Chapter6:BOY MEETS PRINCE
01.俺からお誘い(したのではない)
□ ■ □
【放課後の廊下にて】
「ぜ……絶対怒っているよな。もうこれ以上怒らせたくないのに。昨日、彼女を怒らせたから俺から誘ったのに、まさか帰りのSHRが遅くなるなんて」
弾む息、滲む汗、焦る気持ち。
その三拍子だけで俺がどんな状況下に置かれているのか、謂わずもがなだと思う。
まさしく今、俺は全速力で走っていた。等間隔の窓から見える日の傾き、放課後の学院を転がるように右へ左へと走る俺は、肩に掛けている鞄がズレ落ちないようしっかり握って長い長い廊下を駆け抜けている。
今から下校する生徒、教室に残って談笑している生徒、廊下でじゃれ合う生徒。それらを脇目にも振らず、俺はただただ疾走。
腕時計で刻を確かめる。
ああっ、もう15分も遅刻しちまっているよ!
やばいやばいやばい、刻一刻と進んでいく時間に「神様。時間を止めてくれよ」ついつい懇願。軽く唾を飲み込んで階段を駆け下りた俺は、約束の場所に向かう。クエッション、それは何処か。アンサー、理科室だ。
向こうに見える突き出し表札【理科室】の文字に俺はラストスパート。
足が縺れそうになりながらも、自分の持てる脚力で理科室に突っ込み、「遅くなりました!」勢いよく扉を引き開ける。
鍵が開いていることから、もう彼女は来ている筈なんだけどパッと見、人らしき姿は何処にもない。
荒呼吸のまま理科室に足を踏み入れた俺は扉を引き閉めて、
「あの先輩……いますか」
おずおずと声を出して呼んでみる。返答はない。
あれ、おかしいな。
もしや怒って帰った? もしくはまだ来ていない? 後者だったら万々歳なんだけど。
ふーっと息をつき、ちょっち呼吸を整えた後、奥に進んでみる。
コツコツコツ、上靴の奏でる音が理科室を満たした。彼女の姿はないようだ。
ぐるっと周辺を見回してみる。戸棚に仕舞われているビーカーやフラスコ、ホルマリン漬けにされてる液浸標本、人体模型にガイコツ模型。視線を上げれば、戸棚の上、見やすい位置に昆虫の標本が飾られている。馬鹿でかい蝶が彩られている翅を広げてこっちを見下ろしているようで、ちょっと不気味。
視線を戻して、俺は並列に並んでいるテーブルの一角に腰を下ろした。
このテーブルの下には木箱のような椅子が押し込まれている。椅子を出すのは面倒だ。
「やっぱり遅れたから怒って帰っちゃったのかな。んー、取り敢えず、携帯で連絡を取ってみようかな」
先輩から借りている白の携帯を通学鞄から取り出してディスプレイを開く。
同時に、ナナメ後ろから衝撃。
よろける体と落としそうになる携帯、瞠目する俺。すべてが混乱させる材料だ。
だけど耳を食まれて我に返った。
「せ、先輩……びっくりさせないで下さいよ」
後ろから抱き締められている俺は引き攣り顔で首を捻る。
「何処にいたんですか?」
問い掛けに手洗いに行っていたのだと返答、絹糸のような髪を靡かせる彼女は、「遅かったな」アイロニー帯びた笑みで俺を歓迎してくれた。
嗚呼、まじっすか。
その表情だけで身の危険を感じるんだけどぉおおお?!
引き摺り下ろされたせいで、俺は床に尻餅。
鞄は中身をぶちまけて向こうに転がるし、借りた携帯も衝撃で落としてしまった。呻き声を上げる間もなく、鈴理先輩に押し倒される。
ははっ、この展開、お馴染になってきたっ! マジ毎度のことながらどうしましょうな展開だよな!
……だけど、今日は俺がお誘いしたわけだから、気を引き締めていかないと。
言われる前に片手でネクタイを解き、ボタンを外し、
「先輩。場所を変えてもいいですよ。ここじゃ雰囲気出ないでしょう?」
分かりきった台詞を啄ばむ。
「却下、スリリングを味わいたい」
シニカルに笑う某令嬢は、解いた俺のネクタイを掴んで、そのまま獲物の両手首を一まとめにするために使う。獲物は一切抵抗をしなかった。
その間にも獲物を捕らえた肉食獣は軽くキスを交わしてくる。
嗚呼、徐々に激しくなるキスはもう手馴れたもの。それこそ度胸がないから舌を入れることはできないものの、彼女の舌を受け入れることは俺の日常の中で“当たり前”として確立している。
「鍵は掛けていないからな。声を出せば、すぐに生徒が来るぞ。見られたくないなら、せいぜいしっかりと声を抑えろよ。あまり時間を掛けても、教師や警備員が巡回がするからな。今更ノーとは言わせない、今日はあんたから誘ったんだから」
耳元で囁かれた。
分かっている、今日は俺が誘った。認めます。
「早く先輩。誰かが来る前に」
急かしてみると、それなりのお誘いがあるだろうと注意を促される。
「相変わらず意地悪っすね。そんなところも好きっすけど」
微苦笑を零して俺は相手の瞳を見つめた。
ねえ、先輩。
俺を抱い…………エッホン、あー、仕切りなおして。
先輩、俺を抱い……て……だ……いっ……だダァアあアああアアアアアアア――!
「――こんなの言えるわけないっすぅうううう! もう勘弁して下さい、俺が悪かったんですぅううう!」
読みかけの小説を投げ放りたくなったけど、これは彼女の大切な代物。
どうにか踏み止まり、俺はノートを閉じて「ごめんなさいぃいい!」オイオイと地面に伏した。
耳まで真っ赤に染め上げる俺に、
「あ、こら! 今からが本番じゃないか、なんでやめるんだ!」
バンバン背中を叩き、鈴理先輩は続きを急かしてくる。
だけど、いや、ホンット無理っす。勘弁して下さい。ごめんなさい。もう駄目だと俺はギブアップした。
あ、すみません。ノッケから取り乱しました。
長ったらしい前置きはすべてフィクションです。今の出来事は本人達とは一切関係ございませんので、ご理解のほどを宜しくお願いします。
じゃあ何をされていたか。
答え、学内の中庭の木陰で先輩の愛すべき攻め女本(別名:俺と彼女の二次創作小説)音読させられていました。
なんで音読させられているかっていうと、彼女が音読しろと脅してきたから……としかいいようが。音読しないと早退して、ラブホに無理やり連れて行くとか言ってきたんだ。そりゃあ、音読を選ぶだろ。なあ?
正直、此処までシンドイとは思わなかった。
くそう、なんだよ……さ、さ、誘うって!
自分からネクタイやボタンを外すとかっ……んで、……ネクタイで縛られても無抵抗。
嗚呼、眩暈。
近未来の俺を見ている気がしないでもない。
俺、全部を諦めてこうなっちゃうのかなぁ。
草が生い茂った地面に寝転び、切ない気持ちになりながら仰向けになってノートを開く。ぱらぱら、ページを捲ってめくってめくって……うっ、涙腺が疼いてきた。
小説の俺はあーされて、こーされて、こんなことも。ああっ、そんなっ、それはあんまりです! 鈴理先輩、鬼畜過ぎるっす。
グスンと涙ぐむ俺を余所に、「折角盛り上がってきたというのに」鈴理先輩はちょいと不機嫌になって脹れ面を作っている。
だけどそれもすぐに一変、「これぞ生ドラマCDだな」癖になりそうだと微笑を零した。
分からない人のために説明しよう。
俺もさっき先輩から聞いて知ったんだけど、ドラマCDとは、CDに音声のみのドラマを収録した物を指すらしい。
鈴理先輩は小説を読みながら思ったんだって。この小説は自分達の分身、だったら音声があっても良いんじゃないかと。
こうして、いたらん思い付きをした鈴理先輩は、わざわざ俺視点の小説を持ち出し、こうして音読させているってわけだ。
自分の台詞はちゃーんとご自身が言って下さるもんだから凝っているよな。
「いつか本物のドラマCDを作っても良いかもしれない」
鈴理先輩は胸を膨らませ、ホックホク顔で俺の手からノートを取ってページを捲る。
特に濡れ場は力を入れたい、なーんて仰って下さる鈴理先輩に俺は内心で大号泣。
俺は無理そうです。経験も無いんっすから。
じゃあ経験してみるか? ……性行為経験は安易にやっちゃいけないもんっす。だからノーっす。断固としてそこは譲らないです。
「しかし残念だ。とても楽しみにしていたシーン前でオアズケとは。空に一番近い性格の小説を持ってきたというのに。何が不服だ空。あんたらしい目線で書かれているではないか」
ぶうっと唇を尖らせる鈴理先輩はこんなにもスバラシイのに、と鼻を鳴らす。
全部が不服っす。特に濡れ場、最高に不服です。
なんて言ったら最後、俺はど突かれる、もしくは押し倒されるだろうから(絶対後者だな)、オブラートに包んで物申すことにした。
「ちょいちょい俺じゃない空さんが暴走していますよ。本物の俺は学校で誘うような行為したことないじゃないっすか! な、なんて破廉恥な!」
学院の外ではキスを誘ったこと、あったようなー、なかったようなー、だったっすけど。
「うーむ。空が受け身なのはあたしにとって涎が出るほど喜ばしいことなのだが、少しは積極性を身に付けても良いと思うぞ。可愛らしい積極性なら、あたしも受け入れる」
涎ってところにツッコミを入れちゃなんないんっすよね。
分かります。俺もスルースキルを高めることにします。
「積極性ですか? 例えば先輩を押し倒す……俺が?」
「押し倒すことなど、ヘタレくんには無理だろう? まあ、したところで押し倒し返すがな」
鈴理先輩が俺のでこを弾き、自分の考えを述べる。
「キスを仕掛けて“鈴理先輩。俺を抱いて下「積極的過ぎっす」
「ではキスを仕掛けて“鈴理先輩。俺を食べて下「言い換えても一緒っす」
「……キスを仕掛けて“鈴理先輩。ベッドにい「先輩。諦めも人生においては大事だと思います」
「チッ、だったらレベルをグーンと下げてやる」
理不尽な舌打ちきたよ。
今のは俺が悪いんですか?! 性格を考慮してくれない先輩が悪いんじゃないっすか!
「よし。キスを仕掛けて、あたしに飛びつくはどうだ。とても意地らしいではないか!
空の好き好きオーラを醸し出して甘える姿が見たい。それこそ愛犬のアレックスのように好き好きオーラを醸し出す甘えたな空が見たい、いや見せろ、今すぐに。それが所有物のやるべきことだ」
だんだんと高飛車口調になる鈴理先輩に俺は引き攣り笑いを作った。
出たよ、あたし様。
そんなこと急にできるわけないじゃないですか。此処は学院内ですよ、中庭だとはいえ、人目があったりなかったりなんですから。
意地の悪い期待を含む眼が飛んでくる。
受信拒否したいけど、後々怖いから取り敢えず受信はする。受信は。
「それともあんたは玲の方がいいのかなぁ」
わざとらしい溜息に俺は追い詰められた。
数日前、俺は王子と呼ぶに相応しい先輩に告白された。
本気も本気の告白でお付き合いどころか、婚約しろとまで迫ってきたもんだから、その日、俺は地獄も地獄を見たわけなんだけど(主に鈴理先輩が生み出す地獄は恐怖も恐怖ですた)。
でもって仕置きをされそうになったりうんぬんかんぬんだったわけだけど(実際仕置きされますた)。
御堂先輩が正門前で大告白大会をしてくれたおかげで、俺は財閥界、学校、二世界でめでたく噂の人になっちまった。
それが鈴理先輩の怒りを買ったんだけどさ……この音読も仕置きの延長線上だったりするわけだけど。
でもでも俺の気持ちがどっちに傾いてるかは知っているくせに、意地悪いっすよ先輩。
受け身男は伊達じゃないですよ。自分から動くって超勇気がいるんですからね! ねっ! ……ねっ!!
ニタリニタリしている性悪攻め女に唸って、俺は赤面しながらそっぽ向いた。
体は勇気を振り絞ってみせる。寝転がったまま座っている彼女の体に擦り寄った。いや、膝に乗り上げた。柔らかな膝に頭を預け、そっと彼女を見上げる。
そして異議申し立て、「先輩は忘れています」不貞腐れ気味に物申した。キョトン顔を作る彼女の右頬に触れる。
「先輩、俺に言ったじゃないっすか。俺のものになる、返品不可だって。言ったからには、あれ……あれっす。先輩だって俺の所有物です。だから俺の気持ちを疑わないで下さい。それに俺が男ポジションを譲るのは貴方だけっすよ。何度も言っています」
あーあ、傷付いたなぁ。慰めて欲しいなぁ。悪いと思うならキスして欲しいなぁ。
超わざとらしく呟いてみた。不貞腐れてもみた。甘えた素振りも取ってみた。
残念な事に草食受け身で定着している俺には、よっぽの心の準備ができていない限り、いきなり飛びついてキスをするなんて大それたことはできない。これが俺なりの精一杯の甘えだ。
一変して頬を崩す先輩は「そうだな」今のはあたしが悪いよな、優しく髪を撫ぜてくる。「お詫びしてくれないんっすか?」俺の甘えに、「ふふっ」彼女は笑声を漏らした。
「やはりリアルの方がいいな。どのように妄想しても、現物には敵わない。小さな行動でさえ可愛らしく思える」
「んー、可愛いはあんま嬉しくないっす。思われるほどの男でもないですし」
「あたしがそう思うのだから仕方がない。甘受しろ。空を可愛いと思うのはあたしだけで十分だしな」
その愛しむような、女性特有の可愛らしい表情に心が脈打った。
大抵俺が見る笑みって攻めモードだからな。
笑みに心の準備ができたのかもしれない。
俺は上体を浮かして、触れていた右頬に口付けした。
「なっ」驚くあたし様に、「これでいいっすか?」してやったりと口角をつり上げて微笑を向ける。
珍しく頬を紅潮させる鈴理先輩は、ちょっぴり悔しそうに、だけど物足りないと言わんばかりの表情で俺を見下ろす。
きっとこの後、大人なキスを仕掛けられるんだろうなぁっと思って身構える。
勿論鈴理先輩もそのつもりで行動を起こそうとした。俺の頭部に手が回ってきたんだから、起こすつもりだったんだろう。
けど、行為は大きな悲鳴によってピタリと止まる。
何事かと思って首を捻れば、向こうの木の陰からキィイイイ! ハンカチを噛み締めて俺を睨む上級生二人。
『I Love Suzur !!』と印刷された鉢巻を頭に巻いているあの方々は鈴理先輩の親衛隊様じゃアーリマセンカ。『お守り隊』から『見守り隊』に改名された親衛隊の長と副長がジトーッと俺に殺意を向けている。
「隊長っ、もう我慢なりません。白昼堂々学院内で我がアイドルとイチャイチャラブラブラブエンドレス、豊福空を始末したいであります!」
ギギッと木肌を引っ掻いているのは副隊長の高間先輩。青筋が大変な事になっている。始末なんて物騒な!
「泣くな高間。気持ちは同じだっ。くそう、他の女と浮気しているくせにっ。尻軽な男め」
がじがじ、爪を齧っているのは隊長の柳先輩。そんなに齧っていると爪がなくなるんじゃ。って、尻軽男って俺のことっすか! 失礼な!
各々涙を流して禍々しいオーラを俺に放ってくる親衛隊に俺は体を引いた。
なんであの二人、でがばめしているんだよ。
しかも……お……男の嫉妬って超恐ろしいな。ファンを怒らせるとロクなことがない。
向こうの言い分も分かる。白昼堂々と学院内でイチャモードを醸し出すのも、KYというかっ、って、す、鈴理先輩。顔が近い。
「せ、先輩。あそこに人が、しかも貴方様のファンがいるんっすけど」
「見せつけてやればいいさ。微々たることを気にするくらいな」
いやいやいや、完全に殺意は俺に集中しているんっすけど! この後、俺、絶対に呼び出されてリンチとかに、ちょぉお、す、鈴理せんぱ―――…!!
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