05.奥さん、親衛隊ですって。
□ ■ □
「はあ……空。あたしの愚痴を聞いてくれ」
突然始まった愚痴トークに俺は驚くしかなかった。
「何かあったんすか?」
先輩に疑問を投げ掛ければ、大きな溜息をつく鈴理先輩がそこにはいた 何か嫌なことでもあったのかな。心配を余所に先輩は重々しく口を開く。
「あたしは心底恋愛小説を愛しているのだが、あ、無論、空も愛しているぞ。どちらを愛しているかと問われれば、空に決まっている。安心しろよ? で、恋愛小説の話になるのだが、あたしのマイブームはケータイ小説なんだ。毎日のように携帯を弄くっては小説を読み漁っている」
………。
愚痴の内容は置いておいて、愛している発言はスルーするべきだよな。ツッコんだら最後、襲われかねない。
「へ、へえ。携帯って便利っすね。小説読めるなんて。俺、携帯を持ってないですし扱ったこともないっすから、イマイチどういうものか分かんないっすけど……それで何か問題でもあったんっすか?」
「ケータイでの恋愛小説は星の数ほどあるのだが、どれを読んでもあたし好みがないんだ。どれを読んでも男がリードするものばかり。いや、それはそれで素敵だと思う。しかし星の数ほどあるのだから、少しくらい攻め女の恋愛小説があっても良いと思うのだ! 女王様というものがあるが、イマイチあたしが求めているものとは違う。今のあたしの気分は、こう甘酸っぱい青春モノ、で、初々しい攻め女と受け男の恋愛話が読みたい。だが見つからない。見つからないのだよ、空。女がリードする話がないのだよ。攻め女が何処にもない。嗚呼、萌え不足になりそうだ!」
うわぁああっ、萌え不足だ! 萌え不足で死んでしまいそうだ!
俺の隣で机に伏せて嘆く先輩に、俺は引き攣り笑い。それが愚痴っすか。心配して損したっていうか、財閥のお嬢様が萌え発言って。
だけど先輩はションボリ落ち込んじゃっている。先輩にとって悲しい出来事なんだろうな。攻め女と受け男の恋愛話が見つからないこと。先輩の趣向って他の人とちょっと違うからな(おかげで俺は被害バッカ遭うけど)。
そう簡単には見つからないんだろうな。
「元気出して下さいっす」俺は慰めの言葉を掛けた。
「頑張って探し続ければ、一つくらいあるっすよ。星の数だけ小説があるなら、きっと何処かに先輩の求めるお話があるっす。元気出して下さい。無いなら先輩が書いてみればいいじゃないっすか。書く人も多いんでしょ?」
ぶーっと脹れ面を作りながら鈴理先輩は無理だって口にする。
「あたしは読む専門だ。文才は無い。何よりあたしは理系だ。文字より数字なのだよ」
「じゃあ何か他のモノで補うことは? 例えばスポーツで気を紛らわすとか」
恋愛小説から一旦距離を置いて、別のことをしてみれば気鬱な気持ちも晴れるんじゃないか。スポーツなら俺、全般得意だし先輩に付き合えるぞ。夜の運動という名の大人の時間以外なら!
