時はすでに遅し。
小鬼の刺すような視線に私は顔を背けた。
「食べた事あるんですね」
「ない」
「嘘つき! あるんですね!」
小鬼は小鳥が木々を移動するかのように、大原から私の頭上へと飛びのってきた。耳触りが悪い小鬼の囀り付きで。
食べた事あるもないも、常連だ。幼馴染のご両親が経営しているため、駅前に来たら毎回足を運ぶ。しかも、月山家と家族ぐるみで仲がいい。
「ずるいです! 自分ばっかり食べて。この強欲人間っ」
「あのね、別に意地悪で連れていかないって言っているわけじゃないの。ちゃんと理由があるんだってば。これ以上大原に迷惑をかけられないんだってば」
「そんな事言って、結局独り占めする気なんですね。僕にも食べさせなさい」
「だから人の話を……――」
「食べたい。食べたい。食べたい~っ!」
あいつはカウボーイかっていうぐらいに、人の頭上で暴れている。
私の意思とは無関係に首が前後にぐらぐらと揺れ動き、視界が定まらない。
しかもあまりの激しさに、すれ違う人達が振り向き好奇の目で見ている。
「わかった、わかった。だから止まれ」
結局私はこれ以上疲労困憊するのを拒絶するために、小鬼に対して白旗を揚げた。
+
+
+
やっぱりとでもいうべきだろうか、あの人がいた。
当たり前と言えば当たり前だろう。ここは彼女のバイト先なのだから。
しかも、お店の自動ドアが開いた瞬間に遭遇というまさかの偶然。
たまたまカウンターに戻る途中だったのだろう。
彼女の手にしていた銀色のトレイには、空になったグラス類が乗っていた。
「桜……?」
紫と白の市松模様の浴衣に紅色のエプロンを身に纏っている少女は、こちらを見つめたまま大きな瞳が零れそうなぐらいまで見開いていた。
かと思うと、長い睫毛を上下に振るわせ始め、薔薇色の唇で何かを紡ごうとしているのか、微動していた。
彼女の変わりにただ鶴が鳴いた。
白い肌と反するような黒い艶のある纏められた髪に挿されている銀色簪が。
「月山、知り合いか?」
目の前で繰り広げられている光景に、大原が遠慮がちに尋ねて来た。
それに対し、私は首を縦に振った。たしかに聞きたくなるはず。
いきなり店員さんが動きを止め、こちらを呆然と見詰めているのだから。
「幼馴染の千鶴。幼稚園からずっと一緒なの。高校はうちじゃなく、東里女子」
「店の名前と一緒だな」
「うん。ここは千鶴のお父さんとお母さんが経営しているの。お店の名前は娘の――そこでフリーズしている千鶴の名前から取ったんだって」
「そうなんだ。落ち着いた良いところだな」
「うん」
大原が店内を見回すのにつられ、私も一緒になってぐるりと視線を巡らせる。
建物が古民家風になっているためか、内装は梁がむき出しで木の温もり溢れていた。
店先の自動ドアが開いて、まず飛び込んでくるのは、正面にある一本木で作られた長いテーブルがあるカウンター。
その周辺にある棚には、和柄のガマ口ケースやミニチュアの招き猫など和風の雑貨類が並べられてあり、気に入ったものがあれば購入出来るようになっている。
そしてその左側の部屋はテーブルルーム。
そことカウンターを繋ぐ扉はすでになく、ただ金具だけ取り残されている状態。
きっとその部屋はきっと大原向きだ。そこは左右の壁に本棚があり、哲学の本からファッション雑誌までいろいろな本が並べられていた。壁一面に床から天井まで本で埋め尽くされていて、図書館にいるような気分になる。
店内にかかるクラシックをバックミュージックに、本とお茶を楽しみに来る常連さん達もいる。そしてその部屋の反対側の壁付近にあるのは、二階へと続く階段。上は全て個室となっている。
「……え? 桜、あんたいつの間にこんなイケメン彼氏が出来たの? 聞いてないわよ」
いつの間にか復活したらしい千鶴は、大原と私を交互に見比べていた。やはり触れくるか……
傍から見れば、私と大原以外他に誰も居ないように見える。とどのつまり、傍から見れば二人。それで生まれるのが、彼氏じゃないかという憶測。
