17.決戦ノ日賀野戦(死闘②編)



 ◇



 こんのド阿呆の畜生っ、山田健太め、許すまじ!

 怒り心頭している俺はその場で大きく地団太を踏んだ。なんってことをしてくれたんだい、元ジミニャーノ地味不良畜生め!

 健太お前。俺がさ、中学時代の思い出に浸って土壇場でお前を傷付けることに躊躇している時に……俺をボッコボコにしたことはまあ許そう。こっちがヘタレかまして本気になれていなかったんだし? 当然の報いだと思って甘んじよう。

 本気で蹴ってくれたことも、超ムカつきますが目を瞑ってやらんでもない。寛大な心で目を瞑ってやろう。俺、ヤサシーから?


 だがしかし!  

 ココロに対する行為だけは許さない。ああ許さないとも。お前、人様の彼女に何してくれやがった。か弱い腕を捻りやがったな! 本気で捻りやがったな! 怖い思いさせたなっ! 何よりっ、なによりもッ。


「このド変態! ココロの何処を見やがった!」


 言わんでも付き合いは長いから分かるけど、ひんぬー好きだから言わんでも分かるけど許すまじっ! クソッタレ!

 お前の好きなタイプは清楚で料理の上手い女性だもんな。でもってひんぬー好きだもんな。ココロが料理上手いかどうかは俺もまだ知らないけど、二つの条件はお前のモロタイプだよな! あああっ、腹が立つ! なんだか分からんが、すべてに腹が立つ!

 「変態野郎!」喝破する俺に、「ちげぇ!」身を起こした健太は否定してきた。何が違うんだ? お? 言ってみろ! お前っ、まじまじと彼女の胸を……胸を……ああっ、今すぐにでもぶっ飛ばしてやりてぇ。これは友情範囲外だからなっ。友情があったとしても今のは見過ごせないからな!


「男のちょっとした生理現象だっ、阿呆!」


「ンだと? それで片付けられると思ったら大間違いだ。こればっかしは友情も何もねぇからな」


「友情だと。フン、なんだよ。その女に惚れているのか? そんなにも必死に怒っちまって」


 俺の気持ちを揺する作戦に出たのか、健太はわざと気持ちを暴こうとする。やり方が狡いのは日賀野に感化されたのか?

 だけど甘いな。少し前の俺ならその揺すりは致命的なまでに効いたと思うけど今の俺には無効だ。「惚れているよ」真顔を作り、キャツの質問に即答で返した。「は?」まさか、スンナリ返してくると思わなかったんだろう。健太の方が動揺。

 そんな健太に俺は、ぶっきら棒に言ってやる。


「ココロは俺の彼女なんだ。惚れていて当然だろ」


 すると後ろから制服の裾をギュッと掴まれた。

 うーっと唸ってくる声。握ってくる手が恥ずかしいと教えてくるけど、俺もすこぶる恥ずかしいよ。言った本人が一番恥ずかしいんだぜ? そりゃもう、穴があったら入ってしまいたいくらい恥ずかしいよ! いやでも本当のことだし!


「ケイさん……やっぱり私のヒーローです。凄く……カッコイイです」


 う゛。此処でそんなことを言うなって。もっと恥ずかしくなるだろ。

 チラッと背後に視線を流す。頬を桜色に染めている、でもはにかむココロの姿がそこにはあった。思わずささくれ立っていた気持ちが落ち着く。ココロはそうやって笑ってくれてた方が好きだよ。恥ずかしいけどこれもホントの気持ち。

 ぎこちなく手を持ち上げて頭を撫でてやると、彼女が背中に顔を埋めてきた。蚊の鳴くような声で「好きです」、顔から火が出そうだけど「俺も」と返事をし、お互いにダンマリ。甘い沈黙が下りた。


「お、お前等! 勝手にいい雰囲気作っておれを無視するんじゃねえよ! まじかようそだろ圭太に彼女とかっ、しかもノロケを見せつけられた、だと? リア充爆発しちまえ!」


 ないわ、マジない!

