第16話 侍女よ、したたかであれ
人生って何が起こるか分かんないもんですねぇ。
優しい王様のもとでノホホンと暮らしていたら、一夜にして逃亡生活ですからね。
もう絶対死んじゃうと思いましたもん。
あるいは、そこらの性質最悪な連中に捕まって、全身をヌメッヌメにされるかなと。
逃げ回る暮らしというのは本当に悲惨でした。
あっちこっちで追いかけ回されて、『逃げろー』という声が聞こえる度に山ん中走らされてですね。
あの頃はもう、ポロッと死んじゃおうかなーって思ってました。
まぁ結果を言えば若い身体を大地に還す事なく、今もこうして生きてますがね。
短気は良くないとはこの事でしょうか。
「シンシア。調練で思いの外汚れた。この服も洗ってもらえるか」
「わかりましたぁ。カゴの中にお願いしまーす」
「手間を増やした」
「いえいえ、お気軽にどうぞぉー」
今はお家からすぐ傍にある小川で、日課の洗濯に励んでいます。
お城勤めの頃は嫌いな仕事でしたが、今思えばとんでもない考えだったと思います。
安全の保証された生活とは、何事にも代えがたいものです。
皆さんの努力によって生み出された平和の中で、こうして役割を与えられていることは、とても幸せな事だと思います。
ゴシゴシゴシ。
石鹸などという贅沢品はありません。
なので汚れを落としきることなんか不可能なんですが、やらないよりは全然マシです。
ゴシゴシゴシ。
暑くなりだした季節の水仕事は、ちょっとした役得だと言えます。
ヒンヤリと冷たくて心地がいいのです。
更には、たまに鳥さんや小動物が遊びにきてくれたりします。
ピチュピチュと歌い、岩場を駆け回る姿はもう……愛らしいです。
私はスッカリこの仕事が気に入ってしまいました。
「おーいシンシア。洗濯はまだかかりそうか?」
「あっ、ミノルさまぁ。どうかなさいましたぁ?」
お家の方からやってきたのはミノル様。
天上神様がお遣わしになったと思うほど、めちゃんこ強い人です。
もうほんと、ズギャーンバキーンって感じで、大勢の悪いヤツらをスカッと倒してくれましたもん。
普段は目立たないタイプなんですがね、問題が起きるとシャキーンドヤァッと人が変わったようになります。
その変化が、こう……たまらんのです。
「追加の洗い物を頼みたいんだが、間に合うか? 姫さんが鍋相手にお遊びしてな……」
「あー……。だからそんなに美味しそうな匂いしてんですねぇ」
「すまねぇ。何なら手伝うが?」
「とんでもない! ミノルさまもお忙しいでしょう。ここは私に任せて行ってくださいな」
「そうか? じゃあ頼むぞ」
ミノルさまが小屋の方へと立ち去りました。
私はその背中を眺め、その姿が見えなくなるまでジッと見送っていました。
そして、周りから人の気配が消えたことを確認します。
ここ大事、念入りに辺りの安全を確認します。
そして誰も居ないことを知った私は、受け取った洗い物を顔面にしっかりと押し当てました。
それから息を吐ききり、全力での深呼吸です。
スウウゥゥ……。
「……ッカァアアーー! たまんねぇぇ!」
濃厚な汗の香り、むせ返るような男の匂いにクラクラしました。
まるで上等なワインのように芳醇な味わい……飲んだこと無いけど。
これがあるから洗濯係りは辞めらんねぇですよ。
「はぁーー、うめぇ! かぁーーたまんねぇ! この匂いだけで麦パン5個はいけらぁ!」
「……麦パンがどうしたって?」
「へぅっ!」
後ろから声がかけられました。
恐る恐る振り返ってみると、物凄く複雑な顔をしたミノルさまが!
一体いつの間にやってきたのでしょうか。
……やべぇ。コイツはピンチです。
何とか取り繕わないといけません。
このままでは、私が手遅れな変態だと誤解されてしまうでしょう。
ボヤボヤしている間に、ミノル様の視線が冷たいものへと変わっていきます。
急げシンシア、時間は無いぞ!
何か言い訳……出任せでも良いから……!
「お前、もしかして服の臭いをかいでたのか?」
「そうですが。それがどうかしましたか?」
「どうかしたって、何だよそれ。もしかして、ソッチ系の……」
ミノル様が言い終える前に、私は背筋を伸ばして、キッと睨み付けました。
一世一代の大博打です。
失敗は即ち『逆ギレする変態』という称号なので、絶対に成功させなくてはなりません。
「何やらお考え違いをなされてるようですが、これも業務のひとつです。お召し物の臭いから、皆様の体調を把握しておりました」
「マジで! そんなこと出来るの!?」
「メイドたるもの、これくらいできて当然と言えます。ここにはお医者様がいらっしゃらないので、せめて日々の健康状態くらいは知っておこうと思ったのですが……在らぬ疑いをかけられるのでしたら、今後は控えさせていただきます」
「いや、待ってくれ! 疑って悪かった、これからもそれは続けてくれ」
「ですが、奇行と思われるのでしたら、これまでとしたいです。実際見映えも良くないですし……」
「安心しろ。誰かが文句を言うようだったら、オレが全力で説得する。だからさ、頼むよ」
「……わかりました。では引き続き対応します」
「いやほんと済まなかった」
「お気になさらず。私も先程の件は忘れることにしますので」
「そうか……じゃあまた後でな」
ミノル様は肩を落としながら小屋の方へと戻っていきました。
こちらに対する警戒は欠片も無いようです。
「ふぇぇーー。危なかったぁ……」
出任せと嘘のサンドイッチでしたが、想定よりも上手く出来たみたいです。
いやほんと、こんな土壇場でよくもまぁ口が回りましたね。
我ながら呆れる想いです。
ですが、賭けに出た価値はありました。
「ふへっへっへ。これで人目を気にせずスンスン嗅ぎ放題じゃあーーい!」
私はこの日に免罪符を得たのです。
傍目から見ると変質者のような振る舞いも、立派なお仕事になったのですから。
今後はもっと大胆にいきましょうか。
ミノルさまの服の端を少し頂戴して、スープに混ぜてしまいましょう。
至高の具材は誰にもあげません、こっそり自分の器だけに盛り付けます。
もちろんこれは変態行為じゃありません。
体調管理の一貫なのです。
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