四朝四夜:妖精のいない国~1~

 街の入り口から場所を移した三人は、草の上に思い思いの形で腰を落ち着けた。


 街の入り口からおよそ十分ほど徒歩で歩いたこの場所からは、街の様子を見ることは出来ない。反対に街からも三人の姿を確かめる事は出来ないだろう。


 ティオは胡座をかいて、レーメは正座した足に手を乗せて身を乗り出すように、そしてアーブは足を崩していながらも少し行儀良く見えるように、それぞれ地面に座る。


 人がよさそうだが出会ったばかりの吟遊詩人を僅かに警戒して、レーメはいまだフードを被ったままだ。


 街から離れるまでどこか不安そうな雰囲気を漂わせていたアーブは、周囲を見回したあと胸を撫でおろし、話を始めた。


「『妖精の歌』は世界中で知られている歌です。……と、今まで思っていたのですが、お二人は知らなかったようですので、認識を改めることにします」

「他の街では知られている歌なのか?」

「そうですね、他の国では……。少なくともこの国のエスタでは、知られていました」

「エスタ? 東にある街?」

「そうです。お二人の出身地はどちらでしょうか?」

「オレはさっきの……今追っ払われてきたばっかりの街。ノストだ」

「私はウェリア」

「ウェリアは西の街でしたね?」


 出身地を聞かれ不機嫌な様子隠せずにいる少年と、問いに対し無言で頷く少女。彼らを順にみとめ、アーブは懐から紙を取り出す。


「南でも『妖精の歌』は知られていたようなのですが……」


 二人にも見えるように広げられたそれを、彼らは同時にのぞき込む。危うくティオと頭がぶつかりそうになり、レーメは慌てて少し距離をとった。


 紙の内容はレーメも見慣れている地形、この国の全域地図だ。

 吟遊詩人は指先を南の王都に落としたあと、続けて東のエスタ、そして二人の出身地と順番になぞってみせる。


「西と北では、妖精の認知度が低いのでしょうか……?」


 図書館で必死に本を読み漁ったレーメでも読めない文字が地図に書き込まれている。恐らく持ち主が書き込んだであろうその文字から、旅の吟遊詩人が言葉通りにこの国の者ではないことが窺える。


 アーブがどこからやってきたのか、出身地のことが気になりながらも、ほかにも聞きたいことはある。

 レーメが話を遮らずにそのままアーブの話を聞くことにしようと考えていると、ティオが妖精についての話を続けた。


「なあ、アーブ。『妖精の歌』って結局どんな歌なんだ? それに妖精って?」

「そうですね……。妖精の説明の前に、まずは歌いましょう」


 吟遊詩人は姿勢を正すと、優しくも哀愁を秘めた声音で歌い始めた。


――始まりを告げる 妖精の奏

  暁の元から 橋を渡し

  集めた思い 世界に運ぶ


  こぼれた種は 朝露と共に

  地に溶け込み 命芽吹く

  芽吹いた葉より 一滴

  仄かな願いが 零れ落ちる


  溢れた雫は 希望を宿し

  泉となりて 潤いもたらす


  穏やかな太陽は 数多の生命を

  包み込み 照らし見守る――


 歌い始めた直後から、観客たちが何か言いたそうな様子で吟遊詩人に視線を投げかけている。

 二人の様子に気づいたアーブは優しく微笑み、切りの良いところで歌を中断した。


「ひとまずは、このような歌です」

「……暁」

「はい。『暁の元から橋を渡し』の一文が、暁を嫌う村人の反感を買ったのでしょうね」


 そして二人が歌の途中で落ち着きのない様子をみせていた理由でもある。


「でも一言しかないじゃないか。これくらいであんな怒ることねーだろ、あいつら」


 村人への不満を口にするティオの横で、フードを抑えたレーメが首を縦に何度も頷く。


「この歌は『暁』に関係ある?」

「お二人やノストの方々の言う『暁』とは、『暁の丘』に関連することでしょうか?」


 吟遊詩人の問いかけに、レーメは幼いころに黄昏の彼から聞いた話を思い浮かべた。


「様々な植物が咲き、動物たちが生息していた東の美しい丘。その丘が、一夜にして真っ赤に染まり、すべての植物が枯れてしまった……と言う」

「それ」


 レーメが過去に聞いた話と一致している。その言い伝えこそが、彼女が『暁の娘』と呼ばれ忌諱されている要因だ。


 レーメが頷くと、アーブはほんのわずかな間悲愴な面持ちを見せた。しかしすぐに眉を顰めて考える素振りを見せたと思うと、吟遊詩人は再び口を開いた。


「……推測でしかありませんが、『暁の丘』と『妖精の歌』の二つは、直接的には関係はないと思います」

「なんでだ?」

「古さの質が異なるからです。『妖精の歌』は世界創生の歌、とも言われています。妖精が世界の始まりを歌い、平穏を祈って眠る。いつの頃から歌われていたかわからないほど、昔から様々な地域で歌われている。こちらは伝承です」