男友達はいるけど二人で遊ぶって事、私はほどんとしない。それが問題。
これがこの店のオーナー――千鶴のお父さんとお店を手伝っているお母さん、それから千鶴経由で、「桜ちゃん来てくれたんだよ。彼氏と」なんて世間話でもされた日には、いろいろと終わる。
私の家は結構堅い。といっても、お父さんだけ。
時代錯誤と言っても過言じゃないまさかの『男女交際禁止』発布中。
お母さん達は「彼氏出来たら遊びに連れて来なさい」っていうぐらいだから、禁止してない。
そのため大学生のお姉ちゃんが彼氏と半同棲中というのは、うち最大のスキャンダル。
もちろん、お母さんは知っている。相手の人もお父さんが居ない隙に挨拶に来てくれたから。お父さんにもご挨拶をというのを、家族総出で阻止。そんな血を見るような戦を自ら挑む必要は無い。
もしその事が知られたら、お父さんは着の身着のまま飛行機に飛び乗ってお姉ちゃんの元へと駆けつけるだろう。そうなったら誰にも止められない。あの人は時々暴走するから。
――溺愛されて箱入り娘に育ちました。……ってわけじゃないんだけなぁ。
だからもし、おじさん達から大原と二人でお店に来ていた事がバレてしまえば、面倒事でラッピングされた未来が確定。それが私にプレゼントされる。そしてきっといろいろ尋問されるのだろう。
こういうのは、お姉ちゃんが実に上手だった。危ない時もあったが、なんとかすり抜け高校の頃からちゃんと隠して難を逃れている。
普段は砂糖菓子のような人なのに、いざとなれば頭をフル回転させる。
そんなギャップを持つ姉を私は大好きだ。
「彼氏じゃないよ。クラスメイト。あと、この件お父さんには絶対に黙っていて」
「もちろんよ。おじさまに知られたら、きっとその彼氏さん無事じゃ済まないだろうし。お父さん達にも言っておく。桜の恋路を邪魔しちゃ駄目だって事」
「やっぱり無事じゃ済まないんだ……」
「当たり前でしょ。こっちの心配よりも、桜が気を付けなさい。あんた雪ゆき姉さんみたいに上手に誤魔化せないだろうから」
「私もそう思う。お姉ちゃんは嘘を現実のように錯覚させる力を持っているけど、私の場合は鎌掛けられたら口から出るよ」
もしそんな事になったら、大原に過大な迷惑をかけてしまうのを想像するのは容易い。ただでさえ厄介事に巻き込んでしまっているのに、これ以上はさすがに……
「――っていうか、桜っ!」
「うがっ」
急に伸びた千鶴の腕により、パーカーの首元を引っ張られ締め上げられてしまう。 そのため若干苦しい。いつぞやの時に小鬼が出したような声を漏らしながら、私はその原因である千鶴の手を掴んだ。
「なんでこんな格好しているのよ。どうせあんたの事だから、洗濯物からただ漁ってきただけなんでしょ。せっかくのデートなら、この間買ったワンピースがあったでしょうが。折角可愛いのに、なんでそんなに無頓着なのよ。勿体なさすぎ」
千鶴はお母さんと一緒だ。お母さんに言われる台詞と千鶴に言われる台詞が見事に一致する事がしばしば。
全て私の性格ゆえなんだろうけど、そんな事を言われても面倒なのは面倒だし、急には直らない。
「以後気をつける」
「直す気ないでしょ。毎回そう言うんだから。せっかく彼氏出来たっていうのに」
「そのうちなんとかなるって。ねぇ、それより上だけど空いている?」
「あー。座敷は全て埋まっているけど、テーブル席ならまだ空きがあるはず。それでもいい?」
「個室ならどっちでも構わないよ。ありがと」
どうやら空いているらしい。時間帯によっては全部埋まっているから、難しいかと思っていたが良かった。個室の方がゆっくり出来るし、周り気にならないため人気なのだ。
私はほっと胸をなでおろし、何を食べるか頭の片隅で考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます