ライラック色の少女たち
斉藤なめたけ
第一章 不機嫌な少女の接吻(くちづけ)
1.白髪少女と編入生
四月五日。この日の
箱谷山は標高の高い山ではないが、裾野が広く、自然も豊かで、
だが、箱谷山のすべての場所が誰もが気軽に訪ねられるものではない。その筆頭が、紅金市唯一のお嬢様学校である
聖黎女学園は全寮制かつ中高一貫制のカトリック系の学校で、建造物の群れが箱谷山の中腹に横たわるようにして建ち並んでいた。十数年前に大規模な改装工事がおこなわれ、赤煉瓦の重厚な寮棟と白亜の
その赤煉瓦の寮は現在、入寮期間を迎えている。始業式が始まる一週間前のうちに生徒は寮棟を訪ね、寮母をつとめるシスターに挨拶しなければならないのだ。
本日は入寮期間のちょうど半ばにあたる。
そして、すでに三号棟の217号室に入室していた
◇ ◆ ◇
朝、目を覚ました一条和佐は、部屋のカーテンが開け放たれていることに即座に気づいた。その事実が、彼女のかんばせを不快に色づかせる。
入学当初にルームメイトをあてがわれたとき、プライベートを侵害されるのを激しく嫌った彼女は、初日のうちにそのルームメイトを追い出してしまったからである。以後、彼女のもとに新たなルームメイトがつかず、大人たちが無理やりルームメイトを押し付けようと画策するも、まず寮生のほうが共棲を拒絶しているというのが現状だ。
卒業するまでいらぬ孤高を貫くつもりなのかと教員たちは気を揉む日々であったが、その懸念にもついに雪解けの時期が訪れた。和佐のルームメイトを切望する生徒がついに現れたのである。
「一条さーん、ちょっと来ていただけますかーっ?」
鬱陶しいほど明るい少女の声。
その声が、和佐の心をさらに苛立たせた。
かなうものならこのままふて寝でもしたい心境であったが、どう腐ったところで無益であることは昨晩のうちにすでに思い知らされている。
諦めの吐息をこぼして、ベッドから飛び降りた。
雪のような純白な髪が、周囲にひときわ異質めいた印象を与えた。柔らかく波打ち、うなじにかかるところまで伸びている。日本どころか海外でも奇異な目で見られること請け合いだが、彼女の美しさを否定するものはいないだろう。
一条和佐は同年代の少女よりも背が高く、白いネグリジェに包まれた肢体はほっそりと引き締まっていた。それに対して、二つの胸のふくらみは柔らかい布地を窮屈げに押し上げている。
きめ細やかな白い肌に、あどけなさを残しながらも美しい小顔のつくり。だが、そのかんばせは常に硬質な静けさを浮かべ、周囲を寄せつけようとしない。寮生らは抜きんでて美しい彼女を『氷雪のお嬢様』と
実際、217号室の彼女は現在、起伏の『起』の表情をとりながら、部屋の扉に手をかけていた。
聖黎女学園の寮部屋は、生活空間と玄関口とを一枚の扉で隔てており、その扉を開けた先には両腕を広げるルームメイトが待ち構えていたのだった。
「じゃじゃーん! どうですか、これ」
「…………」
表情以上に喜色の濃い第二声に、
秀麗な顔をしかめ、目の前にいる少女の情報を何とか思い起こす。
白髪少女に長らくルームメイトがつかないことを憂えた寮母が、この際『寮生は同学年どうしによってのみ成立する』という慣例を破り、他学年からも同居人を募ろうかと考えていたまさにそのとき、和佐と同じ十五歳の少女が聖黎女学園に編入されることになったのだ。寮母から事情を聞いたその編入生は、和佐とのルームメイトの件を即座に了承し、一悶着のすえ、昨日の晩から三号棟の217号室に居着いているというしだいである。名前は
上野岬は平均的な背の高さで、艶やかな黒い長髪を二つの三つ編みにして前方に垂らしていた。プルーンのような大きな瞳を無邪気にきらめかせているが、同時に知性もうかがわせる。愛らしく膨らんだ頬に物柔らかな口角、顔立ちは年相応の愛嬌に満ちており、周囲と打ち解けることはたやすいように思われた。
だが、和佐は一目見た瞬間に、彼女とはとうてい付き合えそうにないと確信していた。なれなれしい人物は和佐の最も好まざる存在であったし、一晩を共にした後では、とうていその一言だけで済ますことはできない。昨晩のことを思い起こすと、和佐は深い苛立ちを感じずにはいられないのだ。
