第3話 始まりの三年間2
一歳の誕生日を迎えたころ、俺は立てるようになった。舌足らずではあるが、話すことも可能になった。
どちらも早いといえるだろう。この世界ではどうなのかと思ったが、周りの反応を見るに早いという認識で良さそうだ。
もちろん、これは大きな成果といえる。
手と言葉の自由を手に入れたことは
アルトリウスに、
「ちちうえ、そとにいきたい。みたい」
と、一歳の乳児にしては
「おお、そうか! 外が見たいか。しかし、この年でこんなに話せるとは、この子は神童だな! いいぞ、城の中なら自由に見るがいい!」
と、親馬鹿らしい承認をしてくれた。それでいいのか王族。
ともあれ、国王に文句を言える者がいるはずもなく、俺は城を自由に
さあ、今日も今日とて冒険だ。
子供の頃は世界が大きく見えたものだが、広大な城は1歳の体では無限に広がるダンジョンである。
「きょうもぼうけんだ。いくぞ」
部屋にいる人に声をかける。マリアや女官二人はレイナの世話もしなければならないので、俺についてくるのは主に警備兵の二人だ。
今日の当直はミハエル。三十歳にして上級士官に食い込むエリートである。
「畏まりました、殿下。何処へ参りますか?」
俺が歩くことも話すこともすっかり慣れてしまった彼は、全く動じずに笑顔で受け入れてくれる。
冒険を始めた頃の苦笑いと
「ん~……いったことがないところにいきたい。しっているか?」
「この城はこの国は勿論のこと、この大陸で最も巨大な建造物ですから、部屋ならいくらでもあります。個人の私室を除くと一気に減りますが、それでも、謁見の間をはじめ、食堂、大講堂、バルコニー、兵士たちの訓練場、書架、宝物庫、……ただの廊下でも所要な通路の装飾品はかなりのものですから素晴らしいですよ」
つまるところは何でもあるらしい。この国最大の行政立法機関と、この国最大の資産家の住居を兼ねているのだから、当然といえば当然か。多すぎて迷ってしまう。
一年間も不本意に引きこもりとなった結果、なんでも魅力的に見えてしまうのだ。
迷ってしまったが、困った時は人が多いところがより楽しいと聞いた。これは娯楽施設や飲食店の話であって、行政機関である王城では逆かもしれないが、それもまた一興であろう。
「ひとがいっぱいいるところ!」
ミハエルは少し困ったような顔をした。
当然か。人が多い場所ということは、絶賛仕事中である。
数拍ほどの空白が生まれた後、何かを思いついたらしく、表情を変えた。
「卑しいところで宜しければ、下士官や下級官僚の使う食堂に行きましょうか。飯時ではありませんが、休憩所も兼ねているので人はそれなりにいると思いますよ」
下級とはいえ、士官や官僚なら卑しくはないと思うのだが……。反対する理由はないので、子供らしい笑顔で「うん!」と肯くと、ミハエルも小さく笑った。
「よう、ミハエル! 王子付きのエリート様が何の用だい?」
「その王子殿下の『ぼうけん』の従者ってところかな」
流石に一歳では身長は大人の膝ほどしかないのだから、気が付かれなくても仕方はないか。ミハエルに話しかけた男と目が合うとともに、軽く会釈をすると、相手はこんなガキ相手でも恐縮しつつ敬礼した。
「失礼しました、殿下!」
大きな声なものだから、ちょっとびっくりした。声の大きさは別に脅しとかいうわけではないから怖くはなかったけれど、純粋に驚いたのだ。
深呼吸して落ち着いてよく見ると他の人も皆敬礼をしている。立ったまま右手を左胸の前に置くだけの略式敬礼である。
「う、うん。だいじょうぶ。らくにしていいよ」
俺が大丈夫というと、目の前の男を含めて全員が敬礼を解く。といっても、こちらの行動には注視したままである。子供とはいえ突然身分の高い人が来たら誰でもそうなるか。
しかし、自分の立場を理解したとはいえ、今の年齢どころか前世で死んだ時よりも年上の人間に対して偉そうに振る舞えるのだから、俺の性格も相当に図太いというものだ。もしかしたら、地位を得たら誰でもそうなる可能性も捨てきれないが。
その日は、下士官たちと話しながら過ごした。
武官ばかりで文官がいない理由は、この食堂の大きさ的に休み時間を分ける必要があるだけであって、仲が悪いとかではないらしい。
俺が色々な話を聞きたいというと、皆率先して日頃の訓練や自分の武勲について、面白おかしく話してくれた。
それが俺へのアピールだったのか、単純に愚痴や自慢は楽しかったのか、
しかも、話し方が上手いのだ。
色々な人と存分に話したその日は、とても楽しかった。
その日から、「ぼうけん」は人が多いところに行くことが多くなった。
親馬鹿王アルトリウスのせいもあるかは不明だが、一歳にして大人と饒舌に会話する俺は、次第に神童と呼ばれるようになった。
自分が神童と呼ばれるのはどこかズルのような気もしなくもなかったが、気分は悪くなかった。
◆
城内の探索を初めておよそ一年、お偉いさんから下っ端まで、ほとんどの人と顔見知りになった。色々な人と話したおかげで、子供故の舌足らずこそあるものの、難しい言葉もかなり分かるようになったし、時事的な情報も大量に得ることが出来た。
二歳にして難解な言葉も使いこなすヴァイスという人間が、常識の輪から逸脱しかけているのは自覚していたが、生きていくためには言葉は最も重要な要素だと思うのだ。大凡すでに赤ん坊らしくはないと思うのだが、中身の人は如何せん演技というものが苦手であった。
前世の小学校であった、校内のクラス対抗演劇コンクールで、クラスメイトから大根役者の称号を賜った次第である。つまりはそういうことだ。
最早、前世での素に近くなっている。
「そろそろ文字を覚えたいな。日本語は暗号として機能するのだが、コミュニケーション手段には使えないからな」
言葉を覚えたならば、次は文字を覚えるべきであろう。日本の教育を高等学校までと、大学で経済学を一年半学んだ俺にとって、新たに身に着けることといえば、この世界の文字くらいだろうと思う。
「ヴァイスさま。もじ、なあに?」
相変わらず同じ部屋で暮らしている、乳兄妹のレイナも簡単な言葉なら話せるようになっていた。彼女が普通なのだろうから、他者から見た俺の成長速度は異常といって差支えのないものなのだあろうと、強く実感する。
「なんて言えば良いのかな……決まった形の簡単な絵を書いて、声の代わりにすることかな。それで、やりたいことを伝えるんだよ」
文字を言葉で説明するのは難しいな。
俺の説明が悪かったのか、レイナは首を傾げる。分かりやすく説明した時は笑顔になってくれる良い子であるから、彼女ではなく俺側に問題があったのだ。
しかし、文字は常識過ぎて逆に説明が難しい。
例えば、「1×3=3」は「1+1+1=3」と説明できるが、「1+1=2」が何故2になるのか説明できないのである。2になるのだ、としか言えないのである。
「というわけで、俺は書架に行こうと思います」
文字を覚えるのには、本を読むのが一番であろうから。
幸い、ここにいる大人は皆上流階級の人たちだから、頼めば読み聞かせなどもしてくれるだろう。
「わたしもいく!」
いつからかだったか、レイナは俺の「ぼうけん」に付いてくるようになっていた。
大人と話すときのように知的好奇心を満たす楽しさはないが、純粋に可愛いので俺も嫌ではない。というかどちらかというと嬉しい。
同年齢の仲間が出来た訳であるから。
しかし、いつもは人と話すわけだから楽しいだろうけど、今日は書架に籠るわけである。楽しいだろうか。しかし、拒否するのも可哀想である。
思案していると、アリアが道を示してくれる。
「では、物語を探して読むのが良いと思いますよ。私も子供の頃読んでもらって楽しかったですし、王城の書架ならその数も随一かと」
「それは良いな。アリア、読み聞かせを頼んでもいいか?」
「私で宜しければ喜んで」
アリアは快く承諾してくれた。
俺、レイナ、アリア、ウォルフガングの四人で書架に向かう。
この日は他にもカリンがいたのだが、
「この部屋の掃除やシーツの交換などもありますので。ヴァイス殿下が私の同行を望むならそうしますが」
と言っていたので、
「いや、大丈夫。
と断っておいた。カリンは笑顔で送り出してくれた。
王城の書庫は非常に広い。
紙が比較的高価であり、印刷技術も普及していないこの世界において、本は非常に貴重なものだ。にも関わらず、ここには
この王城もある王都には、この書架など比べ物にならない程の数の書籍を有する巨大な図書館があるらしいが、そこは専門の施設との差であろう。また、こちらの書架でしか見れない極秘資料のような資料もあるらしいので、ちょっとした優越感だ。
「おお……」
「すごい、すごい! かべきれい!」
情報としては大人たちから聞いて知っていたが、実際に見ると圧巻である。百聞は一見に如かずとはよくいったものだ。
元々本は好きであるし、前世では書店や図書館に通ったものであるが、この世界の本は
一冊一冊が単行本サイズであるから大きいうえに、金銀で美しい宝飾を施してあり、それが何千何万と並んだ光景は一つの絵画のようですらあった。思わず
本の並びは物語、歴史、魔法、政治、風俗といったふうに分けられてはいるものの、タイトルや作者で管理されては非ず、現代日本ほど洗練されてはいなかった。
もっとも、特定の読みたい本があるわけではないので、今の段階で困ることはなかったが。
「アリア、何かおすすめの本はあるか?」
文字は読めないので、当初の予定通りアリアに選んでもらうことにした。
彼女は少し考えた後、
「こういっては何ですが、本に
といって、笑いながら一冊の本を手に取った。言葉とは裏腹に、選んで取ったように見えたが。
本のタイトルは『王国神話』。
曰く、この国が出来る前の、初代国王達の
「今は亡き国に、優れた戦士がおりました――」
アリアの声を聴きながら、しなやかな指先のなぞる文字を追う。
文字を覚えようとする俺と、物語を楽しむレイナ。差はあったものの、俺たちはその日から一年間、書架に通い続けた。
交流も絶やすことなく、充実した時が過ぎていった。
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