第2話 光のみちしるべ(2)


1994年 7月29日 8時49分33秒 弧星天 旧王朝遺跡


 目覚めは決して良くなかった。クラウザーの膝があるとはいえ、地面の固さと冷たさはどうしても誤魔化せない。背中がチクチクと痛むのは、地面が砂埃まみれなのと、何より一糸纏わぬまま眠ってしまったせいだ。風邪をひかなかっただけ儲けものだろう。


「おはようございます」

「んん……おはよぉいしょーい!?」


 意図せず頭が勢いよく持ちあがり、私は目を回しかけた。クラウザーが急に立ち上がったのだと理解したとき、彼は既に洞窟の外に向かって駆け出していた。私も遅れて後を追おうとしたが、立ち眩みで足がおぼつかず、何度も転びかけた。このとき初めて気付いたが、入口までの道は緩やかな上り坂で、恐らく十才に満たない私の、フラフラの足に充分な苦痛を与えてくれた。思い出したように傷も痛み出したから、坂を上るだけで一苦労だ。


「クラウザーさん! 待ってや! どうしたん……」

Cs’Wシーエス波の増大を確認。あの少女からです」


 その三人の“黒い人”を視た途端、私は咄嗟にクラウザーの陰に隠れた。聞き取りにくい籠った声で話す三人の顔は光沢のある黒いヘルメットで覆われ、首から下も全身黒い細身の鎧で覆われていた。そして何故だか私は、奴らの手に握られた真っ黒な“機械”を何と呼ぶのかを知っている。


「鉄砲を持っとる……」

「アレが鉄砲? まさかそんな……」

「妙な動きはするなよ浮浪者! どうやって監視の目をかわしたかは後で聞く。今は大人しく、我々に従ってもらおう。その場に伏せろ!」


 銃口をクラウザーに突き付け、(声から察するに)女は畳みかけるような早口で言った。クラウザーはじっと黙ったまま、その女に視線を向けることさえしなかった。私がその手を握ると、クラウザーは優しく握り返した。


「ふん……面倒だ」


 女は銃を一度下ろすと、クラウザーの右足を目掛けて一発発射した。銃声以上に、間近にいた私の耳には肉と骨の裂ける音がクリアに届いた。が、そんなショッキングな映像がちっとも印象に残らなかったのは――――


「えっ……」

「本当に鉄砲だとは思わなかったぞ、この時代の戦士たちよ。この傷の痛みは我が主のお言葉を信じなかったこの私への戒めとしよう」


 どさり、と吹き飛ばされた女の上半分と下半分は同時に音を立てて地面に叩きつけられた。


「ひっ……!」


 叫び声をのどに詰まらせ、私も背中側に倒れ込み尻もちをついた。それに気付いたクラウザーがこちらに顔を向け、恐れ慄きながらもやっと私はその姿に視線を巡らせる。


 ボロボロだった赤い鎧は光沢を取り戻し、顔の下半分は牙をむいたような仮面で覆われていた。そのせいでこちらを見る顔がいささか怖すぎる気がしたが、眼差しの優しさから私の身を案じていることを何となく理解できた。


「こいつ……」


 男の声は遮られた。銃声が聞こえることも無かった。その男の首の行方は分からない。脳を失った体は、紐を切られた人形のように崩れていった。


「ば、馬鹿な! 何をしたお前! 何しやがった!」


 もう一人の男が銃を構えたままジリジリと後退していく。その手は激しく震え、最早正しく狙いを定めることもできていない。


「動くな! 動くんじゃない!」


 クラウザーが視線を向けただけで男は形容しがたい叫び声をあげ、滅茶苦茶に発砲した。


「貧弱な兵士を飼ったものだな。これが私を貶めた国の末路か?なんと嘆かわしい……去れ!!」


 クラウザーの一喝が響き渡り、男は倒れそうになりながらたどたどしい足取りで駆けていった。振り返り、相も変わらず尻をついたままの私を見たクラウザーは緊張感の無い声で言った。


「ご無事ですか?」

「私は平気や……けど……」


 察しの良いクラウザーは放置された死体を魔法で見えないようにした。映像で服を作ってしまうのだから光を遮断するくらいは容易だろうと考えたが、大当たりらしい。


「殺してまったんやな……」

「正確なことは分かりませんが、山賊や無法者とは毛色が違うように思います。恐らくこの時代の兵士かそれに近い者でしょう」


 冷淡に言ってのけたのがどこか腹立たしく、私は声を荒げた。


「……ショックやないの? 殺したんやで?」


 思ったよりも大きな声は出なかった。鼻がツンと痛くなり、声の代わりに涙があふれ出した。私が生きている事実が即ち、クラウザーがこの場にいなければ死んでいたという裏付けになってしまったこと。そしてクラウザーが二人の人間を容赦なく殺したこと。この男に助けてもらったのに、単純に礼を言えば済む話とは思えないその矛盾。


