14.イケメンはつらいよ、荒川庸一の家庭事情




 時刻は九時半過ぎ。


 ヨウは浅倉と共にチームメートへ『今日は解散』と指示し、皆を各々帰宅させた。ヨウ自身も仲間と別れ、ひとり帰路を歩き、自宅である七階建のマンションに到着する。エレベーターに乗り『5』の数字を押し、荒っぽい手付きで『閉』を連打。

 ガタン、揺れるエレベーターはあっという間に五階へ到達した。脳内で『エリア戦争』や浅倉と話したことを巡らせながら、自宅の扉を開ける。

 普段だったら玄関で“奴”の靴があるかどうかチェックするのだが、今日は余裕がなかったため、よれよれのローファーを脱ぎ捨てて真っ直ぐ自室へ。鞄をベッドに投げた後、喉の渇きを潤すために着替えを後回しにしてリビングに向かった。


「庸一。おかえりなさい」


 リビングに入ると、驚いたような顔でこっちに視線を投げてくる母。血の繋がりのない父の再婚相手が声を掛けてきた。

 母がこんなにも驚愕しているということは……ヨウは眉根を寄せて部屋をぐるりと見渡す。

 なんてこったい、リビングの窓辺に設置しているソファーに忌々しい父の姿があるではないか! 普段であれば、奴が帰宅しているかどうかを念入りに確認し、いるのであれば顔を合わせないよう自室に篭っている事が多いのだが(顔を合わせれば嫌味を飛ばされる!)、ああ、油断していた。

 聞こえぬよう舌を鳴らすヨウは母の挨拶を無視し、キッチンに入ることにする。奴の姿のせいで余計に喉の渇きを覚えるではないか。最も顔を合わせたくない父の姿に嫌悪感を抱きながら、荒々しく冷蔵庫を開けた。


 次第にリビングの空気が濁っていく。

 家族の中で唯一普通に相手できる三つ上の義姉、荒川ひとみが「庸一お帰り」空気を和ませようと笑顔を向けてくるが空気は変わらず。


「そうやって遊び散らしては愚行ばかり。家族にとってイイ迷惑だ」


 ソファーに腰掛けている父から痛烈な嫌味が飛んできたため、「るっせぇ!」ヨウは盛大に反論。

 自分の何を知っているのだと毒づき、そっちはろくでもない父親ではないかと吐き捨てる。売り言葉に買い言葉、頭に血が上った父と喧嘩が勃発する。母や姉が止めに入ってくるが、止まることなく口論が繰り広げられた。これがヨウにとっての日常であり、家に帰りたくない一つの要因だった。完全にヨウの親に対する気持ちは冷め切っている。

 散々喧嘩した末路は、胸倉を掴まれ一発かまされるという陳腐なもの。「出て行け」侮蔑したような眼で吐き捨てられたため、「あー出て行ってやるさ!」お前がいる間は帰って来ないとテーブルを蹴り倒し、ヨウはリビングを飛び出した。


「待って庸一! お父さんも言い過ぎよ! べつに殴る必要なんて……あ、庸一ったら!」


 ひとみが慌てて追い駆けに来てくれるがヨウの耳には届かず、ローファーを爪先に引っ掛けると弾丸のように外へ。 

 エレベーターを待つのも億劫だったため、階段で一気に地上まで駆け下り、マンションを後にする。しっかりとローファーを履いていないため、何度も躓きそうになったが構わず足を動かし、少しでもマンションから遠ざかるよう心掛けた。

 夜風を切っている内に頭が冷える。ついでに息も上がってきたため、足を止め、古い民家の塀に背を預けて呼吸を整えることにした。軽く掻いている汗が夜風によって冷まされ、心身冷えていく。「最悪」一発かまされた右頬を軽く擦り、口端をぺろり。鉄の味に、やっぱり切れているとヨウは盛大に舌を鳴らした。

 その場にしゃがみ込み、はぁっと額に手を当てる。


「親父が帰っていたなんて……なんだよ。くそっ」


 自分の帰宅姿に嫌悪、まるでゴミを見るような眼を飛ばしてきたと思ったら痛烈な文句。

 家族に迷惑を掛けた? そっちこそ都合の良いように自分を振り回してばかりではないか。離婚に再婚、厳しさばかりの教育、世間体ばかりを気にする始末。親の愛情を思い出そうとしてもヨウには一抹も思い出せずにいる。


 結局、家に自分の居場所なんぞないのだ。

 ブレザーのポケットに突っ込んでいる携帯が音を奏で始めた。取り出して開いてみると、そこには義姉の名前。心配して電話を掛けてきてくれるのは血縁のない戸籍上、姉のひとみだけだ。しかし、申し訳ないが今は着信に出る気分ではない。着信音を聞きつつヨウは汚れているアスファルトに視線を留め、向こうが諦めるのを待つことにした。


 プツリと音が消える。

 どうやら諦めてくれたようだ。良かった、と思う間もなく携帯からピピピピっと音。


「まさか……」


 開きっ放しの携帯に目を落とせば“充電して下さい”の表示。

 踏んだり蹴ったりとはこのことだ。充電器は家にあるため、コンビニで充電器を買わなければ。


「……ん? は? まさか……ちょ、アリエネェ。財布は鞄の中じゃねえか。置いてきちまった」 


 無一文の上に充電の切れた携帯(使えねえ!)、踏んだり蹴ったりはっ倒されたりの気分である。

 カッと頭に血がのぼって家を飛び出してきたものの、何処で一夜を明かせばいいやら。電話が切れてしまった今、アポなしに仲間内のところに行くわけにもいかない。時刻は多分、十時を回っている頃だろう。

 大半が泊まりに厳しい家庭。アポなしで転がり込むのは向こうだって困るだろう。

 せめて金があればどっかで時間を潰せるのだが……仕方が無い。金を借りに行こう。ヨウはこの時間に訪問しても比較的に優しい応対をしてくれるであろう、舎弟の家を目指すことにした。徒歩で二十分程度、家が近くて良かったとつくづく思う。彼、もしくは自分が電車通だったらそれこそ徒歩一時間は覚悟しなければいけないだろうから。


「ほんと何だかんだで世話になってるよな、舎弟には」


 思いつきで作った当初では考えられないほど、自分はあの地味っ子を頼りにしている。支えにしているのだ。



 とは言うものの……。



「ンー。挨拶はどうするべきだ。夜遅くにごめんなさい? それとも夜に突然お邪魔します? お暇イタシマシタ……? これ、正しい敬語なのか? あーくそっ、敬語っつーのは苦手だからな」



 やはり引け目を感じていたヨウの足取りは重かった。

 途中で不良に絡まれたが、それを難なく乗り切り、舎弟宅を目指すために緩やかな坂をのぼって行く。

 けれど半分ほどのぼったところで足は止まってしまった。ヨウは腕を組んでうんぬんと舎弟宅に向ける挨拶を考えていたのだ。ケイが一人暮らしならまだしも、彼は家族と一緒に暮らしている。慎重に、丁寧に、そして向こうになるべく悪印象を与えないよう努めなければ。ケイの家族には良くしてもらっているのだ。悪くは思われたくない。


 不良といえど多少の礼儀は心得ているつもりなのだ。身形に関しては胸を張ることができないが、ちゃんと場は弁えている。自分なりに。

 普段は使わない頭をフルに働かせていると腹の虫が鳴る。「腹減った」夕飯をまだ済ませていないヨウはがっくりと項垂れてしまう。惨めな気持ちになってきた。どうして自分がこんな目に遭わなければならないのだろうか。

 早いところ舎弟に金を借りて、ファミレスなりMックなり一夜過ごせる場所を確保しなければ。


「庸一くん」


 ポンッと軽く肩を叩かれる。

 弾かれたように顔を上げたヨウが、背後を顧みると柔和に綻ぶ中年のリーマンが立っていた。

 ケイの父親だ。舎弟の面影を感じさせる中年リーマンのこと、ケイの父は「こんばんは」ぺこっと会釈をしてくる。そのためヨウもつられてぺこりと会釈。何事もTPOだ、TPO。礼儀正しく、だ。


「こんな時間にイケメンくんに会うなんてラッキーだなぁ。何をしているんだい?」


 問い掛けにヨウは困ってしまう。

 まさか今から舎弟宅に向かい、金を借りに行く予定でした、なんて言える筈もない。

 決まり悪く頭部を掻き返事を考えていると、空気を読まない腹の虫が大きく鳴く。顔を紅潮させるヨウに何かを感じたのか、「もう十時過ぎだね」腕時計で時間を確認したケイの父がヨウの隣に立ち、そっと背中を押す。


「うちに来なさい。圭太なら家にいる筈だから」


「え、いや俺は」


 尻込みするヨウに、「大人を頼りなさい」遠慮はいらないとリーマンが目尻を下げる。

 言わずも事情を察してくれたのだろう。寝床に困っているヨウに向かって、ケイの父は歓迎すると笑声を漏らす。大人は嘘つきばかりで、簡単に信用が置けないと思いがちのヨウだが、この大人の嘘偽りない笑顔には信用が置けた。ケイの父だからこそ信用ができたのかもしれない。

 「ただし」ケイの父がしっかりと釘を刺してくる。


「田山家のルールは父さん中心だよ、庸一くん。つまるところ、主導権は一家の大黒柱である父にある。君も例外じゃない。庸一くんがイケメンであろうと、母さんがその顔にメロメロだろうと田山家のルールは父さんなんだ」


 ケイ曰く、父は極度の電波人間らしい……が、間の抜けた顔を作るヨウが表情を崩すのはこの直後。


「おじちゃんのそういうところが好きだな」

 

 客人扱いをせず、家族同然の扱いをしてくる舎弟の父が大好きだとヨウは純粋に思った。



 舎弟宅に着くと、玄関口でケイの母親に笑顔で出迎えられた。

 エプロン姿の彼女はヨウがいると分かるや否や、いつも以上に飛びっきりの笑顔を向けてくる。それに夫は思うところがあるようだが(「母さんの薄情!」)、構わず彼女はヨウを歓迎した。

 一応、アポなしにお邪魔したため、挨拶と事情を説明しようと思ったのだが、次の瞬間、笑顔のまま彼女の弾丸トーク開始。


「いらっしゃい庸一くん。夕飯は食べてきた? 今、圭太がお風呂に入っているんだけどまだあの子も夕飯を食べてないの。一緒にどうかしら? 今日の献立が庸一くんのお口に合うかどうか分からないんだけど「いや俺は」


 まずご挨拶をしたいんだけれど。


「ほっぺ腫れていない? 怪我をしているの? まあ大変、口端が切れてるじゃない! 圭太、救急箱っ! って、あの子お風呂に入っているんだったわ! ああああ何処に仕舞っちゃったかしら救急箱! どこかに仕舞っているとは思うんだけど「あの、おばちゃん」


 事情を説明したい、んだ、けど。


「浩介なら知ってるかしら。あの子、今、部屋でゲームしてる筈よね。浩介、ちょっと救急箱知らない? 浩介、こーすけ「おば……行っちまった」


 話すだけ話したケイの母は踵返して浩介の自室へ。

 呆然と見送るヨウの肩を叩き、ケイの父が上がろうかと声を掛けてきたため、取り敢えず上がらせてもらうことにする。こんな予定ではなかったのだが、完全に田山家ペースに呑まれてしまった。

 ケイの父と共に居間にお邪魔すると、丁度風呂から上がったケイが台所で茶を取り出している真っ最中だった。タオルでゴシゴシと髪を拭きながら、コップに茶を注いでいるケイは帰宅してきた父とヨウの姿を一瞥することも無く、お帰りと挨拶。


