伍朝四夜:ヒを見ぬ者~2~

「朝だー! 起きろー!!」


 突然大声が耳元で聞こえてきたことによって、アーブは目を覚ます。いつの間にか眠ってしまったようだ。


「お、おはようございます。ティオ君」


 声の主は朝から調子が良さそうに動き回るティオだ。


「おはよう! 朝飯作ってるから、その間に顔でも洗っててくれよ!」


 気持ち悪さで言うならば昨夜の頭痛の方が上だが、アーブは耳元で叫ばれたことで耳に閉塞感を覚える。


 レーメはと言うと……。


「……?!」


 アーブ同様の起こされ方をされたのだろう。耳の中に指を差し込みながら首をブンブンと左右に振り回していた。耳の中に何かが入り込んだと勘違いしているようにも見える仕草だ。

 朝が弱いのか、大声で起こされたことに苛立っているのか、はたまた両方なのか。レーメは機嫌が悪そうにしている。


 二人を起こした張本人であるティオは、朝一番に起きたことが判る程高いテンションで朝食を作り始めていた。

 良く耳を澄ませると彼は鼻歌を歌っており、リズムに乗りながら果物の皮をナイフで軽快に切っている。


 今朝は少し風があるものの、空には青々とした彩りが鮮やかに広がっていた。小川には水を飲みに来た鳥たちがやって来ており、爽やかさを感じさせる景色だ。


 ティオに起こされた二人が支度を終えると、彼は調理を終えた朝食を二人に差し出した。


「今日の朝飯はサンドウィッチだぞー!」

「……サンド……ウィッチ……」


 目の前に並ぶ大量のサンドウィッチを見た途端、レーメは顔をひそめる。眠そうにしていた目を更に細める様子は、一見すると起きているのか寝ているのかの判別がし辛い。


 そんな彼女の様子を見たアーブは、彼女はサンドウィッチが嫌いなのかと思いながらも、気に留めていた別のことを二人に問いかけることにした。


「こんなにお世話になって良いのでしょうか?」

「何言ってんだよ。アーブだって魚釣ったじゃないか」

「しかし、それだけでしたから……」


 アーブは情けないと言った様子で苦笑してみせる。


 言葉通り、アーブは料理に関しては魚を釣っただけだ。ほかには何もしていない。夕食も朝食も材料も、ほとんどがレーメとティオが持っていたものを使い、あとは周囲から調達した。