 喚く健太自身、大きくダメージを受けたのか胸を押さえてガックリと項垂れた。


「なんでこの状況でノロケを見せつけられて、ダメージを受けなきゃいけねぇんだよ。甘ぇよお前等。火星にでも帰っちまえ。おれ、もう帰りたいんだけど」


 「それに彼女がおれ好みって」独り言を吐いている健太に、取り敢えず一発かまさないと俺の気は晴れない。自分好みということはココロが地味っ子ちゃんでも可愛いと思ってくれるというわけで、そりゃ彼氏として鼻が高いんだけど……でも胸はマジマジ見てくれたわけで。

 うん決定。全力で一発二発三発殴らせてもらうぞ健太。圭太はこの拳骨に友愛と怒りの二つを籠めて貴方にお見舞いしたいと思います。


「不良デビューはおれが先なのに、彼氏デビューは圭太が先だとか。絶対におれが先だと思っていたのに。やばい……結構なまでにショックだ」


「ははっ、残念でした! んでもって健太、これから先、ココロの半径3m以内に近付くな!」


「そ、そこまで重い罪に問われるようなことしちゃねえよ! 触ったならまだしもっ、ちょ、ちょっと男のサガが擽られただけだ!」


「やっかましい! どー言われようと彼氏の俺には通じねぇ! ココロ。此処は危ないから、向こうのドラム缶山の陰に。追われているんだろ? あそこに隠れておいたらいいよ」


「はい。ケイさん、お気を付けて」


 誰のかは分からないけど、見知らぬ携帯を握り締めているココロはその場から逃げるように駆けた。

 背を最後まで見送る余裕はなく俺は彼女が駆けた三秒後、健太に向かって猪突猛進。勢いづいて相手が構える前に渾身のグーパンチ。右肩に入ったことを確認することもなく、さっきのお返しとして横っ腹を思いっきり蹴り飛ばしてやった。

 「ヅっ…」激痛に舌を鳴らす健太だけど、体勢は簡単に崩してくれなかった。渾身の一撃二撃を耐え抜いている。


 健太の言うとおり、あいつは俺よりか喧嘩の場を踏んでいるから耐久性がついているみたいだ。

 ギッと俺に鋭い眼光を向けて裏拳をかましてくる。さっきまでヘタレ田山だったけど、今は違うぜ。俺も本気モードだ。その拳を両手の平で受け止めて体を突き飛ばした。よろめく健太は足の軸をすぐに整えて後退。俺と対峙。

 最初こそガンを飛ばしてきたけど、その内冷笑。クスクスと笑って、「やーっと本気になった」口端をぺろっと舐めた。


「そーでなくっちゃなケイ。潰しがいがないと」


 健太は無自覚に俺の呼び名を節々で使い分けているみたいだ。

 『圭太』と呼ぶ時は仲が良かった中学時代の健太に戻っているし、『ケイ』と呼ぶ時は敵対している高校時代の健太に成り下がっている。今の健太は後者だ。ある意味分かりやすい奴だな、名前で判別できるなんて。無自覚だろうけどさ。

 「潰しがいねぇ」オトモダチの言うことじゃないと俺は肩を竦め、「オトモダチ?」何を言っているんだとばかりに健太は高笑い。悪党面がお似合いの顔で俺の言葉を全否定した。


「何処までオトモダチだって思えるだろーな? たとえば仲間を傷付けても、そこの彼女を傷付けても、まだそんな綺麗事を言えるか? ケイ。試してもいいぜ? 今すぐに」


「なッ……くそ馬鹿!」


 向こうのドラム缶山麓に身を隠しているココロをターゲットにした健太が、素早く俺の脇をすり抜けた。

 急いで健太の前に回って足を払う。転倒になりそうになりつつある健太を容赦なく押し倒して、馬乗りになる俺は何を考えているんだと罵倒する。  


「彼女はチームメートだけど、今の喧嘩には関係ないだろ。これは俺とお前の喧嘩なんだから!」


 胸倉を掴んで健太を引き寄せる。

 「ほーらな」一笑する健太の表情に、氷いっぱいの冷や水を浴びせられた気分になった。


「所詮こういうもんさ。おれとお前の関係なんて。お前、前に言ったな? 今も昔も大事だって。けど今と昔、どっちか選べと言われたらお前は迷うことなく今を取る。そういうもんだろ? どーせおれ等、高校も違うし、今過ごしてる時間もつるんでいる仲間も違うんだから。顔を合わすことのなくなった中学のトモダチか、毎日顔を合わせる高校のトモダチか、選べと言われたらおれは迷うことなく後者を選ぶね。時間を一緒に過ごしているんだから。

 結局、おれ等の関係は過去の産物。ぜーんぶ終わったんだよ、おれ等は。そうじゃないか? ケイ。ははっ、綺麗事なんだ。お前の言っていることは。今過ごしてる仲間の方が大事なくせに? おれをトモダチ? よくもまあそんなこと言えたもんだよな。現に今、彼女を迷うことなく取ったくせに。そっろそろウザッタイ綺麗事は慎んでもらおうか?」


 健太は俺の存在を忌々しそうに睨んで、自分の妨げになると突き飛ばした。


「邪魔だよ、お前。過去の関係に縛られているお前はすこぶる邪魔」


 相手に組み敷かれてしまう。

 背中を打ちつけた俺は衝撃に呼吸を軽く止めつつ、覆い被さってくる健太を見据える。胸倉を掴んでくる健太の腕を捕まえて、どうにかこうにか動きを封じた。

 一方で健太の言葉に傷付く自分がいる。健太の放った言葉に傷付いたというよりも、指摘されたことがまったくもって俺に当て嵌まるから、ちょい自己嫌悪。

 確かに綺麗事、なんだろうな。今の級友、昔の級友、究極の選択として選べと言われたら。仮にヨウと健太、両方ピンチでどっちかを助けないといけないと選択を迫られたら、前者を選ぶかもしれない。後者を選ぶかもしれない。卑怯かもしれないけど、正直その時になってみないと分からないよ。

 いやでもさ、健太。弁解に過ぎないかもしれないけど、中学時代の思い出あってこそ今の俺がいるんだぞ。


 お前と友達になれたことに後悔はしていない。   

 出逢えて良かったと思えるし、アノ日々を否定することなんて俺には出来ないんだ。

 俺等の関係は過去の産物? そりゃそうだろうけど、例えばこうやって喧嘩している真っ最中でもさ。神経逆立ているようなことされてもさ。ココロのことで気に食わないことをされたと思ってもさ。お前を嫌いになれないんだよ。

 それって俺にとってお前が、大事な友達だからじゃないか?  


 殴られても、蹴られても、罵声浴びせられても……嫌いになれないって。

 フツーはさ、嫌うだろ? 友達にこんなことされたら。俺だってヤサシかないから、こんなことされたらフツーに嫌っている。

 だけど健太を嫌えていない。川にどっぼーんと突き落とされたっつーのに、高熱も出したっつーのに、制服も汚したっつーのに。ただの友達関係なら、俺はお前をとうに嫌っているさ。絶交宣言に悲しんで終わっているだろうさ。全部に諦めてお前を嫌いになって、躊躇なく喧嘩をしているさ。


 でも出来ないんだよ。

 俺にとってお前は大事な友達。中学時代の、一番の友達なんだから。

 だからこそお前を簡単に選べない自分がいて悔しいし、哀しいし、ヨウ達も大事だから余計に気持ちが板挟みだ。お前の言葉に一々傷付く俺がいる。綺麗事だと言われても、図星を突かれても、やっぱり俺はお前を嫌いにはなれないんだよ。

 大事な友達だからと、先に気持ちがきちまうんだよ。


「簡単な関係だったら。簡単に嫌いになれたら……俺達どんだけ楽だったんだろうな? なあ、健太」


 俺の言葉に驚愕する健太がいた。

 見下ろしてくる健太に俺は微苦笑交じりに息を漏らした。取っ組み合いしてる手に震えが襲う。

 なんだよ、泣きたくなるほど切ないじゃんかよ。田山田、山田山、そういう馬鹿なコンビ名付けて笑っていたあの頃に縛られちゃいけないのか? 楽しく会話を交わした弾んだ気持ちにも、時に落ち込んで慰めてくれたお前の優しさにも、進学しても会おうって交わした約束にも、縛られちまう俺は情けないのか? ヘタレ? 女々しい?