「おかえり。何だか母さんが煩かったけど、どうかしたの?」


「ああ。庸一くんのことで母さんが興奮しているんだよ」


「またかよ。母さんは友達に対してはめちゃくちゃ良い顔するからなぁ。俺もあんな風に甲斐甲斐しく世話してもらいたいや。夕飯は?」


「父さんは今日、軽く飲んできたから。庸一くんはまだだよね?」


「あ、はい」


「そっかそっかそっか、んじゃ母さんには俺とヨウの夕飯を頼んでもら……ん? なんかさっきから会話に違和感が。なんでさっきからヨウのなま……はいぃいい?! ヨウ本人出現?! うっわぁああ! 茶が零れたぁああ?! てか、どうしたヨウ、その顔! 喧嘩か?! 問題が遭った?! いや問題は茶が零れてるこの状況だけどっ、何があったし?! 取り敢えず夕飯は食ったか?! なんならご一緒に!」


 しっちゃかめっちゃかの言葉を飛ばし、零れた茶をそのままに駆け寄って来るケイは「大丈夫かよ」と心配を口にしてきてくれる。

 「あー……」ヨウは頬を掻きつつ、ケイの言葉に対して先程考えていた言葉を口にすることにした。


「夜分遅くにお邪魔している……ケイ」


 今更感あり過ぎて意味ねぇ。そう思ったのはヨウだけの秘密である。




 ◇




「――イテテテッ、ケイ。ちょい力入れ過ぎ」


「あ、ごめんごめん。でも消毒はしないと、お前、折角の美貌が台無しになるぞ。頬も腫れちまって……モトも発狂するぞ、っと。よし、こんなもんか」


 軽く口端部分をガーゼで固定した俺はヨウにタオルで来るんだアイスノンを手渡して、救急箱に消毒液を仕舞う。 

 「悪いな」突然の訪問に謝ってくる舎兄だけど、「気にするなって」家族はお前のこと気に入っているんだから、肩を叩いて首を横に振る。

 何があったかはヨウ自身から直接聞いた。父親と喧嘩してぶん殴られたこと、無一文のこと、携帯の充電のこと、当初の目的のこと。そら前触れもなしにヨウの姿が居間にあったことはめちゃくそ驚いたけど(なんのドッキリかと思った!)、てっきり俺は泊まりに来たんだと思っていたんだ。


 そのつもりで話し掛けたらこそ、当初の目的を聞いた時は居間に姿を現した以上に驚いちまって。「どっか泊まれる予定あるのか?」思わず聞いちまった。

 ファミレスで夜明かしするくらいなら泊まっていけばいいじゃん、折角なんだし。そう付け足して俺はヨウを歓迎した。

 だってなぁ、この時間にヨウを外に放り出せるか? フツーに出せねぇよ、向こうは怪我をしているのにさ。「でもなぁ」最初こそヨウは遠慮を見せたけれど、「庸一くんお風呂は入った?」話に割ってきた母さんが笑顔で応対。


「ご飯の後がいいかしら? それとも前? あ、今日の夕飯はエビフライだけど好きかしら? ごめんなさいね、有り触れたものしかないんだけど。エビフライは何本がいい? そうそう圭太。庸一くんの寝巻き、圭太のジャージでいい思う? それしかないんだけど、って、サイズ合うのかしら。確か二着あったんだけど……ちょっと待ってね。持ってくるから」


「……ヨウ、泊まっていかないと母さんがすこぶる落ち込むと思う。もう夕飯二人前作っているみたいだし、俺一人じゃ処理できないって」


「……じゃあ、お言葉に甘えて」


 まあまあ、こんなことがあったからヨウのアポなしのお泊りが決定。 

 自室にいた浩介も遊び相手が来てくれたとサプライズ訪問に喜んでいた。居間に入るなり、「ねえねえ遊ぼう!」ヨウに纏わり付く始末。不良相手でも俺の友達だと分かった途端、この熱ある歓迎っぷり。ついでに父さんが一緒に晩酌でも、なんて冗談をかましてくるもんだから本当に困ったもの。

 我が家って、つくづく煩い人間ばっかだよ。


 そんなこんなでバタバタはしたけれど、無事に俺はヨウと夕飯にありつくことができた。

 俺は勿論、ヨウも親と喧嘩したからなのか相当空腹を感じていたみたいだ。食べるペースがいつもよりも早かった。勢いよくエビフライにパクついている。

 ちなみに俺達は台所のテーブルで飯を食っている。居間のテーブルでは父さんが晩酌していた。居間で取っても良かったんだけど、母さんが話しやすいようにとヨウを気遣って台所のテーブルで食事を取るよう勧めてきたんだ。

 母さんの配慮のおかげで、ヨウも気兼ねなく俺に話し掛けてきてくれる。母さんの気遣いはヨウにとって大きなプラスだったようだ。


「おかわりがあったら言ってね。大したものはないけど」


 新たに揚げたエビフライの皿をテーブルに置いた母さんが人柄良く微笑む。

 「すみません」申し訳無さそうにするヨウに、「いいのよ」我が家のように寛いで頂戴ね、と返事した。


「言い難かったら圭太に頼んでもいいわ。ゆっくりしてねっ……お父さん! 今日飲んで来たんでしょ? 今、注ぎ足した焼酎何杯目?!」


 愛想良く笑顔を向けていた母さんが一変。

 父さんがこっそりこそこそ焼酎をグラスに注ぎ足したもんだから、素っ頓狂な声音を上げた。

 「いいじゃないか」のほほん笑う父さんに、「いけません!」母さんがキィキィ喚きながら居間へと姿を消す。父さん、母さん……客人の前でまんま素を曝け出しているよ。息子はとても羞恥を覚えるんだけど。


 まあ、ヨウも何回か家に泊まりに来ているから慣れてきたとは思うけど。


「おとーさん! いい加減にしなさい。一日焼酎は二杯って決めているでしょ!」


「怒ると皺が増えるぞ。若かりし時より、確実に増えているだろうけど」


「そ・れ・はお父さんが増やす原因を作っているんです! んもう、圭太、庸一くん、こんな大人になっちゃ駄目よ!」


 なんで俺等に振るよ、母さん。 

 呆れる俺と呆気に取られているヨウを余所に、母さんはガミガミと父さんにお小言を垂れている。父さんはもうどこ吹く風でテレビの方へと逃げていた。ああ、こりゃもう少し母さんのお小言が続きそうだな。


「なんかいいな、ああいうの。ほのぼのする」


 全力で否定していいか?

 向かい側に座っているヨウに視線を投げれば、「こういう家に生まれたかった」微苦笑を零して、父さん母さんのやり取りを見つめているヨウの姿がそこにはあった。物欲しそうな目をしている舎兄にびっくりしてしまう。まんま子供のような顔は希少な姿だった。


「おじちゃんもおばちゃんも優しくて楽しいや。俺のところとは大違いだぜ」


 本気で田山家の養子にでもなっちまいたい、ヨウは不機嫌にエビフライを口に放り込んだ。


「俺の親父なんて、時たまに帰ってきたと思ったら『庸一。また自分の愚行で家族に迷惑を掛ける気か?』だとかほざく。るっせぇってんだ。俺の何を知ってやがる。しかもなんで殴るんだよ。ワッケ分かんねぇ親父だ」


「大変だな、ヨウのところ」


 ヨウも随分溜まっていたようだ。

 「んでさ」堰切ったように両親の愚痴を俺に漏らしてくる。

 殆どこういった愚痴は漏らさないヨウだけど、限界だったみたい。誰かに腹の底から抱いている怒りを聞いてもらいたかったらしく、矢継ぎ早に文句の連続。過去は遡ること小学校時代、若かりしき小学生時代の頃から思っていた愚痴を俺に吐露してくる。離婚する前のことからグチグチ、ブツブツ。

 そんなヨウに俺は相槌を打ったり、言葉を簡単に返すことでヨウの捌け口になってやった。俺が健太のことで弱音の捌け口をヨウに向けたように、ヨウも俺に不満を吐いたら良いと思う。誰かに聞いてもらうことで幾分マシになるだろうしさ。


