第12話 café Sun Flower
井宮は奥から2番目の4人がけのテーブルに1人で座っていた。井宮はウエイターと親し気に話していた。
店舗入り口のホワイトボードには、本日のディナーメニュー、チキングリルのマスタードソースset 18:00〜と書かれている。まだ18:00前、客入りは店の半分程度、18:00からが混むのだろう。
俺が中を覗き込んでいると、中学生くらいの女の子を連れた夫婦が、訝しげな目で俺を見ていた。怪しまれたかと思ったが、どうやら俺が店の入り口を塞いでしまって、邪魔なそうだ。
「あっ、すみません。どうぞ」
俺は一歩退がり、入り口を開けた。
家族連れが店に入ると、中から女性の声がした。
「いらっしゃいませ。あー、浅野さん。いらっしゃいませ、どうぞ」
店員の女性は、入り口にいる俺に気づき、いらっしゃいませ、お一人様ですか?と聞いて来たので、
「いや、中にツレが」
と答えてしまった。
「どうぞ」
俺は店員に促され、中に入ってしまった。ツレがいると言ってしまったので、仕方なく井宮の席に座った。
井宮は突然現れた俺を見て、動きが止まっていた。
「ニラさん、どうしたんすか?」
「なんだ。お前、そんなちゃんとした服着て、こんなとこで飯食って。
ホームレスから足を洗ったのか」
井宮は俺に指摘され、気恥ずかしそうにジャケットの襟を触り、体をモゾモゾと動かし座り直した。
「いや、そういうわけじゃないんですけどね。ちょっと、ね」
そのタイミングで、さっきの女性店員がサラダとアイスティが運ばれてきた。
「井宮さんのお友達でいらしたんですか」
井宮は常連なのか、店員に名前で呼ばれていた。この女性は、この男がホームレスということは知らないのだろうか。
ご注文は、と聞かれたので、井宮が何を注文したかも確認せず、同じものを、と答えた。
「お前、なに頼んだ?」
「え?ディナーセットですけど」
「ディナーセットて、6時からのメニューじゃないのか?」
「大丈夫っす。頼めば、出てきます。まあ、混む前に来た方が、景子ちゃんに迷惑かけちゃ悪いしね。混んでる時間帯に来たら邪魔でしょ」
井宮はチラッと、さっきの女性店員の方を見た。
「お前、あの子が目当てで、通ってるのか」
店員は見た目20代後半くらいで、落ち着いた雰囲気の綺麗な女性だ。特別華やかな顔立ちとかグラマーとかではない。すっきりした顎のラインに小さな唇、少し古風な顔立ちが、昔の映画で似た女優がいた気がする。
ダメだ、クソみたいな記事しか書いてないから、表現力に乏しい。
「いや、そんなんじゃないですよ。って言っても、全否定はできないです。みんな、景子ちゃんのファンみたいなもんです」
「みんなって、誰だよ」
「え?河川敷のみんなです」
ここはホームレスの溜まり場か、と思ったが口に出すのはやめた。
先に注文していた井宮のチキングリルと一緒に、俺の前菜のサラダとアイスティが運ばれてきた。料理を持ってきたのは、「景子ちゃん」と呼ばれる店員ではなく、男性のウエイターだった。井宮は彼とも顔見知りらしく、ちょっとした世間話をしていた。
ここのオーナーは、あの景子と呼ばれる女性らしい。この景子という女性は、1年半ほど前、訳あって無一文で住むところがなくなり、河川敷で井宮らと共同生活をしていたという話だ。それがどういう訳だか、そこで共同生活をしていた数人の男たちと店を出すことに至ったらしい。
「俺も誘われたんですけどね、俺はこうして、一生懸命働いたお金で、少しでも景子ちゃんの役に立てればいいかなって。今更、この生活変えるのも躊躇するんですよね」
井宮たちが店を訪れる際のルールとして、他のお客様に迷惑がかからないよう、身なりを綺麗にしてこないと入店できないという。井宮は月2〜3回のペースで、日雇いなどの収入が入ると、散髪して、サウナに行って、綺麗な服に着替えてくることにしているそうだ。
俺の元にもチキングリルが届いた。今度はいかつい体つきのゴリラ顔の男が運んできた。
「日雇い労働者のくせに、躊躇してる暇なんかあるか!お前はただ真面目に働きたくないだけだろ。2号店出すときは、お前に働いてもらうぞ」
「ジンちゃん、そりゃあ酷いぜ。真面目に働く気はあるんだよ。だけど、続かねえんだよ」
俺はまず、アイスティから口をつけた。
「景子ちゃんのためだったら真面目に働けんだろ。だったら2号店で働け!」
「だって、2号店じゃあ景子ちゃんいないんだろ。それじゃあ真面目に働けないよぅ」
まずアイスティを口に含んだ瞬間驚いた。普通の紅茶を想像していたが、なんか別の葉っぱを食ったような味がした。もう1度飲んでみると、それは嫌な味ではない。
これはなんな味だ?ハッカみたいなスースーする味というのは幼稚な表現か?
たぶん俺が変な顔をしていたのだろう、井宮はヘラヘラした顔で俺に言った。
「最初、俺もびっくりしたんですよ。それ、ミントの葉っぱが入ってるみたいです、アイスミントティー。だんだん癖になる味なんですよ。なんか落ち着くっていうか。このカフェの人気のドリンクなんですよ」
そう説明する井宮の頭をゴリラ顔が、お前は店員じゃないだろ、と軽く小突く。
もう一口飲んでみる。俺はジャスミンティーだの、レモングラスだの、変わった味のものが苦手だ。特にチョコミントなど、甘いものにスースーするものを入れて味がケンカしているとしか思えない。要は反する味がすると邪魔なのだ。紅茶なら紅茶、ミントならミントでいいじゃないか。これを飲む前まではそう思っていた。
だか、これは紅茶のほろ苦い味わいの中、鼻を抜ける爽やかな香りが絶妙にマッチして、一口飲み込むごとにうっとりと目を瞑ってしまう。
やっぱりダメだ、くだらないクソみたいな記事ばかり書いているせいで、女の美しさも、味のレポートも、完全に衰えている。
「このアイスミントティーは、私たちのお友達のオリジナルなんです」
景子と呼ばれる女性オーナーが、俺たちのテーブルを横切りながら、そう応えた。景子は客が入店してきたのに気づき、入り口に向かった。若い男女の10人くらいの団体客だった。少々お待ちください、と景子は客席を見渡す。俺も周りを見渡すと、向かい合わせで椅子一脚ずつの小さなテーブル席と、俺たち隣の6人掛けのテーブルしか空いていない。俺たちが帰れば、この4人掛けのテーブルと合わせて、彼らが座れそうだ。
ニラさん、俺は井宮に急かされ、チキングリルを一気にかき込み、早々に退散した。
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