お星さまになった少女と犬・後編【三人称視点】


「雅ちゃんがすごく健気で私一緒に泣いちゃったよぉ! なんなのあの伊達、本当に許せない! 雅ちゃんめちゃくちゃ可愛いし性格いいし、すごくすごくいい子なのに意味分かんないよね! ていうかこれ友情エンドってないんだね。あればいいのに…雅ちゃんと友情エンドしたい…」


 まんまと乙女ゲームにハマった綾のツボがライバル役の小石川雅で、彼女はそのライバル役の可愛さ素晴らしさを熱弁していた。綾の熱量に学校の友人が圧倒され、心の奥でがっかりされているとは知らない綾は借りていたゲームを友人に返して、新しく自分用にゲームソフトを購入すると一から全ルートコンプを目指してゲームに夢中になる日々を送っていた。

 最難関キャラで何度かバッドエンドを繰り返し、クリアできないことに地味にストレスを感じていた綾だったが、最後のおまけミニドラマを見るために頑張った。


 そして数カ月後、ようやく全ルートクリアしたのだ。ゲーム画面ではこの乙女ゲームのエンドBGMが流れている。


「はー面白かった」

「──ワンッ!」


 綾が満足気に呟いた瞬間、隣に寝そべっていた虹がバッと立ち上がって宙に向かって吠えた。


 ──グラグラグラッ

「っ!?」


 虹が吠えた直後に家が縦揺れした。ぎしん、ぎしんと軋む音が響く。

 地震だ。

 綾はぎくりと固まっていたが、揺れの時間は短かった。


「…びっくりした…今の結構大きかったね…」


 綾は怖くなって虹を抱き寄せる。

 こんな時誰かがそばにいてくれないのは寂しいが、綾には虹がいた。ペロペロと頬を舐めてくる虹。それがくすぐったくて、綾はお返しに虹をナデナデ攻撃した。お腹を見せてジタバタする虹。綾は愛犬との戯れを楽しんだ後、リモコンに手を伸ばしてゲーム画面からテレビ画面に切り替えた。


 テレビ画面ではキャスターが先程起きた地震の震源地やマグニチュードの大きさのお知らせをしている。


「……最近、地震が多いなぁ」


 今までにも地震は数え切れないくらい体験してきた。そう珍しいものでもない。

 しかしここ最近その回数が増えているような気がした。地震の研究者が数十年以内に巨大な地震が襲うと予言しているが、綾の住む日本は災害大国だ。いつなんとき災害に襲われてもおかしくない。

 恐れていても、日本に住む限り逃れられないと学校の社会科の先生も言っていた。だから非常時にすぐに逃げられるよう準備は怠るなと……


 綾は自室に非常袋を用意していた。中には非常食や非常トイレ、水、お年玉をためた通帳などを詰め込んでいる。いつなにが起きても冷静に逃げられるように万全を期していたのだ。

 異変を感じているのは何も綾だけではない。ここ最近虹の様子もおかしく、落ち着かない様子でなにかを恐れているような雰囲気なのだ。彼女も何かを感じ取っているのかもしれない。


「怖いね、一緒に寝ようね」


 いつもはリビングの小屋で寝かせる虹だが、その日はソワソワと落ち着かない虹を自室につれてきて同じ布団で眠ることにした。

 怯える虹の背中を擦りながら、綾もまた得体のしれない恐怖に怯えていた。



 ──その日の深夜、恐れていた事態が起きてしまった。人々が寝静まった丑三つ時のことだ。

 人口およそ300万人が住まう1つの都市を震源地とした大地震が起きたのである、被害を受けた近辺の都道府県を合わせた、およそ5000万人が被害を受けた。

 綾は震源地にほど近い街に住んでおり、彼女も被害にあっていた。両親が中古で購入した築30年の家はほぼ全壊。綾は崩れ落ちてきた瓦礫や家具に押しつぶされてしまったのだ。


