桜々中雪生

 蜩が鳴いている。夏も暮れようとしているその日、美弥子は、奇妙な体験をした。

 昼休み、職員室に提出物を持って行っていて次の移動教室に遅れそうになっていた美弥子は、ぱたぱたと上履きを鳴らしながら廊下を早足に歩いていた。

「やばい、準備もまだしてないのに」

 自分の教室の階の階段を上りきる直前に気配を感じ見上げると、そこに、見慣れた女の子がいた。

「あれ、瑠花?」

 名前を呼ばれて、瑠花は自分の二段下にいる美弥子をゆっくりと見遣った。

「先に行っといてって行ったのに、待っててくれたの?」

「……うん。授業、行こっか」

 答える瑠花は、どこか虚ろな目をしていて、自分がいない間に何かあったのだろうかと、美弥子は内心首を傾げる。だが、あとで話を聞こうと思い、その考えを振り払った。

「あ、でも、あたし教科書とか机に鞄の中だし取ってくるから、やっぱ先行ってていいよ」

「……これ」

「え、持ってきてくれたの?ありがとう」

「うん、じゃあ、行こう」

 二人、足早に階段を下る。別棟での授業のため、遅れてはならないと気持ちが急いていた。二人は、黙って歩いていた。


 教室に入ると、そこでは快活そうな瑠花が席について美弥子を待っていた。

「あ、ミャコ、遅かったね。間に合ってよかった」

 そう。瑠花は、先に教室で待っていたのだ。


「あれ、瑠花…?」

「どうかした?」

 少しつっかえながら美弥子は言う。瑠花は、不思議そうに首を傾げた。

「え、あたしと一緒に来たよね?」

「ううん、私、だいぶ先に着いてたよ」

「でも、さっきまで一緒に……」

 振り返ると、本棟から一緒に来たはずの虚ろな目をした瑠花は、跡形もなく消えていた。

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