第19話 猛将は、かく語りき
あの日、ワシは主と友を同時に喪った。
そして若き頃に見た夢も潰えた。
ーー誰もが笑って暮らせる世界を創ろうぜ。グランド、お前の頑張りには期待してるからな。
そう語ったあのお方は既に亡い。
下らない奸計(かんけい)に破れ、その身を故国で散らしたのだ。
齢50に迫ろうという自分が失くすには余りにも大きく、臓物を奪い去られたような気さえする。
あの時共に死んでいれば……と思うと、今になっても心はざわめく。
遺児であるレジーヌ姫を託された。
聡明で、生きる活力に溢れており、特別な加護を持った少女である。
戦乱で荒れ果てた大陸が戴くには申し分ない人物だと思う。
だが……流浪軍の主だ。
姫を盛り立てる戦力が、周りを圧倒するほどのものが何も無かった。
どれほど優れた人格者であっても、無力では意味を成(な)さない。
実際に各国の王どもは手下に招聘(しょうへい)ではなく捕縛を命じた。
かつての宗主国『聖ミレイア』の姫君としてではなく、富をもたらす装置とでも見なされているのだろう。
「はひぃ、はひぃ。団長ぉ、走り、終わりましたぁ」
「うむ。次は組手をする。息を整えよ」
「はひぃ、わかり、ましたぁ」
トガリがランニングから戻ってきた。
相変わらず体力面に難がある。
彼は騎士団員の中でもっとも若く、そして非力な少年だ。
年齢分を考慮しても非常に虚弱であった。
明らかに荒事に向いていないのだが、建築に関してだけは舌を巻くほどの腕前であり、才能の塊だと断言して良い。
夜営地や陣の建設となると手早く、そして完璧に仕上げてしまうのだ。
その時ばかりは息を切らすこともない。
何とも奇妙な話だと思う。
「お待たせしましたぁ! いつでもやれます!」
「よし。では打ちかかってこい」
「それでは、失礼しまぁす!」
差し出した手に拳打があびせられる。
軽く、そして儚い力だ。
普段はこれほど非力であるのに、例の木槌を持つと凄まじい力を発揮するのだから、不思議なものである。
「おーい、オッサン! オレも混ぜてくれよー!」
トガリの相手をしていると、遠くから声をかけられた。
謎の青年、ミノル。
トガリ以上に不思議な存在だが、なぜかそれが不快ではない。
どこか晴れ晴れとした顔で修練場へとやって来たが、何か朗報でもあったのだろうか。
「ミノル殿。自分の仕事は終わったのか?」
「心配しなくても管理できてるよ。つうかオレも強くなりたいんだ」
「……ふむ。どのように鍛える?」
「そんなもん実践形式に決まってんだろ。存分に殴りあって、日頃の鬱憤(うっぷん)を解消しようじゃねぇか!」
「ではそのように」
ミノルが腰を落として構える。
見たことの無い型だが、付け焼き刃のようであり、修練の跡は見られなかった。
だがワシも腹に力を込め、身構えてミノルと向かいあう。
こちらは体を真横にし、足を肩幅分ほど開き、全身全霊で迎え撃つ姿勢だ。
ーーそなた程の者を相手に手加減をしては無礼であろう。
後ろ手に回した右手に力を込める。
あるいは闘気、魂、己の意地。
どうとでも呼べば良いが、自分の持つ全てを集約させた。
ーーふむ。距離を取るか。今の気配が分かるとはな。
ミノルはどう考えても素人である。
あらゆる動きが精彩さに欠けており、ゴロツキやヤクザ者と変わらない。
それでも異様に強く、勘も悪くない。
更には強力な魔法まで使えるのだから、この世界から浮いた存在だと思った。
「行くぞオラァーッ!」
考えるのを止めたのか、無謀な突撃をしかけてきた。
わずかな時間で距離を詰め、顔を目掛けての回し蹴りが迫る。
雑な戦法だが脅威的なほどに早い。
並の兵であれば、その動きに惑わされてしまうだろう。
並の兵であれば……だが。
「甘い」
「クソッ! これなら!」
「見え見えだ。当てさせん」
「上から目線で指導すんな!」
数々の蹴りは相当に強烈だが、いなせればダメージは無い。
狙いが分かりやすい為に防御するのも容易かった。
足払いも蹴り上げも、避けるか逸らすかして凌ぐ。
早くて重い攻撃。
だが、それだけだ。
「くらぇえーーッ!」
もはや手を出し尽くしたのか、似偏った動きが繰り返される。
そろそろ終わりにする頃合いか。
そう思った瞬間、これまで以上に鋭い攻撃が迫ってきた。
正拳突きだ。
動きは滑らかであり、無駄が削ぎ落とされたものだ。
ーーこれを受けてはならん。
