07. 帰還『ログアウト』
――ピピピピピッ……
どこからか電子音が聞こえてくる。
これは……脳内に、直接? ……あっ。
没頭しすぎてその存在をすっかり忘れていたけど、起動時に設定しておいたアラーム音だった。
VRゲームのプレイ中は、現実の時刻を知る術が乏しい場合も多い。
多くのゲームでは、ステータスや所持金、マップ情報などのデジタルデータ……通称"ユーザーインターフェイス"――『UI』というものが表示されている。
例えば近未来のSF世界を旅する類のものならば、UIと共に時計の表示があったとしても、ほとんど違和感なく溶け込めるだろう。
しかしそれらが視界に映り込むのは世界観を損ねてしまうと、採用していないゲームも稀にある。おそらくこのゲームもその口だ。
そういった場合には、ギアに搭載されたアラーム機能を使用することが推奨されていた。
確か、現実時間では三時間後ぐらいに設定してたはずだ。こちらの世界では随分と経ったような気がしたのだけど……時間の流れが大分違うみたい。
「どうかしましたか?」
不意に静止した私を気遣ったのか、師匠が顔を覗き込んでくる。
「あー。えっと……そろそろ、元いた世界へ戻る時間みたいでして」
「なるほど。そうでしたか」
こちらの事情も察してくれてるのか、あっさり頷いてくれた。
少々名残惜しいが、現実での生活を
「また……会えますか?」
おずおずと上目遣い……たぶん飼い主に捨てられたくない子犬のような眼差しをしてるのだろう。
「ええ。お待ちしております」
ぱぁぁっ、と表情を輝かせる。もし尻尾があったら全力で振り回してたと思う。
そんな私の反応がわかりやすすぎたのか、くすっと笑う師匠。
「ではではっ、失礼しま――」
――んん? 唐突に体中の血が凍ったような感覚を覚える。
(これ……どうやって現実世界に戻るんだ……!?)
虚空に手を振り回す。何かしらのウィンドウが現れたりはしない。
視線を動かす。UI……は、やっぱりどこにも一つもない。
専用のモニュメントなんかの場合もあるけど……辺り一面が草原で、全く見当たらない。
他のゲームでのログアウト手段を、脳内ライブラリーで必死に検索し……片っ端から試みてみるも、どれも空振りだった。
ログアウトの仕方ぐらい、ちゃんと調べとかなきゃいけなかったよね……スルーしちゃってホントすんませんでした説明書さん。ぎゃーす。
「……どうかしましたか?」
先ほどと同じセリフを発する師匠。こちらの焦りが伝わってるのか、やや不安げな表情で。
「ちょ、ちょっと、あっちへの戻り方がわかんなくって……」
過剰に心配させないよう笑顔を作ろうとするも、あえなく失敗して力のない苦笑いになってしまった。
でも、まぁ……身体への負荷を考慮して、連続稼働時間の制限ってのもかかってるし。
何より、それに引っかかるより先にお兄ちゃんが――"いつまで遊んでんだバカ"って強制的に切断し、叩き起こしてくれることでしょう。
その後お小言を食らうペナルティを、華麗に聞き流せばいいだけだ。とってもかんたん。
そうと思い当たってしまえば心はすっかり軽くなり、開き直ってもう少しこの世界を堪能していこう……と思ってたら。
「ああ……。それならばおそらく、『耳を抑えながら目を閉じる』……のでは?」
「――あっ!」
そういえばそんなのあったような。いや、むしろUIのないゲームでは至極一般的なものだったかもしれない。
しっかしこのような知識までお持ちとは……さっすがお師匠さまです。一層惚れ直しちゃいました。
一応試しにと、言われた動作を行ってみる。
【ログアウトを開始します――】……そんなアナウンスが流れ出すのを確認できた。うんよかった、これで帰れそう。
「何から何まで、ありがとうございましたっ!」
深々と勢いよく頭を下げてから、にへーっとした笑顔をみせる。
師匠は手を振り、「どういたしまして」――そう微笑みを返してくれた。
片手を耳に当て、目を閉じる。
ワンテンポ遅れて……【ログアウトを開始します。そのまましばらくお待ちください】――というアナウンスが流れる。それに続いて、ピ、ピ、ピ……とカウントダウン代わりの電子音が鳴り始めた。
程無くして……この世界へ来た時同様の、虹色の光に包まれた――。
◇ ◇ ◇
――目を開けばそこには、見知った天井。
VRの世界から、現実世界の自室へと帰還した。
とくん、とくん……と快いリズムを刻んでいる鼓動。胸に手を当てて目を瞑り、その余韻に浸る。
「おい。飯できたってさ」
「はぁーいっ」
ドア越しに聞こえてきた兄の声に、いつになく弾んだ声で返事をする。
ベッドから起き上がる動作も、部屋から出るまでの足取りも同様、弾むように軽い。
階段を降りていた背中を追う。足音に気づいてこちらを振り向いた兄は、そんな私の顔を見るなり、
「なんだよ、にやにやして……気持ちワリぃ」
「んっふふー。べっつにぃ~♪」
だって仕方ないじゃない。
まだ、始めたばかりだけど――楽しいよ。お兄ちゃんがくれたゲーム。
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