#006 茜色のアンチテーゼ
「――というわけで、”わが校の文化祭”という観点に立つと、テーマをより鮮明に表現しているのは作品Bであると考えます……」
ぼくは教頭先生を前にして、生徒会準備室で副会長相手に披露した自身の見解をろくな工夫もないまま率直に語った。
あまりにも急な展開に心の準備と頭の整理が追いつかなかったせいだ。
単なる印象論に過ぎない【感想】を長々と聞かされた先生も、さぞや失笑を抑えるのに苦労しているだろうなと自嘲気味に考える。
――し、しょうがないだろ! ぼくは半分、騙されてここへ連れてこられたのだ。
「ふむ……。一学年の生徒としては意外なくらい、論理的な推察がなされているね。驚きだよ東堂くん」
こちらの主張を時折、まぶたを閉じながら真剣に耳を傾けていた教頭先生。
まずは歩み寄りに等しい態度で、ぼくの意見に肯定的な態度を示した。
まあ、どれだけ児技に近しい内容であっても頭から否定するのではなく、最初は優しく接して相手の懐に取り入るのが成熟した大人の社交術だ。
ほめられたからと言って、その意見が全面的に受け入れられるという保証はどこにもない。
「作品Aに関するモチーフの解釈などは、わたしもほとんど同意見だよ。その年齢でここまで深く読み込めるとは実に素晴らしい」
「あ、ありがとうございます……」
ちなみに『作品A』、『作品B』というのは、便宜的に仮称したふたつの作品の名前である。審査自体がブラインドテストであるため、作品名や作者といった情報ですら表向きには発表されていない。なので、両者を区別するため意見を述べる前にあらかじめぼくが設定しておいた。
作品Aが鉛筆描きの静止画で、作品Bが校舎を模写した風景画だ。
「ただね、どうだろう? コペルニクスの著作からガリレオの悲劇を連想するのは、いささか想像の翼を大きく広げすぎではないかな……。モチーフは描かれているものをまずは素直に受け止めることが肝要だ。余計な詮索は大切な審美観を曇らせる。歪んだレンズを通して眺める世界は必然的に鑑賞者の視界に虚像を映す。あるがままをとらえることが芸術に接する際はもっとも真摯な態度だと、わたしは常に心がけているのだがね」
ほらきたぞ。
作品への解釈そのものではなく、前提となる個人の資質を問題視する。
年長者が年若い人物を指導する時、最初の切り口にしたがるのがこのやり方だ。
「まあ、自分の力で高く飛べると信じた若者が、太陽にロウの翼を焼かれて地に落ちるのは古来からの戒めだ。自らが広げた想像の翼に高く心を躍らせるというのも若者の特権か……。この年になると少しばかりうらやましい感じもする」
ぼくは調子に乗って空高く舞い上がった身の程知らずの”
「教頭先生はお若い頃、芸術家を
「ハハハ。石神くん、いまとなっては笑い草だよ。どこでその話を聞いたのかな」
「生徒会顧問の先生から酒宴の席でのお話を聞く機会がありました。だからこそ、前任者であるわたくしの先輩方はコンクールの審査をお願いしたのですね」
知られざる教頭の逸話を口にした副会長が、口撃の矛先をそらすように相手の興味を自分に惹きつけた。
「若気の至りだよ。一時は真剣に美大への進学を模索したものだが、結局は教育委員会の要職を務める父の勧めで普通学科の教育学部を受験した。それでも胸に
副会長に誘導され、懐かしき青春の日々を
だが、その間にも彼女はぼくに向かって目配せする。
つまり、いま自分が対峙している人物はただの講師として
――ありがたいサポートではあるのだけど……。正直、ハードルが高いですよ。
「まあ、わたしの昔話はこの辺にしておこう。いまの君たちには関係がない過去の出来事だ。さて、東堂くん。こちらからもひとつ指摘をしてよろしいかな?」
「あ……。はい、どのようなことでしょうか」
切り返しに思わずとまどう。
声に出した受け答えが微妙に震えているのが自分でもわかった。
「君が推している作品Bには、明らかな事実誤認が見られる。この点をわたしは問題にしたい」
あ……。
ついにきたか。あの絵を見た瞬間、ぼくも覚えた違和感。
そこを教頭先生は見逃さずに突いてきたのだ。
「この部分をよく見なさい……」
かたわらでは、すばやく携帯に作品Bを表示した副会長がまるでアシスタントよろしく画面を教頭に向けている。映し出された画像に指先で該当部分を示しながら、先生はぼくの視線を誘導した。
それにしても先輩の如才ない働きである。相手が指示するまでもなく、必要と思われることを先回りして用意する。一体、どちらの味方なのやら……。
「この部分、校舎内でたくさんの生徒たちが思い思いのパフォーマンスに興じている。それは一階から屋上まですべての階層に渡ってだ。だが、わが校は事故防止、安全性重視というモットーから生徒の屋上への進入を固く禁じている。これはきみも知っているだろう? もちろん、出入り口の扉は常に施錠がなされている。それなのに、この絵は屋上にまで人影が描かれているのだ。これは由々しきことだよ。まるでわが校が生徒の安全対策について、無頓着であるかのような印象を与えてしまう」
…………………………え?
聞かされた指摘の中身に計らずも思考が停止した。
これまで純然に一芸術家の側面を見せ続けていた人物が、ここへ来て唐突に『教頭』という役職に応じた心配事を口にしたからだ。
これは批評と言うよりは注意である。もしくは単なるクレームとして受け取られかねない。
「あ。そちらでしたか……」
つい、そっけなく答えてしまった。
こちらの薄い反応に相手は落胆と怒りをないまぜとした不思議な表情を浮かべる。その気持ちを代弁すれば、『不本意』の一言だろう。
ただ、ぼくとしてもいまの言動には正直、首をひねらずにはいられない。
【学校の屋上は進入禁止】
という決まりは現在、当たり前過ぎるからだ。
教職歴が長い先生には複雑なコンプライアンスの成立過程で徐々にそうした安全上の施策が問題視されていったのだろう。だが、ぼくからすれば小学生の頃から普通に屋上への扉は鍵がなければ開かないようになっていたのだ。
いまさら強く意識するほどのことでもなく、それが当然であった。
「君はこれを見て、どこかおかしいとは思わなかったのかね?」
しびれを切らして再度、こちらを問い詰める厳しい声。
でも、ぼくは努めて冷静を装ったままその詰問に応じた。
「でも、教頭先生。これはあくまでも【絵画】です。そこに描かれているのは、どれだけ具体的でも現実をそのまま表現しているわけではない。確かにこの絵は校舎内に鈴なりで人物が配され、屋上にも人影が見て取れます。だからといって構図にあるようなリアルに校舎の中を舞台衣装で練り歩く人も、楽器を手にして演奏しながら行進する人もいません。つまりは見る人にわかりやすく表現が”
一気呵成に物申していく。
ちなみにぼくがありえないと指摘した事項は後日、思わぬ形で実現してしまうが、それはまあ後々の話だ……。いまはとにかく相手の主張に対して、効果的な反論を示す必要があった。
さらに言えば、これは解釈の違いだ。教頭先生はこの絵に現実の学園祭の姿をとらえ、ぼくはイメージとしての祭りを想像した。どちらが正しくて一方が不正解であるというハッキリした答えが出る問題ではない。
あるとすれば、どちらがより深く作者の心象風景に近づけているかといった抽象的な概念を互いにぶつけ合うしかないのだ。
「やっぱり、おかしいわね……」
でもそこに、突如して第三者の声が割り込んでくる。口火を切ったのは二人の間に佇んでいたひとりの女性であった。
「東堂くん。あなたはさっき、『そちら』とつぶやいたわね。と言うことは他に何か問題を見つけていたの?」
副会長がぼくらの会話をさえぎって、唐突に質問をぶつけてきた。
「え! あ、あの……問題と言うか、ちょっと気になることがあっただけです」
「それを教えて。いますぐに」
答えをすべて聞き終わるよりも早く、彼女は性急に迫ってきた。その勢いに気圧され、声もたどたどしく初見で抱いたこの絵の違和感を口にしていく。
「ぼくが不思議に思ったのは、中庭の『花壇』です」
「花壇? どうしてそんなものが……」
指定に副会長のみならず、教頭まで興味あり気な様子で携帯を覗き込んでいる。
画面にはレンズ越しに校舎を眺めたような『作品B』が写っているだろう。
周縁が奇妙に引き伸ばされ、逆に中央付近のオブジェクトは短く縮められた形で強く存在を主張している。そこに花壇と中の土に植え込まれた【赤い花】が見えているはずだ。
根本付近から何枚もの緑葉を茂らせ、中心から長い茎が一本だけまっすぐに伸びている。そこから無数の細く赤い花弁が横向きに花を咲かせていた。
「描かれているのは多分、”サルビア”です」
「そ、そうなのか? 石神くん……」
あまり園芸には
慌てて隣に立つ副会長へ事の真偽を尋ねた。
「なるほど。それで、この花がどうだというの?」
先生の質問には応じず、ぼくに対して説明を続けるよう先を急がせる。
――あれ?
奇妙な会話の流れになんとなく心の中で疑問符が浮かんだ。
――まあいいや。いまはとにかく自説の展開に集中しよう。
「サルビアは夏から秋にかけて咲く花です。と言っても夏の暑い時期には休んで、秋にまた花をつけるという感じですが。もっとも、冬が来るのが早いこの地方では、どちらかというと秋に目立つ花ではありません。この花を一番多く目にする機会は、やはり初夏から気温が高まる夏のシーズンでしょう。だとすると、文化祭が行われる秋も深まった季節にこうした光景が広がるのはとても不自然です」
実際、いま現在の中庭の花壇には園芸部が植え替えたばかりと思わしき、パンジーやビオラ、プリラムといった可愛らしい花が並んでいる。
「さらに絵の中で登場している学生たちはキチンと冬服を着て季節感を合わせています。だからこそ、もっとも目立つ形で描写されている花壇の花だけが季節に取り残されているような錯覚を受けました……」
「ふうむ、夏の花か……。どうなんだね、石神くん。彼の指摘は事実に即したものであるのかな?」
ぼくの思い込みにも似た一方的な主張を聞き終え、教頭がまだ画面を注視している副会長に問いかけた。
おそらく彼女はいま、【サルビア】で検索した結果を確認している最中なのだろう。
画面を走る指先の動きでなんとなく察せられた。
そして携帯から顔を上げ、ぼくに向かって一言、
「どうして男の子のくせに季節の花になんて詳しいのよ、気持ち悪いわね……」
と遠慮もなしに強くのたまう。
まさか、このご時世にパワハラとセクハラの両方を同時に受けるとは思っても見なかった……。
きっと彼女は自分が把握できていないことを第三者に指摘されてしまうのが、ものすごく腹立たしいのだと思う。
だからふとしたことで、ついつい声を荒げてしまうのだ。
――化けの皮が剥がれてますよ、先輩……。
予想もしていなかった副会長のつぶやきで場の空気が一瞬にして凍りついた。
どうするんだ、これ……?
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