多数決教室

石嶺 経

Day 1

浦見深夜

「それでは、先日の伊佐間君の虐めの件について、決を採ります。伊佐間君を虐めたのが天崎君だと思う人は手を挙げてください」


 壇上で担任である笹木が呼び掛けると、クラスのほぼ全員が静かに手を挙げる。一人挙げていないのは誰あろう天崎本人である。こうなると分かっていただろうに、無駄な足掻きだ。


「……ふざけんなよ!!」


 天崎が勢い良く立ち上がり、椅子が後ろの席にぶつかる。甲高い金属音が教室に響き渡るが、それに負けじと天崎も声を張る。


 弱い犬ほどなんとやら、だ。


「知らねえっつうの、そんな奴! 伊佐間だぁ? このクラスにそんな名前のやつ居たか!? 大体、俺、学校にもそんな来てねえからよ!! どうやって虐めんだよ! ええ!?」


 ああ、煩い煩い。どうしてそう騒ぎ立てるのかね。皆で決めた事だというのに。それに虐めの主犯扱いなど、大した事でもないだろう。これからの学校生活で、更に酷い目に遭うのだから。それとも、そんな事も分からないと言うのか?


「何で俺よ! 出席番号が一番だからか!? 自分が当たりたくないから、手頃なところで済ませたのか!」


「少し、静かにしましょうか」


 尚も騒ぎ立てる天崎を、笹木が制す。この人はいつも静かな微笑みを湛えてはいるものの、目の奥が笑っていない。何というか、生物としての温度を感じないような無機質な表情である。この僕をして、要注意と判断せざるを得ない。


 勿論、吠える事しか能の無い天崎では、この人には逆らえない。


「そうですね。誤解が合ったようなので訂正しておきましょう。はい、浦見君」


 お、ご指名か。天崎は笹木に指差された僕を睨みつけるが、悪いのは僕じゃないだろうに。しかし、このタイミングでの指名は予想外だった。何を聞かれるんだろうか。


「何ですか」


「貴方は何で天崎君が虐めたんだと思いますか?」


 なんだ、そんなことか。


「素行が悪く、クラスの和を乱していたように思います。犯人にはふさわしいかと」


 これは僕だけじゃない。皆の心中にも厳然たる事実として深く刻まれている事だ。僕じゃなく、他の誰かを指していたとしても同じ事を言ったに違いない。だから、僕は悪くない。


「という事です。天崎君は反省文を提出。そのあとで伊佐間君の家を訪ねて謝罪してください。その後の処分は追って伝えます」


 天崎は魂が抜けたかと思うぐらい、がっくりと項垂れている。天崎の取り巻きも手を挙げていたことに気付いたか? 話も聞こえてんだか、聞こえてないんだか。

 まあ、これにて一件落着という事だ。早く家に帰って眠りたい。身長百八十越えを目指す僕としては睡眠をたっぷり取っておきたいものだ。高校生というラストチャンスに賭けているのに、こんな下らない事に時間を奪われては溜まったものではない。天崎君(笑)も、もう少し利口になるか、然もなければ、伊佐間の様に学校に来なければ良いのに。僕みたいな善良な市民にとって害悪でしかないのだから。


「では解散です。お疲れ様でした」


 言って、笹木はいち早く教室から出て行ってしまう。終わった事には興味が無いといった様相だ。黄金の自由になぞらえて例えるならば、統治すれども関知せずと言ったところだろうか。全く、そうでなければいけない。


 思えば前担任の須磨は最悪だった。教室で、校外で、悪行を続ける連中に対して、対策を講じる事をしていなかった。担任としての責務を何ら果たしていなかった。怠慢も良いところだ。結果、天崎を中心とする悪童を野放しにし、学校には批判の電話が殺到した、らしい。内容までは知らない。結局、学校側は、学期半ばで担任を交代するという異例の措置を取る事となった。須磨には人の上に立つ資格が無かったという事に他ならない。


 笹木の居なくなった教室では、クラスメイト達が「一緒に帰ろう」「やっべぇ、部活遅れる」などと好き勝手に喋り始める。健全でよろしい事だが、僕はそれに与する事はない。やるべき事は、幾らでもある。


 それにしても、あんなにつまらない事ばかり喋って、死にたくならないのかね?


 僕は鞄を肩に掛けて、廊下に出る。締め切った教室と違い、外からの風が心地良い。窓から見える校庭の木々が色づき始めている。こういった風情を感じることが、あいつ等に有るのだろうか? 多数決には賛成しているみたいだが、どうもそこまでの能力が有るように思えない。所詮そこまでの奴等ということだろう。僕辺りから見れば、どいつもこいつも愚鈍そうで、だからこそ人生を謳歌していそうだ。


 廊下を突き当り、階段に差し掛かる。

 僕は一段一段踏み締めながら考える。

 この一つ一つが人間社会だ。僕らの教室で言うなら、頂点が笹木。二段、三段落ちるここが、僕だろう。さらに下がった踊り場、ここがその他大勢のクラスメイトだ。尚も階段を降りると、直ぐに一階、生徒玄関に出る。僕らの教室は二階なのだ。玄関へと歩を進めるその時、階段の最後の一段に埃が溜まっているのが見えた。


 伊佐間や天崎はあそこだ。ルールに逆らうゴミ。吹き溜まり。そいつらが行きつく先こそがそこなのだ。せめて愚鈍であれば良いのに。態々逆らって弾き出されることもないだろう。本当に馬鹿で哀れな連中だ。


 これから先の投票でも、あいつら二人のどちらかが当選し続けることは既に決まった様なものだ。虐められた、投票された、と分かり易いレッテルが、あいつらには貼られてしまったからな。これから先なにをしようと、それが覆ることはないだろう。可能性があるとしたら、そうだな、こんな投票はおかしい、辞めるべきだ、と騒ぎ立てる反骨の男が現れるとか? 


 上履きからスニーカーに履き替え、玄関を後にする。


「ふっ」


 自分の有り得ない妄想に思わず鼻で笑ってしまったが、軋む扉が掻き消してくれる。僕以外には聞こえなかっただろう。

 そう、起こり得ない。そんなことをしたら、投票されてしまうだけだ。そんなリスクを負ってまで反旗を翻す必要などない。多数派に追従してさえいれば安全で健全な学校生活を送れるのだ。そんな簡単な計算も出来ない奴は愚鈍ですらない。白痴と言って差し支えないだろう。いくらなんでも、そこまでの阿呆はクラスに居ないと信じたい。


 でも、なあ。どうだろう?

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