第2話 生きるという事
年齢のせいか寝付きが悪く、中途半端な時間に目が覚めてしまった。
それと言うのも今現在寝息を立て隣で寝ている女のせいだ。ただでさえ
狭いシングルベッドに二人で寝たのだ。窮屈でしょうがない。
まったく・・・いい気なもんだ。
隣で静かに寝息を立て寝ている自称ラピスとかいう女。昔は愛する人
と寝食を共に過ごし、子供を育てなどと漠然と思い描いていたものだが、
現実は厳しく、結果は社会の底辺の歯車として働き続ける日々だった。
ため息しかでねぇ・・・。
神の使いなどと名乗るだけあって確かに、彼女は美人だ。こんな可愛い
嫁さん貰えたら幸せだったろうななんてふと思ったりもする。それならば、
いっそ異世界にでも・・・。
「あら、目が覚めるのが早いのね」
「誰のせいだよ・・・」
「私のことじーっとみてたでしょ?」
「俺にだって嫁さん貰って寝食を共にするとか人並みの夢くらいあった
んだよ」
「うわ! 童貞くさっ!」
「うっせ!」
「それで、モーニングキスとかしちゃったり?」
「は? ないわー?」
「え?」
「寝起きの直後は口内菌が増殖してると言われてて、そんなん想像したら
無理だわ」
「うわぁ・・・ロマンスの欠片も無い・・・。そんなんだから未だに独身
なのよ」
「うるせぇ! 俺の心を抉るんじゃねぇよ!」
俺はこう見えてもナイーブなんだぞ! 畜生! 何なんだ一体、
こいつは! もう一寝入りしようとも思ったが、時間も半端なので出
社の身支度をする。
そして、こいつは俺が異世界に向かうまで居座るつもりだという。
自分の家のはずなのに、段々帰りたくなくなってきた。意味が分からん。
きっと、帰ってきたらチクチクチクチク上司のように異世界への
誘い文句を並べ立てられるに違いない。
顔だけは可愛いんだがなぁ・・・。頭が残念すぎる。朝食は、昨日
買ったコンビニ弁当だ。結局食わずじまいだったからな。
「いつもそんなものばかり食べてるのぉ?」
「そうだよ、自炊した時期もあったけど。もはや面倒だ」
「ふ~ん、じゃあ。今晩は私がご飯作ろうか?」
「ちゃんと夕方に帰ってこられたらな」
「そういうときは、ちゃんと仕事終わらせなさいよ」
「やってもやっても終わらないんだよ、実務つーのはそう言うもん」
「ふ~ん人並みに責任感だけはあるのね」
「責任感じゃねぇよ、義務だ。そうしなけりゃ死ぬ!」
「人生行き当たりばったりの末路って感じよね」
「うっさいわ! 自分でもわかっとるわ!」
「それなら、それなら、人生一発逆転に掛けてみるってのもど~ぉ?」
「それで死んでたら世話無いな」
どんどん俺の古傷を抉ってくるなこいつは。涙出てくるだろう!
畜生めぇ!
自分でも忙しい奴だと思うよ。死にたいと思ったり。結局生きる為に
社畜を続けたりさ。それでも人並みの夢や希望くらい抱いたっていい
じゃない!
俺だって! 俺だって! 可愛いお嫁さんが欲しいんだよぉおお!
性格がこんなんで、年収250万、40歳のおやじのところになんかに
嫁の来てなんて無いことくらい分かってる! 分かってんだよ!
とりあえず、会社行くか・・・。
「いってらっしゃ~い」
「いってきまぁ~す」
今日もまた再び重い足取りを会社へと向ける。唯一のオアシスを
奪われ途方に暮れる俺。いや、もっとポジティブに考えろ俺。疑似結婚
体験ができると思えば良い! そうだ、今だけでも可愛い女の子と
一緒に暮らせるんだ。下心ありありなのが・・・たまにきずだが・・・。
日本は長い不景気とデフレ状況を経験してから日に日に一般市民の
生活レベルは下降していく一方だ。だからだろうか、電車で自殺を
考える輩が増え、今では自殺防止用に壁が付けられる始末だ。
確かに、こんな物憂げな生活を続けるよりかは、異世界で面白おかしく
生活できたならどんなに素晴らしいことだろうか。いや、そもそも
危険で命の保証が無いようなところに誰が行きたがる。
異世界を救うって事は、現代世界で例えるならば、ブラジルやメキシコ
に行って、マフィアに喧嘩売るようなものだ。確実に死ぬ! ダメだろ!
新聞に掲載されていたようなバラバラ死体になる可能性も充分に
あり得るわけだ。まだ、遺体が残っていたら良い方で木っ端みじんに
なるかもしれない。そんな恐ろしいところへ誰が行くんだ!
