七海と小さな竜神2

 祖母あんずさんから受け継いだ霊力のおかげで、七海は不思議なモノに触れることが出来る。

 だからブレスレットのように腕に巻き付いた小さな竜神がずっしりと重い。


「このままじゃミニ竜が巻き付いた右腕が重くて動かせない。ミニ竜をどこかに置いて……そうだ、小さいおじさんの持っている袋に、この竜入る?」 


 七海が小さいおじさんが背負う宝袋を指さすと、小さいおじさんはなるほどと大きな声を出した。


「娘よ、よく思いついた。遊び疲れた竜神は宝袋の中で休んでもらおう。この宝袋は見た目は小さいが、巨万の金銀財宝を蓄えることができる、収納力無限大だ」


 七海は竜神を起こさないようゆっくりと右腕からはがす。

 小さいおじさんが袋の口を開くと、小さな竜神は勢いよく大黒天の宝袋に吸い込まれた。


「それでは大黒天様、僕はこの建物の結界を解きます。鏡張りの壁を布でふさぎ、フェイクの観葉植物は撤去します。しかし竜神を建物の中に招き入れて、本当に大丈夫ですか?」

「ワシが彼方からこちらへ現れたのは、あんずさんが充分な供物と居心地のよい場所を整えたからだ。竜神も同じように、ロビー正面に供物の大量の酒を飾るがいい」

「竜神八匹ですから、ウイスキー一本では足りませんね。しかしオフィスビルのロビーに大量の酒を置くのは……そうか、他の酒にすればいい」


 何かひらめいた恵比寿青年は、ソファーから立ち上がるとロビーを横切り、受付嬢に声をかける。


「はい、恵比寿社長。なんでしょう」

「君、会社周辺の酒屋に電話して、鏡開き用の大きな樽酒があるか聞いてくれ。ここは浅草・両国が近いから、行事用に樽酒の在庫があるかもしれない」

「さすが恵比寿さん。鏡開き用の樽酒ならロビーにオブジェとして置いても違和感ないね」

「それに鏡開き用の樽酒なら、龍神を酔いつぶすのに充分な量だ」


 若社長直々の命に、受付嬢は熱心に電話をかけまくり、十分後樽酒の在庫を探し出す。


「恵比寿社長、樽酒を見つけました。お昼までに配達可能です」

「ありがとう、よくやった。酒屋とは僕が直接話するから、電話を替わってもらえるかい」


 恵比寿青年は受付カウンターに乗り上げるように体を伸ばすと、受付嬢から受話器を取る。

 超絶美形の若社長から礼を言われた受付嬢は興奮してのけぞり、他の受付嬢に抱きとめられていた。



 ***



 建物の周囲に住み着いた竜神は八匹。

 全ての竜神を建物の中に招き入れ、供物(酒)を捧げ、商売繁盛の守護竜にする。


「ところで外は土砂降りのゲリラ豪雨だけど、誰が竜を捕まえてここに連れてくるの?」


 七海は窓ガラスに打ち付ける大粒の雨を眺めながら、二人に話しかける。

 恵比寿青年はソファーの深く腰掛けると、わざとらしくスマホを手に取りながら答えた。


「僕は竜神に触れることが出来ないので、酒を準備しましょう」

「ワシは小さくてか弱いから、娘のリュックの中で待機しているぞ。竜神を掴まえたら教えてくれ」

「ふたりとも本当に役立たず!! 私ひとりで残り七匹の竜を捕まえるのね」


 ミニ竜はわざと捕まってくれたけど、他の竜たちはゲリラ豪雨を振らして敵対心むき出しだ。


「どうやってミニ竜を捕まえよう。素手は無理だし、ここに昆虫を捕まえる虫網とか長い棒ある?」

「虫網はわかるが、長い棒で竜神を木から叩き落とすつもりか? そんなことをして神罰が下ったらどうする」

「恵比寿さん、何オドオドしているの? 私さっきミニ竜たちに追いかけられたんだから、反撃されても文句は言わせない。不思議なモノを相手にする時は、気持ちで負けちゃ駄目だってあんずさんに言われた」