 どうしてこんな風に傷付け合うカタチになったのかなぁ。俺等。

 震える手に気付いた健太がそれを一蹴するように素早く手を払って、パンッ――平手打ち。


「心理作戦は効かねぇよ」


 ド不機嫌の低い声で唸ってきた。

 バッカ、俺はお前じゃないんだ。正当な手で勝負を挑むっつーの。しかも平手打ちとか……いってぇの。

 親父にもなぁ、顔は平手打ちはされたことないんだぞバカヤロウ。拳骨は何回も食らってますが。あ、そういや、この前もお前に平手打ちもらったっけ。んじゃ、何回も顔に平手打ちすんじゃねえバカヤロウ! 凡人顔がブサイクになったらどーするよ!


 感傷に浸れるのも此処までのようだ。

 本気も本気モードになった健太が、何度も拳を振り翳して俺を殴りつけてきた。ヤラれっぱなしは趣味じゃないんで(Mじゃないんだぜ!)、俺は相手の腹部に足を入れて突き飛ばす。

 素早く立ち上がった俺は、相手にタックル。健太はドラム缶に体をぶつけていた。空洞のドラム缶に衝撃が走り、ゴンッと錆びた金属音の悲鳴が上がる。「チッ」舌を鳴らす健太を余所に、俺は弾みをつけて地を蹴ると二度目のライダーのキックならぬ田山キック。思い切り飛び蹴りを食らわせた。


 ゴン――ッ、ゴン――ッ、錆びたドラム缶の悲鳴が二つ上がる。

 一つは勢い余ってドラム缶に激突した俺、一つは攻撃を食らって体をぶつける健太。二つのドラム缶の悲鳴に、山麓に隠れていたココロがビクッと驚いてこっちを様子見。気付くことのない俺達は互いに胸倉を掴んでドラム缶に体をぶつけたりぶつけさせたり、傷付けたり傷付いたり。無意味な傷付け合いを繰り返していた。

 決着をつける筈の喧嘩なのにさ、ある程度腹も括ってきたのにさ、どうして現状はこんなにも胸が痛いんだろうな。傷付くよりも相手を傷付ける方に痛みを感じる。


「んのっ、ド阿呆ジミニャーノ不良! ちっともこわかねぇよ!」


 ガンッ―!


「るっせぇ、綺麗事地味野郎! 嘘バッカ吐きやがってさ!」


 ドンッ、ガンッ―!


「俺は正直者だっつーの! お前をオトモダチと思ってなあにが悪い! 俺を潰す? ハハッ、んな度胸もないくせに! ドヘタレ!」


「ッハっ、それが綺麗事だっつーの! 中学の頃からそーだ。お前って口先バッカ!」


「過去を勝手に引っ張り出して捏造しないでクダサーイ! 俺はいつもしょーじきに生きていたじゃないですか!」


「ああっ、クソッ。この調子乗りめ!」


 激しくドラム缶山麓でぶつかり合う。

 不安定に積んである空っぽのドラム缶が揺れ始めたことに俺達は気付かない。 

 「そんなに衝撃を与えたらっ……」身を隠していたココロが声音を張って危ないと注意をしてくるけど、やっぱり俺達は気付かない。

 相手を突き飛ばして拳で殴って、蹴って、頭突きをしたりして。ドラム缶にぶつけさせたり、ぶつけられたり。今までにない激しい取っ組み合いを繰り広げた。中学時代だって喧嘩したことないっつーのに、まさか高校になってこんなにも激しい喧嘩をするなんてあの頃じゃ想像もつかないよ。


 ガンッ――俺の胸倉を掴んでドラム缶に体を押し付けてくる健太は呼吸を乱しながら睨んでくる。

 既に口端は切れて血が、青痣もチラホラ……ブサイク面だな。俺も大概で同じ面をしているんだろうけど。口の中は鉄の味でいっぱいだ。お互いに呼吸を乱しながら、視線をかち合わせていたけど、向こうから啖呵切ってきた。


