モントブレチアのせい
~ 八月六日(月) 四万五千九百五十 ~
モントブレチアの花言葉 良い便り
八月は、Yシャツの気持ち。
霧吹きでびしょびしょにされて。
熱したアイロンを当てられて。
「汗がこんなにも止まらないというのに!」
「日差しが痛いほど照りつけるってのに!」
「「八月なのに! 忙しいなんて!!」」
…………ええと。
「笑顔でダンスなんかしてないで、早くバーガー焼いて下さい」
駅前の個人経営ハンバーガーショップ、ワンコ・バーガー。
ご多分に漏れず、二月八月は売り上げが激減するとの話だったのですが。
二台のレジのうち、一つしか開いていないとはいえ。
信じがたいほどの注文待ちの列ができております。
常連さんばかりでやりくりしていた当店に。
不特定多数のお客様がいらっしゃるようになったのは。
穂咲が開発した数々のバーガーの美味さが原因なのです。
ショッピングセンターの評判についての書き込みに。
すぐそばに美味いバーガー屋があると、しばしば顔を出すようになり。
その噂が噂を呼び。
このような事態へとあいなりました。
「いやはや、凄いことになったのです」
やっとお客様の列が無くなったところで厨房を覗き込むと。
店長さんとカンナさんが慌てて走ってきました。
「こりゃあ一体どういうことだ?」
「ホントそうだね。そろそろショッピングセンターからお客様が流れてくる頃かなとは思っていたけど、ここまでとは予想外だよ」
嬉しい悲鳴とはこのことのよう。
二人は興奮しているご様子ですけれど。
「ずっと言ってたじゃないですか。俺は信じてるって」
「この事態をか?」
「えっと、そうなのですが、そうじゃないというか……」
「じゃあ何を信じていたんだい?」
二人に詰め寄られたものの。
あまり褒められた話でもないので。
俺は、オブラートに包んだ単語をチョイスしてみました。
「デトックス」
…………あ、失敗。
オブラート、激辛になっちゃった。
「……お前、たまにひでえこと言うよな」
「秋山君。あのね? 親しき仲にも礼儀ありって言うでしょ?」
「でも、あいつを置いておくだけでマイナス二人前くらいになりますし。ライバル・バーガーさんの様子は火を見るより明らかと言うか……」
「まあ……、そうだな」
「カンナ君!? ええと、あのね? 思う仲には垣をせよって言うでしょ?」
優しい店長さんが一生懸命に穂咲のフォローをしてくださいますけど。
でも、事実ですし。
あいつがまともにプラスとしてお仕事できるのは。
このお店以外にあり得ないのです。
寛容な店長さんだからこそヒット作を生み出すまで実験することが出来て。
視野が広いカンナさんだからこそ、妙な事をしでかす穂咲を見張ることが出来るわけで。
俺とカンナさんに届くはずもない店長さんの熱弁は続いているようなのですが。
お客様がいらっしゃったので強制終了。
本会議の結論は。
『穂咲はマイナス二人前』ということでお開きなのです。
「いらっしゃいま…………、おや、これはこれは」
「ふん! 相変わらず酷い店だね! 挨拶もろくにできないとは!」
「いえ、できますよ?」
「ほう! ならばやってみたまえ!」
「いらっしゃいませ、マイナス一人前様」
俺の挨拶に憤慨されているのは。
ご存じショッピングセンターの総支配人さん。
そして、彼の存在がマイナスになってしまう理由は。
その手に摘まんだしょんぼり顔と、足した結果です。
「…………今度は何やったのさ」
「道久君が産地直送って言ったのをヒントに、休憩室に小麦畑をこさえたの」
「ハンバーガ一個分の小麦ってどれくらい必要か知ってる?」
一体、どんな小さなバーガーが出来るのやら。
さすがマイナス二人前なのです。
「こんな不良品を僕のショッピングセンターへ押し付けて! 返品だ返品!」
「返品ききませんってば。お引き取りください」
「そうはいかん! クーリングオフの期間内のはずだ!」
「生き物にクーリングオフも無いでしょう。ペットを飼うなら最後まで責任を持ってください」
「ブルーギルを押し付けておいて何を言う!」
「池とかに捨てたらダメですよ、一気に増えちゃうんだから」
「もう許してください!」
とうとう泣き声になりながら土下座してきた総支配人さん。
必死なのです。
「これ以上こいつを雇っていると、テナントがつぶれる!」
「でも、そちらが回復するとこちらがまた閑古鳥の巣になってしまうのです」
とは言いましても。
ぽろぽろと泣きながら俺を見上げる総支配人さん。
なんだか憎めないのです。
それに彼は、ただの穂咲被害者なわけで。
これ以上押し付けるのも可哀そうになってきました。
「…………おい、諸悪の根源」
「酷いこと言う道久君なの。そういうのはオブラートに包んで欲しいの」
「包みましたよ。剥がしたら、ただの悪です」
「酷いこと言う道久君なの」
しゅんとしてはいるようですけど。
反省してます?
「君のせいなんだから。なにかうまい方法考えなさいよ」
君がワンコ・バーガーに戻ってきたら、ライバル・バーガーさんは息を吹き返すでしょうし。
だからと言ってこのままという訳にもいきませんし。
首をかくんかくんとさせて、知恵を絞る穂咲が。
ようやく何か閃いたようで。
両手をぽふんと叩くと。
……また、バカなことを言い出しました。
「ワンコ・バーガーが、お蕎麦屋さんになればいいの」
「またどえらいところに着地しちゃいましたね。そんなことできる訳……」
「それだ!」
…………え?
総支配人さん。
輝くばかりの嫌味顔で立ち上がりましたけど。
うち。
蕎麦屋になんかなりませんよ?
「ライバル・バーガーのままではこの店と競合しちゃうからね! ライバルチェーンの蕎麦屋を入れよう! こうしちゃいられない!」
「たしかにこの近所に蕎麦屋無いですけど、そんなことしてだいじょう…………、慌ただしいなあの人」
総支配人さん。
慌てて帰って行っちゃいましたけど。
……いえ。
またすぐに戻ってきて。
「こんな貧乏店舗! 僕の蕎麦屋がすぐにツブしてやるからな!」
「わざわざそれを言いに戻ります?」
いやはや。
あきれるほど元気な人なのです。
とは言え。
これで一件落着なのでしょうか。
カンナさんも店長さんも。
柔らかい笑顔を俺に向けてくれますが。
「……良かったぜ」
「そうだね。藍川君も戻って来たし。お客様も、どんどん増えるだろうし」
「ええ。俺も嬉しいです。人生万事塞翁が馬と言ったところですかね」
そう言いながら、床に放り出されたままの穂咲の手を取って立たせてやると。
こいつは少しだけ大きく開いた目を俺に向けます。
「……なんです?」
「あたしが戻ってくるの、嬉しいの?」
「え? ……あ、違う違う。お店の方が何とかなって嬉しいと言ったのです。穂咲が戻ってくるのも、まあ、そうですね……」
「嬉しいの?」
そんな顔で見なさんな。
正直に言えないじゃないですか。
「………………そっちは、あまり」
「酷い道久君なの」
途端に口を三角にさせて。
制服の裾を握って俯いてしまう穂咲を見て。
カンナさんが、ニヤニヤしながら俺に声をかけてきました。
「ペットを飼うなら、最後まで責任を持たなきゃな」
「いいから厨房に引っ込んで下さい。レジは二つとも埋まってますから、カンナさんはバーガー焼いててください」
駅前の個人経営ハンバーガーショップ、ワンコ・バーガー。
その二台のレジは。
久しぶりに、見慣れた姿になりました。
「道久君」
「はい」
「……嬉しい?」
「……………………それほどでは」
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