伍朝伍夜:弐の印~2~
「ティオ、後でその娘さんが起きたら礼を言っておいてくれ」
「はぁっ?」
後を追いかけてきた父親から突然、予想外の暖かみのある言葉をかけられたティオは思わず声を裏返らせた。
「火を収めてくれたんだろう? このままでは彼女が不憫だ」
「不憫だって思うなら自分で言えばいいじゃないか」
「大人はお前が考えるほど、素直じゃないんだ」
父親は曖昧な返事を返してティオの尖った頭をくしゃくしゃと掻き回す。要領を得ないその発言が気に入らなかったティオは、口を尖らせた。
「大人はそうやって子どもを遠ざけて、傷付けていくのかよ」
「……そうじゃない大人が居るのを、ティオは知っているだろう?」
「知ってるけどさ……!」
ティオの祖父であるゴルダの事を言っているのだと気付いた。何故自分の父親は、そう簡単に自分自身を見下げてしまうのだろう。
この自信の無さが、ティオが親元から離れることになった原因の一つかもしれない。そう思った彼は、文句を言いかけようとしてやめた。
「オヤジさ、なんでそんなに自信が無いんだよ?」
「圧倒的多数の他者に囲まれた状態で、俺が力を振り絞っても勝てるわけがないだろう?」
それは先程のアーブと町長の口論に自分が加われなかった事と、そして幼かったティオが街から去ることになった時の事を指しているのだろう。これまた自信の少なさが伺える発言だ。
「けれども、そこであえて引き下がらないで、自分の信じた道を突き進むのが『勇気』ではありませんか?」
そう言ったのは後から追いかけてきたアーブだ。
「……もっとも、この街では突然勇気を出すことは、ばかられますね……」
アーブはそう言って苦笑する。ティオの父親はその姿を認めると、駆け寄って勢い良く頭を下げた。
「吟遊詩人さん、息子の手助けをしてくださって有り難う御座います……!」
「私も昨日助けられましたから……」
「息子はやんちゃで馬鹿なので、とんでもないことをすぐにしでかしますが、これからもよろしくしてやってください」
「馬鹿って……おい!」
ティオは誰にでも馬鹿と言われるのか、そう言われたことに対してすぐに反応して反論しようとするが、アーブの言葉にかき消されてしまった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「それでは私は……そろそろ戻りますので」
「戻っても大丈夫なのでしょうか?」
「ええ、おそらくは。危なければ父のもとで世話になるつもりです」
「そうすると結局のところ、ティオと同じ道をたどることになるな」、とティオの父親は苦笑する。
「最初からそうしていれば良かったのかもしれません……」
「……」
ふと後悔を漏らした親に、子は複雑な表情を向けて何も言い返せずにいた。
「……ティオも、元気で過ごすんだぞ」
「オヤジ! オレが戻ってくる頃には、自分に自信つけてろよ!」
ティオの言葉に乾いた笑いを返して、父親は街へと姿を消していった。父親を見送ったあと、二人は目を合わせる。
「ひとまず、ノストから少し離れましょう。今朝の小川で休憩しませんか?」
「そうだよな、ここは危険すぎる。レーメが目を覚まさないうちに移動しておこう」
ティオはアーブの言葉に同意して頷きかけた。しかし、ふと一つの疑問が浮かび上がり、吟遊詩人の様子を伺う。
「……ちょい待って。アーブ、どこまでオレたちと一緒に行動するんだ?」
「え? そうですね……」
アーブは何かを考えるように、指先を頬に当ててみせる。
「先程、ティオ君の父君によろしくされましたし、このまま着いていくことにしましょう」
「……マジで?」
そう言ってにこりと微笑んだアーブの表情は、ノストの悪意のある喧騒とは真逆の暖かみのあるものだ。
「ティオ君はお嫌でしょうか?」
「やっ、嫌じゃないんだけどさ。『成人の儀』なのに大人が引率してるのはどうなんだ、って思ったんだよ」
「構わないのではないでしょうか? 私が同席していることに、先程の町長さんも何も仰いませんでしたし……」
「そう言えば一言しか言わなかったよなー。態度悪かったから何も言わないでくれて正解だけどさ」
町長の態度の悪さを思い返すとティオの胸の内に再び不満が沸々と沸き上がって来る。次のアーブの発言でどうにか抑えることが出来た。
「私としましては、ティオ君とレーメさんと一緒に旅をしていると、とても面白い出来事が体験出来そうですから」
「そ、そうか? 面白いか?」
「はい」
害のない微笑みだが、ティオにとって「とても面白い出来事」と「危険な出来事」は同類のように感じられた。思わず口を大きく開けて目の前の吟遊詩人を観察してしまう。
アーブはそういう意図を全く込めていなかったのだが、火事騒動の直後だけあってティオには少し刺激が強い発言だった。
「そう言う事ですので、ティオ君。これからよろしくお願いいたしますね」
「ああ。よろしくな、アーブ!」
ティオはレーメを肩に担いだ態勢のまま、右手をアーブに差し出す。
レーメはすやすやと寝息を立ており、いまだ起きる気配はない。
二人は彼女の様子を確認して安堵すると、ノストの外へと向かって歩み始めた。
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