青色18号(現代劇)

ヘモシアニン

「かつて私は、イカに憧れていたの」


 と彼女は言って、水溜まりを蹴飛ばした。


「はぁ」


 と僕は気のない相槌を返した。


「とはいえ、この件については、若干の補足説明が必要なのではないかと思うわ」

「別に、無理に説明しなくても良いと思いますけど」

「まず第一に、私は空に憧れていたの」

「ええ、まあ、はい」


 彼女は夕立の雫が残る傘を振り回しながら、僕の進言も取り合わず、イカがどうとかいう話を始めた。


「あれは三歳の頃、幼稚園にも上がる前。私の背は、私の周りにいる誰よりも低かった。飛び跳ねても父の頭には届かない。テーブルに登っても母の手で優しく下ろされる。祖父も、祖母も、伯父も、叔母も、七つ年上の兄も、隣の一家も、郵便屋さんも誰もかも、私よりずっと背が高かった」

「三歳児ですからね」


 同じ年頃の友達はいなかったんだろう。


「だから空を飛びたかった」


 それは文字通り飛躍したような論理だったけれど、まあ、わからないでもない。


「それで、イカは?」


 だから僕も、話の続きに興味を持った。


「最初は鳥になりたかったの。黄色いオウム」

「はい」

「でも、鳥は翼を持つ代わりに、お手々ててが無いでしょう」

「無いですね」

「私はその時、お絵描きも好きだったのよ」


 確かに、翼でペンなりクレヨンなりを持って、絵を描いている鳥と言うのは、ついぞ見た覚えがないように思う。


「次は蝶々に目を付けたの」

「なるほど、はねの他に足が六本もある」

「だけど蝶々はクレヨンを持てないでしょう」

「そりゃそうですね」


 妙な所だけ拘るのだな。幼児と言うのは、そういう所があるけれど。


「そこでイカよ」

「はぁ」

「イカは足が十本もあるし、ペンを持つことも出来るって言うし」

「羽はありませんよ?」

「十本も足があるなら、二本くらい羽になったって不思議ないでしょう」


 そういうものだろうか? と僕は頸を傾げた。

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