 右手の人差し指を立てて語るアーブは、「一方」と口にした後、中指も加えてブイサインを作ってみせた。


「『暁の丘』の話が広まり始めたのは、昔話にしてはそう古くはないようです」


「もちろんお二人にとっては昔、と言うことになりますが」そう付け加える。


「私にとっては、今回この国に訪れてから初めて耳にした用語です。おそらくここ十、二十年のお話かもしれませんね。歴史や伝承にしては新しい分類に入るでしょう」


 アーブの言葉に衝撃を受けたレーメは目を見張った。彼女は『暁の丘』は昔から語られている話だと思っていた。それが、自分が産まれるより何年か前か、もしかしたら物心ついていなかった頃の話かもしれない、と言うのだ。

 同時に腑に落ちたレーメは、ティオに視線を向けて問いかけた。


「ゴルダが『暁』を嫌っていなかったのは、だから?」

「あ? なんでだ?」

「ゴルダが若いころになかった話、だったから……?」

「ノストにジジババは沢山いるけど、そいつらは俺のジジイみたいな感じじゃねえよ。ジジイは……なんっつーんだろ。特別思い入れがあるみたいだったな」


 両親の代わりに幼いころから自分を育ててくれたゴルダの扱いが、ノストでは悪いことをティオは知っている。

 そのことを思い出し不満を感じたのだろう。ティオは不貞腐れた表情を見せ、小さな声音で呟いた。


「俺と同じで、ノストじゃジジイみたいなのは変わり者なんだよ」


 ティオの呟きが聞こえなかったレーメは、ゴルダの話題を出したことで不機嫌になった彼の様子に対し首を傾げることしかできない。


 心配したレーメがフードを被りながらもティオの顔を覗き込もうとする。

 思いかけず彼女と目のあった彼は感情を隠すように慌てて目をそらし、嫌悪感を振り払い気を取り直すように首を横に激しく振った。


「そ、そもそも妖精ってなんだ?」


「言い方は悪いですけれども」と前置きしたアーブだが、言葉とは裏腹に悪びれた様子を見せていない。代わりにどこか悪戯っぽさを秘めた表情で、口元に人差し指を当てて語る。


「世界を循環させる歯車……のような存在ですね」

「循環?」

「世界に居なくてはならない存在、と思って頂ければ良いと思います。水を運び、光を照らし、命を運ぶ……」

「水を運んだりする……? 要素を動かす精霊とは、違う?」

「そういえば精霊の話、レーメに聞いたばっかりだったな」

「精霊と妖精は別の存在です。私たちが魔法を使うときに手助けしてくださる精霊は、水や火など要素を司る存在です。妖精はそんな精霊たちを導き……管理しています」

「ふーん?」


 レーメは妖精のことは知らなかった。ティオは彼女以上に、精霊のこともよく理解しいない。話を逸らすために聞いたこともあってか、彼は聞かなければよかったと言う気持ちを表情に出して、眉間に皺を寄せている。


「そうですね……」


 そんなティオの様子に、アーブはどう説明したらいいものかと悩む様子を見せた。


「要素が悪いように使われないように管理をするのが妖精、と考えて頂けると良いかと思います」

「例えば魔法で火事とかに悪用されないように、ってことか?」

「あまり細かいところまでは管理していないのでしょうけれども、例えとしてはそうですね」


「正解」と言うようにアーブは親指と人差し指で丸を描いて見せる。


「妖精と言うのは、人間に対してそうした役割を与えられた存在です。ですから、私たちと変わらない姿をしています。それが、妖精と精霊の一番の違いです。いくつかの国では、妖精は神子とも呼ばれ神聖視されています」

「へー、でも妖精とか神子とか、聞いたことねえな」

「うん」

「……そう、ですか」


 揃って首を傾げる子どもたちに、アーブは頬に手を添えて困惑した表情をみせて軽く溜め息をつく。


「実は私は、各地の妖精のお話を調べて歌にしようとしているのです」

「さっきの歌じゃなくて、新しいやつを?」

「ええ……。けれどもこの様子ですと、西のほうへ向かっても収穫は少なそうですね……」


 気落ちした様子のアーブとは正反対に、ティオは思い出したかのように突然身を乗り出して畳みかけるように質問を重ね始めた。


「西、か。なあ、アーブって東のエスタのほうから来たんだろ? そこでも『妖精の歌』って歌ったのか? 街のやつの反応ってどうだったんだ?」

「反応ですか? そうですね……悲しいくらいに何もありませんでした……あはは……」

「じゃあさ、そこでは暁について何か言うやつはいなかったのか?!『暁の丘』って東にあるんだろ?」

「え、ええ、そうですね」

「じゃあエスタの人が……『暁』をどう思っていたか知ってるのか?!」


 突然向けられた真剣な表情に、アーブは少し戸惑いを見せる。どう伝えたら良いかを吟味しているようでもあった。


 そんな二人の会話を聞いたレーメは、フードに手をかけて更に深く被ろうとした。目を強く閉じて、自分にとって恐ろしい結果が出ないようにと祈る。


「……ごめんなさい。そこまでは分かりません」

「……」

「ちぇ」


 不安を感じていたレーメとは正反対に、ティオは希望に満ちた眼差しでアーブの返答を期待していたが、彼の望むような回答は得られなかった。

 レーメは安心した様子で溜息をつき、ティオは残念そうな表情で軽く舌打ちをするのだった。

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