「うむうむ、あんずさんが怒ると、とても怖かった」


 鼻息荒い七海と、何かを思い出して居住まいを正す小さいおじさん。


「しかしこの辺に虫網を売っている店はあったかな。それに長い棒なんて清掃用の箒しか……」

「それよ、恵比寿さん!! ここにある掃除道具を見せて」


 七海は思わず大声で叫び、周囲に居るMEGUMI社員が振り返る。

 恵比寿青年はソファーから立ち上がると、ロビーの片隅でテーフルを拭いていた清掃員に声をかけ、七海を手招きした。

 若社長の彼女が、清掃員のおばちゃんとどこかへ行く姿を見て、MEGIMI社員の間でざわめきが起こる。

 しばらくして七海が選んだ掃除道具を持って戻ってくると、それを見た恵比寿青年は思わず感嘆の声を上げた。


「まさかそれを選ぶとは。大黒天様が彼女にそれを手に取るように教えたのですか」

「いいや、ワシは娘が何をするのか、見守っていただけだ」


 七海は長い柄のついた熊手を握りしめていた。


「高枝切りばさみか熊手か迷ったけど、ミニ竜を高枝切りばさみで真っ二つにしたら危ないから、熊手にしたよ」

「熊手と言えば、幸福や金運をかき集める縁起物だ。これで竜神をかき集めるのだな」

「確かにそれなら竜神を捕らえることが出来る。君は本当に、類い希なる巫女だ」


 雨粒が激しく窓を打ち付け、ゴロゴロと雷の音が鳴り響き、真っ黒な雨雲の中を稲光が光っている。

 七海は目をこらすと、一匹の竜神がロビー入り口のドアを体当たりしているのが見えた。

 ロビー正面入り口の前で仁王立ちになると、靴と靴下を脱いで裸足になる。


「不思議なモノは下から来ることもあるから、裸足になって気配を感じ取れるようにするの。恵比寿さんドアを開けて。最初にアレを捕まえる」


 自動ドアが開くと同時に、ロビーに大量の雨が吹き込み、あっという間に七海は全身びしょ濡れになった。

 それにかまわず外に一歩足を踏み出した七海は、思わず「えっ」と声を上げる。

 足元には大きな水たまりができているのに、足の裏は日に焼けた熱いタイルの感触があった。 


「地面が乾いて足の裏が濡れない。もしかしてこの豪雨も雷もミニ竜が見せる幻? そういえば恵比寿さんは、雨雲レーダーにゲリラ豪雨が表示されていないって言っていた」

「娘よ、このゲリラ豪雨が幻なら、竜神を捕まえれば雨は止む。幸運をかき集める熊手で竜神を捕らえるのだ」


 頭上の稲光も鳴り響く雷の音も、幻と知れば怖くない。

 青みがかったウロコを持つ竜神が、激しい豪雨の中を泳ぐように七海に急接近してくる。


「ふっ、動きの鈍いミニ竜ごときに、蝉ハンターと呼ばれた私から逃れられると思うの」


 七海は熊手を振り上げると数歩駆け出し、青いウロコの小さな竜神にたたき付けるように熊手を振り下ろす。

 熊手が豪雨を左右に切り裂き、体を叩きつける雨が蒸発したかのように消え、ずぶ濡れだった上着が一瞬で乾いた。


「えっ、急に雨が止んだ?」

「ロビーに吹き込んだ雨水が消えて、びしょ濡れだったスーツが乾いている!!」


 建物入口近くで雨宿りしていたMEGUMI社員の驚きの声が聞こえる。

 カーテンが開かれるようにゲリラ豪雨の幻影は失せて、残暑厳しい太陽の日差しが七海に降り注いだ。


「ほらほら、中で美味しいお酒を準備しているから、大人しく捕まってね」


 七海は幻術を破られて熊手に囚われた小さな竜神を引っ張り出すと、小さいおじさんの宝袋の中に入れた。 


 竜神の幻術が解けると、ゲリラ豪雨がやみ快晴の青空が広がった。

 二匹目の竜神を捕らえた七海は、ほっと一息つく。


「娘よ、休憩している暇はないぞ。あっちで他の竜神が悪さをしている」


 豪雨は止んだが、強風は吹き続けている。

 建物前を歩いていた女性が風にあおられ、乱れた髪を押さえながらしやがみこんだ。


「悪さって、綺麗な女性の周囲でやたらと風が吹いて……。なるほど、ミニ竜のスカートめくりってこれの事ね」


 幸い女性はロングのタイトスカートを着ていたので、スカートが風でめくれる心配はない。

 七海は女性のそばに駆けつけると、足下に吹きだまりのようになった落ち葉の山に熊手を振り下ろす。

 

