周りに否定されても一人に肯定されると嬉しい。認めてもらえた気がするから。
あれから数日。私は母と会話らしい会話をしない日々が続いていた。
この間まで反抗期の弟を叱り飛ばしていたというのに、今じゃ自分がこの体たらく。
自分で自分が情けないが、引くことができなかった。
親に対してシカトしたり反抗したりするわけではないのだけど、事務的なやり取りをして進路の話を避けていた。
…だって自分の考えを否定されているようで何だか悲しかったんだ。それに、私は母にきつく当たって傷つけてしまったのだ。傷つけるつもりはなかったのに。
私は意地を張ってしまい、謝る機会を逃して余計に気まずくなってしまった。
そのうち、そのうちと思っていたらもうタイミングがつかめなくなっていたのだ。
☆
今私は職員室にいた。
「田端、今のお前の成績で狙える大学はこの辺りだ」
「進学しないって言ってますよね」
私の進学を諦めてくれない担任と対峙していたのだ。
担任のデスク側の不在の先生の椅子に座らされ、色々な大学のパンフレットを見せられていた。
自宅から通える範囲から一人暮らしが必要になるところまで。学部は文系や商学系の四年制大学。
しかしそんなの見せられても私の心が揺れることはない。むしろそれらが憎たらしくなってくるだけだ。
綺麗なカフェテリア? 多彩なサークル? 華やかなキャンパスライフ?
就職だっていいだろ!
「この大学、来週オープンキャンパスがあるから行ってみないか?」
「行きません」
「わからんやつだなぁ」
「帰っていいですか」
三者面談期間が終わり、大体の生徒の進路が決まった今、私は未だに担任のしつこい説得を受けていた。
クラスの85%は進学らしい。就職希望の人は色々理由があって進学できない人ばかりらしく「お前は進学できる状況なのになぜそれをしない!」と先生に説教されたばかりである。
なんで理不尽に怒られなきゃならないのかわからず、私は先生を睨みつけるようにして見返した。
「先生がなんと言おうと私は進学はしません。就職します」
「はぁ…田端ぁ…大人のアドバイスは聞いておくもんだぞ。お母さんもああ言っていたじゃないか」
「……しませんったらしません。先生こそ生徒の意志を無視するんですか」
やっぱり話は平行線を辿っていた。私も半ばヤケになっている気がするが、やっぱり気は変わらない。
もう遅いからまた今度な…と疲れた様子の先生にパンフレットを押し付けられ、私は渋々それを鞄に押し込んで職員室を出た。
…私だって疲れたよ。
「…失礼しましたぁ…」
あーぁもうやだぁ
…悪いこと何もしてないのになんでこんな目に遭わなきゃならないんだよ…
はぁ…とため息を吐いてみたが、胃の底に重い物体が残留したような、すっきりしない気分が残った。
学校に残っていても仕方ないのでさっさと帰ろうと歩き出したところ「田端」と名を呼ばれて私はビクッと肩を揺らした。
「ななな、なんすか! 驚かさないでくださいよ!!」
「…すまん。驚かすつもりは。…進路相談か?」
「…あー聞いてたんですか?」
「俺も職員室にいたからな。気づかなかったか?」
私に声をかけたのは橘先輩だった。
先輩たまに気配がなくなるから不意打ちで声かけるの止めて欲しい。
ていうか見られてたのか! 説教とか私と先生の口論とか!
あれを橘先輩に見られたのか…。
私がガックリ項垂れていると「…俺でいいなら話を聞くが」と橘先輩が気遣わしげに聞いてきた。
しかし彼も受験生で年明けには試験や入試が待ち構えている。後輩の面倒をみる余裕なんて無いはずだ。
どれだけ面倒見がいいんだか。
気持ちは嬉しいが、私の進路に全く関係のない橘先輩に迷惑をかける訳にはいかない。
私は苦笑いして遠慮した。
「大丈夫ですよ。先生もそのうち諦めると思うし」
「…そうか? でも言いたくなったらいつでも言えよ」
「ありがとうございます」
先輩はなにか言いたげではあったが、私が話さないと察したのかあっさり引いた。それ以上追求することもなかった。
全く橘先輩は人の心配をしすぎだと思う。
校則違反してる後輩を気にかけるってどれだけいい人なんだよ。
昇降口に出ると、外はもう真っ暗になっていた。
「うわっ暗っ!」
「もう11月だからな。そういえば球技大会、田端は何に出場するんだ?」
「私はドッジボールです。先輩は?」
「バスケだ。本当はソフトボールがしたかったんだけどな」
「あ、なんか上手そうですね。先輩、剣道してたから動体視力凄そう」
今月末に行われる球技大会の話をしながら学校を出た。
そうそう球技大会があるんだよ。四種目あってバスケとドッジボール、バレーにソフトボールなんだけどうちのクラスはじゃんけんで決めたんだよね。
今回じゃんけんに勝った私はドッジが一番無難だと思って選んだのだが、先輩は負けたのかな。
どうせ最寄り駅まで行き先は同じなので私達は途中まで一緒に帰ることにした。