俺が勤める会社は零細企業で社長、専務、部長、平の四通りの職
しか存在しない。社長と専務は夫婦で旦那が社長、奥さんが専務だ。
そして、部長は昔から勤めあげてきた歴戦の勇士で血縁関係は無い。
しかし、その歴戦の勇士が故の悲しみも同時に抱えている。慢性的な
ストレスのお陰で今では頭頂部がツルッツルに禿げ上がっている。俺が
入社した頃はまだ、髪の毛は残っていたのだが。
社長、専務、部長、この三人が実質の業務を司っている。この三人
の内誰か一人欠けようものなら、俺達の被害は甚大となる。ただでさえ、
膨大な仕事量が更に割り振られ発狂寸前まで追い詰められるのだ。
社長や専務はいい人なのだがワンマン故に彼らがいなくなれば回ら
なくなる。更には限界を越えながらも黙々と働く部長だ。常に虎視眈々
と他の社員に仕事を割り振ろうと目を光らせている。
たまに、頭も眼鏡も光ってるけど。
こんな状態だ。バックれる後輩社員も後を絶たない。給料は安いわ、
仕事量は多いわで面食らうのだそうな。さすがブラック。ブラックを
転々と渡り歩いてきた俺としては当たり前のような光景なので、段々
感覚も麻痺しつつあるが。
そんな中でも印象に残っているのがチャラ男でやりちんの井岡誠。
十数年勤め続けた後、数年前に失踪したのだ。うちの会社の中では
割と仕事のできる奴でそれなりに使える奴だった。
そして、居なくなったお陰でそいつの後始末を全振りされたのが俺。
あのときは何ヶ月も終電間際まで働いて片付けた覚えがある。今でも
思い出すだけで殺意が芽生えるほどだ。
どうせヤ○ザの女に手を出したとか、闇金に手を出して返せなく
なって逃げたとかそういうのに違いない。仮にも十数年うちに勤めて
たからな。
最近、頭が禿げ上がった部長に覇気を感じなくなった。最初は髪の
悩みかと思っていたが、長年連れ添った奥さんに離婚届を叩きつけられ
たのだそうな。大学を卒業した息子と娘も母親側に親権を委ねられる
とのこと。
家庭を蔑ろにしすぎたと言えばそれまでだが、これまで一生懸命家族
の為に働いてきたというのに、せちがなさを感じる。飲みに誘われたとき
延々と愚痴を聞かされてうんざりしたのを覚えている。
慰謝料も定年後の退職金から支払うそうな。本当は部長も逃げ出したい
だろうな。こんな、糞みたいな世界はさ。
今日は、ネットサーフィンに現を抜かすこと無く早めに仕事を切り上げ
帰宅することにした。毎日のように出社しているお陰で曜日感覚が段々
おかしくなりつつある。たまには早く帰りたい。それに、晩ご飯作って
待ってるって言ってたしな。
一応、自宅の固定電話に連絡を入れ帰ることを伝える。無駄だとは
思いつつも光回線を繋いだついでに光電話も加入しているのだ。固定
電話が当たり前だった時代に生まれた世代だからあると落ち着く。
誰も出ないのが当たり前だったけど!
家に電話して誰かがいるって言うのはなんか、嬉しいな。ビールでも
買って帰るか。つまみも必要だな。
「ただいま」
「お帰りなさい~ごはんできてるわよ~」
期待はしてはいなかったが・・・。食卓に二人分並んでいる。
しかも普通に日本食だ。アレルカンティア料理とか並んでいたら
どうしようかと思っていたが。
「何~? その顔~。意外だった?」
「普通に日本食とか作れたんだな」
「ああ、PC借りたわよ。インターネットで調べたのよ」
「おおう、PC使えるのか異世界人の癖に」
「馬鹿にしすぎ」
買ってきたビールをテーブルにのせ乾杯する。後輩や部長とかの
会社関係の人以外と乾杯するのって久々な気がする。今更ながら
どっぷり浸かっている事を実感する。
「ど~ぉ? 自信はあるけど。おいしい?」
「うまい・・・」
「ふふふ、どんどん召し上がれ~♪」
「お風呂の用意もできてるわよ」
「先に入ってて良いよ」
「せっかく待ってたんだから先に入ってよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
なんか、まるで夫婦みたいだな。セックスで子作りしたらほんと
夫婦だ。子供っていや、同級生にはもう結構でかい子供いる奴もいる
よなぁ・・・。切なくなる・・・。
入浴後、ラピスの入浴を覗こうとか一緒に入ろうとか、そう言った
誘惑にも駆られたがやめておいた。そんなことしたら問答無用で異世界
に拉致られそうだったから。
普通にヘアドライヤーで髪を乾かしているしぐさを見るとずっと
ここで暮らしてきたかのような生活ぶりだ。お前、異世界人じゃな
かったのか?
「そう言えば、お前金どうしたの?」
「ああ、宝石類やら金とかをもってきてるの、それを換金してあるから」
なるほど、確かに宝石類や金ならどこへ行っても通用する。慣れて
るんだな。それに勧誘は俺が初めてって訳でもなさそうだしな。
こうして、今日もまた一日が終わった。昨日と同様ラピスが寝息を立て
眠っている。人の気も知らないで。確かに、今の俺は人生に閉塞感を感じ、
行き詰まっている。そんな中、迷っている俺がいるのも事実だ。
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