俺の言葉に鈴理先輩がジーッと見つめてきた。
「空」「え、はい、何っすか?」「空」「あのー、鈴理先輩?」「空」「……まさか俺で補うつもりっすか?」
「萌え不足はリアルで補うしかない。空、今からあたしの下で鳴け!」
「先輩、最初から絶対それが目的でしょっ、ちょちょちょちょぉおお先輩! ストップ暴走本能っすぅうう!」
悲鳴を上げる俺は危うく椅子から転倒しそうになった。隣に座っている先輩が全力で押し倒そうとしてきたんだぜ? マジ、踏ん張った俺を褒め称えたい。
「チッ」押し倒しに失敗した先輩は盛大に舌打ち。俺は引き攣り笑い。此処が何処だか分かっての行動なのでしょうか、先輩。貴方様の教室ですよ。俺は貴方様の教室にお邪魔させて頂いているんですよ。
で、なんで俺が先輩の教室にいるかっていうと、鈴理先輩が俺に渡したいものがあるからって言ってきたから。
こうやって昼休みの時間を使って教室にお邪魔させてもらったんだ。鈴理先輩のクラスは女クラ(女子クラス)だから、ちょっとお邪魔させてもらうのに抵抗があるんだけど、無理やり引きずり込まれたことが過去何度あったかを思い返せば抵抗心も霧散する。
折角なんで先輩と教室で昼食なんかも取っていたりする。女クラで飯を食うってのも、これまた勇気がいるんだけど、先輩のクラスメイトって気を遣ってくれる人達ばっかりだから、殆どの人は俺の存在に茶々を入れない。先輩の人柄がいいんだろうな。
みんな俺達の仲を応援してくれる。俺達というより先輩を応援している。
時間を邪魔しないように俺達に挨拶をする程度で、先輩達は自分達の思い思いの時間を過ごしている。先輩のお友達様は俺達に話し掛けてきたりするんだけどさ。
「おーおー鈴理。また押し倒しに失敗しちゃって」
「とても微笑ましいことですわ」
ほら、こんな風にな。俺達の様子を遠巻きに見ていた先輩のお友達。
川島先輩と宇津木先輩は鈴理先輩と一番仲が良い。本人達もそう言っていた。親友なんだって。『ですわ』口調の宇津木先輩は鈴理先輩と同じ財閥の娘だそうな。すっげぇ優しいんだ、この人。話しているだけでほんわかな気持ちになる。でも不思議ちゃんなんだ。時々会話についていけない。
対照的にちょっと口調がガサツな川島先輩は俺と同じ一般人。でも令嬢の二人と仲が良い。笑い上戸で何に対しても直ぐに笑う気さくな人。
嫌いじゃないよ、こういう人。なんか一緒にいて楽しいっつーか、素の自分が自然に出せる。
友達二人に笑われて鈴理先輩はフンと鼻を鳴らした。
「失敗ではない。空が照れるのが悪いんだ。空はいつになったらあたしに食われてくれるんだ? 晴れて恋人となったというのに」
「だ、だから。まずは健全的なお付き合いをしましょうって」
「まず。ということは、いつかは食われてくれるのだな? 今日か? 明日か?」
いや、そういうことでもなくって。今日でも明日でもなくって。
どうして不健全な関係を築き上げようとするんだよ、鈴理先輩。俺は健全な関係を望んでいるのに。
額に手を当てて溜息をつく俺に川島先輩が膝を叩いて笑う。
「鈴理にプラトニックラブなんてムリムリ! 望む方が無理って言うかさ。鈴理の読む恋愛小説って過激なヤツが多いし。潔く諦めて食われることが豊福の幸せだと思うぞー。情事ってのは最初だけ時間を取るだけで、あとは意外とパパパァーっと流れてあっという間に終わっちまうって」
「まあ、早苗さん。鈴理さんが普通に食べるとでも思いまして? それはそれは濃厚なものになると思いますわ。ちゃーんと準備と覚悟をしてから事を済ませないと。空さんがきっとトラウマになると思いますわ。それも時期に良き思い出になるとは思いますけれど」
のほほーんと談笑している川島先輩と宇津木先輩。
会話の内容からして俺を救ってくれるわけではなさそうだ。寧ろ、鈴理先輩を全力で応援している。そりゃそうだよな。オトモダチだもんな。先輩を応援するだろうな。
ただ先輩のアタックを受ける俺の身にもなって欲しい。性交なんてできるわけないだろ。俺、そういうのに関しちゃまだ無知だし、未知な領域だし、怖じる気持ちも抱くし。
また一つ溜息をついて俺は食べかけの弁当に目を落とした。
本日の俺の弁当の中身は日の丸弁当の“日”がないバージョン。つまりただの白飯。
だけど先輩が持参してきた弁当のおかずを半分俺に恵んでくれたから、とっても豪華。鈴理先輩が俺のためにわざわざ作ってきてくれたんだ。先輩、超料理が美味くてさ、おかず一つひとつに感激。俺は先輩がくれたからあげを箸で摘まんでジッと見つめる。
「からあげ。半年に一回食べられるか食べられないかのご馳走。どうしよう、俺、こんな豪華な物を食べたら罰当たりそうっす! せ、先輩、ほんっとにいいっすね? 俺、食っちまいますよ? 後で返せって言われても困るっすよ!」
途端に先輩は苦笑い。
「空、おかずを一つ食べる度に同じ事を聞いているぞ。何度も言うが遠慮なく食べろ。気遣う必要なんて何処にも無い。あたしが好きでやっているんだから」
「きょ、恐縮っすっ。それじゃからあげ、有り難く頂くっす」
口に入れた瞬間、俺は感激のあまり泣きそうになった。
からあげ、美味い、美味いよ。肉汁が口の中でぶわって広がっている。泣きたいくらい美味い。
ジーンと感動に浸っている俺に一笑する先輩は自分の席に掛けていた紙袋から新たなタッパーを取り出す。
「空。クッキーも焼いたんだが後で食べてくれないか? 本当はケーキを焼いて持って来ようと思ったんだが、空はどんなケーキが好きか分からなかったからな。今日はこれで勘弁してくれ」
目の前にクッキーの入ったタッパーを置かれて、俺はカチンと固まる。だってよ、先輩の手作りクッキーが目の前に。
クッキーなんてなっかなか食べられる物じゃないって。どうしよう。こんなに贅沢しても良いのか。
でも超嬉しい。嬉し過ぎる!
