六品目『人気トラットリアの悪癖』(8)
「一体何に困ってるんすか?」
「うーん、加熱の具合ですかね」
「加熱?」
「ええ。通常の温度設定だと中に挟んだ鉄板が融けてくれませんし、あまりに高温にすると炭化するんですよね。鉄板は融けるんですが」
「そのちょうどいい温度設定を考えあぐねてるわけっすか」
「そうなんです。鉄板の薄さも改良してみたんですが、やはり触感の事を考えるとあまり薄くはしたくないのですよね」
「先に鉄板だけ加熱しておいて挟んでみたらどうすか?」
はっと、ギャルソンの目が見開かれる。連日の徹夜で完全に回らなくなっていた頭に、新人の衝撃的なアドバイスがクリティカルヒットしたのだ。よくよく考えれば不思議でもなんでもないのだが、ギャルソンにとっては青天の霹靂レベルにぴったりな言葉だった。まるで天啓が下りて来た様だ。
「ちょっと試しに行ってきます」
「いやいやいや、もうディナーの開店時間でしょ。無機物料理作ってる場合じゃないっす」
「ぐうぅぅ。これが経営者の苦悩ですか…」
「いいっすから早く準備しないと。今日は予約も入ってるんすよ。てんてこまいっす」
悔しそうに唇を噛むギャルソン。淡々と現実を突きつける新人。
言っていることは間違いなく新人が正しいの反論のしようがない。十一時の開店のあと、三時に一度店を閉め、夕方の五時から十一時まで営業するのがこの店のスタイルだ。
そもそもギャルソンがいなければ給仕をする人間がいない。今ここで行ってしまわれては困るどころの騒ぎではないのだ。ディナータイムの準備は歓談する二人の奥、料理長が淡々とこなしている。下っ端新人の仕事は一応終わって居るので、手を出す方が邪魔と言えよう。
「ぐぬぬ…仕方ありません。今日の仕事も完璧に終えた後に、試作も完璧に終えてみせましょう」
「そうしてくださいっす。はい、開店まであと五分ー」
「君こそさっさと厨房に戻りなさい」
「へーい」
ギャルソンはガラス容器に入ったキーボードの成れの果てを新人に押し付けると、しっしっと厨房へ行くよう手を払う。新人はギャルソンの「おやつ」を持って奥へと引っ込んで行った。
テーブルメイキングは既に終わっているが、開店の五時を少し過ぎた時間に『予約』客が入って来る算段になっている。あと十五分もしないうちに現れるであろう、その客らと、既に店の外に出来ている行列を店の窓から盗み見るギャルソン。今日も一段と忙しくなりそうだ。
「はぁ…。また誰か雇ってみますかね…」
どうせ長くは続かないのだろうけれど。やっぱりやめよう、そう思った瞬間、壁掛け時計が誤字のチャイムを告げる。ギャルソンは軽くネクタイを直すと、店の扉の前に立ち開いた。極上の笑顔で。
「いらっしゃいませ、トラットリアAKUJIKIへようこそ。最高の時間を貴方に」
* * * * *
「……」
「店長、どうかしたんすか?料理長と見間違えるから無言とかやめてもらえます?」
「うるさいですね。私は今、とても不機嫌なのです」
「珍しいっすね、店長が不機嫌なんて。何かあったんす?」
「…この方です」
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