「……虹、」


 足の感覚がない。体の中心から血液がどくどくと大量に抜け出している感覚がする。綾は自分の死が迫っていることを悟った。

 側で眠っていた愛犬の名を呼ぶと、苦しそうな鳴き声が聞こえた。一緒に眠っていた虹も綾と一緒に潰され、圧死寸前のようである。


「いたいね、こわいね」


 綾は苦しがる柴犬を元気づけようと暗闇のなか、手を伸ばした。もふ、といつも撫でている毛皮の感触がしたが、手を動かすと生ぬるい液体の感触。…虹も大怪我を負っていた。


 どこからか警報機、スマホの警報、人の叫ぶ声。崩れ行く建物の崩壊する音が聞こえている。


「だいじょぶ、一緒だよ、一緒だから怖くないよ」


 最期まで一緒だからね。


「綾! 綾! おい、ドアが開かないぞ!」

「お願い返事をして綾!」


 ドンドンドンガチャガチャと外から扉を叩く音が聞こえる。綾の両親は無事だったみたいだ。どうやら綾の部屋側の屋根部分が崩落してしまったようである。


(お父さんとお母さんの声がする、でももう力が出ないよ…)


 半狂乱になっている両親の声を聞きながら、綾は自分の目から生暖かい涙が伝うのを感じていた。


 ガタガタと開かなくなった扉を動かす音。

 私はいいからお父さんとお母さんは早く避難してと言いたいのに、綾の声は出ない。肺が押しつぶされて息もままならないのだ。


 ペロ、と手をなめる虹。

 彼女も綾を慰めようと最後の力を振り絞っていたのだ。

 綾は思った。

 明日もいつもと同じ平凡な毎日がはじまるのだと思っていた。学校に行ったら、友達に乙女ゲームを全ルートコンプリートしてミニドラマが見られたことを話そうと思っていたのだ。それと攻略対象の中で気になる人がいるから、友達の解釈を聞きたいと思っていたのだ。

 それでまた学校から帰ったら虹がお出迎えしてくれて…家族揃って遅めの夕飯を食べて……一日が終わる……

 でもそれは当たり前なようで当たり前じゃなかったのだ。


「…こ、ぅ……」


 最後に愛犬の名前を呼んだ綾はそのまま息を引き取った。それに続くかのように虹も永遠の眠りについたのだ。





 綾は空中にいた。肉体から抜け出した彼女はフワッと宙に浮き、亡骸となった自身を見下ろしていた。状況が掴めずにぼんやりしていた綾の側に一匹の犬が寄り添った。


『ワンッ』

『虹!』


 隣には元気な愛犬。たぬき顔の愛嬌ある赤毛の柴犬。怪我1つないその姿に綾はホッとした。そういえば自分も痛いところがない。

 そうか。自分は死んだのだと悟った彼女はそのまま愛犬・虹を連れて一緒に天へと登っていった。暖かい光に吸い込まれて、彼女はこの世を去ったのである。



 ──大災害に見舞われた街は壊滅状態。

 多数の死者、行方不明者を出したその大地震。

 被害者があまりにも多数過ぎて少女の名前は死者名簿の隅っこに載せられるだけであった。




■■■■■



「……」


 あやめは大切な何かを思い出した気がした。

 自分より年上のお姉さんの目から覗き見したような……奇妙な記憶を。


 アスターを、撫でてる手を止めてぼうっとしていると「きゅぅぅん…」とか細い声でアスターが甘える声をあげたのであやめはハッと我に返った。

 ワシャワシャと痩せたアスターの身体を撫でながら、やっぱり違和感を覚えた。


 “あの子”はアスターよりもだいぶ小柄だったけど、ここまで痩せていなかったし、健康的な体つきだった。毛並みの感触も違って……


 アスターはあやめの大親友だ。

 だけど“虹”はあやめとして生まれるずっと前から側にいた大事な家族だったのだ。


 意図せずにあやめの両目からボロボロと涙が流れ落ちた。


 ──今の、なんだ?


 確かに見ていた。見ていたのに徐々に煙がかかったように薄れていくその記憶。


「あらあらあやめちゃんどうしたの、そんな泣いてたらアスターも悲しくなっちゃうわよ」


 飼い主のお隣のおばさんがあやめを心配して持っていたタオルで顔を拭ってくれた。アスターも急に泣き出したあやめを心配して辛い身体を起こそうとしている。

 それでも涙は止まらなかった。

 あやめが生き物の死について間近に感じたのはその時だった。



 お星さまになってしまったアスターを思い出すとしばらくは涙が溢れて止まらなかった。涙が止まらなかったのは、同時に薄れかけた記憶の中のたぬき顔の柴犬を思い出し、胸がぎゅうっと締め付けられそうになったからだ。


 しかしその謎の感覚も時間が経つにつれて薄れていき、あやめの記憶から薄ぼんやりと消えかかってしまったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る