何かをしてする後悔としないでする後悔。後悔しても後戻りはできない。
図書館入り口で遭遇したものの、お互い勉強しに来たので別々の空いた席について勉強を始めた。
…そう言えば沙織さんの志望大学って何処なんだろうか。流石に橘先輩と同じ学部ってことはなさそうだけど…
勉強しに来ただけなのになんだか気分が重くなってしまった。
14時過ぎ、お腹が空いてきた私は昼食でも取ってこようかなと勉強道具をそのままにしてカフェテリアに向かっていると後ろから呼ばれた。
振り返ると沙織さんがいて「…お昼? 良かったら一緒にどう?」と言われたのだが、どう見ても仲良くしたいとかそんな雰囲気じゃなくて。
なにか話したいことでもあるのだろうか。
私は嫌な予感がしつつ、断ることも出来ずにうなずいた。
沙織さんとの食事中、会話なんてなかった。
分かっていたけどやっぱり人の悪意ってつらい。
…それにやっぱり美人だ。私のコンプレックスが刺激される。
この人は、私の知らない橘先輩を知っているんだと思うと苦しくなる。
やっぱり断ればよかった…
「…亮介と私が付き合っていたことは知っている?」
「! …はい伺いました」
突然沙織さんが話し始めたのは過去の交際のこと。先程までの敵対視は鳴りを潜め、彼女は笑顔で語りだした。
「亮介とはね同じクラスで、同じ委員会にも所属していたのよ。お互いじゃんけんに負けて図書委員会に入ったんだけど、図書委員って結構暇で待機している間よくおしゃべりしたわ」
「そうなんですか」
「付き合い始めは中学二年の秋だったかしら? うふふ、初めてキスしたのは図書室だったのよ」
「………」
「お互い初めてだったから歯が当たっちゃってね? 懐かしいわ」
あぁやっぱり牽制のために声をかけたのか。
私は呼吸が止まったかのように苦しくなった。
所詮過去のことだ、過去には戻れないから振り返っても仕方がない。ましてや中学生の時の橘先輩を知らないし、先輩だって私のことを知らない。
どうしようもないことなのに、私は沙織さんの投げかける言葉に傷ついていた。
「…お互い好き合っていたのよ。お互い志望校が同じだったから一緒に受験勉強してね。高校生になってもずっと一緒にいられると思った。…家族公認でね、亮介のお祖父さんお祖母さんとも仲良くしていたし、恵介さんも私を可愛がってくれたわ」
「そう…ですか…」
牽制はわかった。わかったからもう解放してくれないかな…
私は自分がだんだん俯きがちになっているのに気づいていたが顔をあげることが出来なかった。
「…だけど受験当日に亮介はインフルエンザになって…」
先程まで明るい声で語っていた沙織さんは急に暗いトーンになる。
それに私は下げていた顔を上げた。
「私だけ志望校に受かって…だけど亮介は良かったなって言ってくれた。高校は別々だけど会うことは出来るし、私はそれで満足していたのよ」
彼女の顔は苦しそうに歪んでいた。
過去を悔いるように。
過去に戻りたいとばかりの表情で。
私は何も言わずに彼女の話を聞いていた。
「…亮介が、風紀委員会に入って中々会えなくなって…連絡はしていたけどいつの日かすれ違いが生まれるようになった。剣道部にも入っていたから多忙だったのでしょうね。私と亮介は次第にぶつかるようになった」
「……」
「ちょっとしたすれ違いだったのよ。だけどそれが次第に大きいズレになって…もう修復ができなくなっていた」
…なんだか悲劇のヒロイン気取りに見えるのは私だけなのだろうか。
橘兄に聞いたのは彼女が他の男性と帰宅したり親しくしているのを何度も見かけてって理由だったのに、彼女はまるで橘先輩の多忙が原因みたいに言っている。