重い溜息を吐き、うんざりした様子で問いかける。
「社交辞令で聞いてあげるけど……」
「はい」
「なんだというのよ。その格好は」
「制服です」
聖黎女学園の制服はライラック色のワンピースに紺色のボレロというものである。ワンピースの襟元に
「私が知りたいのはどうしてあなたが制服を着ているのかということよ。今日、制服を着る用事があるなんて私は聞いてないけど」
「あたしも聞いてません」
「……じゃあ、どうして制服なんか着ているのかしら」
「えへへ、入学式まで待ちきれなくて。それに一条さんにあたしの制服姿をどうしても見せびらかしたかったんです♪」
笑顔をきらめかせる岬に、和佐は額を押さえた。このようなくだらない理由で呼び出される生活が三年間も続くと思うと
「……そう。これであなたの目的も達成されたわけだし、私はこれで失礼するわ」
吐き捨てて、和佐は岬の目の前を横切り、玄関脇にある洗面室の扉をくぐり抜けた。
黒髪の編入生も制服姿を見せたことで満足したらしく、スカートの裾を揺らしながら部屋へと引き返す。
自分のベッドに座り込み、岬はしばらく何をせずに新生活の空間を見渡していたが、数分して和佐が戻ってきた。顔を洗い、美容液を肌に当てていたのだろう。頬は潤いをたもっていたが、表情は相変わらずすさんだままである。
三つ編みの少女は、姿勢をそのままに白髪の美少女に呼びかけた。
「今日は本当にいい天気ですね~。ところで、一条さんの今日のご予定は? もしよろしければこのあと学園内を案内していただけませんか? あたし、このあたりのことを全然知らないんですよ」
この編入生が遠方から訪れて、紅金市の地理についてほとんど知らないことは、すでに寮母から聞かされていたが、彼女に親切にしてやる筋合いなど和佐にはどこにもなかった。
「嫌よ。どうして私があなたとなんか」
「えへへ、もちろん一条さんとデートがしたいからですよ~♪」
岬は柔らかな笑顔をさらにとろかせた。思春期の男児であらば十人中十人が惚れ込むに違いないものであったが、あいにく、それらのものも和佐の不興を買うだけだった。
「会って一日も満たないのにデートも何もないでしょう」
「でも会ったその夜に、一条さんはあたしにキスしてくれたじゃないですか」
目まぐるしく和佐の反応が変わった。
白い肌にほんのりと血の色がのぼり、真珠の光沢を放つ歯をきしらせる。
微笑む編入生に対して、憤然と言い返した。
「社交辞令で断っておくけど」
編入生を見る視線は声と同じくらい鋭い。
つり目がちな彼女の瞳は、髪色と同様、めったに見ることのない硬質な灰色であった。
「あなたにキスをしたのはあくまで嫌がらせのため、あなたを部屋から追い出すためにやったことなの。悦ばせるためにしたと思っているならとんだ勘違いだわ」
「またまたそのようなこと~」
和佐の
「あんな情熱的なキス、そうそうないですよ~。あたしも思わず興奮しちゃいましたし。できればまたお願いしたいところですね」
「冗談じゃない。あのようなキスをされて喜ぶなんてどうかしているわ。まったく、こんなのと一緒に過ごさなければならないなんて悪夢としか思えない……」
「えへへ、そうですか~? きっと最後までやれば素敵な夢に変わると思いますよ。それとも、今ここで試します? 一条さんのことなら五分もかけずにくらげにして差し上げられますから♪」
ぽんぽんとベッドを叩く岬を、白髪のルームメイトは華麗に無視してのけた。これ以上相手をしていられないと態度で示しながら、クローゼットから衣類を取り出し、玄関の扉に向かおうとする。
「一条さん、どちらへ行かれるんです?」
岬がベッドから跳ね起きると、白い髪とネグリジェの少女は振り返りもせずにぴしゃりと言い放った。
「今から着替えるのよ。いいからついてこないで」
不機嫌なルームメイトが扉の向こうへと姿を消すと、編入生の少女は追いかけるべきか迷ったが、これ以上白髪美少女の機嫌を損ねさせるのもまずいと感じてベッドに座り直し、彼女と最初に出会った時のことを思い返した。
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