第30話 電鋼鉄火作戦(17)
Stiyl Art 1994年8月2日 7時00分53秒 魔天
強烈な耳の奥の痛みに襲われ、全身がバネのように飛び跳ねた。きっとこの様子を隣から見ていたなら、その間抜けさに笑わずにはいられまい。
「おはよう」
「……!?」
痛みに慣れ始め、ぼやけていた視界がだんだんと正しく情報を処理し始めた。俺は安っぽいベッドの薄い布団に腰掛けていて、右隣のベッドにはアザトスが仰向けになって眠っていた。今聞こえた声は彼のものじゃない。
「そんだけ動けるならもう平気だな」
……今日はこの男とよく会う。またしてもジュランだ。部屋が暗くて、アザトスのベッドの隣に立っていることに全く気づかなかった。その顔を認識した途端に、さっきまで眠っていた怒りに再び着火したのを感じた。今にお前がミレニアンのスパイだと暴いてやる。と、意気込んだところに、彼の口から予想外の言葉が飛び出した。
「疑って悪かった」
「……あ?」
「いや、だから……あんたがミレニアンじゃないことは、バルギルとの闘いで証明されただろ。それにあんたはアザトスを助けてくれた。学生時代のことを許した訳じゃないが……ありがとう」
呆気にとられて返事をすることさえ出来なかった。これまでずっとジュランに疑いの目を向け、奴の本性を暴くことを目的に動いてきた。死の危険など省みなかった。だのにこの男は、俺を殺そうと企んでいた筈のこの男が、なぜ俺に謝罪などするのだ。
「ミレニアンは……お前じゃない……?」
「バカを言うな!」
立ち上がって憤怒を露わにするジュランの姿に、俺は思わずビクリと跳ね上がりそうになった。ジュランは続けて、しかし静かに声を張った。
「俺を疑う要素がどこにあった? いや、尋問のことはまあ、俺も冷静じゃあなかったけどな……」
「騎士団の中で俺を殺したい奴なんてお前しかいないだろう?」
「殺すほど憎んでない!」
「殺すとか言ってただろう!」
「殺さないように急所外すって言わなかったっけ?」
(なんて白々しい奴だ! 殴ってやりたい!)
「と、とにかく! もう超獣も騎士団のスパイもまとめて始末されたんだ! 俺もあんたを疑わないし、あんたも俺を疑うのをやめてくれ! な?」
「そう言われても……そもそもここはどこだ? さっきから滅茶苦茶耳が痛いんだ。まるで宇宙船に乗ったみたいだ」
「惜しいな。俺たちが乗ってる『ノーチラス』は、たった今ユリアン海溝にたどり着いたところだ」
「ユリアン海溝……」
なんてことだ、宇宙どころか潜水艦で海の底まで連れてこられてしまったではないか。俺が真っ先に思いついたのは、俺の足に適当な重石を縛り付けて海の底に置き去りにするという気の利いた処刑方をしてくれるなら、仮にも指名手配犯のアシュレイたちに手を貸した俺にはピッタリだ。
「あんたに見てもらいたいものがある」
目的を聞く前にジュランが立ち上がった。まだ疑念が完全に払拭された訳ではないが、魔法を使えば海底からでも逃げ出せるだろうと、極端に尊大な自信を抱いて俺は彼の後を追った。医務室を抜け、照明はあるが妙に薄暗く狭い通路を通り、見るからに頑強なブラストドアをくぐると、司令室らしき場所にたどり着いた。中では数人の騎士がモニターを眺めていた。
「ロキシー閣下」
騎士の一人に、ジュランが敬礼をした。彼と向かい合っているのは、桃色の長い髪がよく目立つ若い女……この女騎士がロキシー・ローウェン騎士団長。初めて顔を見たが、下手をすると俺と同年代かと思うほど若々しい風貌だった。
「ご苦労。みんな一度席を外してちょうだい、ここからは私が説明責任を果たすわ」
「しかし……」
「ジュラン、命令よ。各員しっかり休みなさい」
「……はっ!」
一同一斉に敬礼し、次々に部屋をあとにした。よく見れば大して広くない司令室に俺とロキシーだけが取り残される。
「初めまして。私はロキシー。知っての通り、騎士団の長よ」
「……スティル・アートです。清掃員です」
文句の一つでも言ってやるつもりが、ロキシーと正面から向き合ったとき、その妖艶なオーラに抑圧され、思わず敬語で話してしまう。
