コップの中の漣
和史
コップの中の漣
ガムテープで口と鼻を塞いだ冴えない
目を閉じ、手をかざし、それに念を送る。手をこねる様に揺ら揺ら動かすと、次に目をカッと見開き、手からありったけの波動を送った。
するとどうだろう、何も触れていなはずのコップの水面が一瞬だが細かに揺れ、また何もなかったかのように水平に戻った。ドヤ顔で観客席に手を広げるが、何時もの様に
それもそのはず、観客はただ椅子に座っている老人と、子供におやつをあげながら買い物の間に休憩している主婦、掃除のおばちゃんぐらいなもので、誰一人として
いつものことだとドヤ顔を愛想笑いに変え、口元をヒリヒリさせながら舞台裏へと引っ込む。
手先の技が格段に素晴らしいわけでもなく、奇抜なトリックを考えつけるわけでもなく、派手で大掛かりな
男は今日の仕事を終え、薄い給料袋を受け取る度に、心折れそうになる。しかしその都度、ユニークで優しい妻がかけてくれる言葉を思い出し、道具が入っている重い鞄を持ち上げられた。
いい?
あなたの唯一できる
男が楽屋裏から出て行こうとすると、先ほどの親子連れが扉の前で待っていた。男の子は駆け寄ってくると、
「ねぇっ! さっきの魔法使いさんだよね? 僕にも魔法を教えて!」
小学生の男の子は目を輝かせてそう言った。
「あぁ、ボウルが浮く
「違うよ! ボウルが浮く
「そ……そうなんだ……」
男はハハハと苦笑いを母親に返す。母親も同じく苦笑いを男に返した。
「そうじゃなくて、最後の! 最後のコップの水を動かす魔法!」
男は一瞬驚いた顔になったが、優しく
「分かった! 約束は絶対守る! 僕がんばるよ!」
男の子は目を大きく見開き、男を見上げるとそう言って母親の元へ戻って行った。
男は軽く手を振り、満足げに親子を見送った。
いい?
あなたの唯一できる
たとえ小さなことかもしれないけど、あなた、それが本物だって見破ったんでしょ?
しかも今はそれと同じことがあなたもできちゃうんだから!
つまりそれはすごい事なんだから!
誰が何と言おうとも、誇りを持って
誰かの心のコップの中に小さな漣をおこせた日は、帰り道の足取りが軽い。
コップの中の漣 和史 @-5c
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