4.あなたにとって雪葉は

 暁音の心は、ますます袋小路に追いこまれた。


 岬や円珠の影響も多少はあっただろうが、彼女がここまで苦しむことになったのは、半ば自業自得のところが大きいだろう。それは暁音当人も自覚するところだ。


 置き去りにした幼馴染への名残惜しさが、のぼせたわけでもないのに暁音の全身をふらつかせる。雪葉は元から一人でできていたものを、こちらに気を遣ってできないフリをしていたのだろうか。勉強ができずに「教えろ~」とせがんでくるのも、ただ構ってもらいたいだけで、本来はもっと勉強ができるのではないか。


(だとしたら、私の存在は雪葉の成長にとって……)


 邪魔でしかなかったのか?

 床を踏みしめたまま、立ち止まる。幼馴染への疑心暗鬼はとどまることを知らず、そんな自分自身に恐ろしささえ感じてきた。真実こたえなど、とても聞きたくはなかった。


 ふと、視線を移すと、購買の入り口が見えた。岬はここで買ったカカオエッグでシークレットを引き当て、雪葉の関心を誘うことに成功した。雪葉が編入生に心を動かされたのは物によるもので、決して彼女の人徳ではなかった。


 暁音は心の中で編入生の少女を小馬鹿にしてみせたが、結局はその岬と同じ方法で彼女は幼馴染の関心を買うことにした。カカオエッグを三つ購入して開封する。


 幸運の女神は、暁音に微笑まなかった。すでに雪葉の持っていたフィギュアたちを見つめ、暁音の怒りは爆発寸前のところまで跳ね上がる。


(どうしてあいつが引き当てられて、私が……‼)


 派手な舌打ちが漏れる。運命の女神が存在するなら、シークレットを与えるべき相手はむしろ私じゃないのかと、盛大に罵りたい気分だ。


 だが姿の見えないものに対してわめいても変人としてのレッテルを貼られるだけだ。暁音は溜まりに溜まった怒りをハズレの生き物たちにぶつけることにした。

 三つまとめて片手で握りしめ、床に叩きつけようとした、そのとき。


「イヤ~ッ、やめて~。おねーちゃんこわいよ~」


 暁音の顔が一瞬でどす黒く染まる。目を血走る寸前の状態にさせ、声の主を振り返った。


「……何なんだ、今のは?」

「えへへ、投げられそうになったフィギュアたちの気持ちをあたしなりにアテレコしてみました♪」


 けったいな裏声を放った三つ編みの編入生は、暁音に対して微笑んだ。愛らしいが、あまりにも空気の読めない行動だ。暁音は周りを配慮して激怒する真似は避けたが、発した声は限りなく殺伐としていた。


「何がアテレコだ。全然似てないじゃないか」

「だって元キャラの声なんか知らないもん。……へへえ、暁音もシークレットを狙ってたんだ?」

「お前には関係ない」


 そっぽを向く暁音を無視して、岬はにこやかに提案した。


「そんなにシークレットが欲しいなら、あたしのと交換してあげようか? 暁音が引き当てたことにして雪葉に手渡せばいいわけでしょ?」


 岬はショートパンツのポケットから丁寧に包まれたハンカチを取り出し、それを広げてみせた。金のアザラシの能天気な表情が、ひたすら場の空気にそぐわない。暁音はアザラシの癒しに感化されるどころかむしろ逆上して反発した。


「黙れ! 誰がお前のほどこしなんか受けるもんか!」


 岬はプルーン色の瞳を丸くさせたが、驚きが去ると、暁音に負けないくらい表情を真剣なものにさせた。顔立ちは可憐だが、静かな威圧感は白髪少女のそれに劣らない。


「……暁音さあ、前から思ってたんだけど、あなたにとって雪葉は一体何なわけ? 大事な幼馴染? それとも、自分の思い通りにならないと気が済まない、ただの道具でしかないわけ?」


 暁音は即座に噴火した。周りの目も忘れて編入生の少女に詰め寄る。


「取り消せ! 今の言葉! 今すぐに‼」


 拳がぷるぷる震えている。これで顔を殴られたら嫌だなあと思いつつ、岬は迎撃態勢をとった。


「言うに事欠いて……雪葉のことを道具扱いだと⁉  同性の身体を性的にしか見れないお前が、私と雪葉の関係に意見するのか⁉」


 岬はひるまない。本心では狼と対峙したような気分でかなり怖かったが、ここで言うべきことを言わないわけにはいかない。


「だってさあ、暁音のしてること、何一つ雪葉を喜ばせてないじゃない。シークレットを取り上げたことが雪葉にとって何の意味があったのか言ってごらんよ」


 痛いところを突いたらしく、暁音は咄嗟に反論ができなかった。論理で変態淑女に打ち負かされ、不甲斐なさに耐え切れなくなった暁音は、盛大に床を踏み鳴らしてわめいた。


「お前が! お前さえいなければ、雪葉にこんな態度をとる必要もなかったんだよ‼」


 暁音の絶叫は泣き出す寸前であった。いや、黒々とした瞳にはすでに水の膜が張られており、いつそれがあふれ出てもおかしくはない状態であった。

 その状態のまま、暁音がさらに声をほとばしらせようとしたそのとき。


「あなたたち、こんなところで言い争いはよしてちょうだい!」


 厳しい叱責が空気をむち打ち、二人は揃って声の主の方を向いた。


 二人に呼びかけたのは、三号棟の寮母、シスター蒼山であった。純白の修道服とヴェールを身に着けた初老の女性で、ひとたび険しい表情をとると、どれだけ頭に血の上った生徒も彼女には容易に逆らえない。


 岬と暁音が慌てて頭を下げると、寮母は表情をいくばくか穏やかなものにさせ、まず始めに岬に視線を向けた。


「上野さん、いつの間に帰ってきていたのね。挨拶がなくて寂しかったわ」

「あ、大変申し訳ありません……」


 岬は気まずい思いで謝罪した。外泊からの帰還報告は強制でないとはいえ、寮母からすれば経過を知りたいと思うのは当然の心理であろう。


「まあ、いいわ。ちょっと上野さんに聞きたいことがあってここに来たのよ。少しお時間をいただけると嬉しいわ」

「え、あたしだけですか?」


 不穏と警戒の声で問うと、白い修道服の女性は苦笑した。


「別に喧嘩のことを聞くわけじゃないわ。あなたについて改めて知りたいと思ってね。東野さん、悪いけど上野さんを借りるわね」

「返すどころか、永久に悔悟室かいごしつに拘束してくれても構わないんですけど」


 と物騒な返事はせず、最低限の礼節を保って暁音は初老のシスターに会釈した。悔悟室とは寮母の執務室の別称であり、問題を起こした寮生は翌朝まで担当寮母の監視下で生活しなくてはならないのだ。


 シスター蒼山は暁音について大して触れず、言い争いの発端となった少女はかえって居心地の悪さをおぼえた。だが、率先してそのことを表明する気にもなれず、立ち去る寮母と編入生の姿をただただ見送るだけであった。

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