モンブランケーキと入学式
春、出会いと別れの季節。私たち六人は三年間お世話になった聖北高校の前で写真を撮ってもらった。真波先生を探し、真波先生とも写真を撮った。あちこちで泣いている声を耳にする。それに反して、私たちの表情は晴れやかだった。進路希望先が皆聖北大学で一緒だったからだ。
名残惜しかったが私たちは校舎を後にして、智弘さんの店「あ・ら・かると」を目指して歩き出した。しかし誰も何も言わずに、黙々と歩く。こんな時何を話せば良いのか分からない。それは皆も一緒だったらしいが、この空気に耐えられなくなったのか、逹が口を開いた。
「皆何で何も言わないの?」
「何でってそりゃ感傷に浸ってるからじゃないか?」
私はそう言って溜息を吐く。
「感傷に浸る……?」
言っている意味が分からないのか、逹は首を傾げた。どうやら感傷とは無縁のようだ。
「もうあの学校には行かないんだから、少しくらい寂しいだろう?」
「ああ、そういう事か。確かにちょっと寂しいかも」
そう言うと逹はちょっと泣きそうな顔になる。泣くなよ~と言うと逹は泣いてないし!と強がって笑って見せた。
あ・ら・かるとに着く。智弘さんに奥の個室使っていいよと言われたのでありがたく使わせてもらうことにした。個室に皆で集まるのも慣れたもので、私と蓮が対面で奥に座り、私の隣には桜と璃音、その向かいに逹と葵が決まったように座る。
「卒業しちゃったんだねぇ」
葵がしみじみとそう言った。
「葵も逹も、単位がギリギリだったって真波先生が言ってましたよ」
おっとりとした桜の言葉に葵も逹もぎくりとする。
「で、でも卒業したし、大丈夫だよ」
逹のおどおどした声で皆で笑った。大学では皆違う学部になってしまったので、今度からは教え合いも出来ないだろう。逹と葵が単位を落とさない様に祈った。私と桜は経済学部、璃音は理学部、蓮と葵は工学部、逹は人文学部である。蓮と葵は同じ学部だが学科が違うので教え合いが出来るのは一年の共通講義と教養講義だけだ。しかしまだ前期の合格発表がされていないので、逹と葵はまだ不安だろう。私を含めた四人は推薦で合格したので安心と言えば安心だ。不安材料は二人の事だけである。受かっていると良いのだが。
「おまちどうさま、アイスアメリカン六人分、と卒業祝いのケーキ」
智弘さんがやってきてコーヒーとケーキを並べてくれた。私たちは口々にお礼を言う。
「皆、卒業おめでとう!」
「ありがとうございます!」
わーっと智弘さんがそう言うので、私たちもそれに応えた。アメリカンコーヒーで乾杯をして、皆で一口。智弘さんはルンルンとした足取りでカウンターに戻って行った。
「俺受かってるかなあ」
「私もちょっと不安」
逹と葵がケーキをつつきながらそう言う。私は苺を頬張ってから口を開いた。
「やれるだけやったんだろう?大丈夫さ」
「そうですよ、お二人なら大丈夫です」
桜も助け舟を出してくれる。璃音もケーキを美味しそうに食べながらうんうんと頷いた。
「那瑠、聖北大学まで一緒に合格発表見に行ってくれない?」
「良いよ」
逹の情けない声に笑いながらも頷く。今ならネットでも合格発表が見られるが、そこは見に行きたいらしい。
「あ、私も一緒に行きたい!」
「葵も?良いよ」
「やった」
葵の心底嬉しそうな顔を見て、やれやれと思うのだった。
後日、合格発表の日。私と逹は聖北大学の前で葵を待っていた。約束の時間までは少しある。そわそわとしている逹が口を開いた。
「もう俺お腹痛くなってきた」
「大丈夫かよ」
「緊張する」
「まあ、そりゃそうだよな」
私が逆の立場でも緊張するだろう。実際推薦の合格発表の日は緊張しながら合否発表のサイトを何度も更新したものだ。私よりも緊張しがちな逹はもっと緊張しているだろう。
「お待たせ~」
「よう、おはよう」
「おはよう葵」
逹の背中をさすってやっている内に葵がやって来た。
「あれ、まだ時間あるよね?」
「ああ、私たちが早く来すぎたんだ」
「良かった」
「じゃあ、行こうか」
私の声で二人の間に緊張が走るのを感じる。私は苦笑しながら二人の手を取って歩き出した。
「ほら、人文学部も工学部も発表されてるぞ」
人込みで悪酔いしながら、私はどんどん人をかき分けてボードの前まで二人を導く。
「那瑠代わりに見てえ」
逹の泣きそうな声に私は苦笑した。
「番号は?」
「4312」
「4312ね、えーと4312。あっ。あったあった」
「え、本当?どこどこ?」
「ほら、あそこ」
「あ、あった、あったよ那瑠!」
「おめでとさん」
私が見つけたんだがな、とは言わずに葵の方を見ると、両手を組んで祈りを捧げている。
「葵は?あった?」
そう声を掛けると泣きそうな顔をしながら葵は口を開いた。
「那瑠代わりに見てえ」
お前もか!という突っ込みは置いておいて、私は葵にも番号を聞く。
「5034、5034。あるじゃん。良かったな!」
ニコっと笑って見せると、葵は私に抱き着いて泣き出した。
「過去問やっといて良かったあ」
「そうだな」
「諦めなくて良かったあ」
「うんうん」
「ありがとう那瑠」
「私じゃなくて葵が頑張ったからだよ」
「えーん」
ぐすぐすと泣いている葵とまだ放心している逹の背中をさすってやる。二人ともおめでとう、と言うと逹まで泣き出してしまった。
「おいおい、おめでたいのに泣くなよ二人とも」
そう言うと葵は何とか涙を落ち着けさせて深呼吸をする。逹はまだ当分泣き止みそうにない。
「蓮たちがあ・ら・かるとで待ってるから、行こうか」
「うん」
私は二人の手を引いて歩き出す。歩き出して少しして、直ぐにあ・ら・かるとに着く。聖北大学の近くに智弘さんの店があるので、とても集まりやすい。
チリィンとかわいらしい音を立てながら、ゆっくりドアを開けた。
「おはよう那瑠ちゃん、どうだった?」
智弘さんが不安そうに訊いてきたので、私は笑ってピースサインを送る。
「あら!良かった!」
「本当に良かったです」
「良かった良かった、奥の個室に皆いるから早く行ってあげな~」
「ありがとうございます」
私たちはお礼を言って奥の個室に向かった。そこではもう蓮たち三人が待っていて、私たちを見るなり桜が立ち上がった。
「逹、泣いているのですか、まさか……?」
「二人とも受かってたよ」
私はケラケラと笑いながら座る。良かった、と言って桜はほっと胸をなでおろして座った。
「おめでとうございます、お二人とも」
「ありがとう桜さん」
「ありがとう」
二人も座って、私たちはコーヒーを飲む。逹はコーヒーフロートのアイスをつつきながら溜息を吐いた。
「受かってて良かった」
「本当にな」
蓮も笑いながらドッピオを啜る。これで皆揃って入学式に向かう事が出来る。それが嬉しかった。
入学式当日。私たちは新品のスーツを着て聖北大学の校門に集まった。ここからはそれぞれの学部に散っての行動になる。ちょっと寂しいが仕方ない。
「逹、大丈夫か?」
蓮ががたがた震えている逹の背中をポンと叩く。
「俺も工学部にしたら良かった!」
「お前は文系に転向だっただろう」
ふふっと笑ってまたポンポンと逹の背中を叩いてやる蓮が私に目を向けた。
「そろそろ時間?」
「ああ、そろそろ行かないとな」
私は腕時計を見てそう言う。逹が一層寂しそうな顔になった。
「友達出来なかったらどうしよう」
「それ高校の入学式の時にも言ってたぞ」
「そうだっけ」
「そう、だから大丈夫さ」
「大丈夫な気がしてきた!」
「その息だ」
皆で逹を励ましながら歩き出す。放課後は絶対皆で集まろうな、と逹が言うので皆で苦笑しながら頷いてやった。
「じゃあ、僕はこっちだから」
璃音が一抜けたと言い理学部のキャンパスに向かって行く。そして蓮と葵も工学部のキャンパスへ。
「ホントに一人になっちゃうんだ」
逹が泣きそうな顔になる。桜がそれを見て口を開いた。
「大丈夫ですよ。またすぐに会えますから」
「そうなんだけどね」
「寂しいのは皆同じですよ」
「え、ホント?」
「私も皆同じ学部だったらなと思っていましたから」
桜はでも、と言葉を続ける。
「皆やりたい事があってその学部を選んだのです。目標に向かって歩むのは皆同じです、逹もそうでしょう?」
「うん」
「だから寂しがるのは本当に皆がバラバラになってからにしましょう」
「うん、そうだね、ありがとう桜さん」
逹の顔に覇気が戻って来た。じゃあ俺こっちだから!と逹が行ってしまうと、私はほっとして桜にお礼を言う。
「お礼を言われるほどの事ではありませんよ、むしろ自分に言い聞かせてました」
桜がフフッと笑った。私はそうか、と言って前を向く。大きなキャンパス。経済学部のキャンパスだ。今日から四年間お世話になるそれを、私は何とも言い難い感情で眺めたのだった。
入学式は数時間で終わり、各教室に向かう。私と桜は同じクラスで、私はほっとした。他にも聖北高校の面子がいたが、特に親しかったわけでもなく、そっちはそっちで仲良くしているようである。私は隣に座っている桜に身を傾けながら、そっと声を掛けた。
「これから何が始まるんだ?」
「明後日から懇親旅行があるのでその関連かと思いますが……」
「懇親旅行か、班とかあったら桜と一緒がいいな」
「ええ、私もです」
そう話していると壮年の男性が教室に入って来た。どうやら私たちの担任の教授らしい。
「はい、では、皆さんご入学おめでとうございます」
教壇に立ったその教授の声は意外にも凛としていて、私はちょっと楽しくなってきた。なんだか不思議とこの大学を好きになって来た感覚がする。
「私は今日からあなたたちの担任になります、吉川と申します。では早速ですが、明後日からの懇親旅行の班決めをしたいと思います。まず好きな人と二人ペアを組んでください。その後くじ引きで班が四人になるようにします。ええ、ええ、最初に見知った人とペアを組んでもらうことで少しでも楽しい旅行にしたいと思っております。では、ペアを組んでください」
これは良い事を聞いた。私と桜は目を見合わせて笑う。ここでペアを作れなかった人は先生のところまで来てくださいね、と言う教授が何だか可愛い。
無事に班決めも終わり、私たちは教室を出た。今度は智弘さんの店に行く事になっている。
「逹上手くやってるかなあ」
「ああ見えてしっかりしていますから、心配しなくても大丈夫ですよきっと」
「そうだと良いけど」
私たちは他愛のない話をしながら智弘さんの店に向かっていた。すると後ろから誰かの呼び声がして、私たちは立ち止まる。
「那瑠ー!桜さーん!」
「よう、早かったな」
走って駆け寄ってきたのは葵だった。その後ろから蓮がのそのそと歩いてくる。
「懇親旅行の班どうだった?」
「男女別の出席番号順で知らない人と四人ペアだったよ、そっちは?」
私は教授の言葉を思い出しながら桜とペアになった事を告げる。
「えー良いなあ。私も蓮と同じクラスだったからそうだったら良かったのに」
「残念ですね」
「ホントにねー」
それにしても疲れたねーと言う葵の言葉に私は頷いた。着なれない格好でいるのは疲れる。そうして話して歩いて、智弘さんの店に着いた。
「いらっしゃいませー。あら、珍しい格好して。ああ、入学式だったわね」
「こんにちは智弘さん」
「こんにちは桜ちゃん」
私たちは口々に挨拶して奥の個室に向かう。璃音と逹はまだ来ていないらしい。逹が心配になって来た。あの広いキャンパスで迷子になっていないと良いのだが。私は逹にメールを送る事にした。
「私たち璃音以外はもう智弘さんの店に着いたけど、まだ終わりそうにないか?迷子になってないか?大丈夫ならいいんだけど」
そう送って直ぐに逹から電話がかかって来た。電話に出ると直ぐに逹の半泣きの声が聞こえる。
「那瑠ー!キャンパスから出られない!」
「迷子か」
「ちょっと迷ってるだけ!」
「そういうのを迷子っていうんだよ」
「うっ」
私は苦笑しながら逹に指示した。
「今日配布された冊子にキャンパスの地図あるから、それ見て」
「うん」
「地図が読めないなんて言うなよ?」
「読める!だけど自分がどこにいるか分からない!」
「近くの教室の番号とかあるだろう?」
「あ、ある。読めた、読めたよ那瑠!」
「それは何よりだ。早く来いよ」
「うん!ありがとう那瑠!」
「どういたしまして」
私が電話を切ると、蓮が笑いながら口を開く。
「逹が迷子か」
「ああ、そうみたいだ」
「早く出られると良いな」
「あの調子じゃ一体いつここに来られるかも分からないな」
そんな事を話していると璃音がやって来た。随分と草臥れている様子である。
「璃音、お疲れのようですね、大丈夫ですか?」
桜がいち早く璃音に声を掛けた。璃音は腰を下ろして一息吐く。
「懇親旅行の実行委員になってしまった」
「あら、それはそれは」
「他にやりたい奴がいなくてな、聖北高出身の馬鹿が僕を推薦したんだよ」
「あらまあ」
桜はにんまりと笑いながら話す。どこか楽しげでもあった。
「嬉しそうだな桜」
私が桜にそう言うと、桜は笑顔で答える。
「璃音が私と離れて何をするか、とても興味があります」
「なるほどな」
璃音は小さい頃から桜の傍付きとして過ごしてきたらしいから、その気持ちが何となく分かった。逹が私の後を追いかけているのを知っていたからだ。
そうしてグダグダといろんな事を話している内に智弘さんがひょこっと顔を出した。
「逹くんはまだかな?」
「もうすぐ来ると思います」
「そっかそっか、OK」
智弘さんが戻っていくと同時に逹が店に入って来た。
「いらっしゃい。逹くん」
「どうも、智弘さん今日もお綺麗ですね!」
「あら、ありがとう!」
智弘さんはパンパンと逹の背中を叩いて笑う。逹も笑いながらこちらに歩いてきた。
「お待たせ!」
「迷子お疲れさん」
蓮が笑いながらそう言うので、逹は顔をしかめる。
「ちょっと迷っただけ!」
その言葉に皆で笑った。
「はいはい、お待たせ!」
逹が座ると智弘さんが六人分のカプチーノとケーキを持って来た。丁寧に置かれたそれを私たちは感嘆の声を上げて眺めた。ケーキが六種類とカプチーノに入学おめでとうの文字。
「ありがとうございます」
智弘さんが淹れたコーヒーは特別に美味い。私たちはお礼を言って、どのケーキを食べるか悩み、結果じゃんけんで決めることにした。
「私モンブラン!」
私が一番に勝ってモンブランの皿を手に取る。皆にケーキが行きわたって、皆で手を合わせた。
「いただきます!」
私たちは談笑しながらケーキとコーヒーを楽しむ。高校時代とは違う青春を、私はこれから謳歌していこうと思うのだった。
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