 どうやって旅を続けていたのかと疑問に思うほど、旅の吟遊詩人は身軽だった。昨夜、街に荷物を置き忘れたのかと問いかけた二人に、アーブはそうではないと応えた。


「それに、昨日色々聞かせてもらったしさ!」


 そう言って二人は気前よくアーブに朝食を振る舞う。


 朝食を食べ始める前にレーメは一旦席をふらふらと離れて、すぐ横の小川から水を汲んで火で沸かし始めた。

 いまだ寝ぼけ気味の彼女がドジを踏まないかと、二人は心配そうに視線を向ける。


 彼女が座っていた位置に戻ると、ティオは待ちくたびれたように「頂きます」と挨拶をした後すぐにサンドウィッチを口の中に放り込む。


 サンドウィッチの中身は木の実をペースト状にしたものや、野草を挟んだものだ。木の実のペーストは甘い味付けがされている。


「ごちそうさま……」


 一番先に食べ終えたのはレーメだ。彼女は野草のサンドウィッチを一枚と果物を食べた。食べているうちに眠気が醒めたのか、食事前と比べると目がぱっちりと開いている。

 少し物足りないのか、散乱している調理道具にこびりついているペーストに指をなぞり、ぺろりとひと舐めすると、どこか幸せそうな表情で顔を綻ばせる。


「レーメさんは朝食をあまり食べないのでしょうか?」

「……飽きただけ」


 うんざりした表情で答えるレーメの視線の先には、未だにサンドウィッチを頬張っているティオがいる。


 ティオはと言うと、レーメが飽きたことを気にする様子もなく、早くも六枚目のサンドウィッチを食べていた。


「ごちそうさまでした」


 アーブは二枚目で朝食を終えた。食べ終えた二人は、未だ食事の勢いの止まらないティオを呆然とした表情で眺めることになった。


 暫くすると、レーメが沸かしていたお湯がふつふつと沸き上がった音を立て始めた。


「今日、どうする?」


 鍋を火から離し、お湯にハーブを浮かべ、レーメは軽い調子で首を傾げる。


「どうするって言ってもなぁ。あ、ごっそーさん」


 自分の目の前に並べていたサンドウィッチを平らげたティオは、今後のことを考え唸り声をあげた。


 スタンプを押す為の策は、昨日出し尽くしていた。彼らが新たな案を閃めかせるには、時間を要するだろう。


 レーメは出来上がったハーブティーを器に流し入れ、それぞれの前に置く。

 その後、ティオが朝食を食べ終えたのを見届けてから、辛うじて残っていたサンドウィッチを丁寧にナプキンに包んで手荷物に仕舞った。


 旅の途中の間食用に保存したものだが、レーメ自身はそれを食べるつもりはない。あくまでも食欲旺盛なティオの為の、間食用サンドウィッチである。


「次の街に行く?」


 片付けをしているうちに、次の街に行く気分になっていたレーメは、新たな案を思いついた。対策でもなんでもない。問題を先延ばしにしただけだ。


「え? 次って……エスタにか?!」

「そうですね……ほとぼりが冷めたら戻ってくるのも良いでしょう」

「あれって冷めるのか?」

「冷めなくても、落ち着いた頃にこっそりと用事をすませることが出来るといいのですが……」

「けどそうすると、ノストとエスタを往復しないといけないんだろう?」

「往復して、それからもう一回エスタに戻らないとダメ」

「まじか。ここからエスタまで、どのくらいかかるんだよ……」


 先の長さに辟易したティオは、だらしのない声をあげた。


「二週間?」


 エスタからノストまでの道程を経験済みの吟遊詩人に回答を聞くため、自らの予想を口にするレーメ。


「おそらく六週間かかったと思います」

「六週間?! ウェリアからノストまで三週間だったのに、それより余計にかかんのかよ?!」


 たいしたことのないように涼しげな表情で語るアーブの答えを聞き、ティオの脱力度は先程より倍増した。レーメの「変な道を通らなければもっと早く着いた」と言う呟きは、彼には聞こえていないようだ。


「方向音痴?」

「いえいえ。多少は途中の町に少しずつ滞在していましたから、それで時間がかかったのだと思います」

「途中の町? エスタからノストまでにあった町に寄った?」


 問いかけながら手荷物から一枚の紙を取りだす。ティオよりも方向感覚の良いレーメが、毎日のように睨み合っている地図だ。


「ええ、そうですね」


 アーブの答えを聞いてレーメは紙の右側に右手の人差し指を沿えた。そして指をジグザグと複雑な線で紙をなぞり始める。最終的に指が到着した地点は、紙の上部。地図上ではノストを示している。


