05.勝てば官軍負ければ賊軍



 ◇



 先輩不良の話はこうだった。

 今日の昼休み。たまたま誰もいなかった美術室で、煙草吸いながら駄弁っていたら透がやって来た。丁度、先輩不良は仲間と一緒に生徒会室の話題を飛び交わせていたそうだ。


 そう、察しはつくと思うけどこの先輩不良と仲間が生徒会室の窓ガラスにヒビを入れたんだ。悪ふざけに石を投げていたら、窓ガラスに直撃したとか。

 偶然、やって来た透がそれを耳にしてしまったもんだから、先輩不良と仲間は軽く透をボコした後、大切にしているスケッチブックを奪って脅したんだと。「喋ったら燃やす」って。

 しかも透が一年だって分かると、不良で有名な一年の荒川庸一や貫名渉の名前を出して脅しまくったんだと。告げ口したらタダじゃ済まされない。俺等はあいつの仲間だって。更に美術部で使う絵筆とかキャンバスとか粘土とか、そういった備品を煙草の火で疵付けたらしい(前々から面白半分でそういう行為をしてたらしい。ゲスいな)。


 だから透は俺を疑ったんだ。俺もそういう輩の仲間で、美術部の備品を疵付けているんじゃないか。ああいった仲間と悪さしてるんじゃないか。てさ。

 もしそうだったら、きっと生徒会に報告でもしよう、とか思ってたんじゃないかな。透にとっちゃ、それは俺に対する裏切り……という言い方は変だけど、それに近いものを感じてたんだと思う。じゃなきゃ「最低なことをしようとした」なんて普通、泣きながら言わないだろ。


(ま、疑いたくなるのも分かる気がする。俺、何だかんだで不良とつるんでいるしな)


 ちょっとだけだけど透と距離を感じた。

 不良とつるんでいるんだからしゃーない、それは分かっている。

 でもやっぱ寂しいだろ、今までつるんできた地味友なんだから。口には出さないけど、やっぱり寂しいもんだぜ。透も距離を感じたのかもな。だからこそ、疑われちまったのかもしれない。前の俺だったら疑われることなんて100%大袈裟に言っていいほど無かっただろうから。

 誰かとつるんで距離を縮めることもあれば、誰かと距離が離れていくこともある。今日の出来事で痛いほど痛感した。疑われたことに腹立てばいいのか、悲しめばいいのか、わっけ分かんねぇや。


 でも安心もしたんだ。透は日賀野と関わっているわけじゃないって分かったんだからさ!


 問題は、


「あの先輩不良。俺達の仲間とかほざいておきながら、俺達の仕業だって噂を流したって言っていましたね。ワタルさん」


 チャリの後ろに乗っているワタルさんは気持ち良さそうに風を受けていた。オレンジ色の髪が綺麗に靡いている。困ったように笑うワタルさんは、軽く肩を竦めた。


「人気者はヤーんだよねぇ。こういった嫉妬の対象になるんだから」


「日賀野たちと何か関わり、あるんでしょうか?」


「さあー。こればっかりは僕ちゃーんも何とも言えない。それにしても楽ちんだねぇ。ヨウちゃーん、いっつもこんな楽ちんな思いしてるんだ」


 そりゃチャリに乗っているだけなんだもんな。楽だろうさ。

 代わりに俺は必死でペダルを漕いでいるよ! いいよな、乗ってるだけの人は。

 俺は溜息をついてブレーキを掛けた。目の前にはスーパーマーケット。此処からは徒歩だ。スーパー近くの倉庫裏はチャリじゃ進めないんだ。「もう着いたの?」不満そうにワタルさんはチャリから降りる。ここは普通、喜んでくれるところじゃないか? そう思いながら俺はスーパーにチャリをとめて鍵を掛けた。


「もう授業が始まってるだろうな」


 時間を確かめるためにポケットから携帯を取り出して画面を開いてみれば、着信が五件(弥生から二件、ハジメから一件、利二から二件) 。新着メールが六件(弥生から三件、ハジメから一件、利二から一件、ヨウから1件) 。


「わぁーお。いっぱい着ちゃっている。しかも利二まで」


 最近、利二も携帯を学校に持ってきてるんだよな。きっと俺のため、なんだろうな。あいつ心配性だから。

 てか、あーキてるよ、舎兄からのおメール。今、最も恐れている不良さま! ……マジ恐くて中身が読めない。後で読もう。携帯を仕舞ってワタルさんのもとに駆け寄る。いつもニヤつている筈のワタルさんの顔は険しかった。


「ケイ、行くぜ。静かにしとけよ」


「っ……は、はい」


 口調が変わってるよワタルサン。

 恐いよ。目つきも厳しいよ。下手こけないよっ! こいたら俺の命が危うい!

 必死に何度も頷いて、ワタルさんの後にピッタリついて行く。


 スーパー近くの倉庫裏まで徒歩一分ってところだった。人の気配が無い倉庫の裏側をちょっと覗いてみたら、あの先輩不良が言っていたように、仲間らしき人達がたむろっていた。

 不良たちは倉庫裏に置いてあるダンボールやプラスチックの箱の上に座って駄弁っている。

 目をちょっと逸らせば、軽そうなプラスチックパイプや重量のある鉄パイプ、錆びれた棒鉄なんかが壁に立て掛けられている。倉庫に入れて置かなくてもいいって判断した物を外に出しているんだな。

 俺達は倉庫の中に忍び込んで(無用心だよな。鍵が掛かってなかったんだぜ?)、窓から改めて不良たちを観察。全部で3人、多くは無い。こっちは2人だし。ひとり余るくらいで思ったほど人数はいない。


 だけど問題は、俺がワタルさんの足手まといにならないかどうかってところだよな。

 ヨウの舎弟になってから不良に何度か喧嘩売られたことあるけど、こうやって喧嘩を売りに来たことは無いんだよな。喧嘩なんて真っ平ごめんだって思ってたんだ。日賀野にフルボッコされた一件から、その思いの丈は強かった。

 昨日までの俺だったら“喧嘩は極力避ける”。そんな選択肢を取っていた。取っていたよ。


 じっくり不良を観察してみる。

 あ、三人のうち、ひとりは勝てそうな不良がいる! 見るからに外見だけ、見た目だけ飾っちゃってますって感じのする不良がいる。アイツなら多分勝てそう。あの赤茶の不良、俺と同じくらいの背丈だし(もしかしたら俺より低いかも) 。俺と同じようなガタイだし(つまりひょろいガタイ。言ってて虚しくなったけど)。

 アイツなら一個年上っぽいけど勝てそう、な、気がする。チャリないとマジで凡人日陰男子だからなぁ。 


「負けたら、全裸に剥いて放置プレイすっからな。俺サマがイイって言うまで全裸でいろよ」


「了解です。わかり……たくありませんっ! ワタルさんっ。お、脅さないで下さいよ!」


 脅してくるワタルさんは「マジだってマジ」と軽く笑ってきた。俺はちっとも笑えねぇよ! 本当にこの人ならしそうだもん!


「ヤる前から負けツラしているテメェが悪い。見てて一発かましたくなる。勝つ気でいろよ、勝つ気で」


 冗談めかしに笑うワタルさんの言葉に一気に目が覚めた。そうだ、負けに来たんじゃねぇもんな。勝つ気で来たんだ。だーれが好き好んでフルボッコされに来た。勝たなきゃ意味ねぇし。

 でも緊張もするんだって。初めて喧嘩売りに来たんだから。ワタルさんに吐露すれば、可笑しそうに肩を竦めた。


「あンなぁ、不良がみーんな喧嘩強いって思ってんの?」


「だってドラマや映画じゃ不良、みーんな強いじゃないですか。現にヨウやワタルさんは喧嘩強いですし」


「ンなのほーんの一部。不良が強ぇ思われるのは群で攻撃すっからだ。個人になると気が強いだけで大したことねぇって。ま、俺サマが強いのは確かだけどな」


 あははは。ワタルさん。『俺サマ』口調の時は性格も俺サマっぽい気がするんですけど、何故でしょうか。

 ワタルさんは俺の肩に腕を置いて、不良たちを指差した。


「フルボッコにしてきたヤマトと比べてみりゃいい。全部弱く見えっから。それにこんくらいでビビッてたら舎弟は名折れだぜ? テメェは荒川庸一の舎弟だってこと忘れンなよ」


「励ましてくれてるのか、脅してくれてるのか分からないですよ。ワタルさん」


 にやり、ワタルさんは意味あり気に笑って窓の外にいる不良たちに目を向けた。脅された方が割合占めている気がするけど、この人なりの励ましだったんだって受け取っとこう。物事はポジティブに捉えないとな! じゃなきゃやってらんねぇ。

 外にいる不良たちの会話が聞こえてくる。

 内容は大体、他愛もない世間話。っていったところだ。昨日、ボーリングでどうのこうのだの。親がうぜぇだの。先公どうにかして欲しいだの。魚住がどうのこうのだの。


 ……魚住? それって“アキラ”って呼ばれた、あの魚住のことなのか?


「魚住が約束を守るかどうか、それは置いておいても、あの連中が疑われたことは好都合。まあ、連中同士が潰し合いしてくれりゃ一番いいんだけどな」


「同感。日賀野達が潰れても、荒川達が潰れても、俺達には好都合だしな」


「あいつ等のせいで、こっちは肩身狭いもんな」


 わぁーお、なんか分かんねぇけど恨まれているなぁ。

 不良たちの会話を聞いていた俺とワタルさんはアイコンタクトを取った。こりゃもう、話に聞き耳を立てる立てないの問題じゃない。突撃あるのみだ。

 勢いよく窓を開けると、ワタルさんが先に外へ飛び出した。綺麗に着地するワタルさん、かっけぇ!

 あ、ちなみに俺、ゆっくり窓から外に出たよ。ホラ、ドジ踏んでコケたら洒落になんないから。ダサくても安全思考第一だ! どーせ不良の中では外見、ダサい分類に入ってると思うし! 言ってて悲しいし!


 俺達の出現に不良たちは度肝抜かれた顔を作ってたけど、ワタルさんの顔を見て表情が一変。俺達が何で此処にいるのか、すぐに分かったんだろうな。吸っていた煙草を地面に落として俺達を睨んできた。


「荒川のところ……、お前は貫名に、そっちは噂の舎弟か」


「そう。こいつは俺サマの舎弟だ」


「いつ俺、ワタルさんの舎弟になりましたっけ?」


「細かいことは気にしないの~ん。んじゃ、ひとりはよろぴく」


 いつものウザ口調でそう言うや否や、ワタルさんは地面を蹴った。

 二人も相手させて申し訳ないけど、実際、俺、ひとりで手一杯だしな。お言葉に甘えよう。俺も地面を蹴って駆け出した。バカみたいに鼓動が高鳴ってる。緊張しまくってる証拠だ。

 俺がターゲットにした赤茶髪の不良は、倉庫裏に置いてあった手頃なプラスチックパイプを手にしていた。


 ちょっ、いきなり道具使うの反則じゃね? まずは素手だろ素手!

 野球バットを振り回すように、赤茶不良は俺に向かってプラスチックパイプを振り下ろしてくる。紙一重で避けたけど、今度は振り上げてくる。避けたら横腹に蹴りかましてきやがった。呼吸が詰まりそうだ。動きが止まったところで、赤茶不良は俺の足元を崩してくる。俺は無様にも尻餅をついてしまった。横腹や尻の痛さに呻いてたら、赤茶不良は俺の腹を思い切り踏んできやがった! おまっ、シャツ汚したら母さんが煩いんだぜ! しかもいてぇ、おもてぇ、道具使うの卑怯だろっ!


 顔を上げれば、愉快に笑う先輩のお姿。グリグリ足の裏で腹を踏みながら、俺を見下している。


「荒川の舎弟のくせに弱ぇな」


 あ、今、カッチーンってきたよ。いっちばん言われたくない言葉を言われたよ。

 分かってんだよ、俺が弱いことくらい。喧嘩慣れしてねぇんだし、望んで舎弟になったわけじゃないんだ。喧嘩の強弱でヨウが舎弟を決めたとしたら、そりゃヨウの舎弟を選ぶセンスが悪いと思うぜ。


 けどさ、あいつ、喧嘩の強弱じゃなくて“俺”を選んだんだよ。

 田山圭太っつー日陰男を舎弟にするって決めちまいやがったんだよ。俺が面白いのどうのこうのって訳分からない理由で舎弟を勝手に決めちまいやがったんだ。日賀野の一件も、あれだけ俺が足手まといだって分かったのにも関わらず、俺に改めて舎弟になれって誘ったんだ。俺はそれに成り行きでも乗っちまったんだ。


 だから弱くたって精一杯、俺のできる範囲で舎弟やるっきゃねぇんだって。

 しかも今回、俺が初めて望んで喧嘩に参戦したんだ。負けたら、流れ的にヨウの顔に泥塗っちまう上に、ワタルさんに後でなんて言われるか。何されるか。それに、格好付けてここまで来たんだ。ヤラれっぱなしはダッセェんだって、なあ、そうだろ?

 俺は胸ポケットに手を伸ばした。見下す不良に含み笑い。


「弱くてわるぅございましたね。俺、地味っ子ちゃんですから? 喧嘩慣れてないんですっ、よ!」


「テッ……!」


 ポケットから生徒手帳を取り出した俺は、力任せに赤茶不良の顔面に投げつけた。

 力の抜ける足を掴んで持ち上げると、そのまま足払い。相手が尻餅ついた隙に、持っていたプラスチックパイプを奪い取って右横腹を蹴りたくってやった! お返しだチクショウ!

 プラスチックパイプを持ったまま立ち上がると、相手も態勢を立て直した。盛大な舌打ちをして素早く、壁に立て掛けてある鉄パイプを手に取った。


 ゲッ、ちょ、マジで!

 あんたそれ、頭にぶつかりでもしたらかち割れちまうぞ! 鉄パイプって状況によっちゃあ法律で凶器になること知っているか? 下手すりゃ警察沙汰だぜ、先輩? ……相手はご存じないらしい。マジっぽいようだ。目が据わっちゃっている。


 俺は唾を飲み込んで、チラッとワタルさんを一瞥する。ワタルさんの方も、相手が道具を使ってるみたいだ。錆びれかけた棒鉄を手にしてるもん。


 しかしワタルさんは楽しそうだ。相手、二人なのに余裕の表情を見せているんだから。

 ワタルさんに気を取られていた一瞬を、相手は容赦なく突いてきた。俺の懐に入ってきた赤茶不良は、鉄パイプを振ってくる(アブなッ!)。どうにかそれをプラスチックパイプで受け止めた。ジーンって鈍い振動がきたよ。ジーンって。


 更に赤茶不良が凶器を振ってくる。

 パイプが重たい分、動きが鈍い。一か八か相手の懐に入ってみるか。俺は受け止めた鉄パイプを横に流しして、相手の懐に入り込んだ。驚いた赤茶不良の闇雲に振り下ろしてきた鉄パイプをどうにか受け止めてみたんだけど、至近距離だったせいか受け止めきれずに左肩にぶつかった。

 多少威力が軽くなったとしても重量のある鉄パイプを振り下ろされたんだ。激痛、なんてもんじゃない。肩が燃えてるみたいだ。肩が熱い。

 

 俺は歯を食い縛って痛みに耐えながら、プラスチックパイプを相手の鳩尾に力の限り突き入れた。ついでに脛も蹴ってやった。もちろん思いっきり。

 呻き声さえ上げられない赤茶不良は、その場に崩れた。痛みで体を震わせている赤茶不良に馬乗りになって、俺はプラスチックパイプを相手の顔横に振り下ろした。


「ッ、返せよっ……スケッチブック……」


 今回、俺が喧嘩に参戦したのは透のスケッチブックを奪い返すためだった。

 生徒会で起こった事件の犯人に差し向けられたこと、日賀野達のこと、勿論それも喧嘩参戦の理由の一つになるんだけど、一番は透のことだった。


 よくも透から疑われるようなことをしてくれたなっ!


 俺達を犯人に差し向けやがってッ、面倒なことをしてくれるは、生徒会からは疑われるはッ、挙句の果てに地味友から疑われるはッ、先輩だろうが不良だろうが、ヤラかしてくれたことは俺にとってかなり腹立つんだよ!

 特に一番最後、地味友から疑われたこっちの身になってみろっ、最悪に気分悪いぜっ!

 「ごめんね。ほんとごめんね」泣きながら俺に謝ってきた透のツラを思い出して、知らず知らずパイプを持つ手に力が入る。



「昼休み美術室でスケッチブック取っただろ! 返せ! あれは透のモンだ! 返せよっ、かえせ!」





 ◇




「――なあ、透。なんでスケッチブックが三冊もあるんだよ」



 授業合間の十分休み、一心不乱に絵を描いている透に声を掛けた。

 よっぽど集中していたのか、一回目の呼び掛けじゃ反応すらしてもらえなかった。二回目、三回目、四回目で透はやっと反応を返してくれた。「ごめんごめん」気付かなかったことを詫びて、透は俺の疑問に答えてくれた。


「一冊は部活用で、一冊はコンテスト用で、一冊は自分用なんだ」


「自分用?」


「自分の気に入ったものを描こうと思ってさ。最初は一冊に纏めてたんだけど、ごちゃごちゃし始めて。こうやって三冊に分けてるんだ」


「ふーん。ほんと絵、好きなんだな」


「今度、圭太くん描いてあげようか? フッツーな絵になりそうだけど」


「わぁーるかったな。俺の顔はどーせフッツーだよ。お前と一緒でフッツーさ」


 顔を顰める俺に、透は可笑しそうに笑声を上げた。



 

 透のスケッチブックは全部で三冊ある――。 


 まだ出会って間もない頃。

 透がスケッチブックを見せながら、大事そうに、誇らしそうに、俺に説明してくれたからよく憶えているんだ。

 一冊に纏めて描いてたんだけど、コンテスト用とか部活用とか絵がごちゃごちゃし始めたから三冊に分けたんだって。美術室で奪い返したスケッチブックの冊数に疑問を抱いて、不良に事情を聴いたら残りは仲間が持ってるって言うんだもんな。それ聞いた瞬間、絶対あいつ等ぶっ飛ばす! と思ったんだ。


 だってさぁ、そいつ等のせいで生徒会や透に疑われちゃったりしたんだぜ? 生徒会だけならまだしも、地味友にまで。スッゲェ腹立ったよ。

 不良たちのよれた通学鞄に入っていた二冊のスケッチブックを取り出して、俺は上がらない左肩を気遣いながら中身をパラパラ捲って無事かどうか確かめる。汚された形跡は無いな。踏まれた形跡も無い。煙草の火の痕もないし、良かった、無事だ。


 深く息を吐いて俺は重い腰を上げた。そのまま煙草を吸っているワタルさんに歩み寄った。

 彼も多少負傷はしているようだけど、俺ほどじゃないようだ。頬に掠り傷ができた程度みたいだし。対して俺は左肩が重症。軽く顔にも擦り傷できちまったし。ワタルさんに軽く肩を見てもらったけど、色が紫っつーか黒っぽくなってた。皮膚がヒリヒリするし、ジクジク痛む。


「骨折はないと思うけど、病院には行った方がいいかもねぇ」


 ワタルさんは後で病院に行こうと言ってくれた。ついて来てくれるんだって。酷くなったら困るし、母さんとかに連れてってもらったら何かと煩そうだし、お言葉に甘えることにした。ワタルさん、意外と優しいんだ。意外と。


「お目当てのあった? てか、肩、今から行ってもいいよ~ん?」


「大丈夫です。我慢できない痛みじゃないですし。お目当ての物はちゃんとありました」 


 スケッチブックを見せて、俺はワタルさんの隣に並ぶ。煙草独特の苦々しい香りが鼻腔を擽ってきた。

 倉庫裏の隅っこには不良たちの伸びている姿がある。不良の一人に勝ったんだ。夢見たいだ。この俺が不良に勝てた。嬉しいっつーか、やってやったぜ! という爽快感が胸を占める。自然と笑いが零れた。

 「楽しそうだねぇ」「勝てたんで!」ワタルさんの問い掛けに、俺は即答。ワタルさんは笑声を上げた。


「負けるのは楽しくないもんねぇ。僕ちゃーんも久しぶりにサボれたし、喧嘩もできたし、ストレス発散ってカンジかなぁ。でもアキラのことは、イイ収穫得られなかったなぁ」


「魚住、でしたっけ? 先輩たちに“荒川達の名前を汚せたら三千円あげます”と言っただけですもんね。どうやって知り合ったかは分かりませんけど」 


 結局、何一つ有力な情報は得られなかった。

 少しでも情報が得られれば、日賀野達の目的が見えたかもしれないのに。多分、ヨウ達を潰したいことには違いないけど……よく分かんねぇや。向こうの目論見。

 「ヨウちゃん達に報告するまでもないねぇ」ワタルさんは紫煙を吐きながら俺に言った。


「収穫の無い喧嘩を報告しても楽しくないしねぇ。ヤマトちゃん達が直接関わっているわけでもないし」


「先輩達のこと、言わなくていいんですか?」


「だってぇ、二人でシメちゃったでしょー? これはもう解決だってぇーん」


 収穫の無い余計な情報は報告しない、それはワタルさんなりのヨウ達に対する気遣いなんだろうか? ……きっと気遣いなんだと思う。終わったことをウダウダ言われても困るから。


 おちゃらけているワリに人のことをちゃんと考えているんだ。ワタルさんって。

 煙草を吸い終わったワタルさんは、地面に吸殻を落として足で揉み消すと俺に声を掛けた。俺はワタルさんの隣に並んだ。二人で来た道を辿って行く。

 取り返したスケッチブックに目を落としていたら、ワタルさんが不意にこんなことを言ってきた。



「カミングアウトするとさぁ、最初はケイちゃーんもヤマトちゃーん達の回し者だって思っていたんだよねぇ」



 スケッチブックを落としそうになった。今、ワタルさん、何て言った? 思わずワタルさんを凝視。

 「だってぇ、種類違うじゃナーイ?」ワタルさんは話を続ける。


「ヨウちゃーんが気に入って舎弟にしたって分かってたんだけどねぇ、どっかで疑っていた。こーんな地味ちゃんでも、何か裏があるんじゃないかって。不良と、そう好んで親しくする地味ちゃんっていないし。地味ちゃんだからこそ、裏がある。だからヤマトちゃーん達の回し者だと思っていた。もしそうだとしたら、」


 フルボッコにするつもりだったんだよねぇ。

 ニッタァニタァ笑うワタルさんだけど、絶対にマジだ。俺、日々ワタルさんにフルボッコされそうになっていたんだ。今まで無事だった俺になんか泣けてきたよ。何も知らない方がシアワセってこともあるんだなぁ。

 身震いをしていたら、ワタルさんが肩に腕を置いてきた。勿論、右肩に。左肩に腕を置かれたら、俺は甲高い絶叫を上げている。


「でもま、ザーンネンなことにケイちゃーんは白だった。フルボッコしそこねちゃった」


 白だった。つまり俺、疑いが晴れたのか。

 そうだよな。俺、日賀野にフルボッコされたし、舎弟に誘われたし、負けちゃったもんな。あんなことがあれば誰だって白だって分かるよな。

 グールグルと考えてたら、ワタルさんに耳引っ張られた。い、痛い!


「また一緒に喧嘩を売りに行こうねぇ」


 たったそれだけの言葉だけど、なんでか俺にはすっごく嬉しかった。認められたというカンジがしたから。

 「はい」俺は綻んでしまう。こうやって人に認められると良いよな。これからも頑張っていこう。これからどんどん頑張ってき舎弟になって喧嘩にもバンバンー……待て待てまて! 俺、どんどん不良の波に呑まれていっているぞ! このままじゃキンパまっしぐらだっ! イェーイ、キンパ田山、絶対似合わねぇ。


 けど俺、現に喧嘩に参戦しちまったし。

 すっぱり諦めるか、舎弟白紙……いや、それは捨て難い。捨てがたいぞ。それに今回は喧嘩参戦したけど、次回しろって言われたら躊躇うぞ。うん。



「さてと。ケイちゃーん。あのさ、ひとつ相談があるんだけどぉ」



 悶絶している俺に、自分の携帯画面を見せてくるワタルさん。画面には多数の新着メールと着信。きっと俺の携帯も同じような状態になってるんだろうなぁ。俺とワタルさんは歩みを止めた。

 困ったように笑うワタルさんに対し、俺は引き攣り笑い。



 そうだった。この後に待ち構えている恐怖をすっかり忘れていた。


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