弐朝壱夜:二人の旅立ち~2~

「ごちそうさま」

「おう!おそまつさんっ!」


 短い沈黙を終え、三人は朝食を食べ終えた。

 ティオは片づけをするため、コップや皿を重ねて運び始める。ゴルダは伝書鳩が届けたばかりの手紙を読み始めた。残されたレーメはと言うと、肩身が狭そうにちょこんと椅子に座っている。

 いつ出発の話を切り出そうかとレーメが悩んでいると、手紙の文字に目を近づけて読んでいたゴルダが口を開いた。


「ティオ、お前片付けよりも準備は終わっておるか?」

「ん?ああ。旅の支度なら昨日寝る前にしたから大丈夫だよ」

「大丈夫じゃと?それなら質問だ。ティオの手帳誰が持ってるか知っとるか?」

「手帳?」


 流し台に食器を置いてから振り向いたティオは怪訝な表情をしていた。手帳とは何を指しているのだろうか、そんな雰囲気が感じられる。彼は頭を捻って思い出そうとしているが、出てくる記憶は何もなかった。そんな彼の様子を、ゴルダは不敵な微笑みを浮かべながら見つめている。レーメは二人の様子を他人事のように見守っていた。


「手帳って何だよ?」


 思いつかずに諦めたティオは、文句を言いながら片づけを再開し始める。その呟きはレーメに届き、彼女はおもむろに自分の鞄を漁り始めた。レーメには手帳と言われるものに心当たりがあるのだ。彼女は目当ての物を見つけると、二人に見せるために顔の高さまで持ってきた。


「手帳って……成人手帳のこと?」


 レーメが二人に見せたのは、赤い表紙の手帳だった。彼女は手帳を持っていないもう片方の手で、それを指し示す。


「それじゃよ」


 手帳を見てゴルダはゆっくりと二度程頷いた。洗い物に取りかかり始めていたティオだが、二人の声に反応し慌てて振り向く。


「え?!何?!どれ??」

「これ」


 レーメはティオに手帳を差し出して見せた。それを受け取った彼はまじまじと手帳の表紙を凝視し、そこに書かれた文字を読み上げる。


「成人手帳?」

「うん。成人手帳」

「何だそれ?」

「……」


 新たな問い掛けに対し、レーメは無表情のまま何も返事をしない。それにしてはあまりにも静かだと思ったティオがゴルダの方を振り向くと、彼もまた呆れた表情で孫を見つめている。


(え?何だよこの空気感?!)


 呆れ返った視線を二人から浴び、ティオは顔を引きつらせながらも手帳のページを捲った。

 そこにはレーメの名前、性別、住所などの個人情報が記載されている。


「……あ?」


 レーメの実家がウェリアの孤児院となっているのを目に留め、反射的に彼女の顔を凝視してしまうティオ。レーメが孤児院で育ったなどとは想像もしていなかったのだ。


「……何?」

「あ、……いや。なんでもねーよ」


 何か可笑しな項目でも見つけたのだろうか?そう考えたレーメが訝しげな表情を向けるが、彼は僅かに気難しそうな表情を見せたと思うと、曖昧な言葉を返し再びそのページに向き直る。

 しかし、そのページからはそれ以上の情報は得られそうにない。


「なんだ、ただの手帳か?」


 たったの一ページしか見ていないティオは、期待外れとでも言うような口調で呟く。


「馬鹿者。もう一つページを捲ってみんかい」


 ゴルダに突っ込みを入れられて、もう一つページを捲る。するとそこには四つの長方形が描かれており、その内の一つの長方形に朱色のスタンプが押されていた。スタンプには≪ウェリア≫と書かれている。


「ん?≪ウェリア≫のスタンプか?≪ウェリア≫ってレーメの住んでた街じゃん」


 思ったことをそのまま口に出して言うティオに対して、レーメは無言で頷いた。


「この手帳がどうしたっていう……んだ……あ!!!」


 何ページか捲ったティオが見つけたのは、『≪成人の儀≫スタンプラリー』と言う見出しが付けられたページ。そこには注意事項が記載されており、≪成人の儀≫に出る際にはこの手帳を必ず所持するようにと書かれている。各街に置かれている役所にこの手帳を持っていき、そこでスタンプを押してもらう。その印こそが、各地を旅をした証拠になるのだ。


「なんだこれ、≪成人の儀≫で必要な手帳なのか」


 謎が解けた事により満足感を得たティオは、手帳をレーメに返した。そして何事もなかったかのように、洗い物を再開しに戻ろうとする……が。


「ちょっとまてーーい!!!!」

「ぐぇっ?!」


 彼は突然立ち上がったゴルダによって、逃がさないとばかりに襟を掴まれてしまう。不意をつかれたティオは喉が襟で圧迫されて苦しくなってしまい、何かが潰れたかのような鈍い声をあげる。


