【三題噺マラソン参加作】ボクが彼女を殺すまで

現夢いつき

第0話  雪 花畑 寝起き【禁止句:朝】

 少年はおぼつかない足で、森の奥の屋敷まで歩みを進めた。

 彼の足がおぼつかない理由としては二つの要因がある。

 一つは足下に積もった雪が、裸足である彼に容赦なく牙を突き立てていたこと。

 そして、もう一つはそもそも今が夜であるということ。

 

 少年は屋敷の主人から、今日中に訪れるようにという趣旨の手紙を受け取っていたのだ。なんの嫌がらせなのか、つい先程つまり、日が暮れ始めた頃にそれは僕の手元にやってきた。

 もっとも、今のは学のない主人公の個人的な意見であり、実際は彼が特定の住処を持たなかったため、差出人の想像よりも遙かに遅れて彼の元に渡ったと言うだけの話である。本来ならば昼の最も暖かい時間帯に届くはずであった。

 しかし、そんな事情など露ほども知らぬ彼は、その手紙の趣旨を理解した瞬間ちぎって燃やそうとした。けれども、まだその場にいた届け人によりその試みは阻止され、羽交い締めにされながら差出人の名前をまじまじと見せられた。

 

 リーゼロッテ。

 それが差出人の名前であった。彼は羽交い締めから抜け出した後、手紙だけをもって仮の寝床であった路地裏から飛び出した。そして現在に至るというわけである。

 リーゼロッテと言う名前は、彼の街ではそれ程までに有名であり、逆らうなど恐れ多いと思われていた。

 というのも、彼女は魔女であるからだ。

 

魔女――嫌われ者。残虐な女。そして悪。

 

教育のきの字すらまともに知らない彼ですら、それぐらいのことは知っている。

 彼を見ているだけでは分からなかったのだが、足取りが頼りない理由としは、もしかしたら魔女というものに対する底知れない恐怖心があるからなのかもしれなかった。

 

彼は屋敷の敷地内と敷地外の境界線である仕切り扉の前で止まった。というのも、嫌な妄想が頭の中に渦巻いていて、その一歩を進もうという気になれなかったのである。

 一歩踏み出した途端、今までしっかりと彼を支えていた大地がその感覚を失い、僕をズブズブと呑み込んでいき、やがて気がついた時には鍋の中に彼はいる。そして、抵抗すらできない彼は、気色の悪い引き笑いを浮かべる老婆ただただを見上げるしかできない!

 このような想像を彼は幾度となく、とりとめもなく考えてしまったのである。そのせいで、時間が過ぎるごとに彼の足は重くなっていく。

 

 だから、ギィイイイ! という音とともに屋敷の扉が開いたときは、口から心臓が飛び出すのではないかと思う程驚いた。緊張のあまり、その場で座り込んでしまっても誰も文句は言えない状況だったのだが、彼はなんとか踏みとどまった。

 いよいよもって逃げてしまおうかという思いが強くなる。

 しかし、好奇心は猫をも殺すというように、絶対に行ってはならないはずなのに、扉の奥からちらりと見える闇のさらにその向こうが気になってしかたがなかった。

 逃げるかそれとも魔女の元へ行くのか、そんな進退窮まる状況で、彼の下した決断は前に進むことであった。

 

 やはり人間怖いもの見たさというというか、危険を求める傾向にあるというのか。危機感を覚えたら咄嗟に逃亡することができないのは、生物的にはかなり危うい状況なのだが、しかし、この後のことを思えば彼はここで生物的には選択を誤ったことで、事態は好転することになった。

 少なくとも、路地裏で明日も分からぬような生活をするよりは。

 好奇心六割、恐怖心四割で屋敷に入った瞬間、ある違和感が彼の身体を撫でていった。

 暖かいのである。しかも、外からは完全に廃墟と見間違うような闇を内包していたはずなのに、入ってみると案外明るいのである。今を昼かと誤解してしまいそうになったといえば、その程度は伝わるだろうか。

 

 予想外のおもてなしを受け、困惑する彼であったが、けれども、まだ油断できないことに違いない。何せ相手は魔女なのだから。

 この時の彼には知るよしもないことだが、世の中には、森の中でお菓子の家を見つけた兄妹が、心を許した瞬間、その家の魔女に捕まってしまい食べられてしまいそうになったという童話が存在するので、そういう意味ではその警戒心はなかなかいいものであった。

 だが、それも屋敷の内装に心を奪われてしまってはただの間抜けという感が否めない。けれども、こればかりは仕方がないことである。というのも、エントランスには彼の見たことがない色とりどりの花や草が所狭しと植えられてあったのだ。

 規模こそは小さいかもしれないが、これは彼が初めて見たお花畑と言っても差し支えない。まあ、そこに植えられているのがただ単に美しい花というのではなく、むしろ魔法的な意味合いを含んでいる少し危険なものだというのが感動に水を差しそうであるが、そうとは気づいていない彼は幸せ者であった。

 

その中に、ユリの花を見つけた彼は思わず数歩歩み寄ってしまった。


――――カラカラカラ。

 

 その音にハッとして後ろを振り返る。

 油断しないようにしようと思った瞬間の、この体たらくに顔が急速に熱を帯びてくる。

 最初、彼はそれが何だか分からなかった。しかし、あえて彼基準で表現しようと思えば、車輪がついた椅子である。そう、つまるところただの車椅子である。


「あらあら、ようこそいっらしゃいましたのに、貴方様はどうしてそうも浮かない顔をなさっているのでしょうか? まるで鳩が豆鉄砲を喰らったような。……ああ、私の乗っているこれが貴方様にとっては、非常に珍しいのでございますね」


 リーゼロッテは、黒いマントに黒い大きなトンガリ帽子という、魔女としてはもはや没個性過ぎて、一周回って個性的なのではないかと錯覚するような格好をしていた。強いて、他との差別点を考えても、左目を覆う眼帯と予想以上に若々しいことだった。

 彼女の声も彼の思ったものよりも遙かに高かった。地獄の底より響くような、禍々しさは全くなく、どころか小鳥のさえずりのように繊細で美しい声であった。


 そのアンバランスさに彼は気遅れてしまい、数歩後ろに下がる。

 そこにできた間を埋めるべく、彼女はカラカラと近づいてくる。


「そんなに逃げることもないではないですか」


「ひい、ごめんなさい。流石にこの歳で死にたくないです!」


「……貴方様の中で、私がどういうイメージなのか、非常に気になるところでございますが、初対面なのですから、そこまで怖がる必要性もないでしょう?」


 初対面だからこそ怖いという発想はどうやら魔女はお持ちではないようだが、情けない声を上げて初手降伏の姿勢を示した彼も、本来ならばこんな態度はなかなかとらない。むしろ、初対面なら何をしても大丈夫だろうと考えてしまうタイプである。

 つまり、裏を返すとそれだけリーゼロッテという魔女は恐怖の代名詞なのだが、当の彼女はそんなことに気づくそぶりもなかった。


 わたわたする少年と、どうにか会話を成立させたい魔女という非常に奇妙な構図が生まれたが、十数分後に彼が平然さを取り戻すにともない、消失した。


「えーっと、アナタは、どうして俺――ボクなんかを、ここに呼んだ……のですか?」


「無理して、敬語のような何かを使わなくてもいいのですよ?」


 命乞いをするときはああも流暢に出てきた敬語が、命の危険性が少ないと分かるや否やぎこちなくなってしまうのは、彼の土壇場での生命力ゆえと見るべきかは判断が難しい所である。

 しかし、彼はここで敬語もどきを止めはしなかった。それは、ひとえに今まで路地裏で生活するにあたって、自分よりも強いものには敬う心を持つべきだということを覚えていたからである。

 覚えていて、この程度の敬語しかマスターしていないことに、そこはかとない絶望感を覚えた。

 もし、今日を生き残れたなら先ずは丁寧語を学ぼうと彼は密かに思った。


「そもそも、私が貴方様をお呼びしたのは他でもない、貴方様が私にとって非常に役に立つ存在だからでございます。それこそ、私の全てと交換してもいいと思う程度には」


「ぼ、ボクはそんな価値なんてない――ないですよ」


「いえいえ、あるのでございます。月とすっぽん、それから雲と泥をそれぞれ一緒に並べた時に、どれを選択するのかにばらつきが生じるのと同じく、人によって人の価値など変動するのですから、私が貴方様をそう評価するのもなんら不思議なことではないはずでございましょう?」


 言っていることの半分以上は意味の分からなかった彼であったが、どうでもいいことだと判断して適当に相づちを打って流してしまった。とはいえ、何となく自分が魔女に本当に必要とされているということは、理解できた。

 もっとも、実験動物として必要だという可能性が残っている以上、不安は残っているが、生まれてこの方、およそ一六年間で誰かに必要とされた記憶のない彼にとって、その気持ちはたいへん甘美なものに思われた。


 これを手にすれば死んでもいい思える財宝があるとすれば、彼にとってはそういう気持ちを注いでもらうことこそが至上の宝物であるような気がした。

 少年は自分がこれから何をすればいいのか訊いた。

 確かに頼られることは、この上なく魅力的であるが、だが、実際にそれで命を捧げるかと問われれば話は別である。彼はまだその覚悟ができていない。

 そして、返ってきた答は彼の想像の遙か上を行くものであった。


「貴方様は私を殺してください。ただ、それだけでいいのです」


 人であれ魔女であれ、自分以外の命を奪うことの方が、時として自殺よりも難しくなることを、一六歳とはいえ教育を受けてこなかった彼が想像できるはずがなく、気は重いままであったが少しだけ安心してしまう。

 彼が、人を殺すことの惨さや辛さを学ぶのは、これからおよそ三週間後の出来事である。


 そろそろ夜も深まってきた頃である。今日はもう睡眠を取りなさいと進められた彼は、街に戻るべく彼女の横を通り過ぎようとしたが、手をつかまれてしまう。


「どこに行こうというのでしょうか?」


「えっと、寝床――です」


「寝床と言っても、ただの路上でございましょう? でしたら、ここの方が幾分かマシでございましょう? ゆえに貴方様にはこれからはずっとここで生活していただきます。それでよろしいですよね? ――」


 願ってもない好条件の申し出であったが、彼は反射的にそれを断ろうと思った。少しの間だけとはいえ暖かい空間を提供され、生まれて初めて人から必要とされたというのに、これ以上の幸福を恵んでもらっては、後の揺り返しが怖い。


 しかし、その思いは後に続く彼女のたった一言によってかき消された。


「――ここが貴方様の家となります。そう、イヴァン・ホルヴァト様の」


 路地裏で一生を終えるつもりであった彼ことイヴァン少年にリーゼロッテはあろう事か、家を与えたのであった。それは彼の頭を酩酊めいていさせ、判断力を奪うには十分すぎた。

 彼は魔女に言われるがままに、寝室に連れて行かれた。


 羽のようにふわふわでふかふかな布団は、路地裏の過酷な環境とは似ても似つかなかった。もう、寒さのために死を覚悟することもなければ、朝起きると痛みのために起き上がるのが辛いということもあるまい。

 初めて尽くしで、思った以上に疲れが溜まっていたのか、横になるや否や彼は夢の中に誘われていく。泥のように眠る彼を起こせるものは、もうこの世界には殆ど存在しないだろう。

 


 そう、例えば爆発が起こったりしない限りは。


 爆音により、突然叩き起こされた少年の寝起きの頭が、パニックを起こしたのは言うまでもないし、これが魔女によって引き起こされた調合の失敗であったことは、想像に難くはなかった。

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