第4話 開かれた扉

ニラさん、ニラさん。


誰かに肩を揺すられた。瞼が重い。薄く目を開けると、見たことある天井だが自宅の天井ではない。欠伸をすると、自分の口臭が臭い。上半身を起こすと、シャツが汗ばんでいて背中に張り付いているのを不快に感じた。

重い瞼を片目だけ開け、周りを確かめる。

後輩記者の浅場直樹の姿を確認し、また事務所に泊まっていたことを思い出した。


「ニラさん、また太田編集長に怒られますよ。それよりも、マジ口臭いっす」


俺はトイレに向かい、顔と口をゆすいだ。掌をうちの前に当てて、息を吹きかけ臭いを嗅いでみた。確かに臭いことは認めるが、他人に言われると少々頭にくる。特に年下に言われると、もうお前が困った時には助けてやらん、と子供じみたことを考えてしまう。一応気になるので、携帯用リステリンで口をゆすいだ。


「ニラさん、なんか記事書けたんですか?太田編集長がニラさんのこと探してましたよ」


浅場直樹がニヤついた顔で近寄ってきたので、俺は、ハアー、と息を吹きかけてやった。


「それはそれで、臭いっす」


彼は顔を背け、掌で目の前を仰いだ。


韮沢!そうこうしているうちに、太田編集長が慌てた様子で、編集部に入ってきた。


「おい、昨日の記事、早急に書き直せるか」


そう言いながら太田編集長はリモコンでテレビを点けた。今は8時半、うちの出勤時間は9時なので、そろそろみんな出勤してくるような時間だ。テレビでは朝の情報番組を放送している時間帯。


テレビの画面はフラッシュがパカパカ焚かれて、寝起きの俺には目が開かなくなる映像だった。目をこすり、無理やり画面を見る。


安城流星がスーツ姿で立っている映像。

テロップでは「安城流星❤️白石友梨奈、人気アーティスト同士の電撃結婚!」と出ている。

安城が俺に気づき、堂々としていた理由はこれか。


「内容は基本あのままでいい。ちょっと電撃結婚も以前から掴んでた風にと匂わせておけ。あと、谷村栞な。あれ、財務省のお偉いさんのの孫らしいぞ。それも、なんか面白おかしく書いとけ!」


そう雑な指示を出すのは、この太田という男は、雑誌さえ売れればなんでもいいのだ。太田は俺の2つ年上だ。むかしは尊敬できるジャーナリストだった。記者の在り方の全てを彼から教わった。そして年月を重ねるうちに、互いに真実を追うことを忘れ、彼は上層部に媚びることを覚え、俺は手を抜くことを覚えた。2人の差は、記者でいること捨てれるか捨てれないかの差だけだ。文章を書くことに縛られて、あくまでも記者であることのプライドを捨てれなかったのか、そのままでいることに甘んじているのかは、自分では判断できない。


「谷村栞って、あのデエス ミニオンの谷村栞ですよね。デエス ミニオンって、確か夏だったから半年前くらいですかね。ライブ会場で爆破事件とかありませんでしたっけ?なんか異様な人数の民間警備員が出動してましたけど。あれお偉いさんの孫だったからなんすね。猛烈なファンの愉快犯ってことで片付けられてますけど、犯人も捕まってないし、結局、あれ何だったんですかね」


「そんな事件あったか?」


浅場直樹の言葉に、太田編集長は素っ気なく答える。記事にならない事件には興味がないのだ。


「俺、ちょっとネタになるかなって思って、その事件手え出したんですけど、なんかあんまり面白そうなこと書かなくて、諦めたんですけどね。一応ジャーナリストなんで、事件の記事とか書きたかったし。でも丁度その頃、女優の佐川麻里の不倫があったじゃないですか。そっちの方が面白いの書けそうだったから、途中で調べるのやめちゃったんですよね」


そんなわけのわからない爆弾騒ぎよりも、不倫記事の方が太田編集長の好みだろう。浅場直樹は、若いくせにそういうところだけはちゃんと心得ている。


「直樹。ちょっとその事件調べた時のメモとか残ってるか?」


俺は少し気になって、浅場直樹に聞いた。捨てきれないジャーナリズムが出てきてしまったのか、自分でも呆れる。案の定、太田編集長は、少し嫌な顔をしていた。


浅場直樹は自分のボディバッグから、無印良品のメモ帳を出して捲り、ああ、まだ残ってますね、と俺に渡してきた。

メモ帳を開くと、アリンコみたいな小さい文字で読みにくい。更に時系列もバラバラで、ただの走り書きだった。


「汚ねえ字だな」


俺が文句を言うと、字ぃ汚い奴って頭いいんですよ、と浅場直樹はヘラヘラしている。自分で言ってろ、と俺は舌打ちをした。


汚い字を判読すると、第2予備電気室爆破、怪我人なし、ライブ開園後、近隣、コンビニ万引き2件、目撃者なし、防犯カメラ×、爆破予告、痴漢、ホームレス酔っ払い、その他判別できない文字が並ぶ中、トラック突っ込み香川警備保しょー、という文字が目に飛び込んできた。多分、保障の「障」の漢字がわからなかったのだろう。


「直樹、このトラック突っ込みってなんだ?」


浅場直樹は自分のメモ帳を俺の横から覗き込み、自分の字に首を傾げている。


「さあ、なんだったんでしょうね」


浅場直樹は、なぜ俺がそんなことを気にしているのかわからないという顔で、興味がなさそうな返事だった。


俺はバックから昨夜仕舞った紙を取り出す。「香川警備保障」と書いてある。俺は何かの扉を開いてしまったと直感的に思った。

浅場直樹のメモ帳には、こうも書かれている。


警備員増員、アムレト警備、親会社からも(香川警備保しょー)、ヘルプ増員。


「おい、おい。韮沢」


太田編集長が嫌悪感丸出しの顔で呼ぶので、俺は紙を仕舞った。


「また、変なことに首突っ込むなよ」


「なにがですか?あれですよね、書き直せばいいんですよね。面白く書いときますよ。20〜30分くらいで書き直します」


「いや、そっちじゃねえよ。お前、変なことに首突っ込むとき、いつもそうやって下唇噛んでんだよ」


気づかなかった。俺は太田に言われたように、前歯で包み込むようにして下唇を噛んでいた。






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