「まだ紅葉の季節じゃないのに、赤や黄色の落ち葉なんて不自然よ。イタズラはやめて大人しく捕まりなさい!!」


 七海は熊手に手応えを感じて、かき集めた落ち葉の中から黄色みがかった竜神を引っ張り出すと、小さいおじさんの福袋の中に入れた。


「これで三匹目。小さいおじさん、次はどこ?」

「娘よ、向こうの階段の影で竜神が寝そべっている。女子が階段をまたぐのを待ち構えているのか」

「まったく、ミニ竜の行動は小学生男子と一緒ね!!」


 舞い落ちる落ち葉と強風の中、七海は竜神を捕らえようと熊手を持って駆けずり回る。


「どうして若社長の彼女が、落ち葉をかき集めてるんだ?」

「あの子若社長の彼女と思っていたけど、もしかして清掃のアルバイト員?」

「でも掃除にしては変だ。なんかキラキラ光る、長いヘビみたいなモノを追いかけている」


 普通の人間は竜神の姿を見えないが、まれに不思議なモノの存在を感知できる人間もいる。

 恵比寿青年はMEGUMI社員たちの会話を聞きながら、外を駆けずり回る七海の姿に思わず口元をほころばせた。


「普段は面倒くさがりでだらけている彼女が、まるで夏休みの子供のようにいきいきしている」


 受付嬢が酒屋が来たと知らせ、高さ五十センチの二斗樽酒が運び込まれる。

 恵比寿青年は樽酒を、受付カウンターの上に設置するように指示を出した。



 ***



 小さな竜神狩りから一時間、七海は肩で息をしながら木陰のあるベンチに腰掛ける。


「ねぇ小さいおじさん。竜を八匹も捕まえれば、私の運気も良くなるよね」

「しかし残り一匹が用心深くて、なかな姿を現さない。のう娘よ、ワシは暑くて喉が渇いた」


 七海は汗をぬぐいながら、近くの自販機で飲み物を買うためにボタンを押した。

 すると自販機の小さな液晶画面のスロットに【777】の数字が並び、スピーカーからけたたましいファンファーレの音楽が流れる。


「娘よ、自動販売機がしゃべったぞ!!」

「ええっ、もしかしてこれがミニ竜七匹を捕まえたご利益? 私の幸運が、自動販売機の当たりに使われたの?」


 わざわざ休日を潰して東京まで書類を届けに来て、炎天下を駆けずり回り竜神を捕まえたご利益が、たった140円の缶ジュース!!


「ひどいよ、小さいおじさん。私はご利益すら運がないの?」

「娘よ、何を言っておる。この自動販売機の当たる確率は千分の一、お前は千人にひとりの幸運に恵まれたのだ。早く缶ジュースを開けてくれ」


 しかしショックでベンチに座り込んだ七海は、小さいおじさんを完全に無視する。

 