「はぁ……はっ、これでもまだオトモダチか? なあケイ? 随分なヤラれ具合だけど? はっ、過去なんてもう必要でもないくせにっ。いい身分の舎弟さまだしな? お前」


「はぁ……はぁ……好き好んで舎弟になったんじゃねえっつーの。それに……何度でも言ってやるよ。オトモダチだって」


「ケッ、好きだねぇ。綺麗事」


「綺麗事好きでごめーん。だけど……はぁ……山田健太はお前だ。お前以外……誰がいるんだよ。お前の代わりなんて作れねぇよ」


 ガンッ、ガンッ――二度ドラム缶に体を叩きつけられた。

 いってぇ! コノヤロウ、級友じゃなくて旧友になったけど、それでも友達だったろう? ちったぁ加減をしろ、優しくしろって! 心中で憎まれ口を叩く俺だけど、表じゃちょい受けたダメージに身悶え中。うわっつ…いってぇ、背中が真面目に痛いぞ。阿呆。


「お前ふっざけるな!」


 これまでにない罵り方をする健太は、ふざけるなと何度も繰り返す。

 その内、声が上擦って素の表情を見せてきた。中学時代よく見ていた、普通くんの素顔は弱々しい……とても気弱な顔だった。


「頼むから……これ以上惑わすなよっ」


「健太……」


「おれがどんな思いでっ、どんな思いでっ……覚悟してきたと。お前みたいにっ、おれは甘ちゃんじゃない。生半可な覚悟なんざしてないんだよ!」


「――馬鹿野郎、生半可なんて軽々しく言うなよ。俺がどんだけ覚悟してきたと思っているんだ。お前を傷付けるっ、それに俺がどれだけ怯えてたと思っているんだよ!」



「二人とも危ないですッ!」



 ココロの悲鳴に俺等は顔を上げる。  

 ゲッ、積んでいるドラム缶がぐらついッ、うわああぁあああ?! ちょいタンマタンマタンマ! 今、超シリアスムードで向こうの素を見れたとこなのに嗚呼っ、ドラム缶山麓の内側にいる俺より、外側にいる健太アブネェじゃんかよ! 幾ら空っぽでもドラム缶って重量感があるから、頭にでも落ちてきたら最悪即死だぞ!

 「健太ッ!」俺は反射的に目前の友達を突き飛ばした。大きく瞠目する友達を余所に俺も逃げっ、ぬぁつ、どわぁあ?!



―――ガンッ、ドンッ、ドンッ!



「ケイさんっ、ケイさん―――ッ!」


「ケイ……圭太―――ッ!」

 


 気が付くと二つの声が俺を呼んでいる。



「圭太っ、嘘だろっ! 圭太!」


「ケイさんっ! ご無事なら返事をお願いします!」



 雪崩のように落ちてきたドラム缶の山、その場に倒れている俺の耳に二つの声が聞こえる。

 「ケイさんっ!」「圭太ッ!」ドラム缶を退ける作業の音も聞こえたり聞こえなかったり。ドラム缶を引き摺る音、それと一緒に大丈夫かと二つの悲痛な叫び声。答えてやりたいけど、いやマジ、ショックが大き過ぎて……心臓がドッドッドっと鳴り響いてる。

 何が起きたか分からず、目を白黒させているんだけど、俺。

 は……ははっ、と、と、と取り敢えず生きてらぁ。いつも俺に意地悪する神様だけど、今回ばっかしは最大限の運気を与えてくれたようだ。とにもかくにも麓の内側にいて良かった。怖い、怖かった。死ぬかと思ったってぇ! 若干涙目になっているんだけど。


 軽く状況を説明すると、逃げようとした俺は情けないことに足を縺れさせてずっこけた。

 でもドラム缶のすぐ傍でこけたから、上から転がって勢いづいたドラム缶たちがこけた下のドラム缶を台に俺の頭上ぎっりぎりを通り過ぎて、向こうへ飛んでいってくれた。

 だから俺は生きてるわけです。ははっ、運良過ぎる。田山圭太超強運。泣きてぇ。生きてることに、無事な事に泣きてぇ! 嬉しくてガチ泣きたいっ! お、お、俺、すこぶる震えてらぁっ!


