第24話 電鋼鉄火作戦(11)

 Stiyl Art 1994年8月2日 2時48分30秒 魔天 キングスポート


 待てと言われて待つ悪党がいないこととはまた違うが、逃げろと言われて逃げられるような状況ではない。アザトスがジュランを疑うことができないならば、俺が奴を倒すしかないと、かつて騎士を志した子供の頃のような気持ちの高ぶりを感じていた。と言っても行動に移した切っ掛けはクラウザーにその気持ちを見破られ、そそのかされたためなのだが、どんな理由を並べたところで、家族を守りたい気持ちが弱まることはないだろう。状況が味方したとは言え、一度ジュランに勝利した事実も大きな自信に変わった。


 光の魔法で変装すれば連中の探知に引っかからないことは既に証明されている。アザトスのような過敏なやつが他にいないと踏んでいる時点で十分危なっかしいが、他に手段は無かった。事実、港内に入るだけなら簡単だった。市民が避難したためか警備は少なく、ほとんどの騎士たちが海を注視していたからだ。海には流石に事態の異常性に気づいたのか、正規軍の艦艇が何隻も集まっていた。評議会側もアザトスの指示で戦力を集めたのか、砲塔の代わりにパラボラアンテナでも取り付けたような見たこともない戦車や戦闘ヘリが出番を待っていた。騎士たちの装いもどこか異様だ。みんながみんな、まるで違う鎧や魔法使いのローブを身に纏っている。


「俺らがここで死んだら、ほったらかしにしたお嬢はどうするよ?」

「私が死なないから平気だ。安心して死んで良いぞ」


 この大男の毒舌には流石のギルテロも返す言葉がないようだ。ふと、この従者二人の目的である『アシュレイを殺すこと』が脳裏に浮かび、頭の中でちょっとした想像が膨れあがった。彼女が炎の力なら、俺の水の魔法で消化してやればいい……下らない子供じみた想像だ。俺は誰にも聞こえないように鼻で笑い飛ばした。


「良い案かもしれない」

「え? あっ……」

「私にはできない発想だ。試す価値は十分にある」

「忘れてくれよ。恥ずかしい妄想さ」

「コイツの前で考えることはコイツの悪口だけにしとけ。読まれて恥をかくのは自分だぜ」

「そういうギルテロさんが普段から考えてることは?」

「アシュレイ様に手淫してもらうこととか」

「テキトーなこと抜かしてんじゃねぇぞバーカバーカ!!」


 ……本当に余計なことを考えない方が身のためのようだ。ただ、僧侶にでもなってあらゆる煩悩をかき消さねば、この術から逃れる術などあるまい。


「……あれは!」


 クラウザーが海を指し示し、俺とギルテロもそちらに目を移した。他の騎士たちもその異変に気づいたようだ。さっきまで静かだった夜の海が、突然激しく波を立て始めたのだ。“奴”が来る――――そう確信し、鼓動が速まるのを感じた。波が打ち付ける度、腹の中心がギュっと締め付けられた。緊張感に苛まれ、戦う覚悟など碌にできていないにも関わらず、騎士のように身構えた。遠目に見れば騎士と見紛うだろうが、手足が震えているのをどうやっても誤魔化せていない。


「下がっていなさい」


 俺の前に壁のような背中が立ちふさがった。それが鎧をまとったクラウザーだと気づいたのは、本来の姿のギルテロが俺の肩に手を置き、クラウザーと並ぶように立った時だった。自分の両手を見て、漸く俺の姿も元に戻っていることに気づいた。


 ――――ふと、甲高い音が頭上から聞こえてきた。それに気づいてもう一度顔を上げた時、並んだ二人の前に巨大な炎の固まりが隕石がごとき速さで落下し、アスファルトの地面に小さなクレーターを作ったのだ。赤熱したその中心には岩でなく、アシュレイがいたことが何より驚きだった。


「あ……あんたどうやって!?」


「心配になって、空飛んできたで。宇宙港でみたやつの真似やけど、案外やろうと思えばできるもんやな」


 信じ難いが、彼女はロケットのジェットエンジンを真似て飛んできたのだ。エレヴェータでもホバリング飛行をしていたが、まさかここまで、文字通り飛躍したことをやってのけるとは思わなかった。


 炎は段々と収束していき、少女の小さな体の一部になった。即ち、アシュレイと呼ばれた美しい少女の剣――――炎と見紛う……いや、髪も、肌も、眼も、唇も、呼吸や手足の細やかな動きでさえ、その炎を象る一部であり、彼女そのものが炎だ。見とれるあまり瞬きを暫く忘れていて、眼が乾く痛みで我に返った。


「あんたは……それで世界を滅ぼすのか?」


 これから戦いに向かう者にかける言葉がこれかと自嘲した。だがアシュレイは振り返り、静かに、しかし力強く返した。


「そうなる前に、やらなあかんことがあるんや!」


 次に彼女が海を見た時、その姿は本来ならあり得ないものに変貌していた。水面がゆっくりと、まるで風船のように膨れ上がり始めたのだ。波ならばこんな動きはしない。膨らみ続けるその頂点を見続けていると、堪えきれなくなったように海水が重力への抵抗を止め、あるべき場所へと落ちていった。水のヴェールが着々と剥がれていき、畏怖すべき災厄の象徴がその輪郭を見せ始めた……。


 その姿から真っ先に得る印象は、ひたすらデカいということだった。いったい全体やつは何メートルあるのだ?周りの艦艇が模型にしか見えなかった。一見ソレはデカいだけの魚の形だった。背ビレや尾ビレ、エラと全体の大まかなシルエットだけなら相違はない。だが、カメレオンのように別々に動く真っ赤な眼球が頭全体に並び、大きく裂けた口からは魔天に並び立つ尖塔によく似た歯が無数にある。もっとも違和感を覚えたのは、奴が太い円柱状の足で四足歩行することだ。異形の怪物を目の前にして、さすがの騎士たちも後ずさりせざるを得なかった。中には腰を抜かしてしまう者もいた。むしろこの俺が圧倒的スケールの恐怖にさらされながら立っていられることが不思議だった。


「おい!」

「!!」


 その呼び声に、俺たちは一斉に振り返った。多少の憤りを帯びた声の主は、他の騎士と違ってライダースーツのような服を身に纏ったアザトスだった。無論、彼が感じているのはこんなところにノコノコとやってきた俺たちに呆れ果てた故の怒りだろう。


「兄さんには逃げろと言ったつもりだったが……また会ったな」

「力になるわ」


 予想外の言葉だったか、単に癇に障っただけか、アザトスが顔をしかめた。彼女は身を守るためとは言え、兵士を葬っているのだからどちらにせよ無理のない反応だ。幸いなのは、アシュレイが他の二人と違って挑発的な口調でなかったことだ。


「あの超獣を倒したら次はお前たちを正規軍に引き渡す」


 吐き捨てるように言ってから、アザトスは両手首にガントレットをはめ、ポーチからバイザータイプのサングラスを取り出した。武器でも何でもない、一見ただの装飾品だ。


「それは?」

「……俺の覚醒機。Cs'Wの生成能率を高め、身体能力を一気に強化するデバイスだ。ORBSの騎士だけがそれぞれ違う物を持っている。騎士は武器や鎧をこの中に封印し、闘いの時に変身する。ジュランが変身したのを見なかったか?」


 港でジュランと戦ったとき、彼は突然姿を変えて襲いかかってきた。あのときの鎧は彼の覚醒機による物だったということだろう。


「それじゃあ兄さんに見てもらおうか。俺の変身を――――!!」


 サングラスを身につけた瞬間から、眩いばかりの光が彼の身を包んだ。その中で着々と彼の姿に変化が起きていた。サングラスがそのままバイザーとなったフルフェイスのヘルメットが頭を覆い、光が胸の中心に収束し、それまで見えなかった体は光沢のある鎧を纏っていた。アザトスが両手の拳を強く打ち付けると、バチバチと電流が音を立てた。


 学生時代のことを思い出した。彼の魔核は電気属性だ。彼の覚醒機とあの鎧はその力を最大限生かせるよう設計されたものなのだろう。超獣にも度肝を抜かれたが、彼の騎士として戦う“姿勢”の迫力にも驚きを隠せなかった。ただ、何となくその姿に見覚えがあるような気がしたのだ。


「それのデザイン……お前がしたか?」

「ガキの頃、俺たちがあこがれたマンガのヒーローがモチーフさ」


 やっぱりコイツは分かりやすい性格をしている。昔流行った『Dark Magick』というマンガにバカみたいにハマった時期があった。そのときの気持ちを彼はずっと覚えていたんだ。


 アザトスはアシュレイの隣に並び頭二つ分は小さな彼女の姿を一瞥した。アシュレイが真っ直ぐ背筋を伸ばして仁王立ちしているのに対し、アザトスは若干猫背で、獲物をねらう獣のような姿勢だった。デスクの上に飾ったアクションフィギュアがそのまま動き出したかのようだ。


 正規軍の艦艇が超獣に攻撃をしかけた。砲撃の音がする度、それをかき消さんばかりに背筋も凍るような咆吼が空気を揺るがした。こんな巨大な音を耳にしたのは生まれて初めてだった。


「ORBS各チーム、よく聞け」


 アザトスは通信端末を使わず、かといって声を張り上げもせず、その場で話し始めた。


「レジストコード『深海超獣バルギル』は、見ての通りデカい。今までで一番だ。アルファとブルーが前線に出て、海上で仕留める。それ以外は地上から援護しろ。奴をフライにするぞ!」


 港中で雄叫びがあがった。たぶん、あの鎧に通信機でも仕込まれているのだろう。

 通信を終えたアザトスが両手を構えると、光が閃き、いつの間にかその両手に剣が握られていた。彼の鎧と同じ金属でできているのか、こちらも紫色だ。


「白兵戦で戦おうってのか?」

「闇雲にミサイルやレーザーを撃っても大きなダメージを与えられない。超獣は体のどこかに急所がある。正確に魔核魔法を当てれば超獣は絶命する。まずは奴の表皮をひっぺ返し、急所を探る」


 つまり彼らORBSの武装は超獣の弱点に攻撃を当てることに特化されているということだ。自信満々というわけではないようだが、アザトスは淡々と、しかし力の籠もった声で説明した。


 しかし超獣バルギルもただ図体がデカいだけに終わらない。奴がまた口を大きく開き、俺は咆吼に備えて両手で耳を塞いだ。だがバルギルの喉の奥が赤く照らされ、次の瞬間に奴の口は火炎放射器のごとく業火を放ったのだ。オレンジ色の光に包まれた正規軍の戦艦は瞬時に爆発炎上してしまった。火を吐く生き物など見たことも聞いたこともない。俺は今になって目の前の光景の現実性を疑った。次々と焼き払われていく艦艇――――多くの軍人が灰に変えられてしまったに違いない。


「火を吐くやつならウチが有利やな。これ以上好きかってさせへんで!」


 アシュレイが真っ先に飛び出した。地面を軽く蹴ると、彼女の体は勢いよく、明らかにバランスを崩したまま天高く飛び上がった。「うぎゃああああああ」という叫び声が、ドップラー効果でみっともなく演出されていた。まさかここまでずっとあんな風に飛んできた訳ではあるまいなと、俺は無様な格好で空を飛ぶ彼女の姿を想像し、後でクラウザーに叱られる覚悟を決めた。


 落下の途中でやっと体勢を立て直し、今度は体を地面とは水平にピンと伸ばし、両手と両足から炎を噴射した。すると今度こそ超獣めがけて真っ直ぐに、猛スピードで飛んでいったのだった。これには俺や二人の従者でさえも驚嘆せざるを得なかった。ギルテロに至っては「すげぇ」と声を漏らすほどだ。瞬きする間にアシュレイは超獣との間合いを詰めてしまった。


「隊長! 我々も!」

「分かっている。アルファ、ブルー! 俺に続け!!」


 部下の声に応え、アザトスが高々と声を張り上げた。騎士たちはそれぞれ手に持った武器を掲げ、雄叫びをあげた。それが収まらぬ内にアザトスは走り出し、そのまま海に飛び込む。


「泳いでいくってか!?」


 十数人の騎士たちが次々に海に飛び込んだが、その度に水しぶきが起きた訳ではなかった。アザトスをはじめとした一部の騎士は水上をその足で走り、他にも空を飛ぶもの、泳ぐものと、それぞれ移動方法さえもバラバラだった。ただその中で圧倒的に早かったのはアザトスだ。俺はこれで初めてアザトスの騎士としての闘いを見ることになるが、この時点で彼との経験の差、力の差を思い知らされていた。そもそも落伍者の俺と、危険なエリート街道をまっしぐらに進む彼とを比べること自体がおこがましいのだが、志を共有した兄弟として、劣等感からどうしても格差ばかりに意識が向いた。


(これでいいのか……俺は……)


 何か出来ることがあるはずだと、俺は握りしめた無力な拳を見つめて自問した。考えろ!頭を休めるな!

 ふと視線を上げると、そこには相変わらず立ち尽くしたままの二人の従者の姿があった――――「これだ」と、俺は自分の口角がつり上がったのを感じた。


「おい! お二人さん! このままでくの坊って訳にはいかないだろ!?」

「なんだ急に!」

「俺たちも戦うんだ! 俺の水の魔法で二人を送る! さっきの騎士たちみたいにあそこまで走っていくぞ!」

「走るって……兄ちゃん、それほど多く訓練受けたって訳じゃないんだろ? Cs'Wが保つのか?」

「こう見えて、水の精密操作だけなら大得意だ!さあ行くぜ!」


 俺は二人の間に割り込むようにして走り出し、勢いに任せて彼らの手を引っ張った。二人は抵抗することもなく海に飛び出し、着水と同時に俺のCs'Wの影響を受け、まるで地面に着地するように水上に立ち上がった。この程度ならCs'Wの消費より自然回復の方が上回る。俺自身は超獣にダメージを与えられなくても、みんなを助けることは出来る。


「かたじけない」

「良いってことよ! ちょっと前屈みになってくれ! 加速するぞ!」


 水の流れを操作し、俺たち三人はサーフィンのように水上を滑って進んだ。騎士やアシュレイの滑空ほどスピードは出ないが、それでもすぐに一団に追いつくことができた。


 アシュレイは騎士よりも一足早くバルギルに攻撃を仕掛けていた。火炎弾を手から出現させ、それをぶつけて炸裂させる技だ。遠目に見ても結構な規模の爆発を起こしているが、バルギルは怯みもしない。


「効いてない!」

「奴の体を覆うウロコがアシュレイ様の魔力を断っている。あのままでは魔法が通用しない」

「もっと火力を高めるとか、彼女はできないのか?」

「可能だが、同じだ。あのウロコは魔力が外側に流れるようできている“装甲”だ。どんなに高い威力の魔法でも触れたそばから消滅する。あの爆発の衝撃も肉体には届いていない。このままでは私の魔法も無用の長物だ」

「そんな……!」


 超獣のウロコはまるで岩のようにゴツゴツとしていながら、魚類特有のぬめりのある質感を持っていた。一枚一枚が分厚く、単純なパワーで破ることが難しいのは誰の目にも明らかだ。


「兄さん!」


 正面からアザトスがこちらに駆け寄り、俺の手を引いて超獣から距離をとった。ここまで来てお説教を食らうつもりはなかったから、俺は彼の手を少し乱暴に突っぱね、説得を試みた。


「アザトス、俺はもう部外者じゃない! この事件の重要な証人なんだ!」

「だったら尚更、ここにいてもらっては困る! 市民を傷つける訳にはいかないんだ!」

「街に戻ったところで、まだ暗殺者がいるかもしれないだろう! 危険に変わりないなら、俺は戦いを選ぶ! 分かってくれアザトス」


 フルフェイスのヘルメットのせいで彼の表情は読めなかったが、それでも彼の憤りの表情を容易に想像できた。


「……もう助けることは出来ない」

「構わない。奴を倒すことを第一に考えるべきだ」

「……」


 アザトスはそれ以上口を開くことはなく、こちらを暫く見つめたままで、まるで別れを惜しむように再び戦場へと駆けていった。


「スティル殿! 集中するのだ!」

「……大丈夫だ!」


 超獣がこちらに牙を剥く瞬間に備え、俺はいつでも回避できるように構えていた。だが、俺自身の防御は出来ても、クラウザーとギルテロの機動力は俺にゆだねられている。


 バルギルは重い足取りで街に向けて前進している。騎士たちの攻撃を受けて尚その速度は一定だ。魔法が通じないと知ったアザトスが剣を両手で力一杯に振るったが、やはりあの分厚いウロコに弾かれた。足止めの手段が悉く跳ね返されてしまう。この強固な移動要塞をどう攻め落とせばいい?俺は周りを見渡し、縋れるものには何でも縋るつもりで“手段”を探した。だがしかし、邪魔者がこの場に居合わせてしまったのだ。


「あいつ……!」


 俺やアザトスを欺いた裏切り者……ジュランだ。歯を食いしばった険しい顔つきで、ショートバレルのライフルでバルギルをひたすら撃ちまくっている。どうせ効かないと分かっていながらやっているに違いない。


(クソ……アザトスを説得できる証拠さえあれば、今この瞬間に海底まで引きずりこんでやると言うのに……)


 この怒りの感情は、その時の俺には邪魔でしかなかった。冷静な思考と集中を保たなければ、ジュランとクラウザーは忽ち沈んでしまう。が、ジュランの腕の装備を見て、俺は“あの時”のことを思い出す。


(確かあれでワイヤーを射出して俺を拘束しようと……!)


 単細胞一色な思考回路から実に単純な発想がはじき出された。足止めと言われてなぜこの方法が思い浮かばないのかと自責の念に駆られたが、ネガティブになる前に勢いに任せて声を張り上げた。


「ジュラン! ワイヤーだ! ワイヤーで奴の足を引っかけろ!」


 恐らく彼にとって最も敵対的な人物から声をかけられ、流石に面食らった様子だ。数秒間をとってから彼はやっと応えたが、かなり否定的なものだった。


「シークストリングじゃ強度が足りない!」


 そうだ、あの時もワイヤー……もといシークストリングは俺のウォーターカッターで簡単に切れた。こんな馬鹿でかい生き物を止められる筈もない――――


「それは標準装備か?」

「……全員使える」


(しめた!)


 一本では無理でも、騎士は十数人いる。それだけのワイヤーが絡まってしまえば、この化け物も簡単に身動きはとれるまい。例えジュランが手を抜いたとしても他の騎士たちがカバーできる。


「俺たち三人でバルギルの気をひく! 奴をすっ転ばせてやろうぜ!」

「エンパイア・ストライク・バックやー!!」


 騎士たちはすぐに動きを変えた。狙いを定めた者から次々とワイヤーを射出し、ウロコの出っ張った部分に引っかけていく。そこからバルギルの周りをぐるぐると周り、着々とバルギルの動きを奪っていく。が、さすがにバルギルも一筋縄ではない。体を大きく揺らして暴れはじめ、ついに目の前を通った騎士を火炎で焼き払ってしまったのだ。


「クソ野郎が!!」

「待ってや!」


 剣を抜いて斬りかかろうとするアザトスの肩をアシュレイが引っ張った。


「離せ!!」

「単に攻撃したって通用せんことは分かってんやろ!! 堪えんかい!!」


 握りしめた剣が震えるほど激怒していたが、厳しい現実と自分の置かれた立場に目を向け、アザトスはやっとの思いで冷静さを取り戻したようだ。


「ウチは炎の属性や。アレが火ぃ吹いた時はウチが囮になる」

「奴の炎はCs'Wを流し込んでも操れないぞ」


 アシュレイは不敵に微笑み、「上等」と一言だけ残して再び飛び立った。もくもくと昇る水蒸気を振り払いながら、アザトスはその姿を短い間だが、じっと見つめていた。アシュレイはバルギルと向かい合う位置でホバリングしながら、左手を突き出して挑発するように人差し指を向けた。


「あの小娘は映画の観すぎじゃないのか?」


 口元をへの時に曲げたアザトスが独り言を漏らしていた。挑発などせずとも次の瞬間には消し炭にされているだろうにと、俺も半分呆れかえっていた。そして案の定、バルギルの巨大な口から放射状に炎が飛び出し、まばたきも許さない内に少女のか細い体を包み込んでしまった。さっきの騎士たちのように灰さえ残らない残酷な結果を突きつけられることは火を見るよりも明らかだ。


「おいおいおいおい簡単にやられすぎだろ! アシュレイ!」

「いや、Cs'W反応が消えていない!」


 とぐろを巻く蛇の如くうごめく炎が内側から弾け飛んだ。その中から現れたのはアシュレイ――――右手に炎を束ね、一振りの剣の様な形を形成していた。


 ――――荒い、とクラウザーが小さく漏らした。あの剣のことだろうか。刃の部分が揺らめきメラメラと火の粉を散らしている。剣より松明の方が近いかもしれない。アシュレイは両手で炎を握り、胸の前で構え直した。


「隊長! シークストリングが!」

「限界まで巻いたら出来る限り距離をとれ!」


 バルギルがアシュレイに気を取られる内に、騎士たちは次々とバルギルから離れていった。ケーブルは予定通りバルギルの足を固く束ね、最早前進することさえ許さない。


「今だ!」


 この機を逃すわけにはいかない!さあ行け!やっと訪れた好機に騎士たちは一斉に攻撃態勢に移って――――


「……え?」

「う、動けんッ!?」


 誰一人として微動だもしない。今にも飛びかかりそうな姿勢で、石像の様に固まったままだ。


(俺もッ!?)


 手足どころか首や視線さえも自由を奪われている。重さを増す瞼によって狭くなる視界からギリギリ得られた情報は、ギルテロの体を縛る細いツルのようなものだ。……呼吸することも許されない――――このままでは……思考さえ……


 ――――あるッ!! まだ、動く場所はッ!!


(魔核!!)


 滅茶苦茶にCs’Wを体の外へと放ち、体を縛る“何か”を斬る!


「――――ッッッッ!!!!」


 脳が再び血液を取り戻し、鉄塊のような瞼がようやく持ち上がる。やっと何が起きているのか正確に把握できる。意識と現実が接点を取り戻し、血を失いかけた脳が何を“しでかした”かを確かめた。


「た……助かった! 誰の魔法だ!?」


 俺が適当にCs'Wを放ってあのツタを斬った……と、自信を持って言えなかった。同時に誰も俺のせいで怪我をしていないことを願った。これほど乱暴に魔法を放ったのは人生で初めてだったし、Cs'Wがどんな“変化”をもたらしたのかまるで分からない。俺はすぐ隣のクラウザーに視線だけで疑問をぶつけ、彼はすぐに返答した。


「……大きな“フナムシ”が我々の足に食らいついたのだ。その瞬間から体が麻痺し、誰一人動けなかった。君の魔法に助けられたがな……」


 そう言ってからクラウザーは水中に手を突っ込み、自分の足に食らいついていたフナムシを見せつける。確かに見た目は巨大化したフナムシの化け物だ。岩のような甲殻を持ち、その裏側で無数の足が忙しなくうごめいている。一目見ただけで瞬時に鳥肌が立った。


「誰も怪我してないよな?」

「大丈夫だ。それにしてもこの広範囲で大人数に、その上見えてもいない状態でよくぞフナムシだけを……」

「自分が一番不思議に思ってるよ」


 ほんの僅かだが、自分にも本当は才能があるのではないかと、尊大な自信が沸き上がったが、状況が状況故に愉悦に浸る余裕は無かった。またどんな手で超獣が攻めてくるか分からないのだ。何より食いつかれた右足の傷口に海水が染み、じわじわと痛むのが気になって仕方がない。


「これ、毒とかないよな?」


 率直な疑問に対し、クラウザーは首を横に振った。


「大丈夫。誰も毒を受けた様子はない」

「そんなとこまで“目”で見えるのか?」

「君が思っている以上に融通が効かないぞ。気を緩めるな! 見ろ! 超獣がまた動く!」


 クラウザーの警告の直後、バルギルが今までにない動きを見せた。まるで潜水艦のように前進しながら体を海に沈めていったのだ。奴の図体のほとんどが海水に隠されてしまい、鮫映画のワンシーンのように山のような背鰭だけが露出していた。


「泳ぐつもりだ……!!」


 無意味に魚の形をしていないらしい。バルギルはその図体故にゆっくり動いているように見えたが、いざ追いかけようと思うとみるみる内に引き離されてしまうほど速かった。騎士たちの攻撃もやはり受け付けず、街へと近づいていく。


「クッソ……明らかに街を狙って動いている!!」

「しかしストリングで足を封じた以上、上陸してもそこからの動きは鈍い筈だ! そこを確実に狙うぞ!」


 アザトスが指示し、騎士たちは引き離されまいと懸命にスピードを高めようとした。が、バルギルの泳ぐ速さは圧倒的で、アザトスやアシュレイでさえとても先回りなどできなかった。しかもその体からまたしてもフナムシがこぼれ落ち、騎士たちを足止めしている。


(さっきみたいにあのフナムシを始末できればいいんだが……やり方が分からないなんて……畜生!!)

「スティル殿は今、奴を追うことを考えるんだ!!」

「そうだぜ。あんたがいないと俺たち沈んじまうからな」

「……ああ!」


 悔しいが、騎士を助けるよりバルギルを止める方法を考えるべきだ。アザトスの言うとおり、上陸自体は阻止できなくても、そこからの進行は難しいだろう。


 バルギルはすぐにキングスポートにたどり着き、その巨体で船や桟橋を押しつぶしながら上陸した。蛇のように体をくねらせ、像のソレに似た足で立ち上がろうと必死にもがいている。だが、何重にも巻き付けたシーク・ストリングの強度は超獣のパワーを以てしても解けないらしい。アザトスの予測通り、バルギルはまるで海岸に打ち上げられた魚のような状態だ。誰一人結局追いつけなかったが、被害がこれ以上広がることはないだろう。


「警戒を解くな! 慎重に奴の弱点を探るぞ!」


 先陣をきったアザトスが背後に続く騎士たちに指示をした――――その時。



 ゴオオオオオオオオオオ――――!!!!



 バルギルが突然体を振るわせた! 俺たちは驚いて咄嗟に立ち止まり、上陸を躊躇った。騎士たちは防御の姿勢をとりつつ、上陸してバルギルを囲んでいく。


「……はッ!! 皆離れろッ!! 攻撃してくるッ!!」


 クラウザーが警告したその瞬間、バルギルの背中の肉が所々裂け、火山が噴火するように血が吹き出した。その衝撃で鱗が何枚か飛び出し、低空を飛んでいた騎士を巻き込んで地面に落ちた。反応の遅れた者も何人か巻き込まれ、肉塊となって港の地面にへばりついた。


「クソ……」

「まだだ!! スティル殿、我々も狙われている!!」

「何ッ!?」


 傷口から溢れる血の勢いが弱まった途端、その裂け目から珊瑚礁のような形の器官が出現した。クラウザーの警告通り攻撃に用いるのだとしても、いったいどんな攻撃をしてくるのか見当もつかない。俺はまともに身構えることさえできず、ただ眺めてるだけだった。


「あの珊瑚みたいなのを攻撃しろ!」

「ダメだ!! 逃げろ!!」


 騎士たちがそれぞれ攻撃の体勢をとった瞬間、珊瑚礁型の器官の先端から煙の尾を引いて何かが飛び上がった。クネクネと捻るような軌道で飛び上がり、突然鋭角に向きを変えて凄まじい勢いで向かってくる――――


「ミサイルだあああああ!!!!」


 超獣が生物兵器だということは知っていた。だが、まさか生き物の体からミサイルが飛び出すなど誰が想像しただろう。俺は咄嗟に海水の盾を作り、ミサイルを防ごうと試みた。しかし分厚く作った海水の“壁”さえ、まるでゼリーで受け止めているかのようにミサイルは突き進んでくる。


「うっ……オオオオオオッ!!」

「Cs'Wを途切らせるなよ!」


 体が突然ふわりと浮かんだ――――ギルテロがクラウザーと俺の手を引っ張り、低く跳躍したのだ。しかも、正面から迫るミサイルに向かって!!


「何をしている!?」

「まあ見てな!!」


 ギルテロの指示通り、俺はなんとか集中を切らさず彼の足が水に沈まないようにCs'Wを放ち続けた。彼はリズミカルに一度、二度、三度と水面を低く跳躍し、ミサイルが直前まで来たその瞬間に――――


「でりゃああああ!!」


 ミサイル自体を踏みつけて大きく跳躍した!軌道を狂わされたミサイルは着水し、背後で爆発した――――彼のおかげで何とか生き残れたらしい。 


「かたじけない、ギルテロ殿」

「はぁはぁ……二度とこんな避け方ごめんだぞ」

「滅多にやらねぇよ。おい……あっちはもっとヤバいぜ」


 顔を上げて陸の騎士たちに目を向けると、あまりに凄惨な光景が繰り広げられていた。ミサイルを回避できた騎士はあまりにも少なかった。確認できただけでもアシュレイとアザトス――――この二人も直撃をかわしただけで爆風に曝されてしまったらしい――――ジュランは鎧が何カ所か破壊され、露出した部分から出血し、満身創痍だが何とか無事なようだ。だが、大多数は直撃を免れなかった。


 俺たち三人も遅れて上陸し、ジュランに肩を貸すアザトスのもとへ駆け寄った。


「無事か?」

「いや……Cs'W残量が少ない。俺ももう飛んでられないし、ジュランは闘えない」


 ジュランの鎧のCs'W残量を示すエナジーコアが点滅し、短く警報を鳴らした。出血は少なく済んだらしいが、この状態で闘うのが無理だと素人目にも明らかだ。


「待てよアザトス……俺は……まだ……」

「命令だジュラン! できる限りここから離れろ!」

「っ……クソッ!!」


「俺が運ぶ。あんたの足じゃバケモンどころか蟻にも追いつかれるぜ」


 悪態をつく余裕さえなく、ジュランはギルテロの肩に手を回し、体を預けた。彼は風を切って走り、瞬きする間に二人の姿が見えなくなった。


「おーい!!」


 アシュレイが息を切らしながら上空から降り立ち、バルギルを指し示した。


「見て! あいつはミサイルでワイヤーを切りよったんや!」

「なんだと!?」


 バルギルが再び立ち上がる。完全に移動手段を断った筈が、奴は想像を上回る知能と攻撃手段を有していたのだ。多くの仲間を失った今、バルギルの進行を再びシークストリングで止めるのは不可能だ。ゆっくりとした重い歩調だが、建物を踏みつぶし、そこになにも無いかのように我が物顔で怪物は突き進んでいく。あの巨体に火炎放射やミサイルも併せて、奴の攻撃能力なら首都が蹂躙され、他の街まで焼け野原にされるのは時間の問題だ。


「……落ち着け! 奴はミサイル攻撃を連続して使えないみたいだ! 今が攻め込むチャンスだ!」

「いや……ダメだ兄さん。あいつの鱗はこれまでに出現したどんな超獣より強固な装甲だ。魔法は無効化され、艦砲でさえ歯が立たなかった。俺たち騎士が剣を振るってもアレは突破できない」

「だったら……他にどうすれば……」


 アザトスは何かを言うのを躊躇うように何度も顔を上げ下げした。


「……正規軍が核を使えば、或いは」

「核ミサイル……!? ここは円盤状都市の下層だぞ!! 柱が万が一傷つくことがあれば……」

「魔天の街全体が崩れてしまう……そんなことは分かってる!! けど……他にどうすれば……!! 俺にはもう何もない……!!」


 ――――かつて俺たち兄弟が憧れた夢の騎士が、己の無力さを嘆いている。その光景は俺にとって、この世で最も残酷なものだった。夢を掴んだはずの男が、希望を失い、打ちのめされる姿。それは……まるで子供の頃の俺のようだった。無力な事実を突きつけられ、絶望し、全てを投げ捨てたあの頃。全部自分のせいだ。何もやらなかったから、勝手に滅びた。世界が残酷だからじゃない。俺がその道を選んでしまった。楽な選択を……!!