「さて早速だけれど……聞きたいことが山ほどあるでしょう?」
「ええ、まあ」
どこから聞いたものかと悩みだす前から、ロキシーはまるで全て分かっているかのように含み笑いした。
「そうね……じゃあ、一番ストレートで分かりやすいところからね。あの超獣……深海超獣バルギルと名付けられた化け物について」
「ミレニアンとかいう連中の生物兵器だとか言ってたな」
「ええ。私たちは秘密裏に異次元からの侵略者、ミレニアンと闘っていたわ。けど、これまでは空をガラスのように割って出現した超獣が、今回は海から出現した。元老院に首を突っ込んで空の防衛体制を整えさせた途端にこのざまよ。おかげで元老院の手が回ったマスコミから一斉にバッシングされて心が痛かったわ。まあ事実、シールドを張り巡らす衛星に備え付けた監視システムも、キングスポートから定期的に飛ばしてるメンテナンスシップも、ぜーんぶ無駄になっちゃった訳だしね。税金泥棒だのなんだのと言われるのも当然ね」
まるで気にしていないかのような口調と素振りだった。一々妖しい笑いを織り交ぜるせいで、余計に胡散臭さを増している。
「超獣を見つけたのは元老院の傘下にある海洋研究所『アクアティカ』の調査艇。このユリアン海溝に差し掛かった瞬間に、調査艇のセンサーが不自然なCs'Wを探知したの」
「Cs’Wだと?」
「超獣の放つCs'Wよ」
「超獣がCs'Wを!? バカな!! 魔核を持っているのは人間だけ……」
ここまで言ってロキシーが言わんとしている“真実”に感づき、戦慄した。俺の脳が必死に否定するが、ロキシーの口は余りにも容易く、抵抗するだけ無駄だと告げるかのように……
「超獣は“ヒト”を素体として作る生物兵器よ。全く趣味の悪い話だけど、粗末なCs'W探知機に引っかかってくれるのは嬉しい誤算ね」
「そんな……」
「バルギルも例外じゃないわ。ただし、あなたが闘ったアレは違うけどね」
最後に付け加えられた一言のせいで首を傾げざるを得なかった。そんな俺を見てロキシーは初めて驚いたような表情を見せた。
「あー……アザトスはそこまで教えなかったのね。良いわ、だったら見てもらった方が早いかもね」
ロキシーがコンソールを操作すると、大型のモニターが現れ、ノイズ混じりの映像を映しだした。真っ黒だった映像に光が射し込み、それが今俺たちのいる海溝の映像だと分かった。
「んー、ちょっと見え辛いわね」
再びコンソールを操作すると、ノイズが段々と少なくなり、水中を舞う砂さえもくっきりと映るようになった。そしてライトの照らし出す先に、何かが動いていることさえも――――
「……なんだ、コイツは!?」
言うなればそれは壁だった。ただし、その壁を構成するのは、無数のバルギルだった。一匹、また一匹と連なり、どこまでも続く肉の壁となっていたのだ。その衝撃的な光景に、俺は吐き気さえ覚えた。自分の目が信じられない。確かにアザトスの話で超獣は何度も出現していると聞いていたが、あれだけ苦労して倒したバルギルが、海の底でまだ眠っているのだ。あまりにも巨大な絶望が、突如として光を遮った。
「追い打ちをかけるようで申し訳ないけど、あなたたちが闘ったバルギルは……本体じゃない」
「……じゃあ、アレはいったい……?」
「言うなれば鱗ね。本体はあの鱗に包まれているわ」
「鱗だと……!? あの一匹でさえ体長四十メートルはあったぞ! ソレが鱗だとしたら本体は……」
「推定で体長二万キロよ。私たちは頭部に近いと予測されている場所にいる。だが安心していいわ。コイツはまだ眠っているのよ」
具体的な数字を示されたところで正確にイメージなど出来るはずがない。もちろんコイツが暴れることによってもたらされる被害も。この化け物の存在が知れ渡るだけで大きな混乱と破壊がもたらされるのは間違いない。いずれにせよ秩序は失われ、人が死ぬ。そして既に引き金が引かれていることは、ロキシーの口から知らされていた。
「海洋研究所が……超獣の存在を知っている……それだけじゃない! 俺たちが倒した個体も隠しきれていないぞ! 正規軍も研究所も元老院の傘下だ! 今に多くの人に知れ渡る!」
