小話・睦生君と運動会。



「約束したのに。お父さんは嘘つきだ!」

「…睦生、お父さんはお仕事なんだよ。そりゃ残念だけど…」

「いつもいつもそうだ! お父さん、絶対に来てくれるって言ってたのに!」


 睦生は幼稚園の運動会にお父さんが参加できなくなった事を怒っていた。前々から約束をしていて、父兄参加の競技の練習もしていたので、睦生のがっかり度は半端ない。


「その代わり伯父さんが代わりに出てくれるって言ってくれてるから」

「伯父さんはお父さんじゃないもん!」


 睦生は完全にへそを曲げてしまった。

 私も子供の頃、同じ様に仕事で約束を反故にした父さんをブーイングしていたから気持ちはわからんでもない。

 しかし、私達の目の前でがっくり凹んでいる亮介さんのことも心配だ。彼だって好きで休み返上で働くわけじゃないのだから。

 もっと子供と一緒に過ごしたいのに多忙な職種のため、それが出来ていないことを彼はとても気にしている。


「田端のおじいちゃんおばあちゃんも観に来てくれるって言ってるし、お父さんがいなくてもきっと楽しいよ!」

「…それ、どういう意味だ…?」

「亮介さんは黙っててください」


 とりあえず息子の機嫌を直そうとしたら、亮介さんが横から口出ししてきたので、しっかり黙らせておく。あなたは後です。


「橘のおじいちゃんおばあちゃん達も来るし、きっと楽しくなる! 楽しく運動会しようよ!」

「………」


 睦生は私の胸に抱き着いて、泣きじゃくり始めてしまった。

 ありゃ~ダメか。

 睦生の背中を撫でて宥めるが、うぐうぐと嗚咽を漏らして泣き止む気配がない。

 ていうかこのまま泣き疲れて眠るかもしれないな。



 力尽きて寝落ちした息子を布団に寝かせて、私がリビングに戻ると亮介さんはがっくり項垂れていた。


「仕方ないですよ。お仕事なんだから」

「……自分も、子供の頃父に同じことを言っていたなと思ってな…自己嫌悪してるんだ」

「あー…」


 ネガティブモードに入ったらしい。私は彼の隣に腰を掛けると、背中を擦ってあげる。

 私は前々から彼が多忙な業種に就くのだと覚悟していたが、息子や娘は違う。亮介さんはそれを分かっているから尚更凹んでいるのだろう。


「…亮介さんは市民を守るために働いているんですから」

「…だが、人の親としては未熟だ。何もしてやれていない」

「完璧な親なんていませんよ。私だって未熟ですし。…それに亮介さんがちゃんとお父さんしてるのを私は知ってますから」

「……あやめ」

「そんな風に卑下しないで」


 亮介さんは私に甘えるように抱き着いてきた。仕方がないなぁと背中を擦っている事数分。

 亮介さんは急に何かを思い立ったかのようにソファーから立ち上がると「仕事してくる」と言い残して、休日だと言うのに自室で仕事を始めてしまった。


 急にどうしたんだろうと思ったけど、彼にも何か考えがあるのだろうと勝手に推理して、暫くそっとしておいたのであった。

 



☆★☆



【父兄参加のリレーに参加される方は入場門に集合して下さい】


 幼稚園の運動会当日。

 睦生はこの日までずっと亮介さんと口を利かなかった。私からも息子を窘めたが誰に似たのか、睦生は頑固で…ずっと不貞腐れていた。

 運動会が始まってしまえば楽しそうにしていたが、よその子がお父さんと一緒にいるのを見ると、寂しそうな顔をしていた。

 妹のすみれも一緒にブーイングしていた側だが、一緒に出場する競技がなかったこと、伯父さんやおじいちゃんおばあちゃん達が来たことで機嫌が治っていた。我が娘ながら切り替えが早い。


「じゃあ睦生、そろそろ行くか」

「お義兄さん、あまり無理しなくていいですからね」

「俺はまだそんな年じゃないぞ」


 義兄に声を掛けたらムッとした顔をされた。久々に運動したら体に来ると思って、気を遣って言ったんだけど…

 父兄参加リレーに出場する睦生が義兄と一緒に入場門に行こうとしたそのタイミングで彼が現れた。 


「…兄さん、俺が出る」

「…亮介お前」


 早朝にスーツ姿で出勤していった亮介さんは、いつもきっちり着込んでいるスーツを少し着崩し、息を切らせていた。走ってきたのだろうか? 

 亮介さんの登場に義兄もだけど、私も目を丸くさせていた。

 …今お昼すぎだけど、仕事は? 終わったの? まさかサボリ……


「睦生、行くぞ」

「…うん!」


 睦生は嬉しそうな笑顔で亮介さんの手を掴んだ。

 え、ちょっと待って、その姿で走るつもりなの? 革靴が…いやスーツ…


「せめて上着は脱いでくださいよ!」




 現役警察官の亮介さんは、常日頃から鍛えているのが功を奏したようで、ぶっちぎりの一位となった。なんかデジャブ。


 保護者の奥様方、そして保育士のお姉さんが頬を赤く染めて彼を見ているのに私はやきもちを妬いた。

 えぇい、人の旦那をそんな目で見るんじゃないよ!


 亮介さんはそんな邪な視線に気づいていないのか、睦生を軽々抱っこして父親の顔して笑っていた。

 

「お父さん、かっこよかった!」

「そうか」

「来てくれてありがと。僕、お父さんとリレーしたかったんだ」

「…そうだな、お父さんもだ」


 おお、美しき父子愛…嫉妬なんてしている自分が醜く感じるわ。


「…全く、世話の焼ける」

「すいませんねお義兄さん。お手間かけて」

「全くだ」


 義兄は呆れた様子だったが、彼もホッとした様子で2人を見ているように見えた。

 


 後々話を聞いてみたら、前倒しで片付けられる案件を先に処理しておいて、今日しないといけない仕事を早朝出勤して終わらせたとか。あとは貸しのある同僚に任せたと言っていた。

 うん、まぁそれで大丈夫なら私は良いんだけどね。

 でもまぁ、睦生が嬉しそうだから良かったんじゃないかな。


 

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