星界のエリシオン
楠木 斉雄
第1話 お台場に死す
直樹は山手線新橋駅の汐留口を出たところで腕時計を眺めていた。
しかし、約束した時間になってもさゆみは現れない。
直樹は先ほど降りてきたばかりの階段に目を向ける。
直樹の目に入ったのはさゆみが階段の上の方で大きなキャスターバッグを抱えて悪戦苦闘しているさゆみの姿だった。
さゆみはキャスターバッグを一段降ろしては、懸命に持ち上げ次の段に降ろしている。
直樹は慌てて階段を駆け上がると、さゆみからバッグを取り上げた。
「直樹、ありがとう」
さゆみは額に汗を浮かべて微笑む。
キャスターバッグは確かに重いが、直樹にとっては持ち上げて歩ける程度だ。
そして、その中にはここ数ヶ月の直樹とさゆみの努力の成果品が詰まっていた。
「上で待ち合わせたら良かったね」
「これぐらい運べない自分が情けないわ」
さゆみは悔しそうな表情を浮かべるが、直樹は屈託なく笑う。
「さゆみは小柄だから重い物を運ぶには不利なだけだよ」
階段を下りきったら直樹とさゆみはゆりかもの駅に向かった。
「直通の通路を着けてほしいわ」
さゆみがぼやくのを聞いて直樹もうなずいた。周囲には二人と同じようにキャスターを引っ張っていく人影もちらほらと見かける。
今日はコミケが開催される日だった。
直樹とさゆみはSNSの知り合いと割り勘でブースを借りて出展していた。
申し込み料に出展料、それを共同で申し込んだ仲間と割り勘にしても結構な金額だ。
ゆりかもめに乗り込むと二人は一息ついた。
発車したゆりかもめはゆっくりとしたスピードで路線を走っていく。
「今回は、売りまくってなんとか黒字にします」
さゆみが気勢を上げる。
二人が作ったのは異世界ファンタジーのコミックで、直樹が原作を書き、作画をさゆみが担当し、写真製版で製本する気合いの入れ様だ。
黒字というのは、コミケでの売り上げだけではなく、宣伝効果で電子書籍版の売り上げも上げることを含めているが、それには相当な気合が必要だ。
「さゆみの絵柄は掴みがいいから絶対売れるよ」
半ば気休めで言った直樹をさゆみはキッと見返した。
「イラストはあくまでイラストです。直樹のオリジナルストーリーあっての今回の企画です。私が見込んだからには絶対に売れます」
「俺が書くストーリーって、よくあるテンプレートそのままだよ」
「テンプレートそのままのぐだぐだした話だったら2、3ページ読んだだけで放り出されて買ってはもらえません。前回だって売れたではありませんか」
直樹はさゆみの気遣いがうれしかった。
自分が書く原作小説など、砂浜の砂粒の一つに過ぎないということを直樹自身は身に染みて感じていたからだ。
オリジナリティがあるとすれば、主人公の性格と行動パターンに、直樹自身の人格が反映されているところだろうか。
それすらも、人から見たらありきたりの話にしか見えない気がしていた。
「ありがとう。そういってくれるとうれしいが俺ももっと文章修行しないといけないな。やはり今はさゆみのイラストが頼りだ」
直樹の言葉を聞いた彼女は俯いて首を振った。
「スタンプの販売を企てたときのことを憶えていますか。直樹が気づかなかったらニャンリオのケイティちゃんのコピーまがいのスタンプを売ってしまうところでした」
「ああ、あれね。リボン着けたらケイティちゃんになったってやつだろ」
「私が書く絵は一時が万事で、オリジナリティがないのです」
そうでもないと思うのだが、なにぶん彼女はきまじめすぎた。
直樹が何か気の利いたことを言おうとした時、ズズズンと低い衝撃音が響いた。列車の窓ガラスからバシッと叩かれたような音が響く。
「爆発?」
直樹の声にさゆみも気がついて周囲を見回す。列車はレインボーブリッジを通過して、お台場海浜公園駅に近づこうとしていた。
直樹の目に南東の方向、青海方面から煙の固まりが立ち上がるのが映り、同時に列車のスピードが急に落ちた。
ゆりかもめは非常制動をかけて緊急停止しようとしていた。
そうなると、ゆっくり走っているように見えて結構なスピードが出ていたことが解る。
ベンチシートから転げ落ちないように、直樹は抱えるようにしてさゆみを支えた。
列車が停止すると車内がどよめいた。
乗客の皆が息を詰めていたのが、動きが止まった瞬間口を開いたからだ。
直樹は、さゆみとしっかり抱き合った状態になっていたのに気がついて、ちょっと気恥ずかしくなって手を離した。彼女もシートに座り直す。
「一体何が起きたんだろう」
「ガス爆発かしら」
直樹は安全が確認されたらすぐに動くだろうと思っていたが、ゆりかもめは予想を裏切って停止したままだった。
そして、車両の電源が不意に落ち、しばらくすると車内の気温が下がり始めた。
「何故、アナウンスがないんだろう」
「電源が切れたから放送もできないんでしょ」
ゆりかもめ自動運転なので、そもそも乗務員が乗っておらず、電源が切れたらアナウンスも何もない。
次第に寒くなってくる車内で乗客はじっと耐えていた。
うかつに車外に出るのは危険だと皆知っているからだ。
やがて、お台場海浜公園駅の方から人が歩いてくるのが見えた。
制服姿なので駅員のようだ。
「まさか歩いて駅まで行けって言わないわよね」
さゆみはつぶやいたが、そのまさかの事態が現実となった。
駅員が車両の最前部で何かしていると思ったら車両の最前部が開いてドアになった。
乗り込んできた駅員は、ハンディの拡声器で乗客に呼びかける。
「皆さん大変ご迷惑をおかけします。青海駅付近で爆発事故が発生したため本日はゆりかもめの運行は中止しました。大変申し訳ありませんが誘導に従って最寄りの駅まで歩いてください」
乗客からはざわざわと声が上がるが、表だった不平の声も聞こえない。
日本人は辛抱強いのだ。
直樹とさゆみは他の乗客とともに、駅員の案内に従って、車両前部の非常ドアから外に出て、駅を目指して歩き始めた。
直樹はちゃっかりとキャスターバッグを持ち出していた。
「荷物を持って出て大丈夫かしら」
旅客機の緊急脱出の際は脱出用のスライドを破損する可能性があるため手荷物の持ち出しは禁止されているからさゆみは心配している。
「駄目と言われなければ持って降りた方が面倒がない」
駅員の指示漏れかもしれないが、もう一度取りに来る羽目になったら果てしなく時間がかかる。
直樹は、ゆりかもめのタイヤが接地する路面の上をキャスターを引いて歩いた。
ユリカモメはタイヤで走行していて、接地する部分は幅が50センチメートルほどの道路になっていて歩きやすい。
しかし、幅が広いと入っても、周囲が吹きさらしでそこだけ高くなっているため、平均台の上を歩いている感じで怖い。
その時、直樹は西の方からたくさんの航空機の機影が飛来するのを目にした。
直樹は機影から自衛隊のV22オスプレイだと判別できた。
直樹は自他ともに認めるミリタリーおたくなのだ。
速い速度で低空侵入してきたオスプレイの編隊は、お台場近辺でローターをチルトさせるとホバリング状態に移行した。
テレビ局の屋上に着陸する機体があれば、駅前の空きスペースに無理矢理着陸する機体もある。
着地と同時に、機体の後部から大勢のと武装した自衛官が降りてくるのが見えた。
自衛官や物資を降ろした機体は、すぐにエンジンの回転を上げて離陸していく。爆発事故にしては物々しい対応だ。
そんな状況を眺めながら10分ほど歩き、直樹たち乗客は無事にお台場海浜公園駅に着いた。
直樹は高い位置にあるホームの上に、まずはバッグを放り上げ、次に自分がよじ登り、最後にさゆみを引っ張り上げる。
何の変哲もないプラットホームによじ登っただけのことだが、二人は馬鹿みたいに笑い合った。まるで、重大事故から生還したような気分になったからだ。
「これからどうしようか」
交通が途絶してはコミケも開催中止かもしれない。直樹はどうしたものかと途方に暮れた。
さゆみも黙ったまま座り込んでいる。
レインボーブリッジの方を見ると、いつの間に来たのか機動戦闘車が2台並んで車線をふさいでいた。
タイヤで走行する機動戦闘車は都市部で迅速に展開することが可能だが、戦車並みの武装を持っている。
機動戦闘車の105ミリ砲が南の方向指向して並び、威圧感を感じさせた。
この一帯を封鎖するつもりなのだ。
直樹はとりあえず駅の前の道路まで出ることにした。
「直樹、さゆみ」
道路に出た瞬間、健二が二人を見つけて走り寄ってきた。
今回の冊子制作企画の仲間の一人だ。
「無事だったのか、さっきの爆発に巻き込まれていないか心配していたんだ」
「爆発ってそんなにひどかったのか。一体何が起きている」
ガス爆発の影響で列車が影響を受けたくらいに思っていた直樹は健二の反応が大仰に思えた。
「テロだよテロ。大規模テロの準備をしていた連中が摘発されたんだ。犯人グループの一部が逃走中で、青海駅の近くで検問に引っかかった自動車が自爆したらしい」
剣呑な話だった。
犯人グループがお台場近辺からも都心部に逃走しないように自衛隊が投入されたに違いない。
直樹はさゆみと健二を交互に見て言った。
「レインボーブリッジを歩いて渡ろう。このエリアから脱出しなければ」
二人はうなずいた。公共交通機関は止まっているようなので、都心方面に戻るには歩くしかない。
三人は今歩いてきたゆりかもめの高架の下を、もと来た方向に向けて歩き始めた。
西にあるテレビ局の方からも人がぞろぞろと列をなして歩いており、歩道はたちまち人で溢れ始めた。