「……ダメだ」

「……?」

「今、楽な道を選んじゃダメだ!!」

「兄さん……?」


 俺はアザトスの手を引き、無理矢理立こちらを向かせた。


「立ち向かわなければ……今は、自分に立ち向かわなくちゃダメなんだ!! できないって決めつけたら、『もしかしたらできたかもしれない』っていう僅かな可能性まで捨ててしまう!! 俺は昔、同じ事をやっちまったから分かるんだ!! もしかしたらアザトス、おまえの隣で俺も同じように闘っていたかもしれないのに……俺は逃げてしまった。だが今は違うんだ!! 今はどうしても逃げたくないんだ!! 俺の守りたい奴が……義弟の命が関わってるんだから、どうしても!! アザトスお前はどうなんだ!? お前は今、諦めたくないって少しも思わないのか!?」


「ッ……そんなわけがあるか……俺は!! 人々を守りたいから騎士になったんだ!! 今までも……これからも……諦めるわけにはいかない!!」


 握った手を痛いほど強く握り返し、誇り高き騎士がバイザーの奥で瞳に光を取り戻した。両拳をぶつけて気合いを入れ、アザトスが再び戦場に立つ覚悟を固めたのだ。


「ちょっと! ウチを忘れんでよぉ!」

「アシュレイ様、こういう時は水を差してはいけません」

「ウチ水属性ちゃうし。火属性やし。水使ったら鎮火されてまうやん」

「俺も闘うぜアザトス! 今だけは俺も騎士でいさせてくれ!」

「もちろんだ兄さん。だが……こちらからの攻撃手段が失われているのは確かだ。このままじゃどうしようもない。奴の装甲を破る打開策を探さないと……」

「それなんだが、俺たちは外側からの攻撃に固執しすぎたと思うんだ。体内まで堅いなんてことはあり得ないだろう」


 アザトスは顎に手を当て、率直に肯定できなさそうに黙考した。


「体内に何らかの攻撃を仕掛けるとしたら、口からになるだろう。だが、あの火炎放射はインターバル無しで発射できるかもしれない。やはり突破は困難だ。あの炎を無力化できないだろうか……」

(炎……無力化……鎮火……水?)


 さっきアシュレイが何か言っていたような気がした……。


『水使ったら鎮火されてまうやん』

「そうだ!!」


 思わぬところからヒントが飛び込んでいたことに気づき、思わず飛び上がりそうになった。俺はここまで来て何故最大の特技を使わなかったんだ!


「妙案だなスティル殿。誂えたようにここに大量の水が用意してあるからな」


 クラウザーが海を指し示し、俺もそれに応えるべくCs'Wを放った。海水は手足のように操れる。Cs'Wが許す限り弾は無限。アザトスとアシュレイはまだ解せないと言いたげに首を傾げていた。


「やることは単純さ。俺が奴に大量に水を飲ませる。奴の火力を押し切れるようにな。そして飲み込んだ水を操って、内側から切り刻んで弱点の核とやらを露出させる。そこをアザトスとアシュレイが最大火力で叩くんだ」

「ちょっと待って! 大量の水を飲ませるまではええけど、魔核式魔法ってCs'Wを流す対象が見えてなきゃダメなんやないの? だってほら、人間の体内の水分や空気中の水分なんかは操れへんのやろ?」

「いや、一度Cs'Wを流してしまえば見えていなくても操作はできる。精密性は損なわれ、思うように動かせるとは限らないが……兄さんの技に賭けるしかない!」

「頼むアシュレイ、俺に任せてくれ。できるできないの問題じゃない。やるかやらないかなんだ!」

「……分かったわ。この大博打に乗ってやろうやないかい!賭けるもんなんて、どうせ命しかないんやからな!」


 斯くして、超獣バルギルを倒すための大博打に俺たちは命を賭けて勝負に挑んだ。


 作戦名は『電鋼鉄火作戦』


 立ち向かわなければ、全てを失う。ならば、やることは一つだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る