はじまりの話

@americansprit

藤堂毅という男

「うまくいかんな」

彼は、そう呟いて、狭い場所の小さなベッドに大の字に横になった。

ばふっと布団が彼を受け止める音がする。


一人を強調するかのように、時計の針が時間を刻む音が響く。

カチカチカチカチ


音につられて時計を見ると、時計は23時45分を指していた。

秒を刻む針を、音を聞きながら目で追うと

「うまくいかんな」

彼はまたそう呟いた。

後、10分で30歳になる自分が可哀そうだと思った。

どうして、人は年を取るのだろう。

年を取れば、勝手に大人になれる、と、成長するのだ、と勘違いしてしまうのだろう。

30歳になるのに、自分は何も持っていない。


タラッタッタラー

彼は自分が目を開いたことで、あのまま寝てしまったのだと気付く。

タラッタッタラー

なんの音だったかな、と考えながら、ぼんやりした頭を抱えて、体を起こす。


タラッタッタラ

滅多に鳴らない携帯の音だと気づいたとき、音が鳴り止んだ。

鞄の中をまさぐりながら、ちかちか光る携帯を取り出して、着信履歴を見た。


『藤堂毅』

履歴に名前が出るということは、アドレス帳に登録している知り合いなのだろうが、彼には、その「藤堂毅」がどこの知り合いなのか思い出せなかった。


思い出せない相手に、掛け直すのも気が引けて、何かあればまた掛けてくるだろうと携帯を閉じる。


タラッタッタラー

手の中で鳴る携帯を見ると「藤堂毅」という名前が表示されていた。


「はい」

彼は、訝し気な声で電話に出た。


藤堂毅は、彼が電話に出るなり、「久しぶり」の一言もなく、いきなり喋りだした。



俺さ、どこか、将来の自分に憧れがあって

それは、努力も何もせずに年を取れば、なれるもんなんだって思ってたんだ。

だけど、30歳になって、それは違うんだって気付いた。

俺はなんの努力もしてこなかったんだ。

いや、正確には、憧れに対して、努力をしてこなかったんだ。

まあ、自分に憧れがあるなんて知らなかったから、努力も何もないんだけどね。



お前もそうだろう?とでも言いたげな口調で、彼はそこまで一気に喋ると

「誕生日おめでとうございました」

と言って、唐突に電話を切った。


時計は、5時30分を指していた。

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