歩道からあふれた人は、道路沿いの大きな倉庫のような建物がある会社の敷地にもはみ出している。
「エターナルウインドって何をしている会社だったかな」
直樹が看板の社名を見て誰にともなくつぶやくと、健二が振り返った。
「知らないのか直樹、日本初のコールドスリープを一般から受け入れする施設ができたってウエブで広告を見かけるだろ」
「ああ、あれのことか」
脳を冷凍保存して技術が進歩した未来に再生してもらうという発想は以前からあったが、水分の結晶化によって組織が破壊されるという問題があった。
最近になり水分の結晶化を防ぐ添加剤の進歩でコールドスリープもは実用化に近付いている。
とはいえ、それは不治の病に侵されたお金持ちが最後の望みを託す場所以外の何物でもなかった。
直樹たちがレインボーブリッジ入り口付近の交差点まで来たとき、道路上を速いスピードでこちらに向かってくる乗用車が見えた。
その車は検問で止めようとした警察官をはねとばして突破した。
周囲からはパラパラと軽い感じの破裂音が聞こえ始めた。
「自動小銃の連射音だ」
直樹は健二とさゆみを引っ張って近くの建物の方に身を寄せた。
舗道上の人混みの大半は事態に気が付いておらず、気が付いて立ち止まる人に後ろから来る人がぶつかり歩道上から人があふれ始めれいた。
人混みに押された直樹がさゆみを守ろうと壁に手をついた時、壁を背にしてこちらを向いていたさゆみと目があった。
「壁ドンだね」
危機感のない彼女の言葉に直樹は力が抜け、同時になんとか彼女を守らなければと言う思いが湧きあがる。
その横で建物脇から道路に飛び出した人影があった。
それはオスプレイから展開した迷彩服を着た自衛官で、銃口を上にした小銃を抱えて人混みすり抜けていく。
道路の中央に飛び出した自衛官は膝射の姿勢で89式小銃を構えて射撃した。
引き金を引きっぱなしにして連射をするのではなく、三発だけ連射する3点バーストだ。
突入してきた車はふらついて電信柱に激突した。自衛官が放った小銃弾はドライバーを直撃したらしい。
静止したテロリストの車との距離は30メートルもない。
車の助手席側のドアを開けて転げ出た男は、お約束のようにニットの目出し帽をかぶっており、その手には拳銃が握られていた。
「直樹やばいよ逃げよう」
「逃げようがないよ。頭を下げろ」
直樹たちは道端で頭を下げてじっとしている他無かった。
その横で自衛官は膝射の姿勢のままで3点バーストで撃ち続けていた。テロリストは乗用車のトランクの影に釘付けにされている。
「何故遮蔽物を使わない」
二十メートルを超える距離で拳銃と自動小銃で撃ち合ったら威力も命中精度も自動小銃の方が圧倒的に有利だ。
八九式小銃は5.65ミリメートルのライフル弾を連射可能で有効射程は500メートル。拳銃とは比較にならない強力な火器だ。
だからといって、道路に全身をさらして打ち合う必要性もない。
その時直樹は気がついた。
「あいつは僕たちの盾になっているんだ」
テロリストから見れば、撃ってくる相手に対処をしなければならないからだ。
自衛官の射撃は、最後にパパッと二発で終わった。八九式小銃の弾倉は標準が二十発で3の倍数ではないからだ。
テロリストはそれに気がついてトランクの影から飛び出すと、拳銃のねらいをつけようとしている。
弾倉の交換などしていたら撃たれてしまうと思い、直樹は目を覆いたくなった。
その時、別の方向からパラパラパラと連射音が響いた。
テロリストは数発の銃弾を受けて道路にたたきつけられた。
別の自衛官が成り行きを見守っていて、隙を見せたテロリストをフルオート射撃で倒したようだ。
しかし、直樹は、テロリストがまだ動いている事に気が付いた。
男は何か叫びながら手に持ったものを操作していた。
爆発物かもしれないと気が付いた直樹はそちらに背を向けるとさゆみをしっかりと抱きしる。
その直後に背後から背後から激しい衝撃が直樹を襲った。
気がつくと、直樹は暗黒の中に閉じこめられていた。
爆発物にやられた記憶は残っている。
爆風で飛ばされて水中に落ちたのだろうか。
周囲の音が何もしないのでそう思ったのだ。
水をかいて水面を目指そうとしたが彼の意志に応えてくれる体はなかった。
事態は直樹が考えるよりも悪く、爆発の衝撃で彼の全身の感覚が遮断されていたのだ。
健二やさゆみは無事なのか、自分はどうなっているのか、何一つ知ることができないまま、直樹の頭蓋内に残されていたよう溶存酸素は尽き、思考そのものが、消しゴムで消されたように無に溶けていった。
それが、直樹が迎えた死だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます