09.妄信フィルターはすごいってばよ




 三日後。


 俺達の耳に吉報が飛び込んできた。

 それは池田チームを潰したことにより、大幅に此方の情報が漏えいされなくなったという嬉しい知らせだった。チームの情報屋を受け持っている弥生が掴んできた情報だ。信憑性はあるだろう。これで少しは此方に有利な展開に流れたらいいのだけれど、なにぶん、俺達の対峙しているチームのリーダーは狡賢い策士。一チームを潰したダメージがどこまで与えられたのだろう? 疑問が残る。


 けれど今は喜ぶべきことだ。

 池田も、怒れたヨウの恐ろしさを知ったようだし、今後は俺達に手出しをすることはないと思う。池田戦は一件落着だ。 



 さて、問題はチーム内で浮上している舎弟問題だ。 

 舎兄弟が解消された今、俺とヨウはただのチームメートだ。大それた肩書きはない。

 だけど俺達の間柄に変化はない。舎弟じゃなくなっても俺はヨウ達とつるんでいるし、ヨウは当たり前のように俺のチャリの後ろに乗ってくる。何も変わらない。俺達は舎兄弟を結んだままの仲だ。関係が変わっただけで、何も変わらない。

 ヨウは誰を舎弟にするのだろう? チームメートが早く結論を出せと急かす最中、ヨウはひたすら口を閉ざしていた。よって真意はあいつの胸の中だ。

 こればっかりは俺も口を出せない。一応俺も舎弟候補に選ばれている人間だ。あいつが公平に舎弟を決めていたいと思っているのに、俺が茶々入れたら台無しだろ?


 あいつの納得する答えを見出すまで、俺達は待ってやるべきだ。それが今後のチームのためでもあるのだから。



 そうして時間を過ごしていた七日目の放課後。

 帰りのSHRを終えた俺の下にヨウがやって来た。

 身支度をしている俺に、「ちょっと付き合ってくんね?」と頼まれる。てっきり一緒にたむろ場まで行こうと誘われるかと思っていた俺は申し出に驚いてしまった。ヨウに連れられるがまま、教室を出た俺は何処に行くのだと相手に尋ねる。すぐに分かるとイケた面で微笑まれた。


 連れてこられた場所は体育館裏だった。 

 なんで体育館裏? 今日の昼休みだって此処に来たじゃないか。いつも俺達がたむろっている憩いの場所を見渡し、此処に何かあるのかとヨウに聞く。まさか忘れ物でもしたのか?


 ぽりぽりと頭部を掻き、相手を流し目にする。

 イケメン不良はブレザーのポケットから封を切っていないチューイングガムを取り出し、それを投げては手の平でキャッチしていた。

 繰り返される動作を眺めていると、おもむろにヨウがそれを放ってくる。片手でキャッチした俺に、「やるよ」とイケメン。ますます意味が分からない。これを渡すために此処に来たのか? べつにたむろ場でもいいんじゃね?


「俺の出した結論なんだ」


 ミント味と表記されたパッケージを見つめていた俺の耳に飛び込んできたヨウの決意。

 顔を上げると、「ケイとの最初のやり取りは此処だった」なら再出発もここからだとヨウ。「面と向かって言うのはハズイけどさ」照れ臭そうに頬を掻いて、眼に宿している光を和らげた。


「三度目だな。俺がテメェにこうやって舎弟になれって頼むの。一回目はテメェが単純に面白いから。二回目はヤマトにやられっ放しじゃ癪だからいけるところまでいく。そういう理由でテメェと舎兄弟になったっけ……今度の理由も違ぇけどな」


「ヨウ。それじゃ」

 


「ケイ、俺の舎弟はやっぱりテメェじゃねえと無理みてぇだ。喧嘩ができるできねぇで舎弟は決められなかった。必要なのは俺の視野を広げてくれる奴。欠点を無遠慮に指摘してくれる奴だ。俺の欠点を指摘してサポートできる奴はテメェしかいねぇ。それに関しちゃキヨタもモトも自覚していた。俺の欠点を指摘することはできねぇって。テメェなら俺の欠点を知っているし、間違いを犯しそうになったら、的確な対処もしてくれる。そう信じている。

 これから先の喧嘩は俺一人の力じゃ無理だ。チームを纏めたり、指示をしたり、色んなこと考えて日賀野に対抗していかなきゃなんねぇ。でも俺は突っ走っちまう性格だ。熱くなって周りが直ぐ見えなくなっちまう。その時、テメェが周りを見ろと俺に気付かせて欲しいんだ。ケイ、誰でもねぇテメェが適役なんだ。リーダーとしてもっと自覚していこうと思う。苦手だけど頭を使ってヤマト達に対抗できるよう、仲間を守れるよう努力していきてぇ。だからケイ、俺の足だけじゃなくてリーダーの補佐をしてくれねぇか?」



 呆気に取られていた俺は、ヨウの言葉に肩を竦める。

 まーじイケメンって反則だよな。こういうクサイ台詞も、イケメンが言えばカッコよく聞こえちまうんだから。俺なんかが言ったら、ただのギャグだぜ。ギャグ。

 そうか、ヨウは俺を選んでくれたのか。手腕のない俺を。喧嘩ができない俺を。不良でない俺を……参ったな。折角重い肩書きから解放されたのに。


「俺は弱いぞ。ヨウ」


「んなの百も承知の上だ。手腕なんざテメェに求めてねぇよ」


「違う。内面の話だよ。俺は思った以上に見栄っ張りだ。そして臆病だ。いざという時に、お前等と一線の引いちまう馬鹿なんだ……俺さ、ぶっちゃけ言うとお前らの仲間だと思えなかったんだ」


 相手の反応を窺うと、びっくらしているリーダーがそこにはいた。予想通りの反応だ。



「俺は俺自身が信じられない。だから仲間だと思えなかった。だって俺は弱いから。仲間だと思うことで足手纏いを認識することが怖かった。でもただの繋がりなら、お前と俺が変哲もない友人なら、弱さを認めることも少ない――そうやって逃げている面があるんだよ、俺って」



 そんな自分に嫌悪している。微苦笑を漏らし、赤裸々に俺自身の素を曝け出す。

 初めてだ。自分の内面を不良にあからさま見せるなんて。でも言っておかないといけない気がしたんだ。新たな関係を築くなら、尚更さ。

 「弱いことが怖い」なにより弱さによって足手纏いだと言われることが、仲間に軽蔑されることが怖い。だからいざという時に自分ひとりで解決してしまおうとする悪い癖が出てしまう。仲間に一線を引いてしまう。ヨウに吐露し、力なく笑みを浮かべた。


「俺はきっと、これからもこの一面を引き摺る。断言できる。悪いと思っていても、土壇場でヨウ達と一線を引こうとする俺がいる」


 でもこれからはチームで動くことが多くなるだろう。

 それこそヨウ達に頼らなかったばっかりに後々に足手纏いなことを俺はしでかすかもしれない。チームに迷惑を掛けるかもしれない。そして、これは厄介なことに、そう簡単に直らない。自分でも簡単に直せそうにない。

 けれど自分の悪い面にいつまでも泣き言を連ねている場合じゃない。だってヨウは変わり始めているのだから。チームのために、俺達のために、自分のために。


 じゃあ、俺も変わらないと。 



「ヨウ、俺を舎弟にするなら頼みを聞いて欲しい。俺が一線引きそうになった時、それを止めて欲しいんだ。俺、馬鹿だから一線を引くタイミングが自分でもよく分かってなくて、周りも見えていない。その時、ヨウが気付かせて欲しいんだ。舎兄としてズバッと言って欲しい」



 静かに俺の話を聞いていたヨウは開口一番に言う。「テメェが頼みごとをするなんて初めてだな」

 俺も思っているよ。こうやって不良に、いや友達に自分のことを頼んだことなんてねぇもん。意見するのも恐いし、頼むなんて大それたこともできないし。だけどヨウなら、頼めるような気がしたんだ。変わるための第一歩として、さ。


「テメェ、まだ自分が不良じゃねって思ってんのかよ? とっくに不良してんのによ。俺等よりかは地味だけどな」


 ヨウは返事の代わりに俺にそう言って皮肉ってくる。

 不意を突かれたけど、「思っていたよ」俺はおどけ口調で返してやる。それだけで分かる。俺達に新たな関係が築かれたってことが。


 たった一週間だったけどさ、俺とヨウは舎兄弟じゃなくなった。

 そして深い理由でまた舎兄弟になった。互いに欠点を気付かせる、なんっつーのかな、クサく言えば支え合う? 関係として俺達は新たに舎兄弟となった。 

 あーあ、これで舎兄弟白紙は完全にゼロだな。チャンスだったというのに、自分から舎兄弟になっちまった俺って救いようもない。とはいえ俺もいつの間にか不良の仲間入りしちまっている。これで良かったのかもな。


 いつものたむろ場所に向かうために、俺達は移動を開始する。

 その際、ヨウは俺の背中を叩いて言ってくれた。お前は俺達の仲間だってさ。なんだかくすぐったい気持ちになった。気付かれたくなくて俺は誤魔化すようにガムの封を切り、ヨウに手渡しながら言う。「サンキュ、兄貴」

 これからまた舎弟として苦労していくんだろうけど、なんとかなるような気がしてきた。




 こうして俺は一週間の舎弟リストラを乗り越え(今思えば短いよな)、新たにヨウと舎兄弟を組んだ。

 理由も理由だし、チームメートも納得してくれるだろうとヨウは自信あり気に胸を張っていた。


 一方で、問題も残っている。

 そう、キヨタのことだ。モトとの関係は一段落ついているのだけれど、ヨウに羨望を抱いているキヨタのことはおざなりのまま。

 ヨウはキヨタにどう事を告げようかと悩んでいた。舎弟の件は俺にしか伝えていないらしく、これから仲間内に報告するのだと教えてくれる。納得する明確な理由は持っていても、キヨタが納得してくれるかどうかは別問題だ。

 自分のことを尊敬しているわんこ不良に、どうやんわりと事を伝え、納得してもらおうか。ヨウはとても悩んでいた。


 確かにキヨタはヨウを慕っている。モトとは違って舎弟も諦めてないようだった。


「ゴタゴタしちまうかもな」


 どう思考を回しても相手を傷付ける事実には違いない。ヨウは軽く溜息をついた。

 なるべくキヨタの気持ちも酌みたいってのがあいつの心境なんだろうな。

 でもあいつだって物分りの良い奴だから説明をすればちゃんと分かってくれるかもしれない。これから先のことを考えて頭を悩ませているヨウを励ましながら、俺は舎兄と共にいつもの倉庫裏にやって来た。


 中学組以外は面子が揃っていた。

 曰く、モトは病院に行っているらしい。ということはキヨタは付き添いか? だったらすぐに来るだろう。


 早速副リーダーのシズが舎弟問題を聞いてきた。

 進行はあったのか? 副リーダーの疑問に改めて俺が舎弟に選ばれたことを、ヨウの舎弟を選んだ理由基準のことを話すと、シズは大いに納得した様子だった。他の皆も納得してくれたし、弥生に至っては両手あげて喜んでくれた。

 「やっぱりケイじゃなきゃ」なんて思い切り背中を叩いて祝してくれたんだけど、その手がちょっぴり痛かった。加減してくれよ、弥生。


「うちはこうなると分かっていたけどな。ヨウにしては、賢い選択基準だったようだし。見直したぜ?」


 紫煙を吐き出す響子さんがヨウを褒めた。彼女はよっぽどのことじゃないと人を褒めない。これは価値のあるものだと思う。

 「やーっと頭も使うようになったんねんぴ!」ワタルさんに茶化されて、ヨウはうるせぇと悪態を付く。ヨウ自身も頭を使ってない自覚があったらしく、強くは反論できていないようだった。


「これで舎弟問題は解決だな。後はキヨタを説得すりゃ丸くおさまる。なに心配するなって。あいつだってアンタの理由を聞けば、分かってくれるさ」


「ああ、そうだと嬉しいな」


 響子さんの励ましに、ヨウは小さく頷いた。


 うーん。

 多分、大丈夫だと思うけど……もしもゴタゴタになった時はチャリ勝負でも持ってくるかな。ヨウの足として勝負すれば、キヨタも少しは納得してくれると思うし。

 ただ池田戦で無理して肩を使ったから、また左肩が痛み始めたんだよな。完治するのにどんくらい掛かるんだろう。キヨタと一戦交えることができるかな。左肩を優しく擦りながら俺は皆と二人を待つことにする。皆が集まらないと集会が開けないから、俺達は談笑をして時間を潰していた。