「うちの親父。昔から躾に厳しくてさ。なにかと叩かれて育ってきた。俺がしていなくても、俺に疑いを持ったら叩かれてメシを抜かされたもんだ。弁解の余地もなくだぜ? しかも亭主関白が当たり前で、おふくろに躾への口出しは一切禁じた……おふくろってのは、俺の実母のことな」


「もう、会っていないのか?」


「親が離婚してからは一切会ってねぇ。あいつも、結局自由ほしさに家庭を捨てたんだよ。当初は俺を引き取るうんぬん言っていたくせに、現実はこれだ」

 

 だから大人なんて信用できないのだとヨウは皮肉った。

 こうして話を聞いていると、本当にヨウのところは大変なんだな。

 両親の離婚に再婚。ヨウにとって実母に当たる母親とは離婚後一度も会えていないみたいだし、今の母親とは実父同様上手くいっていないようだ。寧ろ不良の自分を過度に避けている、何もしていないのに。ヨウはイミフだと鼻を鳴らした。

 義姉だけが味方にはなってくれるけど、別段仲が良いわけでも悪いわけでもないらしい。

 ゆえに、こういった愚痴は吐けないとヨウは苦言する。そりゃ鬱々とした鬱憤も募っていくわけだ。


「家は嫌いだ。あそこは監獄も同然だから」


 学校や外ではチームのリーダーしているけど、家では複雑な家庭事情に随分と悩まされているんだな……ヨウ。

 同年代なのに重たい苦労を背負っている。イケメン不良も色々あるんだな(顔は関係ないと思うけどさ)。家に居場所がないってのも辛いよなぁ。


「仕舞いにはあいつ、俺のこと息子じゃねえって言いやがった。俺だって、好きで息子をしているわけじゃねえし。ああくそっ、腹が立つ。どーもあいつは不良になった俺を軽視しているみてぇだ。それ以前から軽視はしてたみてぇだけど? 苛々する……なんで俺がこんなクダラネェことで腹を立てなきゃいけねぇんだ」


 テーブルに伏して、沈んでしまう。

 殆どなくなっているグラスに麦茶を注ぎ足してやりながら、「クダラネェことでもお前にとっては大きなことなんだろう?」と問う。「わっかんね」曖昧な言葉を紡いで上体を起こすヨウはグラスに手を伸ばし、それで喉を潤した。


「怒れば怒るほど虚しさだけが残る。だから、俺の中でやっぱりこれはクダラネェことなんだと思う」


 「そうか」俺はどっちつかずの相槌を打ち、ヨウの心情に耳を傾けてやる。それが俺にできることだと思ったから。

 「早く家を出てぇ」ごちる舎兄に、「一人暮らしを始めたら呼んでくれよ」遊びに行ってやると一笑を向ける。気が落ち着いたのか、ヨウが決まり悪そうに笑みを返してきた。


「悪いな、飯を不味くした」


 空になった茶碗を見つめるヨウに気付き、俺は箸を置いてそれを取った。


「別に気にしてないって。明日も父親がいるんだったら此処に泊まっちまえよ。それに今は『エリア戦争』でゴタゴタしているんだし……どこかで休息しないと、パンクして潰れるぞ。お前」


 椅子を引いて立ち上がると、炊飯器を置いている台へ向かう。

 しゃもじで白飯を掬い、それに盛るとテーブルに戻った。「ほれ」ヨウに手渡し、置いていた箸を持つ。


「何だよ、人の顔をジトーッ見て。そんなに見ても平凡顔がイケメンになることはないぞ?」


 さっきから凝視するように見つめてくるイケメンは、何か思うことがあったらしい。

 「ケイってさ」白飯を箸で掬い上げながらぽつ、と吐露する。


「変わったよな」


 意図が読み取れず、動きを止めてしまう。

 向かい側に座っている相手と視線を合わせると、「ケイは変わった」同じことを繰り返す。


「最初はあんなに必死こいて俺達に合わせようとしていただろう? ケイ、不良にかんなりビビッていたし。あ、それは今もか」


 「はい?」俺は間の抜けた声を上げてしまう。


「ん? 違うのか? 俺から呼び出し食らった時とか最高にビビっていただろ?」


 人のことを箸で指してくるマナー違反の不良に愕然としてしまう。

 

