スラッグアウト ジャーナリスト
オノダ 竜太朗
韮沢 浩史〜にらさわ ひろふみ
第1話 落ちぶれたジャーナリスト
目が覚めたらソファの上だった。
ガラスのローテーブルの上には、昨夜飲んだ缶ビールの空き缶と、スナック菓子の袋が載っている。昨夜テレビを点けて、ソファでビールを飲んでいて、そのまま眠ってしまったらしい。
リモコンでテレビを点けた。画面は午後の再放送枠の番組で、2時間のスポーツバラエティ番組だった。現役時代あまり活躍はなかったが引退してからは解説者として外れたコメントで人気がでている元野球選手やテニスプレイヤー、モデルのようにスタイルが良く人気だけある女子プロゴルファーなどと、アイドルグループやお笑いタレントとハンデをつけてゲームをするような内容。
スタジオのセットで、子供部屋のようなレイアウトの中、机、椅子、ゴミ箱、壁掛け時計、電気スタンドなど、普通の家にありそうな家具の偽物が並び、それが的になっている。それらにボールを当てると、その物によって得点が違い、狙い難いものほど点数が高い。祭りで言う「射的」みたいな遊びだ。それをそれぞれのスポーツのボールで挑戦するルールだ。
他のタレントたちも、学生時代に所属してい部活の動画を使って参戦する。お笑い芸人の1人が卓球部で、絶妙なコントロールで的に当てていくのだが、ピンポン球では1つも倒すことが出来ず0点で終わり爆笑を誘っていた。結局、そのコーナーでは元サッカー選手が優勝していたが、スタジオの空気は、あのお笑い芸人が優勝ではないかという微妙な雰囲気になり、スポンサー提供が流れCMになった。
「韮沢、また事務所、泊まってったのか」
俺は、太田編集長に丸めた雑誌で軽く頭を叩かれた。
「ここはお前んちじゃねえんだからな」
太田編集長は、丸めた雑誌を投げて寄越した。それはうちの編集部から出している週刊誌だった。未解決事件の事件被害者、加害者の親族のインタビュー、警察や政治家の不祥事など真面目な内容と思わせて、センセーショナルな文体で掻き立て、そこには真実よりも読者の興味さえ惹ければ良しとするくだらない雑誌だ。ほぼ8割以上は芸能人の熱愛、不倫などの、知ったところでなんの糧にもならない記事ばかりだ。
それを購読者は、560円も出して買ってくれている。人は無駄なものに金を使いがちだ。人は衣食住といっても、住むところと腹を満たす食べ物があれば、服なんて2.3着さえあれば生活には困らない。たが然程着ない服や、広い家に余分なインテリア、使いきれない食材を買って、くだらない情報にでさえ金を出して知ろうとする。まあ、それだから俺たちの職業が成り立っているのだから、礼は言えても文句は言えない。
20代の頃は仕事に情熱と夢を持っていた。汚職問題や不祥事事件などを糾弾し、俺の文字で世の中を正そうと時間を費やしていた。フリーライターとして、この編集社に出入りしていたので、記事を買ってもらっていたのだ。やはり記事の質で値段が違う。ただ原稿料というよりは、質の高いものを追い求め、プライベートな時間を削って(というよりは無しで)何ヶ月もかけて事件を追った。だから数ヶ月無給ということも多々あった。
30代にもなると結婚して子供もでき、独身だった時のように無給を続けるわけにはいかないので、合間合間に、熱愛や不倫などのゴシップ的なネタの原稿料で繋いでいた。ゴシップネタは割りの良い仕事だった。熱愛や不倫は、している本人たちは警戒しているようで、本気で隠す気があるのかと思うほどガードが甘い。隠す気があるなら、東京から離れた場所だったりとか、人が来ないような場所を選べばいいのに、案外普通に話題の人気レストランや、高級ホテルなど、人目についてしまう場所に平気で現れる。不倫している奴に至っては、なぜ部屋の中まで我慢できないのか路上で堂々とキスしていたり、本当に頭が悪いのではないかと疑ってしまうが、それが金になるので、礼は言えても文句は言えない。
30代後半にもなると子供にも金がかかるようになり、多少の安定を求めるようになり、太田編集長に頼み社員にしてもらい、安いが基本給だけは確保した。社員になったからには、決められたノルマはこなさなければならないので、雑誌のページを埋めるだけのようなくだらない記事まで書かなければならない。必然とゴシップネタが増えた。
「また奥さん、出てっちゃったのか」
妻はくだらない記事ばかり書くのを嫌がった。むしろこの仕事を嫌がっていた。母親というのは子供を通じて知り合う「ママ友」という付き合いが生じる。「ママ友」は「ママ友」であって、友達ではないのだ。その「ママ友」に、旦那さんのお仕事は?と聞かれても、俺の仕事では答えられないという。適当に編集社と答えると、なんていう本なのか聞かれるのを嘘ついて答えるのが苦痛らしい。
掲載されている記事の最後には、記者の名前が出ている。雑誌名をいうわけにはいかないというのだ。普通の会社に勤めて欲しいと言われても、これしかやったことのない俺には、どういう仕事が「普通」なのかがわからない。いや、わかろうとしていないだけなのかもしれない。