「ゲホ……おい……ジジイ……」

「いやぁ……すまんすまん。ハハハ」


 ゴルダはすぐに手を離したものの、ティオは咳き込みながら彼を恨めしそうに睨み付けた。


「ティオよ、お前の成人手帳はどこにあると思っているんじゃ?」

「は?そう言えば……オレ持ってねーや。……そもそもオレの成人手帳ってあんの?」

「子供はみんな手帳を持っているはず。持ってなかったら親が管理してるかも」


 受け取った手帳を手荷物に戻し終えたレーメが淡々と呟く。


「レーメの手帳は誰が持ってたんだよ?」

「小さい頃に貰ってから、ずっと私が持っていた」

「じゃあオレのは?」


 レーメが「そんなの知らない」と言わんばかりの視線をティオに向けると、彼はゴルダの顔を見つめた。レーメも彼の視線を追う。

 ゴルダに視線が集まると、彼は不敵な微笑みを浮かべて懐のポケットへ手を入れ、何かを取り出す素振りを見せる。……しかし、その手をすぐには出そうとはしない。勿体ぶっているのである。

 ゴルダは手を小刻みに振るわせ、少しずつ懐から手を取りだしていった。目が飛び出ても不思議ではない程彼の手元を凝視しているティオとは正反対に、レーメは落ち着いた表情で二人の様子を交互に見守っている。彼女には、彼らの仕草が芸人と客人そのものに見えている。言葉にはしないが、レーメはティオの表情が面白くて内心可笑しくて仕方が無いと思った。


「じゃじゃーん!!!」


 二人の様子を窺う彼女の口元が仄かに緩んだのを認めたのだろうか。ついにゴルダが年齢に合わないお茶目なかけ声と共に懐から取り出したものは、青い手帳だった。


「馬鹿息子からお前を引き取ったときからずっと儂が持っていたわい!」


 レーメは意味もなくゴルダに向かって小さく拍手をした。それは芸人に対し賞賛の拍手を送っている様でもある。

 ゴルダの謎の演出によっておあずけを喰らっていたティオは、青い手帳に向かって犬のように飛びついた。昨日の怪我と腰痛が落ち着いたのか、ゴルダもその手帳を取られんとばかりに手を高く伸ばして跳ね上がっている。ティオの反応が面白くてからかっているのだった。


「あれ?これ青いじゃん。レーメの赤かったよな?」

「男女で色が分かれておるのだよ」

「へぇー」


 ティオはやっとのことでゴルダから手帳を受け取り、懐へといそいそと仕舞い込んだ。


「まったく、なんですぐに手帳を渡してくれないんだよ」

「簡単に渡すだけじゃつまらんじゃろう」


「はっはっは」と呑気に笑うゴルダに対し、不機嫌そうに背を向けるティオ。


「ちぇ、なんだよ。オレ片づけに戻るからな」


 そして途中だった片づけを再開しようとするが……。


「……?ティオも≪成人の儀≫に出るの?」


 手帳騒動が一区切り付いた所で、レーメが疑問に思っていた事を口に出した。ティオは歩みかけていた足を止めて彼女と向かい合う。片づけはまた暫くおあずけだ。


「そうだよ。……って言わなかったか?」

「聞いてない」

「ん、そうかー。じゃあ、ちゃんと言おう。オレも≪成人の儀≫に出ることにしたんだ」

「……」


 予想外の言葉に対し、レーメは僅かに目を見開いたが、すぐにティオから視線を逸らしてしまう。


「……ふーん」

「……ふーん……じゃないだろっ!お前と一緒にだぞ!」


 一見他人事と言わんばかりに興味を示す様子なく淡々と答える彼女に、ティオが思わず大声で突っ込みを入れる。ふと、怒鳴ったと思われてはいないだろうか?と思い直ぐに我に返ると、ゴルダの反応を気にして彼を一瞥する。すると、ゴルダは関係ないと言わんばかりに読みかけの手紙を手にしていた。


「昨日の話忘れたのか?!」と言い出しそうになるのを堪えたティオは髪の毛を触り、気難しそうな表情を浮かべてレーメの様子を窺う。

 ゴルダがティオにレーメとの旅を勧めた昨日の出来事を、彼女は忘れてはいない。

 彼女は寧ろ、「ティオは昨日の話を忘れているに決まっている」と思い込んでいた。いや、そう思いたかったのだ。そうすれば何事もなかったかの様に、これまでと似て、けれど非なる日常に落ち着くからだ。けれども、それはレーメの成長には繋がらない。変わりたいと思う彼女の願いすら叶わなくなってしまう。


「……誰が?」


 レーメは首を傾げてティオに問い掛ける。その問い掛けに対し彼がどのような応えを返すのか、彼女は昨日のゴルダの会話から回答を予測していた。にも関わらず、それを聞かずにはいられないでいる。何故ならば、彼自身の口から答えを聞いていないからだ。

