第6話 魔術教本
初めて家族で食事を取った次の日、比較的寝起きの悪い方である俺は寝ぼけ眼で、パンとスープとベーコンからなる日本人の感覚では多めになる朝食を取った。内容は良いのだが、如何せん量が多い。
現代日本のように食べ物が
自分の部屋のローテーブルにパンとベーコンの入ったハンカチを置き、ソファーに座ってひとりごちる。
「さて、今日は何をしようかな……」
やるべきことはないが、やりたいことはたくさんある。
文にすると我ながら非常に羨ましい境遇にいると気が付いたが、当事者になると何をするべきか迷ってしまうのだ。足を組んで、天井を仰ぎながら考える。
五分程考えて、どこにするか決めることが出来なかったので、書架に行くことにした。読んでない本がたくさんあるので、とりあえず退屈することはないと、書架に行き始めた頃からの自分ルールだ。
カリンに書架に行くと告げて歩き出す。
書架は本の劣化を防ぐために、王城の中でも北側にある。居住区画は南側にあるので、広い建物と小さな体では中々に遠いのだ。
そのおかげで色々な人と話す機会が生まれて、知り合いが増えている側面もなくはないので文句を言うつもりはないが。
書架の扉を開くと、溢れんばかりの本の世界が広がっている。
壁面いっぱいに行儀よく並んだ、金銀の装飾を施した美しい背表紙が、光を受けてキラキラと輝きを放つ。……ふと違和感を覚えた。
「光を受けてキラキラと輝きを放つ」のはおかしくないか、と。
それは考えた末に分かったものではなく、偶々歯車がかみ合ったようなもので、いうならば思考がようやく追いついたことになる。
この世界に生まれた時からそうであったから失念していた。
前世たる現代日本は夜中でも明るかったから失念していた。
しかし、この部屋は日光が入りにくい場所であるのだ、ましてや、電機など普及していようはずがない。更に言うならば、
「なあ、カリン。この部屋はどうして明るいのだ?」
「どういう意味ですか? 殿下」
「そのままの意味だ。日光が入らない場所にある書架が何故明るいのか?」
カリンは意を得たとばかりに頷いて答える。
「魔術道具を使っているからです。もっとも普及している、火の初級魔術を付与されたものですね。一般的には『魔術灯』と呼ばれています」
「魔術!」
まさかとは思っていたが、実在していたのか。
しかし、魔術が実在するとしたら、夜でも明るいことを含めて不思議なことは全部それが理由だと納得できるというものだ。むしろ、ここがファンタジーな世界だと半ば自覚しておきながら、魔術の存在を心のどこかで否定していた己の馬鹿さを嘆いてしまう。
説明するまでもないだろうが、地球生まれの俺にとってやはり魔術は憧れだ。何もない場所から炎や氷を作って放って魔物と戦う――小説や漫画、そしてゲームでそれらを疑似的に体験して、強く激しく憧れたものである。
ごっこ遊びに至ったのは幼稚園の頃だけであるが、中高生は勿論大人になってからも、無理とは半ば理解しつつも憧れだけは捨てていなかったのだ。
転生先のこの世界は、それが実在する世界だったのだ。
俺にも使えるのだろうか。使えるのならば、圧倒的な勇者でなくてもいい、指先から火を出すだけでもやってみたい。
「魔法、使ってみたいな……」
思わず声となって漏れた。
意識しなくても溢れるほどに、俺は魔法を使いたいらしかった。
それを聞いたカリンが、ちょっと待っていてくださいね、と言うと共に書架の奥に入っていく。もしかして魔法関連の書物を持ってきてくれるのだろうかと期待して待っていると、彼女は本当にそれを持ってきてくれた。
彼女の優秀さに少し感動し、彼女を世話係に指名した人――恐らくアルトリウスであろう――に感謝した。
それを差し出して微笑むカリンに笑みを返してその本のタイトルを読み上げる。
「『魔術教本 基礎編』……?」
単純明快な題であった。カリンが説明してくれる。
「『魔術教本』シリーズは最も分かり易い魔術の解説書といわれています。
基礎、初級、中級、上級、特級、超級、幻級、神級が各一冊の計八冊からなります。
基礎編はその一冊目ですね。属性魔術の呪文や特性、練習法などは載っていませんが、用語の定義、魔力の扱いかた、魔術のリスク、最も基礎となる魔力球と念動力の使い方などが載っています。どれも魔術を使う上では重要な要素ばかりです」
カリンは俺が大人と対等に話せる理解力があると分かっているので、言葉の難しさを選ばずに一気に言った。……魔術用語は全く理解していないから、そのあたりは考慮して欲しかったのだが、前世のゲームからなんとなく推測することで補完する。
この基礎編というのは、魔術を扱う上での基本であって、数学を解くためには算数の知識が必要なのと同じであろう。
これを読めば自分も魔術が使えると、期待に胸を躍らせながら表紙を開く。
―――――――――――――――
目次
1、魔術は誰にでも使える
2、得意属性と苦手属性
3、魔力の鍛え方
4、魔力の回復について
5、呪文の役割とは
6、成功のコツと無詠唱
7、実戦「魔力球」を使ってみよう
―――――――――――――――
細かい文字は読まずに、大見出しだけ抜き出すとこんな感じだ。
教科書や解説書よりもエッセイを思わせる目次であったが、カリンが勧めてくれるのだから、きっと分かり易いのだろう。
実際に読んでみると、この世界における魔術や魔力の概念が流れるように頭に入ってくる。成る程、最も分かり易いというのも納得だ。
黙々と読み進める。時間にして言えば二時間ほどであろうか、俺は言葉も発さずに魔術教本にのめり込み、最後の
首を回して伸びをした後に顔を上げると、カリンが本――表紙を見ると『魔術教本 特級編』とある――を左手に持ち、右手を前に突き出していた。さながら創作物に出て来る魔法使いである。何か小声でぶつぶつとつぶやいていたようだが、こちらと視線が合うと、失敗を見られた子供のように恥ずかしそうな顔をした。
「えっと、その、暇だったので……」
理由も予想以上に子供のようであった。
優秀な女官の意外な一面を見れて、なんとなく優越感を得る。
「しかし、その魔術は書架で使って大丈夫なのか?」
「あ……」
魔術といえば、それも特級などと銘打たれた上位のものであれば、それこそ爆弾のような威力で敵を吹き飛ばすようなものだろうと偏った知識の元指摘すると、彼女はバツの悪そうな表情になった。
俺は苦笑いをしつつ、
「退屈させてしまったのは俺の過失だな。しかし、カリン、お前が俺のお付きでなくなってしまったら悲しいぞ、こっちは生まれた時から世話になっているのだから」
本心で言った。
カリンは三歳児に叱られた情けなさと、俺の言葉を素直に受け取ったことで嬉しさと、込められた意味を理解して恐ろしさと、それに先ほどのバツの悪さも合わさって複雑な表情を作った。表情に対して言葉はシンプルで、申し訳ありません、と言っただけであった。
なんにせよ書架で魔法を使うのはあまり良くなさそうなので、『魔術教本 基礎編』を借りて、実戦練習は庭ですることにした。
書架は担当の警備兵が本の出入りも管理するのだが、普段は俺達以外に来ることがない上に、俺も書架内で読むことにとどまっていた為、記録書に記入することにもたついていた。人間慣れない作業は上手くいかないものだ。一応は読み書きも出来るエリートだから配属されたはずなのだが、こればかりは仕方ないと思う。
遅れて申し訳ないという彼らに対して、問題ないと会釈をしつつ書架を出た。
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