キャラメル・ラテと姉弟喧嘩

「馬鹿逹!もう知らない!」

「那瑠!待ってよ!」

 私は逹の制止の声を耳にも入れずに鞄を持って外に出た。追いかけて来られない様にダッシュで家から離れた。家が見えなくなるまで走ったところで、呼吸を整えるためにゆっくりと歩く。外は雨が降っていて、私は暫くどこかで雨宿りできる場所を探した。高校はもう閉まっている。となればいっその事ここ聖南地区から離れて、栄えている聖北地区まで行こう、そう決めた。

 こうして喧嘩をする事は少なかった。しかし何で喧嘩をしたのか、自分でも分からない。やさぐれた心を何処かで癒したいと思った。走った、雨なんて知らない。全速力で。

 数十分走ったところで私は走るのをやめ、雨宿りできそうな場所を探し始めた。道行く大学生たちに埋もれるような聖北高校の制服。しかもびしょ濡れ。幸いまだ衣替えの季節ではなくて、私はブレザーを着ていたので中のワイシャツは濡れてはいない。通りすがった大学生がカフェに行こうよ、と言うのを聞いて、私はそれについていった。まるで新緑の様な色合いのそのカフェは「あ・ら・かると」と言うらしい。私は躊躇う事も無くその緑の扉を開けた。

「いらっしゃいませ~」

 のんびりとした店員の声に私はぺこりとお辞儀をしてカウンター席の端に座った。ブレザーを脱いで背もたれに掛ける。見渡すと誰もが私の事を見ていた。大学生でいっぱいな店だから、こんな所に、こんな時間になんで高校生が?という不思議そうな視線を感じる。私はそれを無視してメニュー表を手に取った。来たからには何か頼まなければならないだろう。私はコーヒーに疎かったので、どれがお薦めなのか分からない。店長、智弘と書かれたプレートを下げた女性がゆっくりとこちらに歩いてきた。

「ともひろ……さん?」

「ちひろよ、可愛いお客様」

 にっこりと笑う気さくそうな女性である。智弘さんは私の制服を指差して、聖北高校だね、こんな時間にどうしたの?と訊いてきた。

「あ……えっと、散歩、です」

「散歩、ね、タオル貸してあげるから髪だけでも拭いてね」

 智弘さんは柔らかいタオルを私に手渡してそう言う。私はありがたくそのタオルを受け取って、ポニーテールに結っていた髪を下ろした。私が髪を拭き終えると、智弘さんは満足げに頷いてメニュー表を見る様に促す。

「えっと、お薦めはありますか?」

「んー。苦いのは苦手?」

「はい、ちょっとなら大丈夫ですけど」

「キャラメルは好き?」

「あ、好きです」

「じゃあキャラメル・ラテにしましょう」

 智弘さんはそう言ってウキウキとコーヒーを淹れる準備を始めた。手際の良さに私は何をしているのか分からなかったが、最後に何かコーヒーに手を加えた。私はそれに感嘆の溜息をもらした。

「おまちどうさま」

「あ、ありがとうございます」

 私の前に置かれたそれはとても美しい。しかも聖北高校の校章。

「随分熱心に見てくれてたから緊張したよ~」

「あ、いや、すみません……」

「ふふ、冗談よ。さっきのはねエッティングっていうラテ・アートの一種よ」

「ラテ・アート……初めて見ました、ありがとうございます」

 智弘さんは冷めない内に飲んでね、と言って他のお客さんの所に行ってしまった。

「ラテ・アート、か」

 私は何回か口の中で反芻して心の中にそれを落とし込む。飲むのがもったいなく思えて、暫く私はそれを見ていた。そして思い切って一口飲んでみた。

「あ、苦くない」

「でしょう?美味しい?」

 気が付くと真正面に智弘さんが立っている。私は美味しいですと言ってまた一口。歪んでしまったラテ・アートが本当にもったいない。

「今日、何かあったの?」

 唐突に智弘さんがそう言った。私はちょっとびっくりして目をみはる。おずおずと口を開いた。

「双子の弟と喧嘩したんです」

「あら、どうして喧嘩しちゃったの?」

「もう覚えてないです」

「あらあら。じゃあ仲直りできるかしら?」

「多分」

 私は曖昧に返事をしてカップを包むように手で持った。温かい。そこで私のスマホが鳴った。母親からのメールである。

「今日逹は蓮君の所に泊まるみたいです。今どこにいるのか分からないけれど、遅くならない内に帰ってきてね、何なら迎えに行くから」

 私はそれを読んでほっとした。私はそろそろ帰る。とだけ返信をして、また真正面を向いた。智弘さんがいて何だか安心する。

「ここ、落ち着きますね」

「そう?それは嬉しいわ」

「はい」

 智弘さんはにこりと笑う。私も少しだけ微笑んだ。

 九時間際に私は帰ろうとして立ち上がる。お会計をしようと思ってレジに行くと、智弘さんが、今日はお会計無しでいいわ、と言う。私は焦って、払いますと言うのだが、智弘さんは首を振った。

「今日は私の奢り。その代わりまた遊びに来て頂戴。絶対よ?」

「本当に良いんですか?」

「ええ、良いわ」

 私は分かりました、それならお言葉に甘えて、と言って店を後にする。ありがとうございました~とまたのんびりとした声で送り出された。

 外はもう雨は降っていなかった。私はバスで帰ろうと思って駅前まで歩く。こんな時間なのに人通りはまだ多い。目的地のバス停でバスを待つ。私は母親に今聖北駅前だからバスで帰るとメールを打ってスマホをしまった。バスは程なくしてやってきた。私はそれに乗り込んで暫くの間目を閉じた。

 聖南中学校前で私はバスから降りる。そこから家は直ぐ傍だ。私はてくてくと歩いて玄関のドアを開ける。

「ただいま」

「おかえり」

 母親が出迎えてくれて、私はほっと溜息を吐いた。私は自室に行き着替えを済ませ、ベッドに横になる。

「仲直り、しよ」

 そうと決まればと、私は窓を開けた。窓を開けると蓮の部屋の目の前だ。私はこつんと石ころを投げる。こういう時の為に小さな石ころは私の机にしまってあった。

「どうした」

 向かいの窓が開いて、蓮が顔を覗かせる。

「逹と仲直りしようと思って」

「おー。いいね、こっち来る?」

「行く」

 私は屋根に架けられた木材の上を歩き、蓮の部屋に入った。そこにはぐすぐすと泣いている逹がいた。

「逹、まだ泣いてるのか」

 私は溜息を吐いて蓮のベッドに腰掛ける。逹はティッシュで鼻をかみ、涙を拭った。

「だって那瑠が出て行っちゃうんだもん」

「ごめんな、カッとなって」

「うん、俺の方こそごめん」

 蓮は窓に寄りかかって私たちを見守っている。私は蓮の方を見ながら、世話になったな、と言った。蓮は苦笑しながら、いいよ慣れてる、と返してくれる。ありがたい親友の言葉にほっとした。

 高校に入ってからは何だかよく逹と喧嘩するようになった。理由は様々で、よく覚えていない。今日のようにカッとなって私が出て行く事も多かった気がする。

 私はまだ泣いている逹の背中をさすってやった。逹はまた泣きじゃくる。

「何で泣くんだよ」

 私は驚いて逹の背中から手を離した。蓮も驚いた顔で私たちを見る。何でだか分かんないよ、と言う逹の言葉に、私たち二人は逹の傍によって二人で背中をさすってやるのだった。


 翌日、私は学校帰りに逹を連れてカフェに来た。智弘さんの言いつけ通り、また来てみた。今日は昨日よりも店内は空いていて静かである。時間が早いせいかもしれない。私はカウンター席の端に腰掛けて、隣に逹を座らせた。

「いらっしゃいませ~」

 智弘さんが奥から出て来る。私は緊張しながら、また来ました、と言う。智弘さんが笑って、そんなに緊張しないで、と言ってくれた。

「可愛いお客様、今日は何を注文なさいますか?」

「あ、私星川那瑠といいます、こっちは逹です。昨日と同じで、こっちにも同じのを」

「那瑠ちゃんと逹くんね。承りました~」

 智弘さんはそう言ってコーヒーを淹れる準備を始める。私はそれを見ながらぼんやりと逹に言った。

「美味しいんだよ」

「何が?」

「何がって、コーヒーがだよ」

「ああ、コーヒーか」

「うん」

 それだけの会話の内に、智弘さんはキャラメル・ラテを淹れて私たちの前に出してくれる。今日は昨日とは違う木の葉の形のラテ・アートで、私はそれを写真におさめた。

「おまちどうさま~」

「ありがとうございます」

「おー!すごい!」

 逹が感嘆の声を上げる。私も内心すごいと思った。いろんな形があってラテ・アートは面白い。私はそれに興味が湧いてくる。どんな技法でラテ・アートを描くのか。どんな形がどれ程あるのか。私はウキウキとしてきた。ここで働かせてもらおう。そう決めた。幸い高校の規則にバイト禁止は無いので、母親と智弘さんを説得すればいけるだろう。

「あの、智弘さん。ここってバイト募集してますか」

 私は意を決して、ニコニコしながら私たちを見ている智弘さんに訊ねた。

「あら、働いてくれるの?丁度一人大学四年の子が辞めていったの。働いてくれるなら嬉しいわ」

「本当ですか!じゃあ母親にも相談してきます!」

 私は喜んでそう言い、コーヒーを飲んだ。美味しい。

「バイトかあ、那瑠ちゃん位の子がいたらきっと売り上げが伸びるわ!」

「え、何でですか?」

 智弘さんの言葉が不思議に思えて訊き返す。智弘さんはにっこりしてとんでもない事を言った。

「メイド服とか着せたら看板娘になるわよ!」

「き、着ませんよメイド服なんて!」

「あら、働いてもらうからには私の言う事をきかないと。ね?」

「なっ……」

 私はガックリと肩を落とす。

「私中性的な顔してますし、似合わないのでは?」

 せめてと思ってそう言ってみたが、智弘さんは首を振った。

「絶対に似合うわ」

 私は諦めて、母親に電話を掛ける。一刻も早くここでバイトする事を許してもらわねば。

「あ、もしもし、お母さん?相談なんだけど、バイトしてもいいかなあ?」

 私が電話をしてる最中、智弘さんは逹と何か話している。

「バイト?うん、良いけど何処でバイトするの?」

「あ・ら・かるとっていうカフェ」

「あら、そこの店長さん、もう代は変わってしまったかしら。昔よく通ったわ。そこなら安心。バイトしていいよ。店長さんによろしくってお伝えしてね」

「ありがとう」

 私は電話を切り、智弘さんにOKが出たことを報告した。

「よろしくお願いしますとの事です」

 智弘さんはパァっと明るい笑顔を見せて、じゃあ早速メイド服注文してもいいかしら?と言う。私は苦笑して、良いですよ、と答えた。

「まず採寸しましょう」

「え?」

「オーダーメイドよ。決まってるでしょう?」

 困惑する私の横で逹がケラケラ笑っている。私はそれに睨みをきかせて立ち上がった。ブレザーを脱いで智弘さんの隣に立つ。智弘さんは採寸を始めて、暫くそれが終わるのを待った。智弘さんのもういいわよ、の声で私はまた席に座る。

「あんまり華美な装飾にしないでくださいね」

 私は心配になってそう言った。智弘さんは、任せて!と言ってコーヒーを淹れ始める。私と逹は残っていたコーヒーを飲み干して、同じタイミングでふぅと溜息を吐いた。

「あら、もう帰っちゃうの?」

 智弘さんのちょっと残念そうな表情。私と逹は顔を見合わせて首を振った。

「良かった、シフトの相談もしたいからもう少し居て頂戴」


 シフトの相談やその他諸々の話を聞いて、私たちは店を出る。逹がのんびりと口を開いた。

「那瑠がバイト始めちゃったら俺一人で帰るの嫌だなあ」

「蓮がいるじゃん」

「確かに」

 私は最初の一カ月は土日にシフトを入れて貰って、慣れてきたら学校帰りの前に、とシフトを組んでもらった。

「バイトと部活と勉強、やる事はたくさんあった方が性に合ってる」

「無理しないでね」

「ありがとう」

 私は忙しくしている方が好きだったので、最初から週四で入れて貰おうと思っていたのだが、智弘さんが、そんなに入ったら後から辛くなるわ、と言うので渋々土日のみのシフトになったのだった。

「逹はバイトしないの?」

「うん。俺は勉強についていくので精いっぱいだから」

「そっか」

 そう言えば逹は私が聖北高校に入ると聞いて、必死に勉強していたなと思い出す。逹はのんびりとした性格だったので、私が忙しくしようとしているの心配しているのだ。

「そう言えば、逹は部活決めた?」

 私たちは今年入学したばかりで、まだ部活を決めていなかった。私は地区の少年クラブから続けていたテニスにしようかと思っていたが、逹はどうするのだろう。

「俺は……テニスかな」

「お、一緒じゃん。蓮もテニスにするって言ってたし、また皆で帰ろうな」

「うん!」

 逹の笑顔がかわいい。私たちが双子で良かったなと、ふと思った。

「これからもさ、喧嘩とかしちゃうと思うけど、高校生活も楽しんでいこうな」

「そうだね、楽しむぞー!」

 逹はオー!と拳を天に掲げて、私もそれに呼応するように拳をあげた。お互いに補い合って、私たちは双子なんだから、二人で一人前、と思って笑った。


 夜、私たちは夕飯と風呂を済ませ、自室に戻った。と言っても逹とはいまだに相部屋である。いつになったら隣の空き部屋に行くのかなあと考えていると、二段ベッドの下でスマホをいじっている逹が大きく欠伸をした。九時前である。

「眠い?」

「いやまだ眠くない」

「いつになったら隣の部屋に行くんだ?」

「え、俺と一緒じゃ嫌?」

「そういう訳じゃないけど。まあいいや」

 私は明日の古文の予習をしながらのんびりと言った。

「俺蓮の所行って予習写させてもらおうっと」

 那瑠、石頂戴、と言って私の机の引き出しから逹は小石を取り出す。逹と蓮は同じクラス、私は違うクラス、双子だからクラスが離れてしまうのは仕方のない事だけれど少し寂しかった。

 こつんと石を投げて、蓮の部屋の窓が開く。

「なんだまた喧嘩?」

「違うよ、予習写させてもらいたくて」

「そういう事ね、ちょっと散らかってるけどおいで」

「やったぜ」

 逹はいそいそとノートと筆記用具を持って木材の上をそろそろと歩いて行った。私は残りの予習を済ませて、二段ベッドの上によじ登る。

「友達出来るかな」

 私はスマホのスリープを解除してふわぁと欠伸をした。アラームをセットして目を瞑る。昨日今日と疲れたな、と言う思いと、あのカフェでバイトが出来る喜びを胸に、私は眠るのだった。

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