なんだろう。私に諦めるように促しているのだろうかそれとも悲劇の末に別れてしまったことを聞いてほしいのか…
私はこういうまどろっこしいのは苦手だ。
彼女とこのまま会話しても私には何の得もない。むしろ損しかしない。
だから私は核心をついてみることにした。
「…沙織さんが他の男の人と親しくしていたのが原因と聞きましたけど?」
「…!?」
「恵介さんから教えてもらいました。…好きならどうして橘先輩を不安にさせたんですか? 別れたくなかったと言うならどうしてそんな行動したんですか? 橘先輩にも原因があるかもしれないけど、あなたの行動も問題でしょ?」
私が反撃しないとでも思ったのだろうか。
言っておくがこっちは反撃するときはするぞ。
私は食べ終わったお弁当を片付けながら話を続けた。
「悲劇のヒロイン気取りは良いですけど、そんな事私に語ってどうするんです? 一体どうしたいんですか? 私は橘先輩のただの後輩ですからね?」
「…あ、あなた、亮介のこと好きなんでしょう!?」
私の反論で自分のペースが乱れたのか、沙織さんはうろたえた様子を見せていたが、私はトートバックにお弁当箱と水筒をしまって席を立ち上がる。
「…好きですよ? それがなにか」
「…亮介は、私にはあんな顔見せてくれなかった。どうしてあなたみたいな子に…」
沙織さんの瞳からぽろりと涙が溢れた。
…どんな顔だよ。
そもそも私は橘先輩に迷惑ばかり掛けてる後輩なだけだからそんな事言われても困るんだけど。
彼女は過去ばかり振り返っている。後戻りなんて出来ないというのに。
「……寂しかったのよ…亮介が私のために時間を作ってくれてるのは分かってたけど…寂しかった…」
「…そんな事を今更、私に言われても困るんですけど」
「何なのよあなたは! 私は何も関係ありませんみたいな態度して!」
「いやだって本当に関係ありませんし」
「亮介のことが好きなんでしょ!?」
「好きですよ? だけどそれで彼女になりたいとかそんな下心はありませんもん。私、身の程はわかってるつもりなんで」
「……なに、それ…」
私に牽制してきたくせに、私が先輩に好意を伝える気がないと伝えると沙織さんは呆然とした。
これで満足だろう。
私は席を立って自分の学習席に戻ろうとしたが、沙織さんに腕を捕まれた。
「ふざけないで!」
「いたっ!」
「…じゃあなんで私は振られたのよ。…亮介は私を見てくれないのよ」
「…沙織さんが、始めに裏切ったからじゃないんですか?」
「うるさい! …あなたにそんな事言われる筋合いないわ。同じ土俵に立ったことがないくせに!」
その華奢な腕の何処から力が出てくるのかわからないが沙織さんが力いっぱい腕を握りしめてくる。
痛みに顔を顰めるが、彼女は私を怒りの表情で睨みつけていて離してくれそうにない。
「中途半端なのよ! じゃあなんで亮介の周りをうろつくの!? あなたさえいなければきっと私とやり直してくれたはずなのに! …そんな中途半端な位置にいるなんて卑怯よ!」
「ひ、ひきょうって」
「告白する勇気がないなら亮介に近づかないでよ! あなたみたいな人見ててイライラする!」
沙織さんはそう怒鳴ると私を乱暴に押しのけ、カフェテリアから走り去っていってしまった。
私はギリギリと音がするくらい強く握られていた腕をさすりながら、椅子に座り直した。
「…ひきょうもの、か…」
もしも、私が攻略対象の地味な姉じゃなければ
もしも、私が可愛い女の子なら
…もしも、私がヒロインちゃんなら
こんな風に逃げないで、好きな人に好きと言えたのだろうか?