 ガクガク震えている俺を見つけた二人が血相を変えて駆け寄ってきてくれる。

 「圭太!」倒れている俺を起こしてくれる健太が無事か、大丈夫か、怪我は無いか、しきりに尋ねてきた。今負っている怪我はお前のせいだとして、別に異常なし……なしだよ。体は恐怖で慄いてるけどな!

 青褪めながら大丈夫だと答える俺、「よかった」ココロはホッと胸を撫で下ろしてその場に座り込み、「ばかやろう」健太が俺の両肩を掴んで握り締めてきた。


「なんでこんな無茶したんだよっ。逃げなかったんだよ!」


「ば、馬鹿……逃げようとしてコケたんだよ……間抜け話なことに」


 声がまだ震えてらぁ。肝が恐怖に萎縮している。

 こ、こ、怖かったぁああ! 本気で怖かったぁああああ! 不良の恐怖とか目じゃないぞ。この恐怖はまさしく『九死に一生を得る』という状況だよな。

 胸を押さえて震えに震えている俺に、「なんでさっさ逃げなかったんだよ」健太が上擦った声で頭垂れた。


「おれなんか無視してっ、逃げりゃ……こんな怖い思いしなかったんだぞ。運良く怪我しなかったけど、もしもなんかあったら」


「あ、阿呆じゃないか? お前の方が場所的に危なかったんだぞ。もし頭にでもぶつかってみろよっ。それこそ……死んでたかもしれないだろ」


「おれとお前、敵だぞ!」


「それはそれこれはこれだろ! 敵がどーしたよ! 俺は言っているだろっ、お前のこと、敵でも友達だって思っているって! ……もう嫌なんだよっ、俺、友達が怪我して……傷付くの。お前だって例外じゃないんだぞ!」


 ハジメのヤラれた姿が脳裏に蘇る。  

 あいつは友達なのに助けたくても助けられず間に合わなかった……今度は健太とか、絶対に嫌だろう。

 喧嘩して不慮の事故で死んだとか俺、一生後悔する。償いたくても償い切れない後悔を背負うだろう。

 そりゃ怖かったよ。咄嗟の判断で健太を突き飛ばして、俺も逃げようとしてずっこけた時は痛みを覚悟したよ。頭真っ白になったよ。

 でも、お前を無視して俺だけ逃げるとかできるわけがない。やっていたら、きっと後悔していた。あの時、お前だけ残して逃げる。そんなことをしていたら、きっと大後悔していた。していたんだ。


「綺麗事じゃなくて、理屈を語りたいわけでもなくって。単にお前が友達……だったから、体が動いたんだよ」


「バッカ……けいたの、ばか」


 俺の言葉に、今まで気丈に振舞っていた健太がクシャリと表情を崩す。

 「おれだって……ほんとうは」その先をどうしても口に出来ない健太。ごめん、必死に俺に嫌われようと役作りをしてくれてたんだよな。お前なりにケジメをつけようと思っていたんだよな。ごめん、ごめん、ほんっとごめん、健太。


「圭太なんで……ヤマトさんの舎弟を蹴ったんだよぉ。あの時、舎弟になってくれたらこんな辛酸を味わわなくて済んだのに」


 前触れもない苦情。

 「どうして……なんでっ」執拗に俺を責め立てる健太だけど、声に覇気はない。力なく責めを口にしてくる。


「お前のせいでなぁ。おれが舎弟になるかもしれないじゃん……」


 しゃくり上げる健太は何度も喉をひくつかせていた。感情を必死に押し殺しているみたいだ。


「おれっ、高校になってからは……ノリツッコミ……封印して、フツーの地味不良もなろうとしていたのに。面子が面子だし。ノリツッコミ封印して……でもヤマトさんに、不本意ながらも知られちまって。面白がられて」