「……私は貴女を傷つける全てを許さない。許すわけにはいかない」


 クラウザーの言葉は“追い打ち”でしかなかった。私はまるで「お前が悪い」と言われているように錯覚し、腹の底から湧きあがった衝動が手と口を同時に動かし、食い縛った歯と拳がギチギチと音を立てて怒りを露わにした。


「ふざけんなや! 何の理由があっても人を殺していいわけあるか! 勘違いも大概にしとけや!」


 自然に放たれた言葉だった。本能的にクラウザーの行為を糾弾しなければと、それが当たり前のように口が動いたのだ。


「うちらに人の命を奪う権利なんてないやろ! うち、あなたにそんなこと頼んでないやろ!」

「……お言葉ですが、奴らをそのままにしておけば、貴女は死んでいたかもしれません」

「だからって……!」


 突然に言葉が止まってしまった。いつの間にか私は立ち上がっており、喉と胸の熱さを感じ、どれだけ激しく叫んでいたかを初めて実感した。だが冷静ではなかった。


「…………ッ!」


 捨て台詞の一つも思い浮かばず、私はクラウザーの横を通り抜けて走り出した。逃げるしかない。あんなのと一緒にいたらまた人が死ぬ。どこから出てきたかも分からない正体不明の“倫理観”が、私の脳に代わって思考しているようだった。


 それにしても足が重い。昨晩は滅茶苦茶に走りまわれたというのに、思うように足が動かない。いや、足だけではない。体中が酷く重い。さっきまでは普通だったのが、突然に言うことを聞かなくなった。次第に千鳥足になり、あれよあれよと言う間に体を支えていたあらゆる力が抜けていき、遂に私は顔面から地面に叩きつけられた。


(痛い……死んでまう……)


 こういう時に限って痛覚と思考だけは正常だ。視覚も正常なようだが、見えるのは地面だけだ。耳は……周りが静かなだけのか、機能していないのか判別がつかない。横隔膜が激務に追われている。私の意思に関係なく、生存本能が無理やりに動かさせているのだろう。


 クラウザーが助けてくれるなんて考えが一瞬過ぎったが、全力で忘れようとした。私を守ってくれた彼をほったらかして逃げだしたのは私自身なのだ。彼に頼ろうなど都合が良いにも程がある。ただ、クラウザーの光の魔法の有効範囲が気がかりだった。彼の対応できないところまで私が離れてしまったなら、私はまた素っ裸の変質者に逆戻りだ。

 そんな下らないことに思考する労力が回るなんて、思いのほか私の心には余裕があるようだ。ほんの少し安堵をおぼえたその瞬間――――


 ――――音がした。足音だ。


 ジリジリとゆっくり近づいてくる。なんとも恥知らずなことに、私はさっきまで拒んでいたクラウザーの助けを期待してしまった。成る程、ちんちくりんなのは肉体だけでなく精神レベルも同じだったという訳だ。


(クラウザーさん……助けて……)

「このクソガキ……調子に乗りやがって……」


 嫌だ――――突き付けられた現実に、私の思考は僅かな抵抗の意思を見せた。即ち悪足掻き。


「へへッ、あの騎士様がいなけりゃこんな小娘……」


 嫌だ。嫌だ。


「ぶっ殺してやる……よくも俺の仲間を……ぶっ殺してやる……」


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。


「お前も同じ目にあわせてやる!死ねぇ!」


 いやだ――――


 ―――鋭い痛みが胸を貫いたその瞬間、何かが私の腹の底で湧きたった――――


「ああああああああああッ!!!!」


 “叫び”は、全く同時に放たれた。喉が急激に熱を持ち、心臓が爆ぜるような強い鼓動をひとつ鳴らし、全身に漲った力が瞬時に解き放たれた。


 ただひたすら強い力の奔流。純粋な破壊の力。死にたくないと願う一心に生みだされた一撃は、なんの捻りも無い拳撃に見えた。その右手に込められた熱量は、男の体を焼きつくし、無に還すのに充分すぎた。それに留まらず、私の目に映ったあらゆる木々を焼き尽くし、石のつぶてや巨大な岩塊さえもが赤々と光っていた。


 赤く染め上げられたこの世界に、ひとり立ちつくした私は、クラウザーの目にどう映っただろう。


「……ここを去りましょう。じきに兵士たちが来ます」

「…………」

「……それとも、全員殺しますか? 全人類を滅ぼさなければ、その怒りは収まりませんか?」

「――――ッ!」


 拳はクラウザーの腹の寸前で止まった。体のどこよりも目頭が熱くなり、ボロボロと大粒の雫が滴っては熱に侵され、瞬く間に蒸発していく。


 ここまで来てやっと私は気付いた。私が如何に恐ろしい存在かに。そして、私という存在を永遠に葬り去らねばならないことに。


 そして旅は始まった。『死ぬために生きる』という矛盾を孕んだ罪深き旅。だが、この混沌とした心を捨てる時までは、せめて――――


第一章 ひかりのみちしるべ 了


次章 影の予兆

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