 レーメは首を右に傾げると、今度は指先を逆流させた。ノストの地点から、紙の右側に位置するエスタへと線をなぞり始める。しかし、その道筋は最初とは異なるものだ。


 エスタからノストまでの道程は何度も湾曲を描いていたが、逆にノストからエスタまでの道程は緩やかな線を描いている。


「……。そうしなかったらもっと早いかも」

「そうしなかったらって……どうしなかったら?」


 ティオは「一人で納得されても困る」と言いたそうに、眉間に皺を寄せて問いかける。


「これがギンが使った道」


 未だギンと呼ぶレーメに、アーブは苦笑する。


 彼女は二人に地図を見せて、先程辿った行程と同じくエスタからノストまでの湾曲した道程を描いた。


「間違いない?」

「そうですね。道はおおむね間違いありませんが……名前はアーブ、です」

「今はどうでも良い」


 レーメに冷たく切り捨てられ、アーブは目に見えて落ち込み頭を項垂れる。思考を地図へと向ける少女は、吟遊詩人の様子を気にすることなく、後を続けた。


「こっちが早い」


 そう言って今度は、ノストからエスタまでの緩やかな道程を描いた。


「あ、なんだ! 最初のって、すげー寄り道してんじゃん!!」

「そう。だから時間が掛かる」

「それぞれの町を楽しむのが旅の醍醐味ですから」


 落ち込みかけていた気分が少しは浮上した様子で、アーブは苦笑し続けたまま二人に語る。


「町によって異なった生活や歴史、言い伝えがあります。それらを調べるのも面白いです。『暁』について知りたいのでしたら、各町のお話を聞くのも良いかもしれませんね」

「……」


 レーメとティオは難しい顔をして黙り込んでしまった。


 二人とも途中の町に立ち寄ってはいたが、気づけば自然と可能な限り町を避けるように旅をしていた。

 それはどこか、平穏な旅をしたいと言う二人の気持ちが顕れている。


 いくつかの町ではレーメの髪が住民に見つかってしまい、奇異の目で見られていた。そのたびに、彼らは不愉快な思いをしたからだ。


 しかし、アーブの言うことも一理ある。

 各地で聞き込みを続けていれば、いずれは何故『暁』が嫌悪されているかを知る事が出来るかもしれない。

 そもそも二人は、『成人の儀』のために旅立ってはいるが、その原動力は『暁』について知ることであった。


 だが、旅の日数を重ねるに連れ、二人の気持ちには畏れが生まれ始めた。レーメはウェリアでの投石が多少なりとも引きずり、ティオは故郷へ近づくに連れて、次第に臆病になっている。


 しかし、このまま躊躇しているわけにはいかない。旅の吟遊詩人が言うように様々な話を聞く必要がある。そこに、今まで知らなかった真実が隠されている可能性だって考えられる。中にはアーブのように好意的な人物もいるかもしれない。


 それならば……と、レーメとティオが戸惑っていた時だった。


「あれっ? どうしたのでしょうか……」


 突然、アーブが素っ頓狂な声をあげたことで、考え込んでいた二人は思考の世界から現実に引き戻された。


「どうかしたのか?」

「あちらを見てください。煙のようなものが上がっているのですが……」


 アーブの指を指した方向には、煙がもくもくと勢い良く立ち上っている。場所は特定出来ないものの、発生源はそう遠くもない場所だろう。


「野焼きじゃねーの?」


 レーメは目を凝らして必死に煙を見つめながら、ティオの発言に首を傾げた。


「火事……だよね?」

「え? 火事?!」


 火事と想像していなかったティオは目を見開いて煙を凝視する。


 そして、深く考え込んでいたアーブが静かに呟いた一言によって、それ以上の衝撃がティオを襲うことになる。


「もしかして……あの場所は、ノストではありませんか?!」

「う、嘘だろ……?! マジかよ?!」


 ティオは吐き捨てるように呟くと、何も考えずに一目散にノストの方角に向かって走り出した。


「ティオ!!!」


 レーメが慌てて声を掛けて引き止めようとするが、彼は振り向きもせずに突っ走ってしまった。

 アーブは目の前の焚火に水を掛けて消すと、簡単な荷物を背負いあげる。


「レーメさん、フードを被ってください。ティオ君を追いましょう! トラブルに巻き込まれる前に止めなければ……!」

「……うん!」


 何だかんだ言って、ティオは生まれ故郷のことが気になって仕方がないのだろう。故郷に思い入れのないレーメは直情的な少年を羨ましく思いながら、深刻な表情を見せる吟遊詩人へと頷く。

 そして、背中にあるフードに手を掛けて深く被った。

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