「なんだよ……良かったじゃん。なっちまえよ。舎弟の苦労を一緒に味わおうって」


 泣き笑いする俺に、「ふざけるなよ」と健太は下唇を噛み締めて、熱い息を吐いた。


「なれるわけないだろ。あの人、超人使い荒いし……それに……お前ともっと対立しちまうじゃんかぁ。これ以上……おれ等が対立してどーするんだよ。敵チーム同士、しかもっ、親玉の舎弟同士とか最悪のシナリオじゃんか! おれ等、仲良かったんだぞっ、友達……思っていたの……お前だけじゃないんだぞ!」


 必死に断ったんだぞ、怖くても断り続けたんだぞ。

 健太は昂ぶった感情を水滴に変えて愚痴った。落ちる雫は健太の制服に落ちて滲む。

 俺はわけもなくツーンと鼻の奥が痛くなった。健太から零れた“友達”って単語に、ただただ鼻の奥が痛い。目頭が不思議と熱くなる。自然と忙しくなる肩の動きは俺自身でもどーしょーもない。悔しいのか、俺に顔を見せないよう項垂れたまま拳で叩いてくる。


「け、圭太のばかやろう。おれの苦労……なんだったんだよ。おれがどれだけ必死にお前を嫌おうと……嫌われようと……言い聞かせて。どれだけ苦しんだと思うんだよ。やっと覚悟を決めてもっ、お前は夢見るように『絶交宣言撤回』だとか『友達』だとか。覚悟にヒビを入れるようなこと言ってさ」


「健太」


「傷付けることが怖かった? おれだってそうだ馬鹿! 好き好んで蹴ったり殴ってたりしてたと思うか?! ……お前が荒川の舎弟って知った時からこうなるんじゃないかって怖じていたんだよ! おれは傷付くんじゃないか、圭太を傷付けるんじゃないかって、お前よりも長くながく恐怖を味わってたんだ。どうにかこうにか心を鋼鉄にして、こうやってお前に挑んでいるっつーのに……結局無意味。無効化。無遠慮にお前が友達なんて言うから、行動を起こすから」


 だから、言葉を失いかける相手の落涙する水の粒が増える。



「簡単に『絶交宣言』を白紙にするなよ。『友達』とか口にするなよ。『今までどおり』接してこようとするなよ! どれだけおれが苦労して気持ちを出したと思ってっ……お前のせいで何もかもパァだよ。何だよ馬鹿。どうしてくれるんだよ阿呆っ。おれの覚悟は何だったんだ。苦悶した末に決めた決意は何だったんだ。過去を必死に捨てようとしたおれが馬鹿みたいじゃないか! ただの独り善がりじゃないか! こんなことになるくらいならっ、こんなことしてくれるならっ、最初から……ヤマトさんの舎弟になってくれたら良かったのに。そしたらおれっ、おれ……毎日悩んで苦しんできたんだぞ―――ッ!」



 堰切ったようにワッと声を張って責め立ててくる。

 今まで必死に押し殺していた気持ちを吐露して、散々吐き出して、何度もなんども俺を責め立てて、ついには力なく肩を拳で叩いてくる。俺は何もできなくて、健太の気持ちを体で受け止めるしかできない。黙って健太の苦しみを聞いてやることしかできなかった。

 「ふっざけるなよ!」仕舞いには感情余って俺を押し倒し馬乗りなってくる。拳も振り翳されたけれど、俺は抵抗すらできなかった。

 向こうも震える拳を翳したまんま。一向に下ろそうとする素振りは見せない。俺を見下ろしてくるその表情は、中学時代の顔。俺のよく見知った顔。大事な友達の顔だった。


「健太……」


 そっと名前を呼べば、「なんでだよ……」グシャグシャに皺を寄せた汚い顔で子供のように繰り返す。

 なんで……なんで? どうして? と。


「なんで圭太……ヤマトさんの舎弟になってくれなかったんだよ。なんでおれは圭太を傷付けているんだよっ。おれっ……なんで……うぁあっ……非情になれないんだよ―――ッ!」