 彼女と共に旅をする事を、ティオは心から望んでいるのだろうか。


「オレが」


 恐る恐る、しかし自らの心境を悟られまいと努めながら言葉を紡いだレーメに、左手の人差し指を自らの顔面に向けて答えるティオ。彼の手は小刻みに震えている。彼女に旅の同行を断られる可能性を考え、緊張しているのだ。言葉は慎重に選ばなければならないが、日頃から言いたい事を言葉にしてしまう性分の彼には、若干荷が重い試練だろう。

 そんな彼の心境などレーメが知る由も無く、今度は反対側に首を傾げてもう一度問いかける。


「誰と?」


 まるで勝負事の駆け引きをしているかのように、互いが互いの思いを読み取ろうと、頭の中から必死にその為の言葉を引っ張り出そうとする。


「お前と」


 ティオが先程とは逆の手の人差し指をレーメの顔面に向けて答えた。右手も同様に震えている。更なる緊張からか、ティオの額からは次第に汗が滲み出てきていた。

 指差された彼女は僅かな間、驚愕を示すように目を見開たが、すぐに元の表情に戻る。指差しされた事でネクトを思い出していたのだ。


(私は……また逃げるの?)


「これからも人から逃げ続けるのか?」別れる前のネクトの言葉がレーメの胸に突き刺さる。自分はこの先どうして行けばいいのか?それを考えると恐くて仕方がない。ただ前に進めば良いとだけ思っていた彼女は、今まさに選択を求められている。


「お前って、誰?」

「……レ、レーメの事だよ」


 レーメの眼差しに気圧され、ティオは口篭ってしまう。

 名前を呼ばれた彼女は僅かな間瞼を閉じ、何も言わずに黙ってしまった。その表情はどこか戸惑っているようにも見える。


「……」


 それ以上の問い掛けが続く事なく単刀直入な会話が終了すると、部屋には静寂が訪れてしまった。時折ゴルダが数枚しかない手紙を無意味に捲っては、沈黙が支配しかけた空間内の空気を循環させる。二人の間に流れる空気を察してか、ゴルダは昨日に引き続き今日も雑音を演出するのを忘れない。そんなゴルダの些細な気遣いなど、二人が気付くはずもなく、ティオにいたっては冷や汗が出ている程余裕がなかった。


「……」

「ダメか?」


 ゴルダが頁を捲った回数が何回目に達した時だろうか。答えを示さないレーメに、気を揉んだティオが再び問いかけた。


「……ダメじゃ……ない」


 彼女は閉じかけていた瞼を開いて答える。彼女の歯切れが少し悪かったのが気になったが、回答を得た事により安心感を得た彼は、海底よりも深みを持たせた長い溜息をつき額に滲む汗を服の袖で拭う。


 ティオにとってレーメとの旅路は、つき合い方での先行きに不安が残るだろう。しかし、昨日彼らが対峙した魔物との戦いを見る限りは、心強くも感じてもいる。

 遅かれ早かれ、ティオは≪成人の儀≫に出なければならない。その時、万が一不幸な事故が発生した際、周囲に親しい者が居る事ほど心強い事はないだろう。

 彼は彼女と知り合ったばかりだが、魔法を交えた戦いについては、人並みに信頼を置いても問題はないだろうと感じている。≪暁≫を解き明かす意味以外にも、ティオは彼女を頼れるパートナーとして選択した。

 何よりも、ぶっきらぼうに話すレーメだが、話が合わない事はないとティオは感じていた。人を突き放すような口調だが、相手が傷ついてしまわないよう、そして自分が傷つかないように、言葉少なに振る舞っているように受け取れる。彼女の言葉の見えづらい所に優しさや気遣い、繊細さや人恋しさが潜んでいる事に彼は気付いたのだ。


 対してレーメは自らが下した判断に戸惑っていた。ティオに対して告げた言葉を思い返しては俯きそうになりながらも、早まる鼓動を落ち着けて冷静になろうとしている。

「逃げずに進む道を選ぼう」と、旅立つ日に決意したことを忘れた訳ではなかったが、どうしても躊躇してしまう。決心しても、この先何度も迷うかもしれない。けれども、心から変わりたいと思っていたことを放棄する訳にはいかなかった。


「よし!じゃあ片すから待っててくれよな!」


 長い溜息を終えたティオが、腕を巻くって微笑んだ。思考の世界に飲まれかけていたレーメは、彼の声に我に返り、顔を上げる。


「……う、うん」


 再び洗い物に戻るティオを見送ったレーメは窓硝子から外の様子を伺った。起きたときと変わらず、気持ちの良い朝日が射し込んでいる。時折鳥が窓の前を羽ばたいていく姿も見えた。

 彼女の心境は外の光景に程遠いのかもしれない。レーメの歩幅は小さく、道程も長いだろう。

 しかし、そこへ向かう為に一歩ずつ前に進んでいるのだ。

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