俺の姉について【田端和真視点】


『おいあやめ、虫取り行くけどお前も来る?』

『行くっ! カズ、行くよ』

『えー? こいつすぐにグズるから置いていこうぜ面倒くさい』

『大丈夫! 私がちゃんと手を引っ張っていくから! おいでカズ!』


 そう言って俺の手をしっかり握って、外へ連れ出す姉の後ろ姿は今でも忘れられない。姉は昔から俺の数歩前を歩いていた。

 2・3個年上の従兄弟達の足について行ける体力も度胸も勇気も、そのどれも幼い俺にはなくて俺はいつもお荷物扱いだった。姉はそんな俺を置いていかずに、いつも引っ張っていってくれたんだ。


 子供のうちの1個年上は大きい。だから姉と違って当然とも言えるが元気な姉と違って引っ込み思案な俺は、男女逆にしてはどうかと親戚の伯父たちにからかわれることが多々あったのだ。

 それをどう勘違いしたか、姉が男になる! と宣言して以降、チョイチョイ俺も被害にあったが…ピンクのランドセルで登校させられたり、フリフリのワンピースをあげると渡された時は流石に姉を恨んだ。

 


 俺はずっと姉は強いと思っていた。

 だけどそうではなかったのだと気づいたのは姉が中3のときだ。

 姉は俺が原因でクラスでいじめられているのだと、当時の友人のツテで聞かされたのだ。


 家では何事もなかったかのように振る舞う姉。反抗期も重なったのもあり、親と会話することもそう多くなかった時期だったので、親も姉が学校でそんな目に遭っているなんて気づいていなかった。姉は家に帰宅すると、食事や風呂以外の時間ずっと部屋で勉強しており……必死だった。


 姉は、俺を責めることをしなかった。

 なんでだと俺は腹立たしく思ったこともある。なんで黙ってるんだ、なんで一人で抱え込むのかと。

 だけど理由がわかった。姉だから弟のせいにはできないと…俺が頼りにならないから話してくれないのだろうなと。

 


 姉が高校に進学すると、姉は毎日楽しそうに通うようになっていた。それにホッとしたのはここだけの話。色気よりも食い気で学校の友達と買い食いばかりして太ってきたようで、たまに脱衣所に置いてある体重計とにらめっこをしているのをよく目撃した。


 姉がガラッと変わったのは俺が高校に進学した時。

 姉は髪を金髪にし、今まで見向きもしなかった化粧をし始めたのだ。あとダイエット目的でランニングもはじめた。

 それには俺ら家族は困惑したが、姉がグレたのは容姿だけで、素行は今まで通りだったので様子見されていた。


 身も心もグレてしまったのは俺の方だった。

 今まで出来ていた勉強についていけなくなり、初めて挫折した。そして遅れてやって来た反抗期もあって俺は自暴自棄になった。親にも学校にも迷惑かけて、俺は悪い奴らとつるむようになっていった。

 何故あんなに尖ってたのか今になっては疑問なのだが、姉にビシリと言われたようによくある悪ぶりたい年頃…だったのかもしれない。不良に憧れる年頃というか。

 

 色々思うところがあり、改心して悪い奴らとつるむのをやめようと思った俺がリンチを受けている時に、単身で突撃してきた無謀な姉の行動。それも2回もあったそれに俺は自分が情けなくなった。

 男のくせに姉に守ってもらって、いつまでも姉を追い越せない自分が情けなくて、恥ずかしくなった。

 姉を助けようとタカギを軽々抑え込んだ風紀の先輩のように俺も姉を守れる男になりたい。

 そう思って俺は空手を習い始めたんだ。


 ……だけど、もう姉を守ってくれる相手が現れてしまった。姉はあの人の前だと無防備でいられるらしい。やっと素直に甘えられる存在が出来たのかと安心した反面、俺は寂しくなった。