 決めたのにっ、決めた筈なのに。  

 健太は俺を責め、友達を傷付けたことに自責し、作り上げた覚悟すらかくも脆く崩れてしまう弱い自分に嘆いている。俺も知らず知らず、喉の奥が引き攣って今までの我慢とか苦労とか辛酸が一気に沸騰した。

 お前……こんなにも苦しんでいたんだな。俺はお前のことを何も知らず過ごしてきてたんだな。

 ごめんっ、ごめんな……長く苦しませてごめん。ごめん。本当にごめんな。


「どうしてこうなるんだよっ、なあ圭太っ! なんでっ、上手くいかないんだよ!」


 上体を起こして俺は健太の背に腕を回した。

 両膝を折って泣き崩れる健太は拒絶する素振りもなく、圭太のせいだって肩口に額を乗せてくる。

 健太は分かってるんだ。これは誰のせいでもないって。でも誰かのせいにしないと行き場のない感情を処理することもできないから俺を責めてくる。何度もなんども責めてくる。日賀野の舎弟にならなかった俺をなんども。

 俺はしっかりと健太の気持ちを受け止めた。それが今の俺にできることだから。


「圭太が……舎弟なんねぇから」


「うん、ごめん」


「おれ……こんなに苦しんで」


「うん……ごめん」


「苦心して……絶交を考えたのに……お前は無責任だ」


「ほんと、ごめんな」


 「ごめんっ」込み上げてくるしょっぱさを噛み締めて謝ることしかできない俺に、「もう……無理じゃんか」情けない声音を漏らす健太は、うぁっ……と意味を成さない一声を漏らす。


「どーするんだよっこの始末。もう無理じゃんか。決着つかないぞ。どっちかが勝たないと、終わらないんだぞ。無理だぞっ、おれ……もう、お前を平然と殴るなんて……無理だからな」


「健太……ごめん、ほんとごめん」


 謝ることしかできない。健太の努力を水の泡にした俺には謝ることしかできない。


「謝るならっ、お前が……トドメさしてくれよ。助けてくれた借りはこれで返すから」


 チームが負けるのはヤだけど、お前に負けるのは全然苦じゃない。

 健太は泣きじゃくりながら俺に懇願してくる。

 なんだそりゃ。無茶苦茶なお願いだぞ、それ。俺にビィビィ泣いてる元ジミニャーノを殴って殴り倒してトドメさせってか? 非情になれって? ……無理に決まっているだろ。馬鹿。


「それもごめん……俺も無理だ。逆ならいいけどさ。俺からじゃ無理だ」


「何だよ畜生、それくらいしてくれたってイイジャンか。借りを返すと言っているのに」


 しゃくり上げる健太はお願いだと俺に頼み込んでくる。

 聞けないお願いだから、俺は無理だと繰り返した。だってお前、俺の大事な友達だから……傷付けろと言われて傷付けられるような奴じゃないんだよ。俺の返答に、健太は嗚咽の声を濃くした。


「なんでそれも聞いてくれないんだよ。なんで……どうしてだよ……っ圭太」


「……健太」


「どーしたらいいんだよ、おれ等。あの頃に戻れるわけないのにっ……戻りたくてもっ、もう」


「うん、そうだな。戻れない……よな」


 全体重を右肩に掛けて泣き崩れる健太の体を支えながら、俺は潤んでは晴れる視界を見つめた。

 視界が晴れる度に頬を伝って落ちる涙をそのままに、ドラム缶の雪崩れの惨状を見つめながら考える。なんでこうなっちまったかなぁ、どうして……こーなっちまうのかなぁ、俺等。どう転んでも、傷付いてバッカじゃないか。

 非情になろうとしていた健太も、友達に戻ろうとしていた俺も……傷付いてバッカ。


「ケイさん……」


 傍観するしかないココロの呼び掛けに答えられず、俺は呆然とした気持ちでただただ宙を見つめていた。

 なんで、どうして、こーなった。どうしたら……俺等は傷付かなくなるんだろ。分からないや、今は何も分からない。各々決着をつけようと奮闘している中、決着もつけられない俺等は二階で迷子になっていた。策も答えも解決法も見つからず、気持ちが迷子になっていた。


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