そんな内容で一昨日口論になり、結果娘を連れて埼玉の実家に帰っていった。そして40代になると、そんなことで慌てなくなっていた。
たぶん以前みたいなジャーナリストとしての記事を書いていればそんなことはなかっただろう。そういう真面目な記事は、もう何年も書いていない。
テレビのスポーツバラエティ番組のコーナーが変わり、外でのロケの場面になっていた。ゴルフ場で、例の美人プロゴルファーが紺色のショートパンツ、ピンクのポロシャツに同じ色のサンバイザーで登場した。永島絵里という名前の20代前半のゴルファーで、愛称が「エリリン」と呼ばれていた。たしか父親もゴルファーだったと思う。人気の若手アナウンサーが次のコーナーのルールを説明している。
画面には縦横4列、12枚のパネルが並べられている。正方形の白いパネルには1〜12の番号が書かれている。それをゴルフボールで打ち抜いていくという、よく見るゲームだ。
「ボールの持ち数は15個です!この15個を使って、あのパネルを打ち抜いてもらうわけですけど、パネルは12枚です。失敗が許されるのは3球のみです。要は、4回失敗した時点で失格になってしまいます。エリリン、自信の方は?」
彼女はカメラ目線で、ポーズをとる。ゴルフの練習よりも、どう映ったら可愛く見えるかとか、スタイル維持のためのジム通いの方が熱心なんだろうな、と勘ぐって見てしまう。
「3球残して、全部打ち抜きます!」
「すごい自信です!パーフェクト狙いです!
それでは始めてもらいましょう!『全部打ち抜け、スラッグアウト』スタートです!!」
こういうゲームのことを『スラッグアウト』と呼ぶのを初めて知った。
エリリンは「4、いきます」と右上の角を宣言して、見事決まった。それから4球、宣言通りに軽快に数字のド真ん中を打ち抜いていく。べつに宣言通りに打たないといけないルールではない、次は6だと宣言したが、打ち抜いたのは隣の7だった。それからペースを崩したのか次のパネルは角の9だったが、数字の真ん中ではなく、隅に当たり打ち抜くというよりは、捲れ上がって後ろに倒れたという感じだった。
結局パネルを2枚残し、エリリンはカメラ目線で横から舌を出して悔しそうな笑顔を向け、その次に登場したお笑い芸人は「美術部」だったことから、筆や絵の具のチューブを投げ、パネルにさえ届かないというオチでコーナーは終了した。
このゲームを見て、ジャーナリストの仕事に似ていると直感で、そう思った。
事件を追う準備として調べることに当たりをつける。はじめのうちは、狙い通りに情報を仕入れることができる。途中、当たりをつけた欲しい情報とは別の情報を手に入れることができることがある。ただペースを崩すとそのあと思い通りにはいかなくなったり、あと一歩のところで真実に辿り着けなかったりする。
それに比べ、ゴシップネタは簡単だ。パネルは1つしかない。不倫なら、しているか、していないかだ。むしろあのお笑い芸人と一緒でパネルを打ち抜かなくても、受ける記事を書けばいいだけのことだ。
「おい、基本給分くらいは働けよ。ほら、みんな好きなの持ってったから、残ってるのはそれだけだぞ」
太田編集長はローテーブルの上に数枚のコピー用紙を置いて自分のデスクの方は行った。
コピー用紙は、メールやアプリのメッセージをプリントアウトしたものだ。
うちの編集部の雑誌は携帯用のアプリでも閲覧でき、無料のページと有料のページがある。収益的には紙媒体が7割だが、アプリの方が閲覧件数が売上冊数を超えているので、時期にアプリの方が中心になれば、紙媒体の方は廃刊に追いやられるかもしれない。
特にネタは、読者からメールやメッセージで送られてくるものからも抽出している。ガセネタも多い。俳優Aと歌手Bは付き合っているとか、政治家の息子がクスリをやってるとか。逆を取れば、読者からのメールは、そういう記事が読みたい、ということなのだ。真意は別にして、面白く書いて欲しいということなのだ。
俺はコピー用紙を手に取り、他の記者から選ばれなかった余りネタから、効率の良さそうなものを探した。
やはり熱愛、不倫ネタが多い。人が変わっただけで目新しくもないが、他人の事情を飽きもせずに覗き見たいものなのだろう。
その中で気になった2枚を眺めた。
(私は香川警備保障に店舗防犯セキュリティを依頼していたのですが、なんの説明もなく突然の撤退の理由はなんだったのでしょうか。調べてみてください)
(一般の人でも頼める『殺し屋』があるという噂は本当ですか?)
この2枚を交互に見て、この2つを繋げて考えてしまった。まさかね、くだらない。と思いこの2枚は捨て、比較的簡単そうな、若手ミュージシャンと恋愛禁止アイドルグループの熱愛ネタの紙を取った。
「どれにした?」
「これっス」
俺は太田編集長にその紙を見せると、
「つまんねえの、選んだな」
と、早く調べて来いと掌をヒラヒラさせた。
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