 それなりに時間が経った頃、ようやくモトが現れる。

 「遅れました!」相変わらず、ヨウ信者のモトは走って来るや否やヨウに頭を下げていた。

 病院に行くなら自分に連絡をくれれば良かったのに、ヨウはついて行きたかったと胸の内を明かす。滅相も無いとモトは首を横に振った。崇拝してやまないヨウに付いて来てもらうなんてとんでもない、とモトは思っているらしい。

 けれど心配されたことは嬉しかったらしく、照れ笑いを浮かべていた。


「ん? モト、キヨタと一緒じゃねえのか?」


 問題のキヨタの姿が見えない。

 ヨウの疑問にモトも驚く。「あれ。まだ来ていないんですか? おっかしいな。あいつ、学校を途中で抜け出していたから此処にいると思ったのだけれど」彼は軽く頬を掻いた。


「多分、あいつ、髪染めをしているんだと思います。尊敬している人と同じ髪の色をするんだって言っていましたし」


 ま、マジかよ……よりにもよって今日髪染め?

 ヨウは額に手を当て、「どうすっかな」どうやってあいつを説得しよう、と再び悩み始めた。

 その一言でモトは事情が呑めたのだろう。俺に視線を流すと、おもむろに歩んで胸に軽く拳を当ててくる。「しっかりやれよ」弟分のオレが認めてやるんだ。下手なことをしたらシメると脅迫するモトの表情は柔らかい。

 つられて一笑を零す俺は軽く両手を挙げた。肝に銘じておくことにするよ。


「うーん。オレはいいけど、あの様子じゃキヨタ……やばいかも。あいつ、まじで張り切っていたし。ここ数日、弟分や舎弟ばっかり口にしていたんだ。こっちが引くくらいに張り切っていたから」


「ヨウちゃーんモテモテだよねぇ」


 揶揄するワタルさんが愉快気に笑声を漏らす。

 この人、絶対に楽しんでいるな。他人事だと思って……当事者の俺やヨウは堪ったもんじゃないんだけど!

 深いふかい溜息をつく新舎兄弟にチームメートも苦笑い気味だ(ワタルさんだけは楽しそうだけど)。モトでさえ懸念を見せているのだから、きっと事は揉めるだろう。


 気鬱を抱きながら一刻一刻を過ごす。

 考えても仕方が無い。まずは話し合うことが先決だ。そう結論付けてキヨタが来ることを待つばかり。



「すみませーん! 遅れましたッス!」



 問題のキャツが来た。

 はてさてどうやって話題を切り出そうか。

 まずはモトが遅いとツッコミを入れ、ヨウが爽やかに待っていたと笑顔を向け、その後に舎弟の話を出すしか……思考をめぐらせていた俺達だけど、やって来たキヨタの姿を見て驚愕の硬直。絶句とは今の俺達のためにあるような言葉だ。


「えへへっ、染めちゃいました。似合います?」


 鼻の頭を掻くチビ不良……不良だよな?

 相手が本当にキヨタなのか確かめたくなるほど、キヨタはイメチェンしていた。

 なんっつーか、ドハデな白から一変して、更生でもしたのかと問いたくなるほどの黒髪だ。真っ黒くろに染まっている髪のせいで言われないと、キヨタが不良だというのも分からない。


 「脱不良でもしたのか?」逸早く我に返ったモトが、親友を指差してクエッション。

 「まさか!」寧ろ、自分はこれからも不良を通すとキヨタは胸を張る。確かに、ピアスとかはしているみたいだけど……すっごく地味になったな。ほんっと地味だよキヨタ。白髪のインパクトが強すぎた分、その髪は目立たない。


「キヨタ。お前、尊敬している人の髪と同じにすると言っていたよな?」


 モトがおずおずと話を切り出す。

 「おう」だからして来たのだと自分の髪を抓み、あどけない笑顔を咲かせた。おかしいぞ、ヨウの髪は金(+赤メッシュ)である。なのにキヨタは黒に髪染めをしてきた、だなんて。


 呆けているチームメートを余所にキヨタはまずヨウに頭を下げ、こう告げてくる。自分も舎弟を辞退すると。

 自分から騒動を起こしておいてなんだけど、自分が騒動を起こしたのはすべてモトのためだった。モトが舎弟を辞退した今、自分もヨウの舎弟に執着する必要は無くなった。だから辞退する、キヨタはヨウに謝罪した。


「今でも尊敬する気持ちは変わらないっス。だけどヨウさんなら、きっとケイさんを舎弟にするんだって思いました。お二人を見ていて、喧嘩の強さだけが舎弟になる基準じゃないって気付きましたから」


「キヨタ……俺の方こそ礼を言うぜ。テメェの起こしてくれた騒動のおかげで、大事な事に気付くことができた。サンキュ」


 頬を崩すヨウに笑みを返し、「俺っちも大切なことに気付けました」キヨタは恍惚に手を叩いた。



「俺っち、不良なら手腕があってこそだと思っていたんです。けれどそれは間違いだと知りました。大切なのは熱い気持ち、つまりはハートなのだと! たとえ喧嘩ができなくとも舎兄のため、仲間のために突っ走る男こそ俺っちの追い駆けたい背中ッス。あの人は俺っちに言ってくれました。失敗を恐れる俺っちに『お前ならやれる。仮に失敗したときゃ俺も一緒だ。一人じゃない』と。なんて男前な人なのだろう、俺っちは大きな衝撃を受けました!」



 願わくばあの人のような男になりたい、目をらんらんに輝かせるチビ不良が興奮気味に語った。

 チームメートの視線が一点に流れる。千行の汗を流す俺は、「ヨウったら男前だな」そんなことを言ったのかよ。と、肘で小突いた。舎兄が反応を返す前に、「だから俺っちは決めたんッス!」声音を張るキヨタが天に向かって宣言した。



「あの人の弟分になるのだと、そしていつか舎弟になるのだと! 俺っちはケイさんの心意気に惚れたんッス―――!」



 暗転、しそうだった。

 短い人生を歩んできた今日(こんにち)。まさか男に雄々しい告白を受けるなんて。

 嗚呼ヨウ。今なら分かる。熱烈アピールされていた、お前の気持ち。お前はこんなに苦労していたんだな。どうしよう、俺、途方に暮れているんだけど。あいつの趣味が分からん。



「あっひゃひゃひゃっ! ケイちゃーん惚れらてやんの! 傑作なんだけど!」



 腹を抱えて笑うワタルさんが涙を流している。ひ、他人事だと思って!

 眩暈を噛み締めていると、本能が警鐘を鳴らした。反射的に前方を見やれば猪突猛進に突っ込んでくる不良一匹。

 逃げる間もなく相手にタックルされ視界が大きく揺れた。どうにか足を踏ん張って相手の体を受け止めるけど、そのパワーには恐れ入った。田山は大ダメージを受けたよ。「き、キヨタさん」いきなり何をしてくれるんですか……顔を強張らせて視線を下げると、きっらきらした眼が俺を捉えてくる。


「今日も男前ですね。カックイイッス!」


 なんのフィルターが掛かっているのお前! 俺が男前でカッコイイ? 嘘、何処が?! ジミニャーノをからかっても何も出てこないぞ。ほら、早くヨウのところにお行き!

 「ヨウは向こうだから」グイグイと相手の体を引き剥がそうとしても、「俺っちはケイさんについて行くと決めたんッス」しがみ付かれるばかりか素っ頓狂なことを言われる始末。


 なんでこうなるのよほんと!

 まさか、まさかキヨタが俺の背中を追いたいと思うなんて。いや、冗談きついよ、キヨタ。まさか、ほら、俺、地味っ子なんだからさ。キヨタ、ヨウのことを尊敬していたし、最初に会った時なんて俺に落胆していたじゃないか。まさか、なあ?


「俺はお前の思うほど出来た男じゃないからっ。習字とチャリしか取り得のない地味男なんだぜ?!」


「チャリだけでなく習字も出来るんっスか! さすがですね!」


 ……ポジティブに受け取られた。負けるか!


「ヨウと比べる俺の特技なんて月とすっぽん! イケているわけでもなく、手腕もない。一度日賀野にフルボッコにもされた大間抜け野郎なんだぞ! 凄いだろ!」


「ケイさんの男前な心意気には誰も負けていませんっス! しかも手腕がないのにあの有名な日賀野に立ち向かったんっスね! 凄いじゃないっすか!」


 何故そう受け取るの君!


「俺、日賀野にフルボッコにされたんだけど」


「勇気を持って立ち向かった、その気持ちが敬意に称しますッス!」


 一点の曇りもない、純粋な眼で俺を見ないで! 立ち向かうどころか、危うく相手に屈しそうになったんだって!



「……弟分になっても、後悔するだけだと思うけど」


「どこまでもお供します! いつか、ケイさんに認められて舎弟になれる日まで、俺っち、努力もしていきますッス!」



 ぎこちなくキヨタに目を向ければ、いつまでもキラキラキラキラと目を輝かせて見上げてくる。

 おいおい、これってさ、「嫌です」なんて口にできない雰囲気じゃね? 言ったら最後、どんな地獄をみるか。

 それに俺はノーとは言えない日本人だったりするわけだ。うん。もう涙が出てきそうなんだけど。髪を綺麗に染めちまって。俺のために、誰でもない俺の背中を追い駆けるために。ここで無理とか嫌とか言ったら、俺の立ち位置は“嫌な男”で決定だろおい。

 心中でシクシク涙を流しつつ、「分かった」じゃあまずは兄弟分で頑張ってみるか。相手の頭に手を置いて承諾する。


 一層目を輝かせ、大はしゃぎするキヨタ。



「なら、これからは俺っちもチャリの後ろに乗ってもいいッスよね! ケイさんのメアドも教えて下さい! それからそれからヨウさんに負けないよう頑張りますッス! 打倒ヨウさん!」


「ちょっと待てキヨタ。そんなことしたらヨウさんがケイのチャリに乗れないだろ。こんなナリでもケイはヨウさんの足なんだぞ!」



 それまで静聴していたモトが意見してくる。


 「こんなナリとはなんだよー!」ケイさんはたった今から俺っちの兄貴だぞ! ハートはヨウさん以上にイケメンなんだ! キヨタがガウガウ吠えた。

 「あ゛! それはオレに喧嘩売った発言なんだ!」ヨウさん以上の男がいるわけねぇだろバーカ! モトもバウバウ吠える。


 ……うっるせぇよいお前等。


 両耳に指を突っ込んで後輩達の喧嘩を眺めていると、ポンッとヨウが肩に手を置いてきた。励ましてくれるかと思いきや、「チャリの後ろは俺の特等席だよな? 舎弟」なんか予約してきたよ、この人。にこやかな笑顔が恐いんだけど。


「ったく。結果よければすべてよしとは言うが……今回は振り回された気分だぜ。ったく」


 悩んでいた俺が馬鹿みたいだとヨウが肩を落とした。誰よりも俺が振り回されたんじゃ、と出かかった言葉は嚥下することにする。





 その夜。



「――でな、舎兄でいっぱいいっぱいの俺に今度は舎弟ができそうなんだよ。利二、俺は泣きたいっ! いや寧ろもう半泣きッ。俺ってどーしてこう不良難に恵まれているんだっヨウとの舎弟白紙はもう無理だし、今度は舎兄になりそうなピンチだし。結局、キヨタを弟分にしちまったし。ううっ……としじぃー! 俺ってもう、死ぬしかないよな! オワタ奴だよなっ!」


『田山……少し落ち着け』


「これが落ち着いていられるかッ、チックショウ、平穏が恋しいよぉおお!」


『……明日にでも会うか? 慰めついでに奢ってやるぞ。愚痴も聞いてやるから』



「利二ー! アイシテルー! 俺の心の安らぎは利二だっ。も、お前、いっそ俺の舎弟にならね? そしたらキヨタ、多分諦めてくれると思うし」



『………無茶を言うな』


「無茶でも何でも、俺、マジで毎日が死にそうなんだってーっ! 頼むよ、利二!」



 舎弟おろか舎兄になりそうな危機でのショックと動揺のあまり、深夜中、延々と電話で利二に泣き言を零す俺がいたという。

 今回の騒動の散々な被害者は俺、田山圭太だということは言うまでもないだろう。


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