百合ップルvsメガ・シャーク

ななおくちゃん

第1話

 この日、午前一時の××湾は普段よりも波が荒く、また細やかな雨がパラパラと降りしきっており、十九フィートの小型漁船・爆竜丸五号の船体を濡らしていた。

 爆竜丸五号の持ち主である渕上は、三人乗りのその船に一人で乗り込み、雨が波紋を作る仄暗い水面を、鷹のように鋭い眼光で睨んでいた。十七歳で初めての漁に出てから三十五年、磨き抜かれた渕上の観察眼は漁師達の間でレーダー要らずと囁かれるほどである。

 つい先日、古くからの友人の船がこの××湾海上で転覆したとの報せが入った。操舵の技術なら仲間内でも随一と言われた男の船が、よく晴れて波の静かな日であったにも関わらずに沈んだ。他の漁船が海上に浮かぶ船体を発見したが、友人の姿はどこを探しても、どれだけ探してもついに見つからなかった。唯一の置き土産である船体には大きな穴が空いて大破しており、船が何かにぶつかったのだろうというのが漁師仲間達の共通見解だったが、何にぶつかったのかは誰も明確な回答を挙げられなかった。

 渕上は当初、何か巨大な魚にでもぶつかったかと思った。××湾にはかねてより、『主』と呼ばれる超巨大魚が回遊しているのだ。とはいえ、船に大穴を開けるほどの強さを持っているかといえば、疑わしいところがあった。消えた友人の操舵技術や近海の状況から見て、岩礁にぶつかったとも考えられない。

わかることはひとつ、友人はもうこの世にいないだろうということだ。海の恐ろしさを誰よりも知っているからこそ、渕上は拙い希望を変に抱くことはなかった。

 敵の正体を自分の目で確かめるしかない、と渕上は思った。弔い合戦などという大層な名目ではない。この海で戦い続けてきた者にとって、その身を脅かしかねない存在を看過することはできないというだけのことだ。

 現場付近に着くと、ライトを点けて海上を照らし、気を尖らせて周囲を伺った。あと二時間もすれば、他の船が漁に出てくる。それまでに手がかりのひとつでも手に入れば、と思った。渕上は五体の漁船を統べる漁船団の親分であり、爆竜丸五号は手持ちでは最新の型である。有事の際にはすぐに逃げ帰られる小回りとスピードを持っている。もっとも、船一体沈める巨大魚を相手に通用するとは思えなかったが。

 ふと、数メートル先の海上に違和感を覚えた。暗がりの中で確かに、波とは違う動きがある。何か大きなものが揺れている。少しずつ慎重に船体を近づけて、その正体を確認する。

 対象にライトを照らし、渕上は息を呑んだ。海上に、鈍色をした大きな盛り上がりが浮かんでいる。そのほとんどが海水に浸かっていたが、水面から姿を見せている部分だけでも相当な大きさであることが確認できた。

 ――なんだありゃ、十メートルはあるぞ。もしかしてあれが『主』の正体なのか。

 渕上の長い漁師人生の中でも、出会ったことのないほどのサイズだった。全身の筋肉が強張るのを感じた。『主』がどういう類の生き物なのかはわからないが、船体に穴を開ける力で、いつ自分に襲いかかってもおかしくないのだ。

 白髪交じりの顎髭をなぞって、対象の周辺を囲むようにしてゆっくりと船を動かす。しかし、『主』が動きを見せる気配はない。むしろ、無機質的に波に揺られるばかりだ。

 ――おいおい、まさか死んでるのかよ。

 こちらの油断を誘っているのだろうか。船体をさらに近づけて様子を伺うと、渕上は『主』の身体に、巨大な裂傷のようなものがあることに気付いた。『主』は赤い肉身を大きく曝け出し、ただただその亡骸が波間に揺れるだけだった。

 ――本当に死んでるのか。寿命か何かで死んで喰われたか。それともあいつの船にぶつかったときに……。

 襲いかかられる危険がないとわかり、触れそうなほどに船を近づける。あとでもっと大きな船を出し、死体を回収しておく必要があるか。『主』の傷口を眺めていると、渕上はあることに気付いた。

 その瞬間、渕上は考えるよりも先に操舵室に戻り、猛スピードでその場を去り、港へと引き返していた。 

『主』の身体についていた傷跡。その形状から、あれは人為的な攻撃や自然現象による被害によるものではない、と判断した。

 ――あれは『喰われた』痕だ。それも、一撃で。

 全身から吹き出た冷や汗を雨が拭う。考えが甘かった、と渕上は思った。敵は、自分が思っていたよりもはるかに強大だったのだ。

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