ジワリ、と視界が歪んだ気がした。
手のひらで顔を覆って深呼吸してみたけど、だめだ。
今日の所は帰ったほうが良いのかもしれない。
私は自習室から自分の荷物を回収すると図書館を後にした。
冷たい風が自分の頬を突き刺す。時期はもうすぐバレンタインデーに近づいていた。
街を彩るバレンタインの広告が色鮮やかで、チョコレートが売られている店がちょくちょく目に入る。
私は俯きがちに歩いていた。 最寄り駅にたどり着いて家までの道を辿っていく。
泣きたくなんてないのに、油断すると涙が出てくる。
あぁやだな周りに沢山人がいるのに。
私はいつからこんな泣き虫になったんだ。
いつから…
【コツン、コツン】
「…?」
何処からか堅いものを叩く音が聞こえて私はそちらに目を向けた。
そこには私の顔を見て目を丸くした橘先輩がファーストフード店の窓を叩く姿。
そうだった。先輩昼前からここで勉強していたんだ。今帰るところだったのか、客席の上はきれいに片付いていた。
どうして橘先輩はそんな驚いた顔をしているのだろうとぼんやりしていたのだが、慌てて店から飛び出してきた先輩は私の肩を掴んで気遣わしげに尋ねてきた。
「どうした、何かあったのか?」
「…え?」
「…泣いてるぞお前」
「……!」
私は自分の頬に流れる涙の存在をすっかり忘れていた。
バッと後ろを向いて手で拭うと私は「すいません私用事を思い出したので失礼します!」と声をかけて橘先輩の前から走り去った。
駅近くの散歩ができる規模の公園までたどり着くと私は走るのを止めてゆっくり歩き始めた。
…また涙が出てきた。本人を前にして感情が高ぶったのか、止まらない。
私の足はいつの間にか立ち止まっており、私は地面を見つめ涙を溢れさせていた。
「田端!」
ぐん、と体が後ろに傾く。
腕を捕まれて勢いで傾いたようだ。
ぎょっとして振り返ると私を追いかけてきた橘先輩が険しい顔をしていた。
なんで追いかけてくんの…一人にしてほしいのに…
「なんですかぁ…ほっといてくださいよ…」
「お前が泣いてるからだ。なんで逃げるんだ」
「…私泣き顔ブサイクなんですよぉ…一人にして下さいよ…」
ヒグッヒグッとしゃっくりが出てきてしまった。
こんなみっともない所見られたくないのに。
先輩の貴重な時間奪いたくないのに
先輩の優しさは女の子を勘違いさせるから注意したのに全然分かってないし。
お願いだから今は一人にして欲しい。
「放っておけるわけないだろう!」
「!」
「…泣くな」
私の体は力強く引き寄せられ、橘先輩の腕に閉じ込められた。その広い胸は私の体をすっぽり包んでしまう。
耳元で「泣くんじゃない」と言いながら私の頭を撫でてくるその大きな手。
私の涙はそれで引っ込んだ。
何なのこの状況。
むしろ心臓が別の意味でバクバクして耐えられなくなりそうだ。
「あっ、も、もう泣き止みました!」
「…本当か?」
「だいじょうぶです! あ、私の顔は見ない方向でお願いします」
「…見たことあるから今更だろう?」
「そういう問題じゃないんです!」
私はパンダ目になっているであろう目をカバンから出したハンカチで拭って、ハンカチで目隠しをしたが橘先輩に解除されてしまった。
そんなまじまじ見ないで下さい。
「…何があったのか言いたくないのかもしれないが…俺に出来ることはないか?」
「…大丈夫です。これは私の心の問題なので」
「…そうか」
私が言う気がないとわかると橘先輩はあっさり引き下がった。
そして私の手を引いて無言で家まで送ってくれた。別れ際には私の頭を撫でて、先輩は帰っていった。
…言えたら、楽になるのだろうか。
そう、これは私の心の問題だ。
沙織さんに怒られたからじゃない。私が今まで見て見ぬふりをしていた問題なんだ。
自信がないとかモブだからと言い訳していたけど私は逃げていただけだ。
今の関係が好きだから、楽な方に逃げていただけ。
それが卑怯と言われるのは致し方ないのかもしれない。
…先輩はもうすぐ卒業する。もうすぐ学校にも来なくなる。
『そんなんじゃいつか後悔するよ?』
あの日、林道さんが私に言った言葉が頭の中を駆け巡っていた。
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