「天願さん、神のご利益で簡単に金運に恵まれると思いますか? 貧しい神職者の話はいくらでもある」


 七海がふくれっ面で顔を上げると、ベンチのそばに恵比寿青年が立っていた。


「それは恵比寿さんがお金に困っていないからよ。今の私は小さいおじさんに縋ってでもご利益が欲しいんだから」


 アルカイックスマイルを浮かべながら七海を見つめた恵比寿青年は、当たりの缶ジュースを開けると、喉が渇いていた小さいおじさんは飛びついてジュースを飲む。


「残りの竜神は一匹。君はこの程度の事で竜神の捕獲を諦めるのか?」

「そんなこと言っても、最後の一匹がどこを探しても見つからない」

「大黒天様、すでに竜神をお迎えできる準備は整っています。竜神が若い女性に反応しないなら、供物を替えておびき寄せましょう」


 恵比寿青年の何気ない一言に、七海は激しく反応する。


「えっ、ちょっと待って。それって私自身がミニ竜をおびき寄せる供物だったの?」

「娘は、あんずさんの孫である稀代の巫女。極上の霊気に竜神たちは群がってきたのだ」

「神話の竜神、八岐大蛇の供物は美女と酒でしたね。それでは神話に習って、先ほどより旨い酒で最後の竜神をおびき寄せましょう」


 恵比寿青年は腕に抱えていた桐箱から、琥珀色の液体が入った瓶を取り出す。


「これは祖父から貰ったビンテージのコニャックで、四十年以上の熟成と遺伝子操作をされていない原材料で作られています。これなら竜神も満足するでしょう」

「ええっ、ビンテージって年代物の激レア品でしょ!! ああっ、地面にお酒をまき散らして、も、もったいない」

「娘よ、騒いでないで身構えておけ。竜神を捕らえるのがお前の仕事だ」


 小さいおじさんに指摘されて気を取り直した七海は、ベンチから立ち上がると熊手を握りしめる。

 まき散らされた酒の薫りを味わうような、生温いねっとりとした風が漂い、姿の見えない不思議なモノの気配が満ちる。

 木々のざわめきに恵比寿青年が目を細めて上を見上げるが、七海は振り上げていた熊手を下げて裸足のまま移動すると、何かの気配を感じて思いっきりその場で足踏みをした。

 すると真下から緑がかったウロコの竜神が姿を現し、タイミング悪く足踏みをしていた七海に力いっぱい踏んづけられる。


「ひゃあっ、急に出てきてびっくりした」

「天願さん、竜神を足蹴にするなんて、うわっ、足の指で竜神を持ち上げるのはやめなさい」

「女子の足下から現れた竜神も悪いが、娘は神の眷属を雑に扱いすぎる。そういえばワシも娘の自転車に踏まれたことがあるぞ」


 足癖の悪さを披露した七海は、慌てて竜神を両手に持ち替えると、恵比寿青年の方へ突き出す。


「恵比寿さん、早くミニ竜にお酒を飲ませて!!」


 恵比寿青年は酒瓶を竜神の鼻先に持ってくると、竜神は七海の腕をすり抜け恵比寿青年の腕ごと酒瓶に巻き付いて酒を飲み始めた。


「なんということだ、僕の腕に竜神様が絡みついて、夢中で酒を飲んでいる」

「恵比寿さん平気? その竜、結構重いでしょ」

「僕は天願さんほどの霊力は無いから、竜神の気配だけで重みは感じない」

「竜神のウロコが赤くなってほろ酔い加減だ。恵比寿よ、ワシの福袋の中に竜神ごと腕を突っ込め」


 小さいおじさんが背負っていた袋の口を開くと、恵比寿青年は自分の腕を竜神ごと福袋の中につっこむ。

 ハンカチ程度の大きさの袋が、恵比寿青年の肘まで飲み込む。

 恐る恐る、福袋から腕を引き抜いた恵比寿青年は、しばらく自分の腕を眺めていた。


「ねぇ恵比寿さん、小さいおじさんの袋の中って冷たい、熱い、どんな感じだった?」

「どんな感じも何も……自分の腕の感覚が消えて、広い空間が彼方の世界に繋がっているような感じだ」

「良く分からないけど、ド@えもんの四次元ポ@ットみたいなモノ?」


 なにやら感動した様子の恵比寿青年を横目で見ながら、七海は足下の落ち葉を熊手でかき集め植栽の方へ寄せる。

 全身汗だくで熊手を握った七海に、通りすがりのMEGUMI社員が「ご苦労様です」と和やかに声をかけた。

 気がつけば建物正面広場は、七海の手で綺麗に掃き清められている。

 小さいおじさんは、八匹の竜神が納まった福袋の中をのぞき込んで確認するとふたりに合図した。

 

「場が清められ供物が捧げられて、竜神もあるべき姿に戻った。娘よ、恵比寿天よ、これより祭事を執り行うぞ」


 七海たちがMEGUMU社テナントビルへ戻ると、赤い布地がかけられた受付カウンターに大きな樽酒が置かれ、簡易祭壇に稲穂と色鮮やかな花々、数種類の果物と生米と塩が皿に盛られていた。

 彼女を会社に連れてきたり酒を買わせたりと、若社長の奇っ怪な行動を不審がっていたMEGUMI社員たちも、これから何が行われるのか理解して祭壇の周囲に集まってくる。


「これだけ大量に酒があれば竜神様も満足するでしょう。大黒天様、僕が知っているのは南の島の拝み事になりますが、それで宜しいですか?」

「神は小さいことにこだわらぬ。古より言葉もしきたりも変化し続けてきた。お主たちの清く正しく神を敬う気持ちを示せば良い」

「それでは、尊き竜神様をこの場にお迎えするお祀りします」


 祭壇の前で深く頭を下げると両手を合わせる恵比寿青年の神人(かみんちゅ)としての神秘的な姿に、女子社員はうっとりと見惚れている。

 七海も小さいおじさんを手のひらにのせながら、神妙な面持ちで恵比寿青年の声を聞いていた。


「ふむぅ、そろそろ良いだろう。娘よ、後ろに吹き飛ばされないように足を踏ん張っておけ」

「えっ、後ろに吹き飛ばされるって、小さいおじさん、何が起こるの!!」


 七海の返事を待たず、小さいおじさんの背負っている福袋がモゾモゾと激しく動き出す。

 手のひらの福袋がずっしりと重くなり、その気配を感じた恵比寿青年は素早く祭壇の前から退くと、小さいおじさんは袋の口を開いた。

 袋の中から大きくて太くて長いものが、酒樽の供えられた祭壇に向かって勢いよく飛び出すと、七海は踏ん張りきれずに後ろに尻餅をつく。

 大黒天の福袋の中に囚われていた小さな八匹の竜は、男性の背丈ほどある一体の竜神に変化していた。

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