「空はどんなケーキが好きなんだ? もしくはいつもどのようなケーキを食べているんだ?」
先輩の質問に我に返った俺は笑顔で答えた。
「ホットケーキっす」
「ホットケーキ?」
先輩が首を傾げた。
通じなかったか? お嬢様だもんな。知らないかもしれない。
「ほら、あれっす。フライパンで焼けるヤツっす。一枚一枚は平べったいんっすけど、積み重ねるとボリューム満点のケーキになるヤツっす。バターとかのせるじゃないっすか! 世間でははちみつってヤツを掛けたりするそうっすけど、はちみつは高くて俺の家では買ったことがありません」
「……いや、物は知っている。あたしが言っているのは、もっと凝ったケーキなのだが」
「ケーキ……凝ったケーキ。でも、俺の誕生日ケーキはいつもホットケーキだったしな」
あれはすげぇ美味い。
積み重ねた分、沢山の量が食える。バターを付けて食べると尚美味い。
だから是非、ホットケーキを作って欲しいとおねだりする。が、先輩は血相を変えて俺の両肩を掴んできた。しかもガクガク揺すってくる。
「待て待て待て空。あんた、ショートケーキは? ガトーショコラは? モンブランにタルト、チーズケーキ、ミルフィーユ。ええい、ザッハトルテにドボシュ・トルテ、ティラミス! パンドーロ! そういったものは?! 何か一つは食したことがあるだろ!
さすがのあたしもホットケーキを空に作ってやるのは胸が切なくなる、もっと別のを食わしてやりたくなるか、あたしがあんたを食べたい」
「どさくさに紛れて何を言っているんすか! それに記憶上、俺の知るケーキって、ホットケーキしか食ったことないっすよ。先輩が挙げてくれたケーキ前半の名前は聞いた事がありますけど、後半はただの外国語にしか聞こえなかったっす」
途端に鈴理先輩が涙ぐんで俺を抱き締めてきた。これはもしかして同情の抱擁というヤツなのだろうか。ショートケーキやガトーショコラも口にできない貧乏人は可哀想だって。
いや、確かに食ってみたいと昔から思っていたけど、ホットケーキだって負けず劣らず美味いと思うんだ。うん、ボリューム満点だし、安くて沢山作れるし、自分で分量も調節できるし。
先輩の言ったケーキは食ったこと無いけど。ホットケーキも美味い、美味いよ。
「あの、先輩」
おずおずと声を掛ければ、先輩が俺の両肩に手を置いて真っ直ぐ俺を見てきた。
「空。ホットケーキではな、ホットケーキでは……生クリームプレイができないではないか! 生クリームプレイはケーキのお約束だぞ!」
「そ、そっちで涙ぐまれていたんっすか!」
どういう意味の涙っすか、それ。
しかもケーキのお約束ってあーた、普通に食べられたいケーキはそんなお約束されても困るだろうに。引き攣り笑いを浮かべる俺に、「あ、そっか」先輩は自己完結するように手を叩いた。
「ホットケーキには、はちみつやバターが付き物だな。あれでプレイ……しかし、あたしとしてはケーキはまず生クリームでヤッてみたいと」
なにが“まず”なのだろうか。“まず”ということは“次”もあるってことだよな!
あははっ、想像するだけでオッソロシイ!
「食べ物で遊んだら罰当たるっすから! てか、何でもかんでもプレイという教育上に宜しくない思考へと持っていかないで下さいっす! 先輩、少しは純愛というものを楽しみましょうっす!」
「純愛?」
「そうっす。一応俺達、恋人になったんっすから、こうもっと恋人らしい、あ、そういうイカガワシイことじゃなくって。学生らしい恋人の時間を。例えば放課後にデートとか。うーん、俺、金がないんで散歩程度になるかもしれないっすけど。ほら、よくドラマであるじゃないっすか。初々しい学生カップルは放課後に空き教室で」
「あれよあれよと淫らな行為に走る。あたしの読む小説は大体そういう展開が多い」
「………………それは先輩の読んでいる小説に問題ありっす」
R指定のを平然と読んでいるようだけど、先輩まだ十七歳でしょーに。R指定ってのは十八歳以上の人が楽しんでナンボのものだと。いやさ、十七も十八も変わらないって言われればそれまでだけど。
とにかく俺が言いたいのはそこじゃなくて。
もっとゆっくりと二人で話す機会を設けたいわけだ。
じゃないとお互いが分からないというか、俺も先輩がどんだけ好きで意識しているのかが分からない。ってか、恋人になって、先輩、過激になったような気がするんだよな。
気のせいだと思いたいけど、真っ昼間からプレイプレイと発言している時点で何か、なあ。
純愛を語る俺をキョトンとしていた顔で見ていた鈴理先輩は、ニコッと笑顔を作って俺の両肩を両手でトントンと叩く。
「空。うちはうち、よそはよそだ。周囲と比べては恋愛も楽しめないぞ?」
こっれだもんな!
恋愛小説が大好きなくせに周囲のリアル恋愛はあんまり興味が無い上に、純愛より欲望を取るんだから、俺、苦労するって! 頭を抱える俺を余所に、鈴理先輩は思い出したように机に掛けていた通学鞄を手に取って膝の上に置いた。
パチッと留め金を外して中に手を突っ込み、何やらガサゴソガサゴソ。そして手を引っこ抜き、持っていたそれを俺に差し出してきた。
俺は瞠目する。先輩が俺に差し出してきたのは真新しい携帯電話。色は白。種類は折り畳み式のガラケー。持ったことも無い通信機具を差し出され、俺は思わず先輩を見つめる。
「受け取って欲しいんだ」
微笑を零す先輩にこれは既に契約済み、直ぐに使えると教えてくれる。受け取れと言われて受け取れるほど、これは安価なものじゃない。寧ろ高価だ。高価。俺は戸惑ってしまった。
「これを空に渡したくてな。今日は教室で昼食を取らせてもらったんだ。弁当や菓子のこともあるが、一番はこれを渡したかった。空に受け取って欲しい」
「でも先輩、これはちょっと」
「分かっている。空がそう簡単に受け取れないのは。一応説明すると本体や月の料金のことは気にしないで欲しい。父が携帯会社と契約しているんだ。故に竹之内家では携帯料金の殆どがタダなんだ。あたしの携帯もほぼタダに近い。時折有料サイトを使うため料金も発生するが……殆どタダだ」
すげぇ竹之内財閥。
そして鈴理先輩、有料サイトってどんなサイトか気になるのは俺だけ? いやいやいや健全な有料サイトだって俺は信じているっすけどね!
「金の問題はない。しかし空の立場を考えると携帯を軽々しくやるという行為は、あんたの家庭に同情しかねない。あたしは同情をしているわけではない。どの家庭にも事情というものは存在するものだ。それをあれこれ言うなど道理に反する。そうじゃないか?」
「鈴理先輩」
「だからこれは空に貸すことにする。やるんじゃない。これはあんたに貸す。空がいつか携帯を持つ日まで。空が携帯を持ったら返してくれればいい。この携帯にはあたしの電話番号とメールアドレスが入っている。いつでも連絡してきて欲しいし、連絡をしたら出て欲しい。ケーキのこともそうだったが、ケーキの件で疑問に思い、何が好みか空に連絡をしようとしても、空の連絡先を知らなかった。恥ずかしながらその時、初めて気付いた。常に空の声が聞きたいし、連絡を取り合いたい。そう思うあたしの我が儘に付き合ってくれないか? 空」
笑顔を見せる鈴理先輩に、俺は鼓動が高鳴った。顔に熱が集まっていく。
反則だよな。いつも常識外れの発言ばっかりしては俺をタジタジにさせているのに、こういう時は一歩俺の前を立ってリードするんだから。女の子特有の笑顔を見せながらそんなことを言われて、嬉しくない奴なんていないって。
差し出された真っ白な携帯に目を落とし、俺は一呼吸置いて、それを手に取った。
「貸して頂くっす。俺、バイトをし始めたら絶対に携帯を買いますから。そしたら真っ先に先輩に連絡を教えます」
「ああ。楽しみにしているよ」
笑う美人先輩に見惚れちまう。
だけど、それは単に先輩が美人だから見惚れたわけじゃない。先輩だから見惚れちまった。
ただの美人さんに微笑まれても俺は見惚れる程度だ。
きっと美人さんだけじゃこんなに胸や顔に熱が集まらない。
そう思うと俺はやっぱ先輩のこと少しならず意識をしているし、好いているのかもしれない。
先輩に気持ちを悟られたくなくて、貸してもらった携帯を開いてみた。デジタル画面が俺に顔を出してくれる。
「へえ、携帯ってこうなっているんですね。でも先輩、これはどうやって電話を掛けるんっすか? メールもどうやってやるのか俺にはサッパリです。自分、機械音痴なんですよ」
「ふふっ、そうなのか。スマートフォンと迷ったがガラケーを渡して良かったな。貸してみろ、まずは電話の掛け方を教えてやるから。メールもじょじょに慣れていけば良い。しかし、今の時代はLINEだな」
「ならLINEから教えるか」先輩は俺の手から携帯を取って操作し始める。
俺はその手を覗き込み、操作を覚えようと頭に叩き込む。
ある程度、教えてもらったら自分で操作してみる。けど先輩のように上手くできない。LINEとやらのアプリを起動させるのにも苦労するし、スタンプを押そうとすると連続で押してしまう。メールも件名に全部本文内容を打ち込んでいる始末! 絵文字や顔文字は俺にはまだまだ取り扱えないレベルだった。
私生活であんまり機械に接する機会がないせいか、こういう機器系には弱いんだ。ゲームとか超弱いよ。格ゲーとか瞬殺だよ。超絶機械音痴。
先輩は失敗ばかりする俺を見て笑いながらも丁寧に教えてくれた。笑われたことに羞恥を感じつつ、俺は今の時間が居心地良く思えた。
川島先輩から「らぶいねー」って茶化されて俺は赤面。先輩は当然と笑う。
なんだ普通に純愛……普通の恋愛できているじゃん。俺と先輩。周囲と違っている面も沢山あるけどさ。金持ちとか貧乏とか、そういった身分とか、容姿とか、そういうの関係無しに普通の恋愛ができている。できているじゃんか、なあ?
昼休みが終わりのチャイムが鳴ると俺は先輩の教室を後にした。
これからあと十分程度で五時限目の授業が始まる。それまでに教室に帰らないと。教室に戻る間、次の時間が移動教室だという先輩と一緒に途中まで歩いた。
鈴理先輩は友達の川島先輩や宇津木先輩じゃなく、わざわざ俺を選んで途中まで一緒に歩いてくれている。なんだか、それが妙に嬉しいやらくすぐったいやら。
……一緒に歩いてくれる雰囲気は良いんだけど、さ。
その、会話がちょっと。
「空。これからの授業をサボって保健室に行かないか? 保健室ならばベッドというものがある。準備万端ではないか」
「な・に・が、準備万端っすか。嫌ですよ、次は英語なんっすから。サボったらすぐ皆に置いてかれます」
このように先輩が大音声で熱弁するものだから、俺、身を小さくして廊下を歩く羽目になっている。
鼻息を荒くして先輩はまだ語りを熱くしている。
「英語の代わりに保健の授業を受けると思えば良いではないか。いいか空、ここは日本なんだから英語なんてもの程ほどで良いじゃないか。日常会話に英語を使うか? 普段の読み書きに英語が出てくるか? 使うか? 使わないだろ。それより保健の授業の方がよっぽど身近ではないか! 保健室で初エッチ、燃えるじゃないか!」
不謹慎なこと言うのが本当に好きだな、鈴理先輩。さすがは肉食系女子。油断ならないことに先輩は男……じゃない、不意打ちをするように俺に女前なところを見せてくれる。
別れる時に先輩、堂々人前で、大切な事だから二回言うけど堂々と人前で俺にキスしてきたんだ。皆が大注目しているというのに、なんてことをしたんだって赤面する俺に、先輩はあどけない笑顔で言った。
「離れていても空があたしを忘れないおまじないだ」
これを言われて腰の砕けない男はそういないと思う。おかげで俺は教室に戻ってからも先輩のことで頭一杯。授業中も先輩のことで頭一杯だった。卑怯だよな、そういう甘い口説き文句。
空き時間も顔に熱が引かないものだから、フライト兄弟にからかわれた。相当顔が赤いんだと思う。
「煩いな」突っ返しながらも、フライト兄弟に強くは反論できなかった。
そんな俺をアジくんもエビくんも面白おかしそうに見てくる。
「ま、いいんじゃねーの? 空が幸せならさ。人前で堂々とキスするくらい幸せなんだろ? 俺もそのシーン見ちゃったんだよな」
いいよな、美人彼女にあんなことされて。アジくんの茶々に俺は恥ずかしさのあまり爆発しそうになった。いっそ穴があったら隠れてしまいたい。
「僕もそう思うよ」
ニヤリと笑うエビくんは眼鏡のブリッチ部分を軽く押した。
だけど次の瞬間、やや真剣な顔を作って俺に「気を付けて」と忠告。何が気を付けてなのか分からない俺とアジくんに、エビくんは周囲をグルッと見渡して声を窄めた。
「先輩にはさ。熱狂的ファンがついているんだ。『鈴理さまお守り隊』という親衛隊がいるらしいよ。空くんが竹之内先輩と恋人になった今、親衛隊が黙ってくれているかどうか」
熱狂的ファン。親衛隊……嗚呼、想像するだけで背筋が凍りそう。鈴理先輩の熱狂的ファンだの、親衛隊だの、そんなヘンチクリンなものがいる。つまりそれは恋人の俺が必然的に敵になるってことじゃないか。
毎日鈴理先輩にキスされて、追っ駆けまわされて、押し倒されそうにはなっている俺を目の敵にしていると思うだけで……。
「俺、生きていられるかな」
落ち込む俺を励ましてくれたのはキング・オブ・ザ・男前のアジくん。
ニカッと俺に笑顔を向けて大丈夫だってと肩を叩いてくる。
「空は堂々としてればいいんだ。鈴理先輩と空で決めたんだろ? 恋人になるって。んじゃあ、第三者が口を出すことじゃないって。周囲の目にビクビクしていちゃ男が廃るぞ」
「鈴理先輩といると俺……時々自分が男なのかどうか疑問に思うんだけど」
「だったら尚のこと、ビクビクすんなって。こういう時こそ男を見せるチャンスだ。空は男になりたいんだろ? 『俺は鈴理先輩の恋人だ。悪いか!』ってぐらい、強い気持ちを持てよ。大丈夫、空が良い男なのはダチの俺が保証するから。自信持てよ」
あ、あ、アジくん、君って本当に男前だぁあああ! いいな、ほんっといいな。こういう風にサラッと言う人って! 俺もアジくんみたいに男前になりたい。アジくんのようになれたら、きっと俺、先輩に不謹慎な言葉を言わせないどころか自分が不謹慎な言葉を言って先輩を赤面させられるんじゃ!
健全的な関係を望みたいんだけど、先輩を赤面させたいという願望はある。
キラキラっと俺はアジくんに尊敬という名の熱い眼差しを送る。
エビくんはそんな俺にやや引き気味だった。気を取り直してエビくんは今日の帰りのSHRの話を切り出す。
「今日は念願の席替えだ。今度こそ後ろの席を望むよ」
「クジ引きだろ? 窓側の席がいいな」
「そうそう。後ろで窓側の席。だけど僕はクジ運が悪いからな」
席替え? そうだ、今日は確か帰りのSHRの時間に席替えをするって。俺は顔面蒼白した。
どうしよう、窓側の席になったら。一ヶ月はそこの席にいなきゃいけないってことで……俺はフライト兄弟にお願いをした。
もしも俺が窓側の席になってしまったら、席を交替してくれないかって。
突然の申し出に二人はキョトンとした顔で俺を見てくる。なんでって顔をしてきたけど、俺は必死に頼み込んだ。窓側の席になったら席を交替してくれって。どうしても廊下側の席がいいんだ。窓側の席になるくらいなら一番前の席になったって構わない!
俺の願いにフライト兄弟は快く承諾してくれる。
「いいけど、空くん、なんで窓側の席は駄目なんだい?」
「それはー……ま、いいじゃないか。なんでも」
俺は誤魔化し笑い。言えないよな、こうこうこんな理由で窓側の席が駄目なんだって……情けないこと。
「豊福空は窓側が苦手、か。なるほど」
こっちの方を盗み見ては必死にメモを取っている生徒に俺は気付くことができなかった。
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