「そのために、騎士によるクーデターが必要だった」
「えっ……」
「一連の騒動は私とORBSのメンバーで仕組んだのよ。と言っても、知っているのは私とアザトスの二人なんだけれどね。アクアティカの調査艇が持ち帰ったデータを見たとき、私は腰を抜かしたわ。多分あれが人生で一番焦った瞬間ね。大急ぎで港を封鎖させて、市街へつながる道、情報網さえもシャットアウトし、街そのものを孤島に変えた。無論、研究所もね。私たちの行いはクーデターとして正規軍に伝達された。
ただし、そこまでは予想通り。侵略者の存在が……騎士団の隠蔽が公になることで、元老院はまず間違いなく査察を始める。ヴェルマは自分たちの裏切りが元老院から嗅ぎつかれるリスクに晒された。彼女の率いるミレニアン側の部隊にORBSでもかなり発言力のあるアザトスを送り、敵のリストを洗い出した私たちは、クーデターという名詞を与えられた掃討作戦を開始した。どのみち超獣の存在は隠しきれない。ORBSのメンバーを手中に収めたと勘違いしたヴェルマは私に対する勝ち筋を得たとさえ考えたに違いないわ。だからこそ私に操られているとも知らずに元老院に攻め込んだ。それ即ち、ミレニアン・超獣・元老院の邪魔者全てを一度に葬るトリガー」
裏切ったのはミレニアン、打ち倒したのは騎士。騒動を隠すつもりなど毛頭無かったのだ。いくらでも報道されればいい。騎士という希望の星なら侵略者を打ち倒せる――――かのように、錯覚させるための演出。
「その計画は……あんたとアザトスだけで考えたのか……?」
「そうよ。私が一番信用している部隊の、一番実績のある騎士があなたの義弟さん、アザトス・アッシュクロフト。彼ならヴェルマに信用されやすく、なおかつ超獣との戦闘でも間違いなく活躍する。あわよくば、あのお邪魔虫も……」
「ふざけるな!!」
もう堪えることが出来ない。理解が追いつかないままに激しい怒りだけが一人歩きを始めた。
「お前たちの権力争いの為に、どれだけの人が危険に晒されたと思う!? 民間人だけじゃない。騎士も、元老院議員も、多くの人が何も知らないまま混乱に巻き込まれた!! 俺を助けるために死んだ騎士もいたんだぞ!!」
「公の為に命を捧げるのが騎士の本分でしょう?」
「味方を騙してでもか!? 貴様が権力を手に入れるためなら何だってしていいのか!?」
「より良い未来の為なら……あなたも騎士を目指した頃は、命なんて投げ捨てられると思っていたのじゃなくて?」
衝動的にCs'Wを放ちそうになったが、肝心な操る水が無い。周りを海水に囲まれていることは重々承知していたが、流石に潜水艦の分厚い壁をウォーターカッター程度で破れるわけがないと自分の中で結論づけ、自分の不器用さから来る悔しさのあまり、奥歯を強く噛みしめた。反対に、ロキシーは相変わらず嫌らしい微笑みを見せつけている。
「闇雲に魔法を使わない方が良いわ。あなたが思っている以上にあなたの魔法は強いのよ。まあ私は殺せないけれどね」
「……だったら俺をさっさと下ろしてくれ。なんならここで海に捨ててくれても構わない。方角さえ教えてくれれば泳いで帰れる」
「あらら、でも私たちもアーカムに戻らなくちゃいけないから、ついでに送っていくわ。遠慮しないで」
ロキシーはわざとらしくゆったりとした歩調で俺に近寄り、奇妙なほど優しい、しかし蛇のようにぬるりとした手つきで俺の体をまさぐった。“ソレ”を取り上げ、ニタリと笑みをみせる。
「これは、回収させてもらうわ。あなたには過ぎたおもちゃですものね」
ルナールから渡された覚醒機だ。以降船を下りるまで、俺はまるで完全に興味の失せたおもちゃのように全く相手にされなかった。
短い期間に、たくさんの出来事があった。しかし、もう終わりなのだろうか。本当にこのまま終わって良いのだろうか。これまで信じてきた全てが崩れ落ちたこの現実で、俺は普通のまま生きていられるのだろうか。
このまま何もしないで良いのか……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます