5☆.黎明の告白

「やはり、どうあっても私に触れようとしてくれないのね」


 一条和佐の声は沈痛に満ちていた。


「お姉ちゃんが触れるのを避けてきた五年間、私はお姉ちゃんに再び触ってもらえるよう一生懸命頑張ってきたのよ。お姉ちゃんにとって理想的な身体になっているはずだし、知性にも磨きをかけてきたつもりなのに。性格だけはどうしようもできなかったけれど、お姉ちゃんに対する想いだけは今も色褪せていないから……」


 お姉ちゃんだって? 岬はやや唖然となってルームメイトの言葉を聞いていた。彼女は裏で姉のことをこんな風に呼んでいたのか。だが硬派な白髪少女のギャップに悶えるには、その声は切なく突き刺さりすぎた。

 一方、黎明の声も必死である。


「そんなことはわかってますわ! エミリーに会うたびに、あなたの努力は手に取るようにわかりますもの。ああ、わたくしに愛されようと頑張ってくださってるのね……って。それを疑ったことなどただの一度もないわ! でも、仕方ないじゃない……わたくし、もうあなたに触れることができなくなってしまったのだから」

「だから、どうして!?」


 やるせない苛立ちをほとばしらせてから、和佐は今度はすがるような口調で『お姉ちゃん』に訴えた。


「どうすれば、あなたに受け入れてもらえるというの……? いえ、お姉ちゃんにつっけんどんな態度をとり続けたのは私のほうだけど、まさかその態度を真に受けていたわけではないでしょう」

「もちろん、エミリーの素直でないところも素敵ですわ。あなたが改める点は何一つございませんの。問題はそう、すべてわたくしにあるのですから」


 黎明は、ややためらいがちに自らの想いを吐露した。


「わたくしがあなたに触れられなくなったのは、あなたの姿があまりにも理想的すぎたから。そのせいで……触るのがためらわれてしまいまして」

「理想的すぎた……?」

「ええ、今だって興奮を抑えるので精一杯ですもの。もしエミリーがこの場で服を脱いだりしたら、わたくし、牝牛のごとく鼻息を荒くして、あなたに飛びかかってしまいそうですもの」

「別に私はそれでも構わないけれど」


 な、なんだって!?

 鼻息が荒くなったのはむしろ岬のほうで、思わず扉を押す手に力がこもってしまった。そのまま扉が勢いよく開かれ、室内に変態淑女が転げ込む。


 白髪姉妹は呆気にとられた。


 起き上がる岬に、二人の足音が接近する。白いドレスの姉は「あらあら」と言わんばかりに微笑んでおり、紫のロングスカートの妹は不信と敵意をむき出しにしながら、盗み聞きの現行犯を見つめている。

 その和佐が吐き捨てた。


「本当に底の知れないくらい不愉快な女ね。一体私たち姉妹の何を探りたかったのやら」

「一条さんのルームメイトとして、お二人の行く末を案じるのは当然です」


 もっともらしく岬はのたまった。和佐は露骨に信じていないし、黎明でさえ編入生の弁明に苦笑をたたえている。


「うふふ、岬ちゃんのことですから、エミリーが脱ぐ予感を察してここまで駆けつけたのではないかしら?」


 岬はむっとなった。確かにルームメイトの脱いだ姿は気にはなったが、この変態淑女の聖花さまにそれを指摘されると癇に障る。

 黎明はエミリーと呼ぶ妹に告げた。


「まあ、でもいくらエミリーがわたくしに飢えていたとしても、岬ちゃんの前ではさすがに服を脱ぎたいとは思わないでしょう?」

「なっ、別に私は別に黎明に飢えているわけじゃ……」


 すっかり動転し、言いさした彼女は狼狽の原因となった編入生を鋭く睨みつけた。


「あなたのせいよッ」

「どうもすみませんでした」


 すかさず岬は深々と頭を下げた。

 妹とそのルームメイトのやり取りを、聖花さまは実に楽しげに見つめている。


「別に岬ちゃんのせいではないですわよ。たとえ岬ちゃんが盗み聞きしてなくとも、わたくしは最初から妹を抱くつもりはなかったのですから。その権利は快く岬ちゃんに譲って差し上げますわ」

「……ふざけるのは大概にして」


 変態淑女の少女が何か弁解する前に、和佐が姉に対して獰猛にうなった。


「おね……黎明のためだけに用意した私のすべてを、どうしてどこの馬の骨とも知れぬ小娘にメチャクチャにされなくてはならないの? 私のことを理想的と言ってくれるのは感謝するけれど、本当にそう思うのなら言葉でなく、かたちで表明してちょうだい。私の体躯を他の誰かに食われるのも、手をつけられずに腐らせてしまうのも、私はごめん被るわ」

「それは……困りましたわね」


 黎明は深刻げに息を吐いた。


「正直なことを申し上げるなら……わたくしにはエミリーが理想的すぎて、むしろそのことに恐ろしささえ抱いているのです。あなたは岬ちゃんにメチャクチャにされるのを警戒してるようですけど、一体そのメチャクチャはどの程度の代物なのか……。わたくしの理性が完全に弾け飛んだときの欲情と比較すれば、岬ちゃんの愛欲は果たして何百分の一に過ぎないのか……」


 岬は仰天した。内容だけを聞けば、和佐エミリーに対する遠回しの惚気ノロケにしか思えなかったが、黎明は本気で妹の体躯の素晴らしさに対し、畏怖に似た感情を抱いているようだった。


「なんだ、それしきのこと」


 姉の重い苦悩に、妹は軽快な呆れで返した。


「そんな理由で今まで私に触れなかったなんてね。私としては、あなた相手なら、むしろ望むところだというのに」


 和佐が意気込んだ。沙織子おねーさんならば詰めたちり紙が吹き飛ぶ勢いで鼻血をまき散らしたに違いない。この白髪のルームメイトは姉にハードなプレイをご所望なのかと、思わず変態淑女の血を熱くさせた。


 聖花さまの金の瞳が何かを言いたげに妹をとらえる。

 そのときであった。


「これはこれは、一体お三方で何を話しておいでです?」


 メイドの風月が現れて、三者三様の感情は一時的に初期化された。クラシカルなメイド服からは食欲のそそる匂いが立ち込め、今さらながら岬は強い空腹をおぼえた。


「ご夕食の準備が整いました。話の続きがおありなら、食卓の上にてお願いいたしましょう」


 否やを唱えるものは誰もいない。昼食から時間もかなり空いていたし、会話をするというのも、想像以上に活力を消費させるものなのであった。

 食堂に案内され、三人はそれぞれテーブルに着いた。岬の向かいに黎明が座り、和佐は姉の隣の席に腰を下ろす。風月がそれぞれに飲み物を注ぎ、社交辞令の「いただきます」が唱えられた。


 料理に関して言えば、岬はケチなどまったく必要としなかった。ビーフシチューは野菜と肉がルウの中で絶妙に溶け合い、クルトン入りのチキンサラダも絶品で、思わずここに来た本来の目的まで忘れてしまいそうだ。素直に賞賛の言葉が出て、風月もこのときは忌憚きたんない笑顔を返してくれた。

 だが、その風月は表情を改めて、主人に向けて鋭い一言を浴びせかけた。


「それで、ご主人様は火影を追い出した理由をお二人にきちんと告げたのでしょうか?」

「もちろんですわ」

「ほう、ではお二人に確認させていただきましょう」


 いきなりの指名に岬も和佐も戸惑ったが、結果として回答をしたところで無駄のように思われた。黎明さまが競泳オリンピック選手並みに金の瞳を泳がせていたからである。

 それでも一応、生真面目に岬は聞いた(盗み聞きした)ことを話し、その回答は冷静なメイドを落胆させた。


「まったく情けない。あれだけ口を割ると明言しておきながら、この期に及んで及び腰とは。よほどファンたちに事実を知られるのが怖くないと見える」

「ちょっと、何よ。この女の言ったことは嘘っぱちだと言いたいわけ?」


 姉から理想的と称賛された和佐にしては、風月の態度は聞き捨てならないものがあった。灰色の瞳がさらに黎明に向けられると、その様子を見た風月はブリムに包まれたかぶりを振ってみせた。


「ご主人様の回答は赤点と言ったところでしょう。お嬢様の理想的な容姿を前にして、理性を失ってしまうのではと懸念を抱いているのは事実ですが、そこにいたる背景が今の話にまったく語られておりません」


 なかなか辛口な評定を下すメイドさんである。


「ここまでご主人様が物怖じなさるのであれば、やむを得まい。ファンたちの失望と誹謗を回避するためにも、私の口からお嬢様に触れられなくなった事情を説明いたしましょう」

「ふうちゃん、だめッ‼」

「あなたはいつまでご自身の罪から逃げるおつもりか‼」


 風月が主人の倍の勢いで言い返した。黎明は当然だが、和佐も岬も心臓に氷水を浴びせられた気分だ。

 痛ましい沈黙の後、最初に声を出したのは和佐だった。


「黎明の罪って何……? あいつが一体何をしたというの」

「火影に関することです」


 風月は激情を落ち着かせて応じた。


「お嬢様も岬様も薄々察せられたでしょうが、ご主人様がお嬢様に触れなくなったのは五年前の夕霧火影の退職がきっかけでした。彼女が辞める数日前、火影はご主人様に誘われてベッドの上で抱き合っていたのです」


 和佐は煮えたぎるような視線を姉に投げかけた。主成分は羨望と嫉妬と思われるが、同じく聖花さまともつれあった岬としては余計な発言をするのは憚られた。


「その日はよく覚えていますよ。高等科に入ってからの初めての夏休みのことでしたか。お嬢様の習い事が終わるのを待っていたとき、ご主人様が半狂乱の状態で私に連絡を入れてきたのです」


 黎明がもたらした内容はほとんど要領を得なかったが、少なくとも火影にとんでもないことが起きたことだけは理解できた。お嬢様の習い事が終わるのがまだ先ということもあって風月は一度、一条邸に帰還し、その途中で風月と火影の教育係であった年輩のメイドと合流を果たし、屋敷で黎明と火影と会ったのである。


「ご主人様の私室には異様な光景が広がっていました。ご主人様は全裸で泣きじゃくっておられ、ベッドの上では同じく全裸の影が『痛い‼ 痛い‼』と絶叫しながらのたうちまわっていたのです。火影の頭部は血塗れになっていて、その血がシーツにも生々しくこびりついていた……」


 和佐も岬も揃って愕然とした。真意を問うために黎明を見る。白い髪とドレスの聖花は、それらの白色に負けないほど顔を蒼白にさせており、それこそ血を残らず奪われたかのようだった。唇を噛みしめ、うなだれることで三者からの視線を回避しようとする。


「一体、何があったというの……」


 不安で声まで青ざめさせた和佐に、風月は内面にくすぶる熱を声に交えて、主人を弾劾するように言い放った。













「この方は火影の右耳を食いちぎったのです」

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