 姉ちゃんは俺だけの姉ちゃんなのに、なんでだろう。


 俺の習っている空手は無駄になってしまったのだが、空手自体は楽しいし、今まで趣味らしい趣味がなかった俺は続けて没頭した。

 毎日道場通いしているので勉強する時間を捻出するのに苦労してるが、テストは赤点にはならないよう、平均点スレスレを維持するようにはしている。



 …姉ちゃんは、いつも自分のことを地味で平凡で平均値の十人並みと自称してるけど俺はそうは思わない。

 姉ちゃんは勇気も度胸もある。お人好しだけど、すごく優しいのを知ってる。笑った顔が可愛いのだって知っているし、努力家だってことも知ってる。

 料理も得意で、姉ちゃんの作る唐揚げは誰にも再現できないんだ。母さんが同じレシピで作っても全然全く味が違うし、俺もあの味を再現するのに苦労することだろう。

 でももう姉ちゃんに甘えられないから、自分で作れるようになろう。

 あの味じゃないと俺は満足できないんだから。




「和真くーん! 唐揚げ作ってきたの〜」

「……また半生じゃないの。俺あれ食って腹壊したんだけど」

「今日はお父さんのお墨付き貰ったから!」

「…あんたの親父は絶対お世辞言ってると思う」

「ひどい! 一生懸命に作ったのに!」

「だからわざわざ作らなくていいって言っているだろ」


 去年から妙に絡んでくるこの人、姉のクラスメイト(友人ではないらしい)の林道寿々奈が今日も唐揚げを持ってきた。

 この間押し付けられるようにして食べた唐揚げが半生で俺は後で地獄をみた。生肉はやばい…! もう生肉絶対食わないし!


「あやめちゃんの唐揚げレシピを再現したんだから! ね、一個だけでもいいから!」

「…わかったよ」


 この人受験生なのに唐揚げ作ってて大丈夫なのか? うちの姉ちゃんはめっちゃ勉強してるのに。…作らなくてもいいって言ってるのに、どうしてここまでするのやら……

 渋々爪楊枝で唐揚げを持ち上げて自分の口に入れると、あの味が口いっぱいに広がった。


「…!」

「どう? おいしい?」

「…姉ちゃんの味だ」

「作ったのは私だよ!」


 姉の唐揚げのことを思い出したと同時に、姉の彼氏に言われた言葉を思い出した。


 友人の好きな相手が、俺に近づくために友人と親しくしていたということが発覚して、俺は友人とギクシャクするようになった。

 いろいろなことが積み重なって俺はこの顔が嫌になった。容姿を褒められるけど、嫌なことも多い。

 顔だけで価値を決められるのは虚しくなるんだ。俺という中身は必要なくて、容れ物にだけ価値があると言われているようで……父さんみたいな顔立ちなら、こんな思いをしなくても良かったかもしれないのに。


 俺の愚痴を黙って最後まで聞いてくれた橘先輩は『あやめもお前と似たようなことを言っていた』と俺に教えてくれた。

 

『『弟のように綺麗な顔だったら、俺の隣に堂々と立っていられるのに、どうして私はこんななんだろう』って』

『………』

『……俺は、どんなに容姿の美しい女よりもあやめの方が魅力的だとは思っているけど、あやめの劣等感は根深い…受けた心の傷は中々癒えないからな』


 そんな事ないのに。なんで姉ちゃんはそんなに自分を卑下するんだ。

 そんな事を口にしてしまうほど姉は今まで傷ついてきたのか。

 …姉が受験で切羽詰まっているのはわかっていた。

 なのに俺は自分のことばかり。


『…お前が父親に似た容姿だったら幸せかと言えばそれはわからない。もしもなんて考えた所で何も変わらないんだよ。お前はお前のやり方で前を見ろ。…いつまでも姉に甘えていられないだろう? しっかりしろ』


 肩を叩いてくる橘先輩の手は大きいと感じた。姉の弱いところを全て受け入れようとするその姿勢に俺はこの人には敵わないと思った。

 姉がこの人を好きになった理由が何となくわかった気がする。


 ……俺はまだ姉を超えられていない。だけどいつか越えられる日が来たらその時は……




「和真君! 和真君ったら! …そんなに美味しかったの?」

「……まぁ‥今までで一番うまかったよごちそうさま」


 無意識のうちに俺は唐揚げを全て口に運んでいたらしい。姉に育てられた唐揚げ依存症が怖い。

 俺は空になった器を林道寿々奈に返すと踵を返した。

 ドスッと背中に衝撃を感じて振り返ると、林道寿々奈が俺の背中に抱き着いていた。


「お、おい何するんだよ!」

「えへへへへ。初めておいしいって言ってくれたぁ〜」

「離せってば! 誰かに見られたら変な目で見られるだろ!」


 この人くっついたら中々離れない。

 腕細いから乱暴にしたら折れそうで怖いし、俺はどうしたらいいんだよ…



 俺はこれからもずっと姉ちゃんの弟でしかない。

 だけど手のかかる弟は卒業して、頼りになる弟になるのが俺の目標だ。


 姉ちゃんにいつまでも負けてたまるか。


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