「ちょ、ちょ、ちょ……ちょい待て。な、何だよ、お、お前。気付いていたのか?」


「おう、フツーに」


 首肯するヨウにありえねぇと悲鳴をあげてしまった。

 俺が表向きオトモダチで頑張りますよ。でも内心不良恐くて仕方がありません、勘弁して下さい……の、気持ちを、こいつは普通に感じ取ってくれていたのかよ! 俺を面白がって舎弟にした時は、結構なカンジで空気が読めていない不良さんだとばかり思っていたのに。

 えええっ、ナニその今更ながらの今更過ぎるカミングアウト! ゼンゼン嬉しくねぇ!


 せめて最初の方でそれをカミングアウトしてくれよ!

 だったら俺も「じゃあ不良恐いんで舎弟の話も白紙に」「あ、そっちの方がいい?」「はい」「んじゃ白紙にすっか」「そうしましょう。これからもオトモダチでヨロシクです」「おう」「あはは」「あはは」の流れにしていたよ! 頑張ってしていたよ!

 空気を読めていたなら、俺にその姿を見せて欲しかったっつーの!


 今度は俺がテーブルに伏せてしまう。


「よ、ヨウ。お前、マジ今更。俺、どんだけ頑張っていたと」


「ははっ、懐かしい思い出じゃねえか。一年も経ってねぇけど」


 能天気に笑うヨウの小憎たらしさといったら。脛を蹴っ飛ばしてやりたくなるね!

 のろのろと上体を起こして深い溜息をついていると、「何が遭ってもケイは離れて行かなかった」それが俺にとってどれだけ支えになったか。ヨウが静かに心情を明かす。

 正確には離れることが恐かったんだよ。あと二年はヨウと同じ学校に通わないといけないんだぜ? もしかしたら同じクラスになるかもしれない。そうそう離れて行けるわけないじゃないか。俺はしっかりと空気を読む子だぞ……まあ、最初の方は恐くて離れられなかった。ただそれだけだったんだ。


 不良という未知数な人種に絡まれて、呼び出されて、色々と騒動が遭って。

 それがいつの間にか、ヨウ達がいて当たり前の生活になっているから不思議だよな。不良は今でも恐いし、俺は喧嘩ちっともできねぇけど、俺の中で不良のいる生活は必然となっている。もし、荒川の舎弟ならなかったら、こうして舎兄が俺の家に泊まり来ることもなかっただろうな。

 

「もしも、あの時ああなっていたら……今日はよく考えるんだ。例えば俺がチャリ通じゃなくて徒歩通だったらさ、俺等が関わることもなかったよな? 俺がタコ沢をチャリで轢くこともなかっただろうし。ヨウがタコ沢と喧嘩していなかったら、やっぱり関わる契機は掴めなかった。それにもしも俺が……日賀野の舎弟になっていたら今頃俺達はどうなっていたんだろう?」


 胸に引っ掛かっている疑問が自然に零れてしまう。

 不快感を表に出すことなく、寧ろ微苦笑で俺の言葉を受け止めたヨウは軽く肩を竦める。


「ンだよ、同じことを考えていたのか。もしかして浅倉から舎弟の話を聞いたのか?」


「いや二代目舎弟の桔平さんからだけど……ヨウは浅倉さんから話を聞いたのか?」


 「ン」肯定の返事をするヨウと俺の間に沈黙が流れる。

 タイミング良く母さんが父さんに大声で説教を垂れたから(まーだ続いてたのかよ)、それに苦笑い。俺等は話を打ち切って遅めの晩飯を平らげた。


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