わずかに肝が冷えるのを感じつつ、両手を交差して防御態勢に入る。
足からは力を抜いて衝撃を受け流す。
かなりの威力だが、その力のほとんどを逃がす事に成功した。
ミノルは目の前で起きた事が信じられないらしく、うろたえるばかりとなる。
「何でだ! どうして平気なんだよ!」
「今度はワシの番だ。上手く受けてみせよ」
ここでひと時本気を出す。
修練が可能にした縮地の技。
それによって十分に距離を詰めた。
ミノルの混乱に拍車が掛かっている。
闘気を上下に分散させ、細かな誘いを繰り返した。
目線、腕の角度、拳の向き。
それらを絶妙に変える事で、相手は防御箇所を見失ってしまう。
「グハ……!」
腹に全力の一撃を食らわせた。
ミノルが白眼を剥いて気を失う。
その場に横たえさせ、眠らせておいた。
「だ、団長ぉ! ミノル様は、その、亡くなられたのでしょうかぁ!」
「安心しろ。気絶しただけだ。ワシはこれより見回りに出る。お前も建設の頃合いだろう」
「はいぃ! 今日はこれから、防柵を作る予定になっておりますぅ!」
「鍛えるのも大事だが、役目を果たすのも同等に重要だ。行ってよし」
「ありがとうございましたぁ! これにて、失礼いたしますぅ!」
トガリが小走りで去っていく。
早歩き程度の速度だが、あれが彼の全力である事を知っている。
「さて、ワシも行くか」
修練場にミノルを残し、坂を下っていった。
しばらく道を行くとレジーヌ姫に出くわした。
これは都合が良いというものだ。
「レジーヌ姫。お暇か?」
「ええ。調度手が空いたところよ。何か手伝おうか?」
「先ほどミノル殿と手合わせをした。思いの外激しいものとなり、怪我をさせてしまった。手当を頼めるだろうか」
「そうなの? それならスグに行くわね!」
「手間をかけさせた」
「いいの。教えてくれてありがとうね」
嬉しそうに姫が坂を走っていく。
嫌な顔ひとつしないあたり、やはり彼女の性質は良いものだと感じる。
それにしても、柄にもない事をしたものだ。
あの2人を結びつけようと画策するのだから。
「仕方あるまい。ワシは姫よりも早く老い、死ぬのだから」
自分の亡き後を頼めるのは、ミノルくらいであろう。
トガリは頼りなく、ミゲルや他の見習いどもも同様だ。
姫を他国から守りつつ、更に『豊穣の加護』の力を悪用しない人物となると、対象は相当に限られるのだ。
別の候補を探そうにも、滅多に見つかるものではあるまい。
「さて、もう片方の娘はどうか」
集落から離れた森の中で足を止めた。
そこでしばらく待つと、顔なじみの子猫が草むらより姿を現した。
「腹が減ったろう。今日は炙り肉だ」
「みーやぅ」
「美味いか。好きなだけ食べて良い」
「みーやぅ」
ふと気付いたのだが、右側の前足に傷が出来ていた。
もしかすると鳥にでも襲われたのかもしれない。
動物は動物なりに過酷な日々を生きているものであろうか。
「似ているのかもしれん。主人を喪ったワシと、親を失くしたお前がな」
「みーやぅ」
「お前とは知った仲だ。知らぬうちに食われてしまっても寂しいものだ。我が家に来るか?」
「みーやぅ」
言葉が通じたかは分からんが、子猫がワシの手を介し、そして肩に乗った。
いささか強引ではあるが肯定として受け取る。
肩から落ちては怪我をするだろう。
すぐに両手で掬(すく)うようにしてその身を確保した。
するとどうだろう。
最初は我が手のひら相手にじゃれていたのだが、その内に牙で噛みつくようになった。
痛みは無い。
子猫からするとワシはあまりにも巨大であり、敵う相手でないことは明白だ。
それでもひたすらに噛むのである。
親愛の情らしきものである事は知っている。
だが、その姿がどこか面白くもあった。
「そうだ。お前は正しい。どれほど相手が強大であっても、敵わぬと分かっていても噛むしかないのだ」
「みゃうみゃうぁーー」
「まさかお前の如きか弱き者から、真摯(しんし)に学ぶ日が来ようとは思わなかったぞ」
つい笑い声が漏れた。
声をあげて笑うなど、いつぶりだろうか。
そのまま流れに身を任せて笑い続けた。
我が師はこちらの変化になど取り合おうともしない。
今度は手首から腕を登ろうと果敢に挑んでいる。
ひとまずは腰を降ろし、その成り行きを見守る事にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます