グリモアガール・スラップスティック

@sagimori

魔女①

 うちの学校の図書室には、魔女が住んでいる。


 そんな噂を知ったのは、高校に入学してから数日後の話だった。正直、進学してすぐは馴染めるかとか、友達ができるかとか、部活動はどうしようとか、勉強はこれまで以上に難しくなるだろうなとか、不安と期待と不安と不安が織り交ざったような精神状態で、周囲との交流も覚えていない有様だったことだけを覚えている。なんという大いなる矛盾! 自分の精神状態が不安になってしまうな。


 といっても、交流を欠かしていたわけではない。我ながら他人とのうわべだけの交流は得意で、それなりに何でも話してしまえる仲にはなれる。そして、こう自称する人間はたいていがコミュニケーションに何らかの問題を抱えているということは知っている。ソースは私。親友なんてこっ恥ずかしい名称の関係なんてものを作るのはごめんだったし、何でも話せる仲なんてものを心から信じたことなどもない。


 誰にも内緒の秘密は出回るし。

 あなただけに教える情報も誰にでも告げる。


 秘密の共有は、古来より信頼の証であることを、私は心得ている。それは通貨であり、政治である。世を治めるのが政治ならば、私たちのちっぽけな世界を治めるのもまた政治である。なんだ、高校生はみな政治家だったのか……。


 ニヒルに笑う私は、この学校に吹く風に煽られ、世にも美しい一枚絵になっていたことだろう。ライトノベルならここで挿絵が入る。間違いない。もちろんこれは私から見た主観の絵に過ぎず、実際には気持ち悪く唇の端を吊り上げる目つきの悪い女子高生が一人、学校の渡り廊下(野外)で立っているだけなのだろうけれど。なにそれ気持ち悪い。私なら絶対に近寄らないし、見かけた数日後にはクラス中に「あいつヤバいから近寄るな」って触れ回るレベルだ。


 というか、片手に持ったコーヒー牛乳のパックがその緊張感を確実に下げてる。こういう時はブラックの缶コーヒーと相場が決まっているのに……。忸怩たる思いだ。あんな泥水を飲めるか。イギリス人じゃなくても思う。


 私は飲みおえて空になったパックを潰し、渡り廊下を抜けた先にあるごみ箱にきちんと投げ入れてから、図書室へと向かった。


   *


 私が通って早二週間目になるこの学校は、私立煌坂きらさか高校という何とも美しい風光明媚で光り輝く(私の語彙力ではこの辺りが限界だった)名前をしており、その名に違わぬ広さを誇る。東京ドームの広さを知らないから単純な比較こそできないものの、同等かそれ以上あるのではないかと私は思っている。中高一貫校だけあって、高校からの編入組は少ない。学生同士がひしめき合うなんてことはなく、ゆったりとした敷地内の中で、放牧された羊のようにのびのびと学生生活を送ることができるのだ。都心からそう離れているわけでもなく、アクセスこそいまいちなものの、遊びに行くにも困らない立地というのが、高校生としては大変嬉しい。十分かそこらで駅に着き、数駅で世界有数の人口密集都市、渋谷へと辿り着くことができるというのがなんとも魅力的だ。渋谷に行けば何でもある。新宿でもいいけど。


 と、いうのが、シティーガールでも何でもない一人暮らしの私の感想だったりする。どうして親元を離れ、地元ではなくわざわざこの高校に入学してきたかは……おいおい話すことにしよう。長々と自分語りをしてもつまらないし、何より私が疲れる。疲れることはしたくない。


 疲れることはしたくないので、噂を知ったのが一週間前だとしても、自分の教室から離れた図書室には向かわなかったのだ。決して迷子になったわけではない。この学校が先ほども言ったように矢鱈めったらに広く、その上古典近代から現代の娯楽小説までありとあらゆる文芸ジャンルをメインにした第一図書室と、その他新書や図鑑等をメインとした第二図書室があり、噂の出先は第二図書室の、しかも隣にある第二図書準備室なんて思いもよらなかった──などということはないのである。


 おかしい、なんで教室棟である西校舎から設備棟の東校舎まで徒歩五分もかかるんだ。休み時間が十五分あったのはそういう理由か。おや、私が知っている学校よりも休み時間が長いラッキーと思っていた頃の時間と期待を返せ。その分下校時刻が遅くなってるじゃないか。


 と、ようやく校舎の全体像を把握して、好奇心に負けたために噂の真相を確かめに出向いたのが今日、ということになる。いくらなんでも広すぎるし、全体マップが作られていないのは開発側の責任だ。このゲーム作ったやつは頭がおかしい。今日日どんなゲームでもマップ機能くらいはあるぞ。持ち運びできるようにしろよ、なんで正面玄関にしかないんだ。スマホが持ち込み禁止だったら全員が迷ったぞ。

 ちなみにこの学校の教職員はみな気が狂っているのか、入学式前日にオリエンテーリングと称した校舎探検があり、新入生一同は中学生高校生が入り乱れて迷いに迷ったというイベントがある。誰か一人でも帰ってこなかったらどうするつもりなのだろうか。そんな人間はいないと信じているのだとすれば、あまりにも信頼を置きすぎている気がする。


 そうした文句がまだ出続けている二週間目、私は東校舎四階の端にある図書室へと向かっていた。自分の教室が西校舎三階のため、比較的近いといえば近いが、それはあくまで二年や三年の教室と比較しての話であり、わざわざ放課後に出向いているというのはあまりにも非効率的というか、もっと自分の時間を大事にしようよと自分で思うというか、貴重な青春の一ページを無駄にしている感じがして半端ではない罪悪感に襲われている。ちなみにお気づきだろうが青春への一ページなどというたわごとを、私は一ミリも信じていない。さっさと終わってしまえばいいのだ、こんな監獄のような時間は。


 学生を終えて社会に出ようが、人生は続く。働きたくないなあ。委員会の仕事ですら嫌なのだから、社会に出て仕事なんて、お金をもらってもやりたくない。働かずにお金だけほしい。寝ているだけで給料が発生する仕事、ないかなあ。


「欲望がダダ洩れですよ、雑色さん」

「私を名字で呼ぶな」


 敵意を持って視線をやると、そこには我らがクラスの委員長が立っていた。

 容姿端麗頭脳明晰物腰柔らかと、委員長の基本を全て兼ね備えたかのような性格をしているが、三つ編みではない。メガネはかけているが、さっぱりとしたショートヘアで、肌は少し健康的に焼けているが色白の美人といって差し支えないだろう。ステレオタイプみたいな女だ。名前は神谷かみやしおりという。文学少女が裸足で逃げ出すようなイメージだが、病的に白いわけではないのでそういう印象も持たない。全体的に、賢く、美しく、それでいて、


 近寄りがたい。


 そんな印象を受ける同級生だった。

 腕には厚めのハードカバーを二冊抱えており、どうやら第二図書室から帰るところらしい。


「ぞうし……亜稀さんも図書室に?」

「そうですよ。ちょっと、気になる噂を聞いたので」

「殺意を抑えるのがうますぎませんか」

「はは、何のことですか」


 雑色は地名姓だが、その文字の印象の悪さと音の響きから散々からかわれたりなどしている意見があるので、あまり気に入っていない。悪い苗字ではないと思うのだが、良くもないというのが正直なところだ。今後仲良くなる可能性があるかどうかはさておき、一対一で、かつ彼女相手ならば問題ないだろう。彼女は正しく「秘密は守る」タイプの人間だ。なぜなら、調和を重んじるから。余計な波風を立たせはしまい。


「噂、というのは、図書室の魔女のことですか」

「おやおや、委員長ともあろうお方がそのようなゴシップを信じておられるのですか!」

「あなたは私を一体何だと思っているんですか……」


 大げさに呆れられてしまった。いや、私の反応もわざとらしかったけれど。


「それは、ええ、もちろん。だって、自分の通っている学校のことですから」

「すべてを知っておきたいということですか」

「そこまで横柄ではありませんよ。それに、傲慢でもありません」

「……?」

「あ、傲慢というのは」

「言葉の意味が分からなかったわけじゃない」


 馬鹿にされているな? さてはこの女、私のことを馬鹿だと思っているな?

 傲慢くらい知っている。私が何の教科でこの学校に入れたと思っているんだ。


「ええ。だって、すべてを知るなんて、できるわけないじゃないですか」


 そういって、神谷栞は微笑んだ。それは何というか、優しげな笑みだった。

 何かをあきらめたような。


   *


 それから少し話をして、彼女と別れた。春は夕暮れになる時間が早い。放課後になる時間が中学よりも若干遅いせいで、もう校舎全体が茜色に染まっていた。第二図書館の開館時間は、あと数十分といったところだった。ただでさえも広い校舎の、蔵書置き場ということは、それなりの広さが予想される。その奥にある準備室に行くためにはどのくらいかかるのだろうか。ダンジョンじゃないんだから、まさか迷うことはないだろうが。


 図書室に入ると、特有の紙のにおいが漂ってくる。人はまばらで、各々が本を呼んだり勉強をしたりと自分の時間を過ごしていた。新しく入ってきた人物に目をやるものは少なく、やったとしても時間は一瞬で、それぞれの時間をそれぞれが過ごしている。


 じつに理想的な空間だった。それがこんなに遠くさえなければ。


 私は立ち並ぶ蔵書には目もくれず、図書室の一番奥を目指す。事前にあった地図によれば入り口正面をまっすぐ行くと閉鎖書架が、そこから壁伝いに歩くと別の扉があり、そこが準備室につながっているのだという。そんなに広いのかよ、この校舎。というか並大抵の蔵書量じゃないな。学校図書館という領域に収まっていない。


 そんな文句を言いつつも、準備室の扉に無事辿り着く。意を決して、ドアノブに手をかけた。


 鍵がかかっていた。


「………………」


 まあ、考えてみれば当然の帰結である。無用な人物が立ち入らないように、セキュリティが万全であったというだけの話だろう。


 もちろん、それでは気が済まない。


 ということで、閉館時間まで待ってみることにした。ほかの生徒が帰り始め、下校を促すチャイムが鳴り、図書館司書に促されるままに図書室を追い出された。


「…………」


 いや、ごく自然な流れだった。抵抗する間もない。当然である。

 そういうわけで、初の噂探求は失敗に終わった。そう思っていた。


 それを誰かが見ていたとは、気付く余地もなかっただけで。

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