ジントニックとテニスボール

「蓮!今日こそテニスしに行こう!」

「俺今寝てるから無理」

「がっつり起きてるじゃん!」

 そんな声で私は目が覚めた。双子の弟の逹が蓮の部屋へと渡っていくのが見える。

「何時だよ……」

 私はのそりとうつ伏せのまま上体を起こしてスマホの画面を開いた。

「八時前か……そりゃ蓮も眠い筈だわ」

 欠伸を一つして二段ベッドの上から降りる。外は快晴、春の陽気で暖かい。私はバイトに行く準備を整えてからテニスラケットを手に取った。ガットが切れそうなのに気が付いて、今日バイト前に行きつけのスポーツ用品店に行こうと考える。今日のバイトは十二時から十九時。その前に蓮と逹と一緒にテニスコートに行くだろう、そう思っていた所で渋い顔をした逹が戻って来た。

「蓮は?」

「あと少し寝るって!」

「まあ、蓮も遅くまで大学にいるし、休日くらい寝かせてやろう」

「ん、そうだね」

 私たちは今大学の三年生で、蓮は勉強漬けの毎日だ。私たちもそれなりに勉強はしているものの、蓮のそれとは程遠い。

「蓮が起きるまで何しようかな」

「ちょっとは勉強したらどうだ?」

「うっ」

 溜息を吐いた逹はまた渋い顔になって机に向かった。一旦始めてしまえば逹は集中して勉強する事が出来る。始めるまで長いのが欠点なのだが。

「私朝食作って来るね」

「はーい」

 そう言って私は久々に自宅のキッチンに立った。普段は一人暮らしをしているのだが、たまに帰ってきて逹の相手をしてやるのが日課である。母親はもう仕事に出てしまったので二人きりだった。母親が作り置きしてくれていた卵サラダをサンドウィッチにして食パンの耳を落とす。落とした耳はフライパンで砂糖をふりかけ軽く燻った。サラダを作ろうと思い冷蔵庫を覗くと、もう切ってある野菜が準備されていた。私はそれをありがたく使わせてもらう事にし、クルトンとコーンを付け足したサラダにフレンチソースをかける。あとはスープかと思いコンロに置いてある鍋を覗き見ると、スープも作り置きしてくれていた。仕事前で忙しいだろうに、ありがとう、と心の中で呟きスープを温める。その間にスマホでニュースをチェックしていると、逹が降りてきた。

「腹減ったあ」

「もうすぐスープ、温め終わるから待って」

「はーい」

 逹は対面式のキッチンの向かいに立ってこちらに凭れている。蓮起きたかなあ?と言う逹に、私は苦笑しながら口を開いた。

「蓮は眠れるときにがっつり寝るタイプだからまだ寝てるんじゃないか?」

「そうだよねえ」

 逹は、はぁと溜息を吐く。いったいどれだけテニスがしたいのだろうか。

「どんだけテニスしたいんだよ」

「テニスもしたいけど蓮と遊びたいだけ」

「子供か」

「子供ですー」

 べーと舌を出して逹は笑ってみせる。その顔の幼さに私は笑みを零した。

 スープが温まったので私たちは食卓に着く。逹はよほどお腹が空いていたのか、黙々とサンドウィッチを食べた。私もそれにつられて黙々と食べる。そうしている内にピンポーンと呼び鈴が鳴った。私は持っていたサンドウィッチを置き、玄関に向かう。

「今出まーす」

 私は鍵を開けてそこにいる人物を予想した。このシルエットは蓮だ。

「おはようさん」

「おはよう、朝食とった?」

「いやまだ」

 私は蓮を招き入れて食卓に着かせる。

「おはよう蓮!」

「よう。おはようさん」

 蓮は担いでいたテニスバッグを椅子に置いて座った。私は蓮に出す朝食を用意する。数分で用意が出来たので蓮の前に置いてやると、蓮はいただきます、と手を合わせて食べ始めた。

「美味い」

「ウチのお母さんの味だからな」

「ありがてえ」

 逹がおかわり!と言うので私は苦笑しながらキッチンに立つ。手際よくサンドウィッチを作りながら、二人の会話を聞いていた。

「今日テニスしに行った後どうする?那瑠は十二時からバイトだって」

「じゃあ俺らもコーヒー飲みに行こうぜ」

「オッケー!」

「お前そういや課題終わったんか?」

「えっ」

「課題持ってけよ、俺も持っていくから」

「はーい……」

 私は逹に出来上がったサンドウィッチを渡す。逹はしゅんとしていたのが噓のように喜んでそれを食べ始めた。

「現金な奴だな」

「まったくだ」

 私はそれに同意して座る。

「何それ、悪口!?」

「悪口だ」

 私は二人の言葉にケラケラ笑いながら、残っていたスープを飲んだ。スープを飲み干すと、真正面に座る逹が嬉しそうに口を開く。

「テニスしに行こ!」

「洗い物済ませたらな」

「うん!」

 私は三人分の食器を洗ってしまうと手を拭いながら行こうか、と声を掛けた。逹も蓮も大きく頷いて私たちは家を出た。

 時間は九時過ぎで、私はガットが切れそうな事を告げて、初めにスポーツ用品店に寄らせてもらう事にした。

「いらっしゃいませ」

「こんにちは店長さん、ガットの張り替えをお願いしたくて来ました」

「おお、那瑠ちゃん、こんにちは。いつものガットで良いのかな?」

「はい、お願いします」

 私はテニスラケットを店長さんに預けて、その間のんびり店内を回った。新しいグリップとテニスボールを買い、ガットの張り替えを待つ。十数分でガットの張り替えが終わり、私はお礼を言って店を出た。

 外で二人が待っていたのでおまたせと声を掛けて歩き出す。聖北大学前までバスに揺られ、私たちは聖北大学のテニスコートに足を運んだ。

「ルールどうするー?」

 逹がコートの外に荷物を置き、テニスラケットを手に取りながら訊いてくる。

「とりあえずシングルで二人で打ち合ってていいよ」

 蓮がそう言いながら大きく伸びをした。私たちは了解!と言ってコートに入る。

「行くよ那瑠!」

「はいよー!」

 暫く打ち合いをした所で、蓮が逹側のコートに入ってきた。

「え、蓮そっち側!?」

「那瑠の足なら二人相手でも余裕っしょ!」

「マジか」

「ほーい!那瑠、行っくよー!」

「マジか!」

 私はラケットを構える。逹のサーブは正確に私の方へと向かってくる。私は極力蓮の居ない方へとボールを返す。蓮が不満気にしているが構っていられない。ボレーなんてされた時には点を落としてしまう。しかし蓮は長身だ。それを活かして蓮は飛んだ。

「ずるいぞ!」

「俺の持ち味だろ!」

「嫌がらせか!」

 そう言いつつも私はボールを返していく。蓮と逹は高校時に全国大会まで登ったペアだ。私は苦しみながらもその打ち合いにのめり込んでいった。そんな私もシングルでは全国大会まで行ったものだが、さすがに男子二人の相手は疲れる。逹がサーブミスをした所で、私は休憩をとらせてもらった。

「二対一はつらい」

「分かる」

 蓮は飲み物を私に渡しながら言う。

「分かっておきながら……」

「そう言いながらばっちり点取ってたのはすごいと思うけど?」

「何も言う事はない」

「ははっ、さすがだよ」

「那瑠の猛追凄かったねえ」

 逹がのんびりと汗を拭きながら言うので、私は溜息を吐きながら答えた。

「逹のサーブ、正直ひんやりした」

「そう?那瑠にそう言われると嬉しいなあ」

「しかもバックストローク、めっちゃ上手くなってたし」

「へへ、ありがとう」

 練習した甲斐があったな、と蓮が逹の頭をわしゃわしゃと撫でる。逹はくすぐったそうにしているが、なすがまま撫でられていた。普段ならワックスで髪を整えているが、今日はそうではない。男子にしては長い髪が風でふわりと揺れた。

「時間、大丈夫?」

 逹が訊いて来たので腕時計を見ると、そろそろ十一時になろうという所だった。

「まだ大丈夫、あと試合一回分だな」

「やった」

「今度はどう分けるんだ?」


 結局私対二人になった試合は、私が僅差で勝った。自分でも驚きの結果である。私は大きく呼吸をした。汗に濡れた体を拭いて、髪も整え直す。制汗剤を持って来て良かった。汗臭いまま接客するのは智弘さんに悪い。私は身支度を整えて二人の方を見た。二人とも私と同じように身支度を整えている。逹はワックスを付けて髪をいつもの様に前髪を上げてピンで留め、後ろ髪は軽く流したままだ。

「そろそろ行くよ」

「ほーい」

「おう」

 二人の返事を聞いて私たちは歩き出す。直ぐに店に着いて、私は事務所へ入った。

「おはようございます」

「那瑠ちゃんおはよう、今日は暑いね」

「そうですね、もう夏みたいな気温ですよ」

「冷房付けるかあ」

 私は更衣室で着替え、カウンターに出る。高校時代はメイド服を着させられていたが、大学生になってからはワイシャツにベスト、黒いパンツ、それにカフェエプロンに変わった。メイド服、それはそれで動きやすかったが、同級生がたまに来ると恥ずかしくて死ぬところだった。智弘さんはメイド服着てもいいんだよ?と冗談か本気か分からないことをたまに言うが、私のロッカーにはまだメイド服が入っている。いつかまた着る事になるのだろうか、いや着ないだろう。高校時より背も伸びたし、着ない事を願って、私はタイムカードを切った。

 事務所で軽くミーティングを済ませ、私はカウンターに出る。逹と蓮がそこに座っていた。もうコーヒーを淹れて貰って勉強し始めている。私はそれを邪魔しない様に今日の仕事を始めるのだった。

 仕事の合間にフリーポア、ラテ・アートを練習する。まだ智弘さん程上手く早くは出来ないけれど少しずつ上手くなっている気がした。智弘さんが私の手元を見て満足気に頷いた。

「フリーポア、上手くなってきたね」

「本当ですか、ありがとうございます」

「この調子だよ、頑張って」

「はい」

 嬉しくなりながら出来上がったラテ・アートを満足気に眺める。いつ見てもラテ・アートは不思議だ。一番最初にラテ・アートを見た時は感動したのを覚えている。いつか私も自分の店を出してラテ・アートの大会にも出たい、そう思った。

 気が付けばとっくに十九時を過ぎていた。あまりにも仕事に熱中していたみたいだ。智弘さんが上がっていいよ、と言うまで私は仕事に打ち込んでいたらしい。

「お疲れ様でした、お先失礼します」

「はーい、お疲れ様~」

 智弘さんに送り出されてタイムカードを切り、更衣室で着替える。シフトの希望を出さなきゃなと思って事務所に行くと、智弘さんがシフト表を眺めていた。

「シフト、何か希望ある?」

「いいえ、特にないです」

「良かった、来週の土日出てくれる人いなかったから助かったよ」

「そうなんですね、いつでも暇してるのでがっつり入れて貰って構いませんよ」

「ありがとう~」

 じゃあお疲れ様です、と言って店を出る。店を出ると、蓮と逹が待っていてくれた。

「お待たせ」

「おう」

 蓮のいつも通りのぶっきらぼうさに笑ってしまう。

「何笑ってんの?」

「いや、蓮がいつも通りで嬉しかっただけ」

「なんだそれ」

 ふふっと蓮が笑った。それにつられてか、逹も笑う。

「俺も蓮が笑ってると嬉しい」

「だよね」

「おかしな奴だなあ」

 私は自分の部屋に帰ると言って、そちらに歩き出した。すると当然の様に二人も後について来る。

「なんだ?ウチに泊まるのか?」

「おう」

「那瑠が良いなら泊まりたい!」

 クスリと私は笑った。良いよ二人とも泊まりな、と言って夕飯をどうしようかと考える。冷蔵庫に何が残ってたかなと考えていると、逹が口を開いた。

「那瑠の作ったカレーが食べたい!」

「カレーで良いのか?」

「うん!」

「蓮は?」

 大きく欠伸をしている蓮に訊く。

「俺は何でも食うよ」

「言うと思った」

 私は笑ってそう言い、カレーの材料を買いに行くことにした。

「じゃがいもはウチにある、人参も玉葱もある。あとは肉とキノコか」

 スーパーで買い物を済ませ、直ぐ近くのアパートに着く。私は荷物を下ろすと早速カレーを作ることにした。蓮は私の戸棚に並ぶ酒瓶を眺めている。そしてウォッカを手に取り、冷凍庫から氷をグラスに入れそれを注いだ。逹はそれを見て、俺も何か飲みたい!と言う。

「逹が飲める酒って言ったら何がある?蓮、見てやって」

「はいよ」

 蓮は戸棚をまた眺めて呟く。

「度数が高い酒しかねえ」

「割るもんだったらコーラとトニックウォーターとミルクくらいしか」

「結構あるじゃん」

「まあね」

「抹茶ミルクかな」

「OK」

 私はグラスに氷を入れ、ミルクと共に蓮に渡した。逹はワクワクしながら酒が注ぎ終わるのを待つ。私は私でジントニックを作った。

「じゃあ、乾杯」

「かんぱーい!」

「お疲れさん」

 私たちは一斉に一口飲んでぷはっと息を吐いた。

「抹茶ミルク美味しい!」

「不味かったら出さないし買わないよ」

「それもそうか!」

 逹は美味しい美味しいと良いながらごくごくと飲む。蓮が苦笑しながら、ペース早いなと呟いた。

「なんか言った!?」

「言ってない」

 私も二人の会話に苦笑してグラスを傾ける。カレーはもう出来上がるところだ。

「二人ともご飯はどのくらいいる?」

「大盛で!」

「俺も大盛で」

「はいよ」

 ご飯をよそって出来上がったカレーをかける。大盛のそれを二人に渡して座卓に着いた。

「いただきます!」

「いただきまーす」

「はいどうぞ」

 二人はスプーンを手に取ってガツガツと食し始める。余程お腹が空いていたのか、二人の皿はどんどん空になっていった。

「もっとゆっくり食べたらどうだ?」

「無理、美味いもん」

「俺はこれでもゆっくり食べてる」

「普段どれだけ早いんだよ、あー逹、零してる」

「ほんとだあ」

「ゆっくり食べないからだ、ほら、パーカー脱いで。今のうちに洗うから」

「うん」

 逹は着ていたパーカーをいそいそと脱いで私に手渡す。私はそれを洗面所に持っていき、汚れた部分を洗ってハンガーにかけた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

「おかわり頂戴!」

「あ、俺も」

 やれやれと首を振りながら二人の皿を預かる。どうせ大盛で食べるだろうと思って大盛にしてやった。

「はい、どうぞ」

「ありがとう!」

「さんきゅ」

 私はグラスを傾けて溜息を吐く。

「どうした?」

 蓮が訊いて来たので私は苦笑交じりに答えた。

「いや、今日は疲れたなと思って」

「まあ、今日はテニスもしたしそうだよな、お疲れさん」

「那瑠お疲れ様」

「二人とも、ありがとう」

 そう言って暫く酒を飲みながら談笑する。そうしている内に逹が何でもない会話の中で笑い出した。

「酔って来たな?」

「そうだな」

 逹に吐くなよと忠告してチェイサーを持ってくる。手渡しは危なさそうなのでテーブルに置いた。

「ありがとう~」

「さっさと寝るか」

「え~まだ飲みたい」

 そう言う逹をしり目に布団一式をクローゼットから出す。

「逹、寝るならここな」

「はーい」

「俺は?」

「ソファ倒すか逹と添い寝」

「ソファ倒すわ」

「俺と添い寝は嫌って事!?」

「逹、寝相悪いんだよ」

「嘘!?」

「ほんとだよ」

 ケラケラと蓮は笑って逹はぐぬぬと唸った。私もクスクスと笑いながら口を開いた。

「で、まだ飲むの?」

「飲む!」

「俺も」

「了解」

 私はまた自分にジントニックを作る。そして夜が更けるまで語り合ったのだった。

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