それにしても暗い。まだ18時なのにこんなに真っ暗になるものだろうか。空に浮かぶ月を見上げながら歩いていた私だったが、いきなり橘先輩にグイッと肩を引き寄せられた。
「危ない」
え、何が? と目を丸くしていたら 私のいた場所を自転車が通り過ぎていった。
何だ自転車か…と思っていたのだが、ナチュラルに接近していることに気づいて私はカッと頬が熱くなったのを感じた。
先輩の手は大きくて私の肩をすっぽり覆う。…成長途中で帰宅部の和真と違って先輩の胸は広く筋肉がしっかりついているのがわかった。
ちょっと待って私こういうの免疫ないから…
攻略対象はやることがいちいちイケメン過ぎるぞ。
本当に心臓に悪い。
帰宅客で混雑している駅のホームで電車を待つ間、私は橘先輩に進路はどうするのか聞いてみた。
帰ってきたのは地元国立大の法学部という返答。
「おお、弁護士とかになるんですか?」
「いや、警察関係に就きたいと考えている」
「警察! うわぁ似合う! ぴったりじゃないですか!」
すごいなぁ橘先輩。立派な夢があるんだ。
警察官とか天職じゃないか。
そう思ったのだが、ふと私は疑問に思ったことがある。
「あれ? でも高卒から警察学校に通えば大学行かずとも警察官になれますよね?」
「あぁ。試験に受かればな。…俺の祖父が高卒で警察官になったクチなんだ」
「先輩のお祖父さん警察官だったんですね」
「祖父は大学に行く余裕がなかったからそのまま警察学校に通ったそうだが、できればもう少し学んでみたかったと言っていてな。『人生の半分以上仕事することになるのだからあと四年くらい勉強して警察官を目指しても遅くはない』とすすめられたんだ」
お祖父さんの話をしている橘先輩の表情は柔らかく、口に出さずとも尊敬してるんだなと感じた。
そうかぁ。そういう目的もあるんだなと私はうんうん頷く。
「そうかぁー…」
「田端は…どうして就職したいんだ?」
「え、それ聞きます?」
さっきは察してくれたのに。
…まぁこっちは聞いといて、話さないのもちょっと感じ悪いよね…
私は鞄の中に押し込んだパンフレットの数々を思い出して急に鞄が重くなった気がした。
「…私…したいことなんにもないんですよ」
「そんな奴はザラにいるだろ」
「そうですけど、目的なく大学行くの嫌なんですよ。親に負担かけたくないし、奨学金貰うのもやだし。働いて自立したいんですよ。高卒の就職が条件悪いってのは先生から口酸っぱく言われましたけど、私は目指してる職業もないのに就職のために大学に行くのは嫌なんです」
むう、と私は子供がいじけるように下唇を尖らせた。進路相談の事を思い出して顔が険しくなっている自覚はある。
いかん思い出しイラしてきた…
地面を睨みつけて一人でイライラするそんな私に橘先輩は言った。
「ならその意志を貫き通すしか無いな」
「え?」
「田端がどうしても納得できないならそのまま自分の決めた道を進めばいい。就職は遅かれ早かれすることだし、大学進学も良し悪しだからな」
「………」
「まだ猶予はある。もしもやりたいことが見つかれば進学に切り替えたらいいだけの話だし、お前もそう頑なになるな」
先輩はそう言ってポンポン、と頭を撫でてきた。
私は彼を見上げて呆然とする。
鼻がツンとした気がしたが、唇を噛んでこらえた。
ようやく私の意見を理解してくれる人を見つけた気がしたからついつい涙腺が緩みそうになったのだ。
確かに私は頑なになっていた。
先生や親に自分の考えを否定されているようで悲しかったから余計に反発していた。
「…先輩」
「なんだ」
「ありがとうございます」
「…どういたしまして」
先輩の笑みを見た瞬間。
とくんと私の心臓が強く跳ねた。
「送ってくれてありがとうございます」
一人で大丈夫だと言ったのに先輩は家まで送ってくれた。
本当に私はいつも迷惑しかかけてないな。
申し訳なく思う。
しょげる私に先輩は何を勘違いしたのか、まだ私が悩んでいると思ったらしく肩をたたいてきた。
「一人で抱え込むなよ。いつでも話は聞くから」
「…先輩、それね勘違いさせるから誰にでもやっちゃダメですよ?」
「? 何がだ」
あかん。このイケメン無意識たらしか。
本当に外が暗くて良かった。
さっきから私の頬はずっと熱いままだったから。
先輩の帰っていく後ろ姿を見つめながら私は決めた。
勇気を出して母さんに改めて謝ろうと。
就職で行きたい考えってことを順序立てて話そう。
…あとは気乗りしないけど先生が言ってたオープンキャンパスに行ってみようと思う。就職の希望は変わらないと思うけど、そこでしたいことが見つかるかもしれないし。
私は深呼吸をして玄関のドアをに手をかけた。
「ただいまー」
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